第10話 レッスン1

『殺し合いに、灰も残らないような火力が必要か? 皮膚の3分の1の火傷で死ぬのに? 必要で十分な致命的な威力があればいいんだよ。それは魔力が小さくても十分出せるんだから、当てる技術と当たらない技術だけ鍛えとけ』


 108代目月狼頭領がトキに語った言葉より


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 カノンは、確かに大きな魔力が動いたのを感じた。


 魔術によって、大きな屋敷が包まれるくらいの大きな炎が生まれたはずだった。


 なのに窓から赤い光が差した以降、熱を感じることはなかった。カノンは、それが〈脱発動〉によって術が無効化されたのだと気づいた。


「よく見ておきなさい」


 とミルムは窓を覗く ように促した。


 ジグが屋根から音もなく飛び降りた。


 見つめる先には、あの男。


 カノンに致命傷を負わせた殺人犯である。


 カノンたちは名を知らないがタドポールという、ヴィンセント・ヴァーミリオン特務曹長に全滅させられた部隊のAランク魔術師だった。


 自分の腕を見ると、骨まで達していたはずの傷はほとんど見えなくなっている。ただ、うっすらと傷痕とも見えないような線があった。


 あの時の事を思い出して、服の袖を握り込む。


 袖に付いて固まっていた血がぼろぼろと落ちた。


 殺されかけたことは夢ではなかったのだ、と思った。


「元軍人っぽいな」


 とヴィンセント。


「タイミング的にハンドンの出身かもね」


「この間の小競り合いで、俺がぶん殴ったヤツの一人かな。責任をなすりつけられて殺されそうになって国外逃亡とか、そんな感じ?」


「まあ、ありえそうな話ね」


 ミルムは頷いてティーカップを口に付けた。


「カノン!」


 ジグが、殺人犯の男からわざわざ視線を外して、呼びかけた。


「これが最初の授業だ。ちなみに俺の弟子を名乗るなら、この程度の相手に遅れを取ることは許さん」


「…………!?」


 その視線の先に、タドポールは見つけた。


 探し求めていた怨敵を。


「ヴィンセント・ヴァーミリオン! ついに見つけたぞ」


 その殺人犯は、ジグを無視して窓から覗くヴィンセントを見ていた。


「うーん、覚えていないな。この間の戦闘では記憶に残るような奴はいなかったし」


「きっとアレよ。あなたの身体強化を見て、真似したらできたから調子に乗って復讐しようとしてるの」


 聞こえるようには言っていないが、肩をすくめた様子で馬鹿にされたことは伝わったのだろう。明らかにヴィンセントを睨みつけていた。


「まず大切なことは、先手を取ることだ」


 ジグは、真っ直ぐに突っ込んだ。


から見ていろ」


「え? いや、危ない……!」


 男はすでに迎撃態勢をとっている。


 カウンターを合わせようと、拳を突き出した。


 ジグは走っている姿勢はそのままに、一瞬スローになり、男の腕が伸び切った瞬間にまたスピードをあげた。


 まるで魔法のように、一瞬で背後に回っていた。


「そして、できるだけ不意を討て」


 ぎょっとなって振り返った男の顔に、ジグは中指を弾いた。いわゆるデコピンである。


 強化された指から離れたその威力は、子供のいたずら程度では済まず、男は殴られたかのように仰け反った。


 ジグは追撃しなかった。


 男の鼻から、盛大に血が溢れだす。


「このっ……!」


 激高した男は、身体強化の魔力を全開に、ジグに向かっていく。


「それから、は」


「え?」


 おそらく渾身の右ストレートだったであろう男の拳は、まるでキャッチボールみたいにジグの手に収まった。


「こんな風にまともに相手の攻撃を受け止めることだ」


 残った左の拳が突き出される。


 ジグは、手を離して、頭を傾けてかわした。


 そのまま間合いを詰めて、足を引っ掛けながら突き飛ばすと、男は地面の上を二回転した。


「基本的にはかわせ。できればカウンターを入れろ。場合によっては、今みたいにダメージより間合いをとることを優先してもいい。誰かと喋りながら戦う時とか、な」


「くそっ!」


 男はナイフを出した。


 カノンの腕を斬って、致命傷を与えた、あのナイフだ。さすがに乾いているが、刃には赤黒い血がついている。


「だが、先手を取ったら、確実に戦闘不能にすることだ。こんな風に相手に攻撃をさせるのはいつでも悪手だ」


 男は跳ねるように間合いを詰めると、刃を真っ直ぐジグの喉に突き出す。


 ごきゅっという鈍い音が鳴った。


 ジグはナイフを二本の指で挟んで止めていた。


 ナイフを握っている男の手首が直角に折れ曲がっている。


「くぅぅっ……!」


 悲鳴を堪えるように男は呻いた。


「身体能力を強化しただけでは、力を効果的に伝えることはできないし、反作用で自分にもダメージを受ける。……これの対策はまた今度にやるが、今は俺のやりかたを見ておけ」


