少女画家と戦闘機(二)

 ちいさな湾のほとりに広がるのは、いまなお残るすさまじい破壊の爪痕だった。

 かつて市街地があったのだろう場所には、大小さまざまな陥穽クレーターがぽっかりと口を開けている。大口径の砲弾が炸裂した跡だ。

 ここで人間の暮らしが営まれていたことを物語るのは、辺縁部にわずかに残る廃墟だけだ。

 大戦末期、マドリガーレ沿岸部に進出したポラリア海軍の艦隊は数時間におよぶ艦砲射撃と空爆を実施し、海辺の街を地図から消し去った。

 大竜公国グロースドラッフェンラントはすでに制海権を喪失して久しく、海上からの攻撃に対する有効な手立てを持たなかった。

 戦略的な価値があるとも思えない辺鄙な港町にこれほど執拗な攻撃が行われた理由について、ポラリア側の資料は沈黙している。確実に言えるのは、ひとつの街が地上から消滅し、二度と再建されなかったということだけだ。


 破壊された街を通り過ぎ、サイドカーは無人の道路を東にむかってひた走る。

 乾いた土埃を巻き上げながら、すっかり錆びついた制限速度標識をあざ笑うようにスピードを上げていく。ここにはもう違反切符を切る警官もいないのだ。

 テオはハンドルを握ったまま、側車の少女に話しかける。

 

「そういえば、名前、まだ聞いてなかったよね」


 少女はわずかな逡巡のあと、ためらいがちに口を開いた。


「あたし、ラウラです。ラウラ・フロレス」

「たしか、今年のマドリガーレ国立絵画展に史上最年少で入選した画家がそんな名前だったね。人違いだったら申し訳ないけど――――」

「あたしのこと、知ってたんですか?」

「顔までは知らないよ。でも、絵は素敵だった。僕は機械と違って芸術のことはよく分からないけどさ」


 テオの言葉を聞いて、ラウラの顔はみるみる紅潮していった。

 芸術に携わる者にとって、理屈抜きの称賛を受けるほど喜ばしいことはない。

 評論には慣れているつもりだったが、面と向かって自分の絵を好きだと言われる喜びはひとしおだった。

 と、ふいにサイドカーのスピードが落ちた。

 いつのまにか道路は急な上り坂へと変わっている。

 やがて木々の切れ間に見えてきたのは、鉄柵に覆われた広大な土地だった。


「見えてきたよ。あれが僕らの飛行場だ」


***


 港町の廃墟から山ひとつ隔てた森の中に、その飛行場はある。

 飛行場とは言うものの、未舗装の滑走路ランウェイがわずかに一本。施設は管制塔と格納庫ハンガー、そして宿舎が一体化した建物が一棟あるだけの簡易な基地だ。

 大戦の終盤にかけて、大竜公国の各地で本土決戦にそなえて濫造された野戦飛行場の典型であった。


 サイドカーを車庫に入れたあと、テオとラウラはそのまま格納庫ハンガーに足を向けた。

 円筒を縦に切って伏せたような形状の格納庫は、意外なほど広々としていた。人間であれば百人は収容してまだ余裕があるだろう。

 あたりを見渡しても飛行機らしきものは見当たらず、さらに飛行場に入ってから他の人間に出くわしていないことに一抹の不安を覚えたラウラは、テオにおそるおそる尋ねる。


「あの、失礼ですけど、ほかにここで働いてる人は……?」

「うちはちいさな会社だからね。社員は僕ともうひとりだけ。いま呼んでくるから、ちょっと待ってて」


 テオは数歩進んだところでふいに立ち止まると、奥の暗がりにむかって声を張り上げる。


「おーい!! お客さんだよ!!」


 ややあって、闇のなかからのっそりと姿を現したのは、長身痩躯の青年だった。

 年齢は二十五歳を超えてはいまい。

 金灰色アッシュブロンドの髪と、青碧色ターコイズの瞳が目を引く。

 目鼻の造形は充分に美青年と言っていい水準だが、当の本人は自分の見た目にはまるで関心がないらしい。

 頬や顎先にうっすらと生えた、髪と同じ色の無精ひげはその最たるものだ。

 青年が身につけているカーキ色の飛行服は、いまでは見かけることも珍しい大竜公国時代のものである。かなりの年代物らしく、ところどころに不揃いな色のツギが当たっている。


「でかい声を出すな。聞こえている」

「ユーリ、またコクピットで寝てたんでしょ? あんな狭いところでじっとしてたら身体によくないよ」

「あそこが一番よく眠れる。世界のどんな場所よりも安全だ」


 ユーリと呼ばれた青年は、寝乱れた前髪をかきあげると、ラウラに視線を向ける。


「……それで、客というのはあんたか?」

「はい! あの、あたし、どうしても届けて欲しいものがあって――――」

「どこで俺たちの話を聞いたのか知らないが、航空郵便の会社は他にもある。悪いことは言わん。よそに行ったほうがいい」


 すげなく言って、ユーリはその場で踵を返す。

 予想もしていなかった返答に、ラウラはしばらく呆然と立ち尽くしていた。

 はたと我に返ったラウラは、とっさに飛行服の片袖を掴んでいた。

 

「ちょっと待ってください!! 話くらい聞いてくれても……」

「言っておくが、うちは安値で仕事は請け負わない。それに無許可であちこちの領空を突っ切る非合法モグリの業者だ。高い金を支払ったうえに犯罪の片棒を担いでまで届けたいものかどうか、よく考えるんだな、お嬢さんフロイライン


 ユーリの言葉に、ラウラは唇を噛む。

 引き返すならいまのうちだ。ここで深入りすれば、ようやく見えてきた画家としての有望な前途を棒に振ることになるかもしれない。

 テオは黙したまま、じっと床を見つめている。

 誰も一言も発しないまま、時間だけが流れていく。

 やがてラウラはユーリにむかって力強く一歩を踏み出すと、決然と言い放った。

 

