第二話:アヒルたちの栄冠

アヒルたちの栄冠(一)

 横殴りの雨が窓を叩いていた。

 時刻は深夜二時を回ろうとしている。

 煌々と常夜灯に照らし出された格納庫ハンガーに佇むのは、翼を折りたたんだ巨大な航空機だ。

 CaZ-170E-7”サラマンドラ”――大竜公国グロースドラッフェンラントが生み出した最強の戦闘機。

 終戦から五年を経たいまなお並ぶもののない高性能をほこる傑作機も、機械である以上は入念な整備が欠かせない。

 いま、夜明けの離陸を前に、サラマンドラは最終調整の最中だった。

 テオは機体の腹に潜り込みながら、コクピットに座っているユーリに声をかける。


「ねえ、ユーリ。本当に大丈夫なの?」

「なにがだ」

「今回の仕事のことだよ。どう考えても嫌な予感しかしないんだけど」


 わずかな沈黙のあと、ユーリはぽつりと呟いた。


「事情が事情だ。それに、断れば俺もお前も無事では済まなかっただろう――」


***


 事の発端は、いまから八時間ほど前に遡る。

 夕闇が迫る飛行場を前触れもなく訪ったのは、マドリガーレ海軍の軍服をまとった一団だった。

 半ば強引に格納庫に詰めかけた彼らは、テオの顔を見るなり、おまえのような子供では話にならん、大人を出せと言い放ったのである。

 テオが対応にほとほと手を焼いているのを見かねて、ユーリは渋々ながらサラマンドラのコクピットから出ていった。

 慇懃に手を差し出したのは、ハビエル・バルビエリ少佐と名乗る男だった。どうやら将校たちを率いてきたのは彼らしい。

 

「さっそくだが、トレチェント島まで運んでもらいたい荷物がある」


 トレチェント島は、マドリガーレの最南端にあたる島嶼である。

 大戦中は大竜公国グロースドラッフェンラント海軍の航空基地が築かれ、現在も五百人ほどの住民が暮らしている。

 四方を美しい海に囲まれた離島は、しかし、のためにいまなお開発が進んでいない。

 本土との往還のための港湾と飛行場は整備されているものの、島の大部分は手つかずのまま残されているというありさまだった。

  

「あんたらは海軍だろう。自前のフネも飛行機もいくらでも持っているはずだ。なぜわざわざうちみたいな非合法モグリの会社を頼る?」

「我々にもよんどころない事情があるのだ……」

「お言葉ですが少佐どの――そんないい加減な説明で納得してくれるのは、間抜け面でそこに突っ立っているあんたの部下だけだろうな」


 バルビエリ少佐はいきり立った部下をなだめつつ、苦虫を噛み潰したような表情でユーリとテオに語りかける。

 

「現在、トレチェント島で流行性の感染症が発生している。すでにかなり被害が拡大しているということだ」

「俺が医者に見えるのか。あんたも目医者に診てもらったほうがよさそうだ」

「人の話は最後まで聞きたまえ。これはただの病気ではない。大竜公国時代に開発された細菌兵器が引き起こした人為的災害だ。化学工場内に放置されていた保管容器から外部に漏れ出し、島民や軍関係者のあいだで急速に感染が広がっていった……」