 そう言ってジグは、男の顔を張った。


 いわゆるビンタというものだっだが、見た目と威力に差が大きく、歯車みたいに一回転して男は飛んでいった。頭を庇って身体を丸めたため、意識を失うことはなかったが、ふらつきながら立ち上がる姿が大きなダメージを残したことを物語っている。


 そこで何を伝えたかったのか、実際に感じ取れたのは、感知能力の高いミルムとカノンのみ。ヴィンセントは答えだけを知っている。


 身体の筋力のどこを強化し、どこを強化しなかったのか。


 ボールを投げる時、あるいは拳闘士が殴る時、使う筋肉に常に力を入れているわけではない。適切な脱力こそが正しく力を伝えるのだ。


 インパクトの瞬間に全身を強化することで、スピードと重さを備えた打撃となる。


「お前はこれを息をするように自然に、無意識に、できるようにならなければならない」


 ジグは続けて言う。


「だが、できるようになる頃にはこの程度の相手には不要な技術だ」


 男はもう接近戦を諦めたか、魔術を放つために手を突き出した。


 カノンのそばのテーブルにあるカップから、紅茶の液体がひとりでに浮き上がった。ふわふわゆっくりと、男に向かう。


 カノンにはそれがジグの〈液体操作〉の術であるとわかった。


 男の手からは魔術はまだ放たれない。


 男の顔が蒼白になった。


 何度も何度も手を突き出して、早口に呟く。


「なんでだ、なんで出ない……! おかしいだろ、こんなはずない、こんな、俺はAランクだぞ、魔術が使えないはずがない、出ないはずがない、こんなとこでやられるはずが……!」


 カノンにはわかっていた。


 ジグが魔術の発動前に止めているのだ。


 恐ろしいほど強大な魔術制御力によって。


 ぞわぞわとカノンの腕に鳥肌が立つ。


「魔力で負けてたって、一方的に魔術が使える相手に負けようがないだろ?」


 それはカノンに向けた言葉だった。


 紅茶の水球はゆっくりと男の元に到達した。


 男は振り払おうとしたが、液体ゆえにすり抜けるように、手が突き抜ける。


 ゆっくりと顔に近づいていく水球。


 男の顔は恐怖に引きつっていた。


 魔術を封じられ、防ぐことのできない水球。そして、これから起こることへの恐怖だ。


 水球が男の顔に張り付いた。


 もがいても、顔ごと引っ掻いても、もんどり打っても、顔を地面に叩きつけても、淡い褐色の液体は鼻と口を塞いだままだ。


 ああ、そういうことか、とカノンは納得した。


 確かに生き物が相手である限り、大きな魔術などなくても倒せるのだ。


 男は暫くもだえていたが、一分もしない内に、痙攣を繰り返すだけになり、ついには動かなくなった。


 そうしてついに、紅茶が地面に落ちた。


「一応、肺から水は抜いておいたが……」


 ジグが倒れた男の腹を何度も踏む。


 身体が折り曲がるほど踏まれた男が咳き込んで、息を吹き替えした。


「お前が入るのは、俺と同門が経営する刑務所だ。敷地内の数百人の魔術を発動もさせない馬鹿制御力をもったやつだ。脱走することはないだろうが、今度会ったら、お前の身体を端から千切りにしてやる」


 もう一度、ジグは男の腕を踏みつけた。


「ぐゔぇっ」


 男の肘は変な方向に曲がってしまっていた。


「あとはお前の仕事だな、ヴィンセント」


「あいよー」


 気の抜けた声で返事が返った。


「士官殺人の被疑者をミルム・メクデフ邸への不法侵入と不法な魔術行使の現行犯で連行します」


 ヴィンセントは振り返ると急にしゃんとして、大佐に向かって敬礼をした。


 大佐は、EランクがAランクをものともしない光景に呆けていたが、すぐに口を横一線に結び直して厳かに「ご苦労だった」と言った。


「あれがあなたの師匠よ」


 とミルムはカノンに微笑んだ。


 カノンも同じように呆けていたが、大佐とは違って考え事に夢中になっていたからだ。


(〈液体操作〉は魔術を妨害されない限り防御不能……、確かにこれ以上ない有効な攻撃方法……でも、魔術は距離が離れるほど制御力が必要なはず。身体から離してあれだけ操作できること自体がおかしい。まるで一輪車に乗りながら玉乗りしてるようなものじゃない! そもそも魔術の発動前に妨害するなんてことが曲芸そのものにしか見えないんですけど! 相手は制御力が十全に発揮できる手元なのに、こっちは離れた場所の魔術の制御を奪わないといけないなんて、間違いなく遠隔発動よりも難易度高いでしょ! そもそも〈脱発動〉自体が難しいのに!)


 知ってか知らずか、ジグは


「体調が戻ったら、みっちりしごいてやるよ」


 と言った。


「俺はお前の魔力を大きくすることはできないが、お前はこの国で一番強い魔術師になるんだ」


 それは、かつての師の言葉。


 学園の落ちこぼれを6人集めて、ほとんど年も変わらない月狼の少年、トキは言った。


『やあ、クソ人間ども。俺はお前らを優等生にはしてやれないが、お前らをこの国で一番強い魔術師にしてやるよ』


 懐かしさに、ヴィンセントが口の端を上げた。

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