「……それでも、お願いします。あたしの全財産を持ってきました。もし足りなければ、何年かかってもかならず支払います」

「銭金の問題だけじゃない。国際航空協定破りの共犯者になる覚悟はあるか?」

「構いません」


 ラウラの声音には不退転の決意がみなぎっている。

 いまさら何を言われたところで、自分の意志を曲げるつもりはないだろう。

 ユーリはきまりが悪そうに頭を掻くと、テオに視線を向ける。


「テオ、お客をオフィスに案内してやれ。商談に入るぞ」


***


 ラウラが通されたのは、格納庫の二階にあるオフィスだった。

 横長の間取りは、かつてパイロットたちのブリーフィングルームとして使用されていた部屋をそのまま転用した名残りである。

 壁の一面にはアードラー大陸の地図がかかっている。地域ごとに五つの色に塗り分けられているのは、戦後あらたに独立した国々を示したものだ。

 テオが運んできた水出しの茶をすすりながら、ユーリは薄目を開いてラウラを見やる。

 

「まずは荷物と宛先について話してもらう。それが分からないことには、こちらも届けようがない」


 急かすでも責めるでもなく、あくまで坦々としたユーリの問いかけに、ラウラはためらいがちに言葉を返す。


「届けてもらいたいものは絵です。それも、一枚だけ――」

「たったそれだけか?」

「はい。すぐに頼めればとおもって、今日ここに持ってきました」


 ラウラは旅行鞄に手を伸ばすと、布地に包まれたキャンバスを取り出す。

 鞄にすっぽりと収まっていただけあって、さほど大きくはない。抱きかかえれば腕のなかにすっぽりを収まってしまうだろう。

 先ごろ国立絵画展に入選した一◯◯号キャンバスの大作とは較べるべくもない小品だった。


「あの……これ、運んでもらえるでしょうか?」

「問題ない。次は宛先だ。アードラー大陸の上ならどこへでも届けるが、遠くなればそれだけ料金は高くなるし、配達までにかかる時間も長くなる。受取人はが、もしいるのなら、その人間の名前もここで教えてもらおう」

「受取人はジュゼッペ・フロレス――あたしの父です。そして宛先は、ガリアルダ半島の山奥にあるエルベナシュという集落……」


 そこまで言って、ラウラは俯いたまま黙り込んでしまった。

 テオは皿みたいに両目を開いたまま、ユーリとラウラの顔を交互に見つめている。

 ふうと長いため息を漏らして、ユーリは腕を組む。


「ガリアルダ半島がどういう場所か知っているな」

「……はい」

「あの一帯はガリアルダ人民戦線GFPの本拠地だ。三年前にポラリアの駐留軍を追い出してからずっと、ゲリラたちは国境を封鎖し続けている」

「もちろん知ってます。故郷があんなことになったのは、あたしがマドリガーレの美術学校に入学してすぐのことでしたから」


 喉を震わせながら、ラウラは懸命に言葉を継いでいく。

 ガリアルダ半島で大規模な反乱が起こったのは終戦の翌年のこと。

 急進的な革命政府に支配されたガリアルダ半島は、いまやアードラー大陸で最も危険な地域と見なされている。

 彼らの権力を支えるのは、ゲリラとは名ばかりの強力な軍組織だ。

 各地に遺棄されていた大竜公国グロースドラッフェンラントの航空機や戦車を使用可能な状態に再生しただけでなく、鹵獲したポラリア軍の兵器までもが多数運用されている。それは周辺国がGFPを危険視しながら、いまだに手をこまねいている理由でもあった。

 そうした強大な軍事力を後ろ盾に、革命政府は極端な鎖国政策を推し進めてきた。

 いまやガリアルダ半島は完全に孤立し、くわしい内情を知ることも難しくなっているのだった。


「さっき、よそに行ったほうがいいって言いましたよね。……あたし、ここに来る前にあちこちの航空郵便会社に頼んでみたんです。でも、どこの会社でも配達は無理だと言われました」

「当たり前だ。ポラリアの空爆に備えて、奴らは半島の全域に強力な防空陣地を築いている。空から近づけばまず生きては帰れない」

「分かってます。それでも、ここならもしかしたらと思って訪ねてきたんです。だけど、そんな危険な場所なら、無理にお願いすることは出来ません」


 落胆を悟られまいとせいいっぱい気丈に振る舞いながら、ラウラは席を立つ。

 オフィスを出ていこうとした少女の背中に「待て」の声がかかった。


「誰が引き受けないと言った?」

「だって、さっき……」

「うちが依頼を断る荷物は三つしかない。麻薬クスリと武器弾薬、そして生きている人間だ。それ以外のものなら、どんな場所だろうと届けてみせる。正規の業者が嫌がる仕事をやるのが俺たちだからな」


 相変わらずそっけないユーリの言葉に、ラウラの双眸から澎湃と涙があふれる。

 最後の望みも断たれたかと思ったところに、それは天から差し伸べられた救いの手にも等しかった。


「ありがとうございます!」

「礼なら仕事が済んでからにしてくれ」


 感極まった様子のラウラを流し見て、テオはユーリの脇腹を肘で小突く。


「本当にいいの? ユーリ?」

「なにがだ?」

「今回はさすがにちょっと危ないんじゃかなって」

「危険はいつものことだ。……離陸は明朝◯六◯◯マルロクマルマル。それまでにの整備を頼んだぞ、テオ」


 それだけ言って、ユーリはさっさとオフィスを後にする。

 パイロットと整備士。たった二人だけの航空郵便社の戦いが始まろうとしていた。

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