火竜の舞う空(三・終)

 ベルカンプ少尉は苛立っていた。

 サラマンドラを追って降下に入ってから、すでに二度の射撃を行っている。

 今度は威嚇射撃ではない。撃墜するつもりで仕掛けた攻撃は、しかし、二度とも失敗に終わった。

 弾数計に視線を走らせる。二◯ミリ機関砲、十二・七ミリ機銃ともに残弾は半分を切っている。

 毎分数百発の発射速度をほこる二種類の火砲は、強力な威力の反面、弾丸の消費も激しい。考えなしに攻撃を仕掛ければ、あっというまに機体に積まれているすべての弾丸を撃ち尽くしてしまうのだ。


 これまで発射した弾丸はゆうに三百発を超えている。

 奇妙なのは、たしかに必中の距離に捉えたにもかかわらず、サラマンドラには一発の命中弾も与えられなかったことだ。

 巨大な機体はひらりひらりと左右に旋回し、リザード改の放った銃砲弾をかわしていった。

 サラマンドラが大型機らしからぬすぐれた運動性をもち、空戦で無類の強さを発揮したことはベルカンプ少尉も聞き及んでいる。大戦中、ポラリア空軍にはサラマンドラと互角に戦いうる性能の機体は存在せず、火竜は文字通り空の覇者として君臨していたのだ。

 だが、こうして実際にその性能を目の当たりにするまでは、心のどこかでこう思ってもいた。

 いくら大馬力の発動機エンジンを積んでいるとはいえ、あれほど大きく重量もある機体の運動性などたかが知れている。なにしろサラマンドラの翼面荷重はリザードの倍近くあり、旋回半径もかなりの大回りにならざるをえないはずなのだ。

 そんな機体に格闘戦で負け続けたのは、たんにポラリア空軍のパイロットがだっただけだろう――と。


 いま、必死にサラマンドラを追いかけながら、ベルカンプ少尉はおのれの認識の甘さを痛感していた。

 サラマンドラの主翼後縁部に装備された自動式の高揚力装置フラップは、飛行中の姿勢に応じて最適な位置を取り、大柄な機体に縦横無尽の機動を可能たらしめている。

 ”竜の血ドラッフェンブルート”と呼ばれる特殊な流体素子によって制御される自動空戦フラップ・システムは、大竜公国がサラマンドラに盛り込んだ先端技術のひとつだった。

 生けるがごとく形を変える翼は、まさしく血の通った竜の羽そのものだ。


(もてあそばれていたのは俺の方だったというのか? ――バカな!!)


 格闘戦に特化した軽戦闘機が、のろまな重戦闘機にいいように翻弄される……。

 先ほどから二機が演じているのは、本来ならけっしてありえないはずの構図であった。

 まんまと後方占位してサラマンドラを追い詰めたつもりが、実際にはベルカンプ少尉のリザード改は無駄弾を空中にばらまいただけだ。

 それだけではない。度重なる緊急出力の使用によって機内の水・メタノールタンクはとうに底を突き、半分以上残っていたはずの燃料もあきらかに目減りしている。

 このままサラマンドラが再上昇に転じれば、リザード改はもはや追いすがることも出来なくなるだろう。

 

 二機の高度が六千メートルを切ろうかというときだった。

 サラマンドラの機首がふいに上がったかと思うと、流麗な機体はそのまま垂直に屹立した。

 他の機体なら空気流量の急激な低下から失速ストールを引き起こしかねない危険な挙動だが、サラマンドラは爆音の尾を引いてなおも上昇していく。

 桁違いの大馬力をもつ機体だけに許された力業であった。

 

「逃すか――――」


 リザード改もすかさず追撃に入る。

 むろん、サラマンドラのような垂直上昇は自殺行為だ。

 右に急旋回したあと、ゆるやかな螺旋を描くように上昇していく。

 いかにサラマンドラといえども、いつまでも垂直上昇を続けられるはずはない。 

 どこかでかならず下降に移る。攻撃の好機は、その一瞬に訪れるのだ。


 宵空のキャンバスに描かれた航跡が交差していく。

 二種類の異なる爆音が混ざり合う。

 照準指標レティクルの十字に機影が重なった瞬間、ベルカンプ少尉はほとんど反射的に発射ボタンを押し込んでいた。

 二◯ミリ機関砲と十二・七ミリ機銃の弾道が大気を切り裂き、サラマンドラにむかって殺到する。

 もはやどこにも逃げ場はない。

 十二・七ミリ機銃の徹甲弾に対して、二◯ミリ機関砲に装填ロードされているのはすべて炸裂弾だ。戦闘機は言うに及ばず、爆撃機にも有効なダメージを与えるほどの威力を有している。

 まともに命中すれば、サラマンドラは跡形もなく破壊されるはずであった。

 ベルカンプ少尉の脳裏にありありと描かれたのは、血と肉を振りまいて墜ちてゆく竜の姿だった。


「――――!!」


 次の瞬間、ベルカンプ少尉は言葉を失った。

 サラマンドラは六条の火線が交わるぎりぎりの位置をすり抜けていった。

 機体をわざと失速させ、テールスライドに持ち込んだのだ。

 むろん、リザード改の射界に対して最も投影面積の少ない姿勢を取るためである。

 理屈がどうあれ、一歩間違えればそのまま回復不能の水平錐揉みフラットスピンに突入する危険な賭けだ。

 針の穴を通すような操縦技術テクニックと、機体の特性についての深い知識、そして豊富な実戦経験のどれかひとつが欠けても成立しない神業……。

 それを可能とするのは、サラマンドラを与えられたひと握りのパイロットのなかでも、選りすぐりの最精鋭だけだ。

 かつて大竜公国に存在した最強の戦闘航空団ヤークトゲシュバーダー。火竜を駆ることを許された者たち。

 サラマンドラとともにいまや伝説と化したその名前を、ベルカンプ少尉は無意識のうちに呟いていた。

 