「俺にどうしろと言うんだ?」

「幸い、戦時中の資料から有効な血清を作り出すことが出来た。君たちにはトレチェント島に血清を空輸してほしいのだ。艦船では時間がかかりすぎる」


 ユーリは腕を組むと、薄目を開けてバルビエリ少佐を見やる。

 青碧色ターコイズブルーの冷たい瞳に見据えられて、バルビエリ少佐はおもわず身体を強張らせていた。


「ちょうどいま、南の海ズード・ジーには季節外れの台風が来ている。トレチェント島のあたりは一週間先までだそうだ」

「……」

「嵐のなかを飛ぶのは容易じゃない。海軍航空隊の貴重な人材をみすみす失うくらいなら、安く使い捨てられる民間業者を使おうと……そんなところか?」

「半分当たりと言っておこう。わが海軍も先導のために航空機を飛ばす予定だ。君だけを行かせるつもりはない」

「ふむ……」

「作戦開始時刻は明日の五◯三◯《ゴオマルサンマル》。トレチェント島に最も近い基地に立ち寄り、燃料補給と血清の積み込みを済ませてから出発してもらいたい」


 ユーリは首を縦にも横にも振らず、心配そうに見つめているテオにちらと視線を向ける。


「テオ、請求書を持ってきてくれ」

「金の話か。ついこのあいだも空軍そらさんにフィルム一本でずいぶんふっかけたそうだな」

「人聞きの悪いことを言うな。とびきりのを提供してやった見返りとしては安すぎるくらいだ。うちは非合法モグリだが、悪徳業者じゃない」


 ユーリが差し出した請求書を見て、バルビエリ少佐はおもわず眉をしかめた。


「失礼だが、これでよく悪徳業者ではないと言えたものだな。大勢の人命がかかっているんだぞ」

「人の生き死にに関わることなら、安上がりで済ませようなどとは思わんことだ。海軍が払えないというなら、大統領府に頼んで金を出してもらえばいい」


 ユーリの言葉に、バルビエリ少佐と将校たちは沈黙で応じた。

 沈黙は時に千の言葉よりも雄弁だ。自分たちが誰の命令で動いているかを見透かされていたことへの動揺は隠せない。


 マドリガーレ共和国の現在の大統領ガブリエル・ジルベルトは、元海軍大将の経歴を持つ人物である。

 大竜公国時代から海軍の重鎮として知られていたジルベルトは、戦後に実施された初の大統領選挙に出馬し、みごと当選を果たした。

 その背景には宗主国であるポラリア政府の強力な後押しがあったことは言うまでもない。ジルベルトはポラリアとの開戦に強硬に反対していた将軍の一人であり、大竜公国の復権をもくろむ保守派への抑えとしての役割を期待されたのだ。

 ジルベルト政権の行く末に暗雲が垂れこめはじめたのは、ここ一年ほどのこと。

 遅々として進まない戦後復興と経済不振、そして大統領の個人的なスキャンダルを槍玉に挙げて、保守勢力が急激な巻き返しを図ったのである。

 次の大統領選は年明けに迫っている。

 窮地のジルベルト大統領としては、このあたりで明るいニュースを打ち上げ、国民の支持を取り付けなければ再選はあやうい。

 そんな折にトレチェント島で起こった細菌兵器の漏出事故は寝耳に水だったが、老獪な元海軍軍人はこの逆風を奇貨ととらえた。

 被害を最小限に留め、迅速に事件を解決に導くことが出来たなら、失墜した政権への信頼はふたたび回復する。

 ジルベルト大統領の意向を受けて事件解決に動いたのは、彼の古巣であり、在職中は有形無形の恩恵を受けてきたマドリガーレ海軍だった。

 海軍としても絶対に失敗は許されない。

 現状で望みうる最高の機体と、最高の操縦技術をもったパイロットが必要だ。

 それが一介の民間業者でありながら、軍よりもはるかに高性能な機体を保有するサラマンドラ航空郵便社に白羽の矢が立った理由だった。

 

「要求どおり報酬は支払う。だが……」

「この件は絶対に口外するな――だろう」

「世間に漏れればいろいろと不都合がある。これは我々と君たちだけの話ということにしてもらいたい」

「うちは郵便会社だ。どんな客だろうと守秘義務は守る」


 契約書にサインしたバルビエリ少佐は、憮然とした面持ちで飛行場を後にしたのだった。

 もし契約不履行の場合はどうなるか分かっているだろうな、と、ヤクザまがいの脅し文句を残して。

 

***


 サラマンドラが指定された海軍基地に到着したのは、翌朝の早暁だった。

 すでに夜は明けているというのに、あたりは依然として薄闇に閉ざされている。

 黒ぐろとした密雲が陽射しを遮っているのだ。

 南の海ズード・ジーに面しているだけあって、洋上の大嵐がもたらす風と雨も内陸部とは比べものにならないほど強くなっている。

 並外れた剛性をもつサラマンドラでさえ、つねに当て舵をしなければ機体が流されてしまうほどなのだ。

 陸上でもこれほど厳しい天候なら、海に出ればさらに過酷な状況が待ち受けているにちがいない。


 機体を格納庫に入れたユーリは、基地の整備兵に給油と血清の積み込みを指示する。

 海軍の整備兵たちは、初めて見るサラマンドラの威容に圧倒されたようだった。大竜公国時代からのベテランであっても、空軍機であるサラマンドラを間近で見る機会はなかったのだ。

 ユーリは手近な柱に背をもたせかかりながら、格納庫に並んだマドリガーレ海軍の航空機を眺める。

 一番多いのは、主翼を折りたたみ式に改装し、着艦フックを増設したGA-41”リザード”の海軍型だ。

 なかには複座の艦上攻撃機GA-101”リントブルム”、双発の対潜哨戒機CaZ-500”ジルニトラ”といった珍しい機種も混じっている。

 どの機体も大竜公国で空母艦載機として開発されたものだが、航空母艦を持たないマドリガーレ海軍ではもっぱら陸上機として運用されているのだった。

 そして――この格納庫に駐機されているどの機体も、飛行性能ではサラマンドラに遠く及ばない。

 ここにある機体がとても耐えられないような過酷な環境でも、サラマンドラは問題なく飛び続けることが出来るのだ。


 燃料補給が終わるまではまだだいぶ時間がかかる。血清を搭載したカーゴポッドの翼下ハードポイントへの取り付けも含めて、あと二十分はかかるだろう。

 所在なさげに愛機を見つめるユーリは、ふと背後に気配を感じた。


「よう――――あのサラマンドラ、あんたの飛行機かい?」


 豪放な声に振り返ったユーリの視界に飛び込んできたのは、ひとりの男だった。

 燃えさかる火炎みたいに真っ赤な頭髪と、日焼けした赤銅色の肌の取り合わせが目を引く。

 上背のあるごつい体躯にマドリガーレ海軍の飛行服を窮屈そうに着こなした男は、手指の骨を鳴らしながらユーリに近づいてくる。

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