第12話 銀の砲弾

 二週間もすると、ジグのケーキは午前中に売り切れるようになった。


 カノンが見つけた薪の香ばしい匂いによって、客が行列を作るようになったのだ。


「応援してた甲斐があるわ」


 とスカーフを巻いた品の良い老婆が嬉しそうに言った。


「クリスティーナちゃんのお店だものね」


 前の店主の時からのサポーターである。


「ありがとうございました!」


 押しかけバイト改め、正式な店員となったカノンも箱詰めと接客に大忙しである。


「師匠、すいません! もうすぐミルム先生との約束の時間なんで!」


「言ってこい」


 カノンはエプロンを置いて、飛び出した。


 ミルムの住む外務大臣邸は、すぐ隣のブロックである。


 先日の襲撃もあり、厳重な警備が敷かれているが警備員に名前を告げるとそのまま通された。


「いらっしゃい。さっそく、腕見せて」


 診察も二回目だが、豪華な大臣邸は入るだけでも緊張してしまう。


 ジグに運び込まれた時は、それどころではなかったが、前回の診察では、ふかふかのソファに腰掛けることも恐る恐るで生きた心地がしなかったが、今回はミルムがやっていることをじっくりと観察するくらいには余裕ができた。


 カノンの腕の中にある何かもよもよしたものを、ミルムが操って動かすたびに腕がピクピクと動く。


「ほぼ完治ね」


「ありがとうございました」


「いいのよ。貸しはジグから取り立てるから。……訓練、開始したのね? 見違えたわ、いろいろと」


「ええ、まあ……」


 特訓内容を思い出して、カノンは身震いした。


「喋り方も今の方がいいわ。相手の油断を誘うためだろうけど、あの舌ったらずなのは淑女として駄目」


「でも、すごく心が老けた気がします」


 体感ではすでに十年以上経っていることに加え、何度となく死の淵に立って、悟りを開いたわけではないが、気持ちが落ち着いたのは確かである。


 診察も終わり和やかに紅茶を飲んでいたが、腕の中のもよもよのことをカノンが口にすると、急にミルムは動きを止めた。


「あれが感じられるの?」


「ええ、まあ……感知能力は高い方なんで」


「……もしかして、孤児院の出身っていってなかった?」


「はい、そうですが……」


「ああ、なんてこと!」


 ミルムは急に大声を上げた。


「あ、いえ、貴女が悪いわけではないのよ。ごめんなさいね。ちょっとあのクソ院長をぶん殴ってやりたくなっただけだから」


「え、あの、院長先生はすごく良くしてくれました……」


「私は孤児院を作ってから、ずっと待っていたわ。魔力自慢なんかじゃない、稀有な感知能力をもった子供が見つかるのをずっと待っていたの。だから私に知らせなかったあいつを、ぶん殴る権利が私にはある」


「あ、あの、魔術学園の入学試験は受けさせてもらえました……落ちましたけど」


「じゃあ、試験したやつもついでに殴らないとね」


 目が座っている。本気で怒っているようだ。


「とりあえず、魔力でしか才能を判断できない馬鹿はあとで粛清するとして……」


 ミルムはカノンの手をとった。


「これからでも学園に通わない? 私の教室に入ってもらいたいんだけど」


 カノンは目を見開く。


 学園長の禁術教室は、座学も実技もトップクラスの学生にしか入れないという。学園にすら入りそこねたカノンにとって、はるか雲の上の存在だったからだ。


 しかし、だからこそ、カノンの答えは決まっている。


「とても、とても光栄ですが……、そんなことしたら破門されちゃいます」


 何故なら、


「うちの一門は優等生お断りなんで」


「ああ、そうだった。いっそのこと私の弟子に乗り換えてもらってもいいんだけど、まあ、そういうわけにもいかないよね。じゃあ、必要な時に仕事を頼むわ。次に来る時までに学園に出入りできるようにしておくから、よろしくね」


 帰ってそのことをジグに伝えると、ジグは上機嫌で笑った。


「ミルムなら、お前の感知能力を欲しがると思ってたよ」


 これで一杯食わせてやった、と嬉しそうに言った。


「今日はこれを使って訓練する」


 取り出したのは、銀色に輝く、鞠のような丸い玉。


 ひょい、と渡された瞬間に嫌な予感がした。


「ぐっ………お、重っ」


 取り落としそうになるのを、なんとか堪える。〈身体強化〉の出力アップが間に合っていなければ、腰を痛めていたかもしれない。


「鍛えた鋼を丸めたものだ。〈流体操作〉の応用で、展延性のある金属は形を変えられるから、これを外套みたいに着れるようになるのが今日の目標だ。それと重量をエーテル空間に押し込まないと重くて動けないからな」


「いきなり新技術二つですか?!」


「なに、いつも通りだ。1回成功させたら、幻術で反復練習。それから実戦。とりあえず、百回ほど死ねば活路が見える。千回も死ねばたまには成功する。一万回も死ねば一端の技術になる。十万回も死ねば、いわゆる達人の域だ」


 そのセリフは文字通り死刑宣告そのものだった。


 ジグは、最初に実戦をしないだけ、初日の訓練より優しいとさえ思っているが。


 カノンは顔をひきつらせて、それでもなんとか頷いた。


「俺は、鉄の塊を持っているが、やはりお前の綺麗な銀髪には刃金の色が似合うだろう」


 そんなカノンを無視して、ジグは自分のセンスを自画自賛して、何度も頷いた。


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 闇夜。


 月明かりも街灯も届かない路地裏で、小さな紅い炎が上がった。


 それから逃れるように、必死に走る小さな少女。


 わざと外された魔術の炎が、栗色の髪を少し焦がす。


 それに驚いて、少女は身をすくめて、そのまま転んでしまった。


 狩りを楽しむ殺人者か、それとも誘拐犯か、フード付きのローブを被った者の口元が、にやりと歪んだ。


「誰かっ、助けてっ!」


 声が静寂に木霊するが、「誰か」は応えない。


 代わりに、その男が声を掛ける。


「大人しくついて来ないから、痛い目に会うのさ」


 もう少し痛めつけたら、大人しく言うことを聞くだろう、と呟いた。


 手を伸ばし、再び魔術を放つ——。


 しかし、掌の先の炎は、少女に届くことなく、霧のように散ってしまった。


「なに?」


 男にとって魔術が消えてしまうなどどいうことは初めての体験だった。


 焦ってもう一度やろうとするが、もう遅い。


 銀色の何かがぶつかってきて、男は跳ね飛ばされた。ごろごろと転がって、白目をむいてしまう。


 少女は見た。


 銀色の髪を。


 銀色の外套を。


 まるで大砲の弾みたいに悪者を吹き飛ばしたヒーローを。


 銀色のヒーローは、少女を見て、何も言わず、にぃっと笑って、すごいスピードで跳んで去った。


 外務大臣邸の近く、はたまた裏通りのケーキ屋の近くでは、誰かが助けを求めて彷徨うと、〈銀の砲弾〉が飛んできて、悪者を吹き飛ばすという。

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