「まさか、本物の竜騎士ドラッフェンリッター――――」

 

 そのあいだにも、姿勢を回復したサラマンドラは急降下を開始している。

 遅れまいと、リザード改もその後を追って動力降下パワーダイブに入る。

 空冷発動機エンジンが悲痛な叫びを上げる。排気管は血を吐くように炎を噴き出し、カウリングを焦がしていく。

 空気抵抗によって翼がおおきくたわみ、機体表面はでこぼこと波打ちはじめる。

 速度計の針はとうに振り切れている。推定時速は八百キロ以上。設計上の耐久限界をはるかに超過したリザード改は、いつ空中分解してもおかしくはない。

 大地が迫ってくる。高度三千メートル。操縦桿もフットペダルも鉛で固められたみたいに重い。

 機体を引き起こさなければ――。

 もし出来なければ、このまま地表に叩きつけられて死ぬだけだ。

 いまや息も絶え絶えのとは対照的に、サラマンドラは相変わらず悠揚と空を舞っている。

 外から見るかぎり、大柄な機体にはわずかな動揺も見られない。

 すべては異常なまでの高剛性のなせる業だ。戦闘機でありながら、サラマンドラの機体強度は急降下爆撃機をはるかに凌駕している。


「バケモノめ……!!」


 サラマンドラが動いたのはそのときだった。

 奴はこの速度域でも自由に舵が効く!

 信じがたい事実を突きつけられて、ベルカンプ少尉は唇を強く噛んでいた。

 ”竜の血ドラッフェンブルート”を使用した油圧式操縦索の賜物だ。人力をはるかに超えた機械的補助によって、パイロットはあらゆる局面で機体を意のままに操ることが出来る。

 サラマンドラは両翼のフラップを展開すると、過剰な速度を殺していく。

 二機の位置はほとんど横並びになった。

 ベルカンプ少尉の脳裏をおそろしい想像がよぎる。

 このままリザード改をオーバーシュートさせ、背後に回り込むつもりなのだ。


(まずい……殺される……)


 火竜の名にふさわしく、サラマンドラの火力は他の追随を許さない。

 両翼に搭載された六門の二◯ミリ機関砲に加えて、機首には四◯ミリ機関砲一門が内蔵されている。

 戦闘機の兵装としては最大級の口径をもつ四◯ミリ機関砲は、その威力も桁違いだった。爆撃機のような大型目標をただ一撃で破壊するばかりか、戦車や艦船にも致命的な損傷を与えうるのである。

 もし四◯ミリ弾の直撃を受けたなら、リザード改は木っ端微塵に消し飛ぶだろう。

 破片とガソリンと……そして、人ひとりの血と肉をこの空に撒き散らして。

 ベルカンプ少尉は背筋が凍りついていくのを感覚した。

 

「――聞こえるか、リザードのパイロット」


 耳障りなノイズとともに無線電話から流れてきたのは、くぐもった声だった。

 男――それも、ベルカンプ少尉とそう変わらない若者の声だ。


「な、なんだ!? 貴様、サラマンドラの……!!」

「いまから言うことをよく聞け。スロットルを最小にしぼり、フラップを半段階だけ下げろ。機体の振動が落ち着くまで絶対に機首は上げるな。スピンするぞ」

「だれが貴様の指図など……」

「そのまま死にたいなら好きにしろ」


 わずかな逡巡のあと、ベルカンプ少尉は不承不承ながら男の指示通りに機体を操作しはじめた。

 どのみちこのままでは地面に叩きつけられて死ぬことになる。

 生き残るためには手段を選んでいる場合ではないのだ。

 速度が低下したところで、二機は緩降下へと移る。高度八◯◯メートル。風防の外には、夕闇に沈みつつある麦畑が広がっている。

 

「どうして撃たなかった? 貴様は何者だ?」

「……」

「答えろ!!」


 わずかな沈黙のあと、サラマンドラから返答があった。

 

「生命と機体を粗末にするな。パイロットなら、どんな状況でも生きて帰ることを考えろ」

「貴様……それで答えているつもりか!?」

「騒がせて悪かった。

「待て――――」


 一方的に通信を切ると、サラマンドラは右に旋回しつつ高度を上げていく。

 ベルカンプ少尉はすぐさま追いかけようとするが、それが不可能であることも分かっている。

 リザード改はいつ墜落してもおかしくない状態だ。操縦桿の遊びが大きくなっているのは、操縦索ワイヤーが切れかかっているのだろう。基地まで持ってくれるかどうかは五分五分というところだった。

 なにより、もう火砲の残弾が尽きている。たとえ追いついたところで何が出来る訳でもない。

 ベルカンプ少尉はため息をつくと、ふと天を仰ぐ。

 サラマンドラはもう見えない。火竜は翼をはばたかせ、夜の色に塗り潰された空の奥底へ溶け込んでいった。


「あいつに助けられたのか? ……だが、あれは……」


 サラマンドラが飛び去っていく瞬間、ベルカンプ少尉はたしかに見た。

 垂直尾翼に描かれた、手紙を咥えた竜の絵柄。

 そして、その下に記された「航空郵便ルフトポスト」の文字を。

 最強の戦闘機と、戦いとは無縁の郵便飛行機。

 おなじ空を飛ぶ機械でも、両者の性質はおよそ真逆と言っていいだろう。

 それでも、あれはけっして幻などではなかった。

 ベルカンプ少尉の瞼に鮮明に焼き付いたのは、この世でもっとも美しい竜の残影だった。

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