第18話 カノンの謎

 レイ軍曹は、本日非番である。


 だからというべきか、なのにというべきか、軽薄な刑事の代わりに、口うるさい引退した刑事と席を共にしている。


「家にいると邪魔者扱いでよ」


 とベン元刑事は項垂れた野良犬みたいに声を出した。


 定年には少し早かったが、刑事時代にはできなかった家族サービスをしようとしたら、あてが外れたらしい。


「ジグ・ジングルか……」


 忌々しげに呟くベン元刑事。


 直接の原因ではないが、上と揉める切っ掛けになったのは、確かにあのケーキ屋である。


 公安のマークしている危険人物を独断で引っ張ったのを、警察上層部としては問題視した。とはいえ、当事者には訓告さえなく、内々にジグ・ジングルを含むトキの弟子たちを名指しで、接触に際して厳に注意する人物として全職員に周知しただけだ。


 内々とはいえ、警察補助隊にもリストを回してくる本気ぶりだった。


 曰く、


『ジグ・ジングル……連続発動速度と遠隔発動を活かした中距離からの死角をつく攻撃が得意。トキの弟子の中では、制御力は上から二番目くらい。初見殺しの技が多い』


 必要もないのに呼び出せれた仕返しに、ヴィンセント・ヴァーミリオン特務曹長が提供した情報である。


「警察が危険人物怖がってどうするってんだ、なあ?」


 公式にアンタッチャブルに指定したわけではないが、任意同行にさえ署長判断が必要だと言われれば、平の刑事では手を出すのは難しくなる。


 上層部に食って掛かり、怒鳴り散らして辞表を叩きつけた結果が、この様では、思うところもあるだろう。


(口うるさい旦那が勝手に仕事を辞めてきて、昼間から家にいるようになった、奥さんと娘さんには迷惑な話かもしれないが)


「警察も大変ですね」


 内心をおくびにも出さず、当たり障りのない返事をするレイ軍曹。


 口も悪く、勘で容疑者扱いする、あまりいい警官とは言えなかったかもしれないが、レイ軍曹はこの元刑事が憎めない。


 カノン・カロルはヒーローに憧れているが、この男は、言う慣れば正義の味方だ。


 誰かを助けるためではなく、悪をただ憎んでいる。


 先ほどの短所を言い換えるなら、犯罪者に厳しく、犯罪者を嗅ぎ分ける鼻を持った番犬ということだ。


 そんなベン元刑事が、


「お前さんは、警察の方が向いてるかもな」


 と言った時は、意味を理解するのに、五秒ほどかかった。


「何故です?」


「警察補助隊は輪番なのは、志願者が少ないからだろ?」


「軍人ですから、配属は命令された通りに配属されるだけですよ」


「そりゃそうだろうが、お前さんが固定で警察補助隊にいるのは、希望出してるからだろ」


「まあ、そうですね」


「つまり、やりたがる奴がいないから、志願者がいたらそいつを当てとけってなるわけだ」


「まあ、確かにそうかもしれません」


「それならよ、そもそも、お前さんが警官やったらいいわけだ。捜査権もあるし、武力を持った連中を確保する腕もある」


 それは、確かにそうなのだが、


「警察の訓練は、非魔術師向けなんで」


 警官になるという選択肢は、もちろん考えていたが、実際自分の魔力を活かそうとすると軍人になった方がいいという結論に達したのだ。


 自分でも青臭いと思う、街の平和を守りたいという願いは、警察補助隊でも叶えることができる。


「まあ、魔術師は警官より、軍人になる方が多いからな」


 兵器として扱われることを良しとせず、魔術師の自由のために独立した魔術都市ではあるが、今でも待遇面で軍人を選ぶ者が多いのは皮肉だと言う者もいる。

ただ、独立戦争を起こした当時の学園長ロヒノ・セニウドが願った魔術師の自由は、魔術師が軍人以外になる自由だったのだから、防衛軍事力として魔術師が自ら望んで軍人になることは矛盾するものではない。


「今度、警察補助隊から警察に引き抜くルートができるらしい。まあ、考えてみてもいいと思うぜ」


「はあ、なるほど」


 あまり乗り気になれず、レイ軍曹はいつもの曖昧な返事をした。


「それよりも、ジグ・ジングルだな」


 元の話を思い出した。


「勘だけどよ、あいつは絶対でかいヤマに関わってるぞ」


「でも、士官殺人の方は真犯人が捕まりましたよ。まあ、その現場にあのケーキ屋もいたみたいですけど」


 世間的には、捕まえたのはヴァーミリオン特務曹長ということになっている。


「後から思ったんだが、眼帯野郎の事件の方が怪しいと思ってよ」


「〈アイパッチ〉ですか? まあ、確かに、〈アイパッチ〉の被害者の娘を弟子にしてますね」


「被害者の娘だ?」


「ええ、カノン・カロルという娘です」


「何言ってんだよ、お前」


 八百屋から魚が出てきたみたいな呆れた顔で、ベン刑事は言った。


「カロル家は強盗殺人だぞ。〈アイパッチ〉の事件じゃねえよ」


(……どういうことだ?)


 階段を踏み外したような浮遊感を感じて、冷たい汗が背中を伝った。


「カロル家にあの眼帯顔のマークはなかった。俺も捜査したから知ってる。あれも犯人ホシは捕まってないけどな」


(俺は何か、思い違いをしているのか?)


 返事も忘れて、思考の渦に飲み込まれていく。


 急に、カノンという少女が得体の知れないものに思えてきた。


「それに、カロル家の娘は独立戦争の時に死んでる。あそこは夫婦二人暮らしだった」


(それじゃあ、あのカノン・カロルは一体、何者なんだ?)


 これではまるで怪談の類だ。


 一緒に肝試しをしていたメンバーが、後から一人多かったような、そんな居心地の悪さだった。


「俺が聞いたのは、ジグ・ジングルが半年前、ちょうど〈アイパッチ〉の事件が始まる頃の気になる話だ」


 他の奴ならそこまで気にしないが、と前置きをしてベン元刑事は言った。


「ちょうどそのころ、あの野郎が眼帯アイパッチをしてたってよ」


 ベン元刑事の話は、その時は耳に入ってこなかった。


 ずいぶん後から思い出して、眼帯してただけってそれはこじつけが過ぎるだろう、と思った。


 *_* * * * *


 レイ軍曹はその足で、孤児院を訪ねた。


 捜査権がどうのということよりも、カノン・カロルの正体を確かめることが大事だと感じていた。


 ここに〈アイパッチ〉による連続殺人事件の重要なピースがあるのだと、本能が告げている。


 おそらくベン元刑事がいう刑事の勘というのは、こういうものなのだろう。


 この孤児院は、ミルム・メクデフの個人経営で、独立戦争で生じた孤児を多く育てている。その後もキャパシティは多くはないが、年に数人ずつ新たに子供を受け入れている。


 そこでわかったことは、確かにカノンという少女がここに居たということが一つ。


 もう一つは、そのカノンという少女は、生後すぐから孤児院育ちで、最近になって孤児院を出たということ。


 一時期は里親候補もいたらしいが、引き取るという話は流れてしまったらしい。


 レイ軍曹は、当然、カロル家の事件後にカノンが孤児になったと思い込んでいたが、そうではなかったのだ。


 カノンは最初から孤児で、ずっと孤児のままであった。


 何故、あのカノンはカロル姓を名乗っているのか。


 本当に、カノン・カロルと名乗る少女は、孤児院で聞いたカノンなのか。

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