第25話 喧嘩の作法
飛んでいったカノンを見送って、
「メインゲストがいなくなったな」
とヴィンセント・ヴァーミリオン特務曹長が言った。
「タイミングが悪かったみたいだ。約束通り手伝ってはやる」
弟子のことは全く心配してないようで、ジグはのんびりとしたものだ。
「心配じゃないのか?」
「問題ない。基本は覚えた」
「基本だと?」
ヴィンセントは片方の眉を釣り上げる。
例えばこれが武術の訓練であったりしたら、基本だけではまったく足りない。
しかし、ヴィンセントはそういう意味で解釈したわけではなかった。
トキの一門で基本と言った場合、〈身体強化〉による体術と、〈脱発動〉による防御である。
もも、一朝一夕では実戦の使用に耐えない。つまり、普通の方法で、スタート地点に到達することはできないのだ。
基本を覚えたということは、特別な修行を課したということ。
「まさか、あんな若い子に幻術の修行をしたのか?」
「俺達がやったときもあれくらいだったぞ」
「……そうか、確かにそうだが……。年若い女の子にあの訓練を強いるお前は、間違いなく邪悪の化身だぞ」
歳の離れた子供に何度も死を強いるのは、控えめに言っても人非人だ、とヴィンセントはつぶやく。
トキは、彼らと歳は変らなかったのだ。それでも当時は酷いと思ったが。
「俺の知る限り、幻術使って鍛えてるのは、お前のところくらいだぞ。ミルムはどうか知らないが」
「ちゃんと鍛えないで、あいつが死んだら、俺は後悔する」
ジグは顔を顰めた。
致命傷を負ったカノンをミルム邸に運んだ時のことを思い出したためだ。
もうあんな思いはしたくない。
「だから、カノンが誰かに殺されることのないように、訓練で殺す」
「それ、完全にイカれたやつの台詞だぞ」
「喧嘩の作法も教えておいた」
トキはいつも、戦闘を始める前に、「喧嘩を始めよう」と言っていた。
理由を聞いたら、「それが喧嘩の作法ってやつなんだよ」と答えた。
そして、その後には、
「圧倒的に格下だろうと、すり潰してやりたいほど憎い敵が相手でも、意志のない自然が相手でもな」
と続けた。
それが月狼のしきたりなのかどうかはわからないが、指示されたわけでもなく弟子たちも真似をした。
集中力を上げるための、ルーティンのようなものだ。
しかし、カノンの作法は、少し変わったものになった。カノンらしく、ジグの弟子に相応しいものに。
「……とりあえず、こちらも喧嘩を始めよう」
「そうだな、喧嘩を始めよう」
そこで、一陣の風が、砂を巻き上げた。普通の風と違うのは、建物の奥の普通は届かないところまで、狙ったように入り込んでいくところだ。
トキの一門がよく使う、風の魔術の感触による索敵術である。
「百三十五人」
「意外と残ってたな」
「前回と同じでいいか?」
「いや、今回は多少死んでもいい」
それは、殺しても良いという宣言。
限りなく民間人から遠いケーキ屋は、黙って頷いた。
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戦いが始まった時には、ほとんど結果は決まっているという考え方がある。
だから、戦うまでに訓練を含めた準備をする。手の内を見せないようにしたりする者もいるし、兵法者であれば、もっと直接的な罠を仕掛けることもあるだろう。
以前、カノンは〈身体強化〉というたった一つの武器で格上に挑んで殺されかけた。
同じ轍を踏まないために、カノンは以前よりもずっと慎重になった。
確実に勝てるように準備をしなければ、戦ってはならない。
今倒すと決めて対峙したならば、すでに仕掛けは上々、あとは倒すだけ、だ。
だから、気負うでもなく、淡々とした口調でカノンは言う。
それは戦いの開始を告げる言葉ではない。
その相手と戦う可能性が生まれた瞬間から、すでに戦いは始まっているのだから。
「もう、とっくに喧嘩は始まっています」
カノンは、レイ軍曹を守るように立って、自分の敵を睨んだ。
「ははは! Eランクの雑魚がどうやって俺と戦うつもりだ?」
ガンダルフは、レイ軍曹に視線をやった。
「Bランクの軍人でもそのザマなんだぜ?」
カノンは、笑顔を崩さない。
それは憎き敵をついに仕留める時がやって来たため。
「なあ、教えてくれよ。どうやって俺を倒すんだ? 不意打ちか?
毒でも盛るか? 眼の前にいる段階でどっちみち無理だけどな!」
カノンは、笑顔を崩さない。
ちょっとセンスがあるだけのただの魔力自慢など、Sランク魔力の自分自身の幻影と戦うのに比べれば、どれほどのものであろうか。
「確かに、私とあなたが百回勝負をしたら、五回も勝てないかもしれません」
ジグの戦闘哲学を色濃く反映したカノンには、勝率など意味がない。
「でも、最初の一回は私が必ず勝ちます」
「はあ?」
命のやり取りに、二度目はないのだから。
「私があなたに立ち向かう武器は、知恵と勇気と……」
そこで、少し考える。
なんと呼ぶのが適切だろうか、と。
まるで老人になった気分になるほどに繰り返した愚直な反復練習と、文字通り死線を何度も踏み越えて得た確かな技術。
言葉は、すぐに浮かんだ。
「練度かな」
幻術で何十万回と練習したことを、ただやるだけだ。
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