第9話 カノン、目覚める

 ミルムはとりあえず、官舎の職員を避難させることにした。


 警備兵も含めてだ。


 屋敷をできるだけ無人にしたかった。


 それにはへオン大佐が反対した。


「士官の連続殺人犯ならおそらくAランクの魔術師でしょう。私だけではお守りできません。安全のために一個中隊規模の応援を呼ぶべきです」


 Aランク魔術師を確実に抑える戦力はそれくらいなのだという。


「その隊員が全員無傷で終わらせられるのなら、それでもいいですが……」


「さすがにAランク相手に無傷とはいきませんよ」


「正直、追加戦力は不要と考えています。怪我人が増えるだけです」


「そんなに、あの男を信用しているのですか? Eランクでしょう?」


 当のジグは、窓の外の屋根に立って待ち構えている。


 魔力の多寡で戦力を測るのは、世間では常識であった。へオン大佐の方が世の中的には正しい。


 ミルムはだから、お互いが納得できる案を提案した。


 一個中隊以上の戦力を持つ個人を呼ぶという方法である。


 その犠牲者は間もなく到着した。


「ヴァーミリオン特務曹長、到着しました」


「ご苦労」


 互いに敬礼をする、大佐と特務曹長。普段なら直接話すこともほとんどない階級差である。


 ヴィンセントの強さは軍内でも有名だったから、すんなりとこの案は通った。


 唯一の問題は、ヴィンセントが全く必要ないのに呼ばれるということだけだ。


「貴様の任務は、これからここにやってくるであろう賊を討伐することだ。マルタイは、ミルム・メクデフ外務大臣である」


「大臣殿を護衛しながら、ここに来る賊を討伐します」


 敬礼したまま復唱するヴィンセント。


「やり方はまかせる」


「はっ」


 ヴィンセントはミルムに向き直った。


「とりあえず侵入されてないか索敵するぞ」


「はいはい、どうぞ」


 お互い同期の学園生である。


 ヴィンセントから微弱な空気の流れが生まれた。


 風魔術の感触で物体を探っているのだ。


 風が屋敷中に広がっていく。瞬く間に邸内中を把握したが、一つだけ術がブロックされる部屋があった。


 魔術の妨害を受けている。


「そこは寝室だからダメ」


 本人だった。


 そもそもヴィンセントにできることはミルムにもできる。


「はいはい。じゃあ自分でやってくれ」


「まあ、一回私がやってるし、ジグが外見てるから誰も侵入してないって」


「ていうか、相手は何者だよ?」


「おそらくAランク魔術師だ」


 答えたのは大佐だった。


「貴様の武勇は聞いているが、油断するな」


「何百人やってくるんです?」


「一人、という情報だ」


 ちょっと待って、とヴィンセントは言った。


「……なんで自分が呼ばれたんです? ミルムがいて、あっちに〈ケーキ屋〉もいて……、出番なんてないでしょう?」


「あの男は貴様と同門と聞いたが、Eランクだぞ」


「自分だって魔力はEランクですよ」


「それにメクデフ大臣は、魔力こそSランクだが、学者の先生だ」


「ミルムが学者? バリバリの武闘派ですよ。【魔蟲大戦】で最前線に出た二人の人間うちの一人だし」


「なにっ、まさか【千人殺し】より強いのか……?!」


「いや、俺千人も殺してませんよ。できるだけ精神的に叩けって命令だったから、帰って語り継いでもらえるようにしたつもりです」


「まあ、ジグが片付けるでしょ。せっかくだからお茶でも飲んでいけば? 使用人は帰らせたから、私が入れてあげるわ」


 ミルムがソファを勧めた。


「……そうする」


 ヴィンセントは憮然としてソファに座った。


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 カノンは目を覚ました。


「気分はどう? 痛いところは?」


 優雅にお茶を飲みながら金髪の女性が声をかけた。


「ここは……?」


「私はミルム・メクデフ。名前は言える?」


「理事長先生? 私はカノンです」


「あら、私をそう呼ぶということは孤児院の出身ね」


 ミルムは孤児院を経営している。世間からは慈善事業だと思われがちだが、才能の発掘のためである。魔術の才能のある子供は多いわけではないから、予算の大部分はそうではない子供のために使われることになるが、希少な才能を見つけるためには必要な投資だった。


「はい、もう働ける年になったので出ましたが……」


「まだ無理はしないで。傷は治ったけど、体力が戻るのは時間がかかるから」


 身体を起こそうとしたカノンを手で制した。


「私、助かったんですか?」


「そうね、命は助かったけど……」


 少し苦笑してミルムは言った。


「ジグの弟子になるのなら、覚悟しておきなさい」


「お知り合いですか?」


「あいつの師匠とは戦友だから」


 どんな人か知らずに弟子入りしようとしたの?」


「え?」


「〈裏通りのケーキ屋〉といえば、その道じゃ有名らしいけれど。あなた、探偵なのよね?」


「そんな……、まさか、あの荒唐無稽な噂話が……」


「彼を倒すなら、それなりの化物を用意しなきゃね」


 にこにこしながら、ミルムは言った。


「お前みたいな?」


 ヴィンセントが茶化す。


 しかし、それを聞いたミルムは「そうね」と笑みを不敵なものにした。


「そんな……、ししょーがそんなに強いはずがありません……」


「それはどうして?」


「だって魔力が……」


 ミルムは、優しい目でカノンの目を覗き込む。


「私が言わなくても、ジグが教えるだろうけど、魔力がたくさんあっても強いとは限らないし、逆に魔力がEランクでもこの国で五本の指に入る実力があるってこともあるのよ」


「そんなの、信じられません」


 そんなことがありえるのならば……、自分も戦えるようになるのか。不意をうち、罠を張り、犯人を捕まえてきた。それでも渇望した地力の戦力が手に入るのか。あの仇を捕えるために最も欲しいものが。


「まあ、魔力が大きい私が言うのもなんだけど、大きな魔力なんて多少有利という程度でしかないの。腕相撲のチャンピオンとアマチュアボクサーのどっちが強いかみたいなものよ。トキ——ジグの師匠も言ってたわ、『どんな生物と戦うにしても、山を吹き飛ばすような威力は必要ない』ってね」


 カノンは呆然と、ミルムを見つめていた。


 からかっているわけではないらしい、と何とか言葉の意味を受け止める。


「よく見ていなさい。これから始まるから」


 直後、真っ赤な光が窓から差した。


 カノンは、その感知能力でその光が炎の魔術によるものだとわかった。

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