第15話 殺人鬼〈アイパッチ〉の影

「あ、どうやら、ここだね」


 薄暗いため、先に焦げ臭い匂いが鼻についた。


 レイ軍曹が明かりを向けると、真っ黒な人の形をしたものが横たわっているのが見えた。


「真っ黒焦げだね」


「服を着ていないようですよ」


「ここまで黒焦げでよくわかるな」


 レイ軍曹は呆れ気味だ。


「ガイシャの身元がわかりそうなものはなさそうだね。見た感じ男だとは思うけど」


「これじゃあ、死後どれくらいかもわからんな」


「さっきも言いましたけど、たぶん一週間前ですよ。私の感覚だけなんで証拠にはなりませんけど」


 カノンはそう言いながら後ろを向いている。


 さすがに死体は気持ち悪いのか、と思ったらそうではなかった。


 泥の足跡をうずくまって、追いかけている。


「泥の足跡は被害者のものです。足の大きさは、ガンダルフ刑事より少し大きいです。倒れているとわかりにくいですが、身長もそれに合わせて少し大きいくらいなんで、その辺りの体格の人で行方不明者を探すくらいですね」


 それから、とカノンは付け加える。


「足跡の雰囲気では、争った形跡があります。見えにくいですが、もう一つ足跡があって、踏み込んだような跡があります。歩幅と地面の沈み具合から、〈身体強化〉を使っています。これがおそらく犯人のもの。被害者は、右足を横向きに踏み込んだ感じから、何かを振り回して迎え撃ったような跡ですね」


「なるほどねえ」


 感心した様子のガンダルフ刑事。


「それじゃあ、現場を荒らさないように一旦出ようか。せっかくの足跡を消してしまってはよくないからね」


「そうですね」


 外に出ると、ガンダルフ刑事は呼子の笛を吹いて応援を呼んだ。


「例の眼帯顔のサインがなかったから、〈アイパッチ〉でだったのではなかったみたいだね。ではここの説明をしておくんで、レイ軍曹と可愛らしい探偵さんとでもう一つの現場に向かってくれるかな? 場所だけ教えておいてくれたら追いかけるよ」


「まあ、お上手ですね」


 カノンは口の端を上げた。どちらかといえば「不敵」と形容したい笑顔だったので、レイ軍曹は逆に可愛げがないと思った。もちろん、口には出さなかったが。


「おいおい、俺だけじゃ捜査できないぞ」


「なに、少し先行して向かうだけだよ。僕の捜査権の範囲のうちさ」


 そう言って、押し切ってしまうガンダルフ刑事。


「刑事さんも、自分でもう少し現場を見たいんでしょう」


「それもあるね」


「場所は地図を書いておきますね」


「よろしく頼むよ」


 今度は、カノンとレイ軍曹で歩き出す。


「下水抗の入り口は、守衛さんが見張ってるので、事件の捜査だって言えば入れてくれると思います」


「俺だけじゃ捜査にならないんだが」


「一般人は警察補助隊が捜査したって、目くじら立てたりしませんよ」


「そうはいってもな……」


「刑事さんの指示なんですから、大丈夫ですよ」


 レイ軍曹も正当性はあるとは思っているが、守衛が渋ったら説得が難しいと思った。


 実際には、なんの苦労もなく、


「どうぞよろしくお願いします」


 と入れてくれた。


 その守衛は


「実は、一人職員が行方不明でして」


 と言いづらそうに言った。


 職務放棄で蒸発した可能性もあるが、中で遭難した可能性もあるので、見回りしながら、消極的な捜索を行っているらしい。


「中に入るなら、マスクを使ってください。完全には防げませんけど、悪臭はマシになります」


 炭を詰めたチューブがついたガスマスクをもらう。


 服を着替えることを勧められたが、レイ軍曹は軍服を脱ぐわけにもいかず、カノンも着替えることはなかった。


 案内をつけてくれたが、カノンがどんどん先に進んでいく。


「彼女は地図を見たことが?」


「さあな。あいつが何考えてるかは誰にもわからん」


 カノンが立ち止まった。


 迷ったわけではなさそうだ。


 案内の男が、カンテラで照らすと、すでに黒く変色した血がべっとりと壁についていた。


 そして、その血は、不気味な眼帯の顔を形作っていて、眼帯をしていない左目には、真っ赤な万年筆が突き刺さっていた。


「大当たりですね」


「不謹慎だぞ」


 レイ軍曹がたしなめた。


 その〈アイパッチ〉特有のマークのすぐそばに、人が倒れている。


「行方不明の職員で間違いないか?」


 案内の職員は声も出せないようで、黙って何度もこくこくとうなづいた。


「じゃあ、俺の相棒がそろそろ来てるかもしれないから、詰め所に戻ってまた案内して来てくれるか? いなかったら、その辺の警官を呼んできてくれ」


 案内の男は、それを聞くと逃げるように走って戻っていった。


「ちょうど、マンホールが上にあります。遭難防止に中からは開けられるようになっているので、ここから逃げたのかもしれませんね」


「入る時は?」


「たぶん、詰め所にいた守衛さんを魔術を使って脅かして、奥に追い込んでいったんでしょう。途中に焼け焦げた跡がいくつかありましたよ」


「なるほどな」


「悪さをする魔術師は、できるだけ早く捕らえないといけません」


「〈アイパッチ〉もAランクだと言われているから、相当な脅威だしな」


「そういう意味もありますが……」


「ん?」


「ルールを破る魔術師に対しては、魔術師が対処しなくては、非魔術師との信頼関係が揺らいでしまいます」


「ああ、そうだ……。そうだったな」


 ここラエンダムは、魔術を教える学園を要する都市が、魔術師の自由と、自治権を得るために独立した都市国家だ。それまでは、戦争の道具でしかなかった魔術師が人々の生活を豊かにするために働くことができると示すために、独立戦争をすることになったのは皮肉だった。その戦争は圧倒的勝利で終わったが、戦闘行為よりも受けた内紛工作などにより、少なくない犠牲を出した。


 今日、製造業からサービス業に至るまで、魔術師が魔術という形で労働力を提供しているが、人々から見れば、魔術師の優遇に映る。魔術が非魔術師の生活を助けるという前提が合ってこそ、受け入れられるものだ。


「私は学園に入れなくて魔術師登録証がないので、正規の魔術師ではありませんけどね」


 レイ軍曹は、頭を殴られたようにショックを受けていた。


 考えなしに行動しているように見えていたが、その実深い思慮を持っていることが垣間見えて意外だったからだ。だから、


「きっちりと、落とし前をつけましょう」


 そう言ったカノンのセリフは、すでに準備が整っているという風に聞こえた。


「殺人鬼ぶった殺人者か……」


 しかしまだ、カノンのその呟きの意味を知ることはない。

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