第8話 禁術蒐集家
カノンの喉にナイフが迫る。
放っておいてもすでに致命傷だっだが、男は止めを刺しに来た。
ナイフがカノンの喉に刺さる寸前、その刃が溶けた氷のようにどろりと落ちた。
「!!」
男はあまりの異常な出来事に飛び退いた。
距離ができた、二人の間に割って入ったのは赤毛の青年だった。
ジグ・ジングルである。
ジグは守るように立ちふさがったが、すぐに背を向けてカノンに向き直る。
「すまん。遅くなった」
「ししょ、なんでここに……?」
「種明かしはまた今度してやる。手当が先だ」
カノンの身体強化が解けた時に、場所がわかるように術をかけていたのだ。
トキがトリガーと呼んでいた、ある条件に反応して別の術を発動する広義の禁術である。
「くそっ、傷が深いな……!」
〈液体操作〉で血を止める。
しかし、すでに失った血が多い。
すぐに治癒系の術者に診せて傷を塞いだとしても、助からないと思った。
治癒の術などと言っても、傷口を焼いて塞ぐより多少マシな程度で、ただ傷を塞ぐだけだ。傷口も残る。
失った腕さえ新たに生やすと言われる、陽虎の一族の特殊な治癒魔術が必要だろう。
陽虎は【魔蟲大戦】以降、自分たちの自治領からほとんど出ることはない。今、この国にいることはおそらくない。
「くそっ……!」
ジグは後悔していた。
昨日でも今日でも良かった。
ちゃんと弟子として、鍛えていればこの程度の魔術師に遅れを取ったりはしなかったはずだ。
カノンとは出会ったばかりだが、こんなに簡単に死んでいいはずがない。見殺しにしていいはずがない。
死なせなくないと思うなら、常に手許に置いて自分が守るか、自衛できるように鍛えるかしかないのに。
助ける方法は一つしかない。
その術を使えるかもしれない唯一の人間に心当たりがあった。
「何者だ?」
男は柄だけになったナイフを捨てて、問う。
「この子の師になる予定の男だ」
背を向けたまま、ジグは答えた。
男はそれには応えず、もう一振りナイフを出してジグに突撃した。
「時間がない。急ぐぞ」
そう言ってカノンを抱えたジグの背にナイフが刺さる。
刃が肉を突く手応えはなかった。
幻のように二人は消えてしまったのだ。
「光学魔術と音声魔術で位置を誤認させたのか……」
まるで曲芸だな、と男はつぶやく。
地面の血を見ると、点々と一直線に続いている。
迂回して目的地に向かうほど時間の余裕はないだろう。
「追いついて殺さないとな」
まだ宿敵を見つけていないのだから。
------------------------------------------------------------------------
「すぐ治してやるから、頑張れよ!」
ジグは建物の屋根を走っていた。
「駄目です、この傷では、もう、助かりません」
血が足りない。血は無理やり止めているが、血圧が維持できなくなるのは時間の問題だ。
それに傷が深い。深い傷はほとんど確実に、大なり小なりの感染症を起こす。
「なんとかしてやる! だから、まだ死ぬな!」
「ケーキの味の事、たぶんわかりました」
こんな時に何を言ってるんだ、と思ったが、少しでも喋ろうとして意識を保ってもらう方がいい。
「薪です……、薪を燃やした香りがないのがものたりないげんいん……」
「そうか……!」
ジグは叫んだ。
「元気になったら、ちゃんとうまいのを作ってやる! だから死ぬなよ! お前に一番に食わしてやる!」
「むり……どうみても致命傷ですよ……」
「あきらめるな、もうすぐ着く!」
向かっているのは、このラエンダム学園国家の外務大臣邸。
ミルム・メクデフ学園長兼外務大臣の住まいだった。
外国の賓客を迎えることもできる大きな屋敷が見えてきた。
アポはあるが、今は悠長に取り次いでもらっている時間的な余裕はない。
「ミルム、帰ってるか?!」
音声魔術で屋敷中に声を届ける。
警備の見張りが叫ぶ。
「なんだ貴様は?!」
「時間がない! ミルム出てこい!」
「それ以上近づけば攻撃する!」
警備兵が構えた。
「待ちなさい!」
窓を開けて出てきたのは、金髪の若い女だった。
ミルム・メクデフ学園長である。
「招いていたお客です。……少し要件は変わったようだけど」
ミルムは窓を大きく開けた。
「こっちに運びなさい」
「頼む……!」
窓から入るとミルムはソファを指さした。
「良いのですか? 調度品が汚れていまいますよ」
護衛らしい軍人がそばにいた。
階級は大佐——Aランクだ。
「命の方が大事です。それに、この男が暴れたら屋敷ごと壊れます」
カノンを寝かせると、ミルムは手をかざして何かを探る。
「完全に致命傷ね」
溜息をつく。
「だからお前のところまで来た」
「この子との関係は?」
「弟子にする。今日からだ」
「なんだ、昼間の件は決心したの。でも、これは普通じゃ助からないよ」
「お前なら普通じゃない方法があるはずだ。〈禁術蒐集家〉」
特定の部族、種族、血筋、人物などに限定して継承されたり、秘匿されたりしている術を総称して禁術という。
禁術を専門にしているミルムなら、狭義の禁術という言い方をするだろう。
陽虎の特殊な治癒魔術も禁術で、ミルムは陽虎の現頭目とは戦友だ。
絶対に術を見ている。そらならば、再現することもできるだろう。感知能力で今まで多くの禁術をコピーしてきたのだから。
「やってみるけど、私のはあくまで劣化コピーだから、成功率は半々ってところだし、失敗したら……」
「したら?」
「たぶん、身体が破裂して死ぬ……。まあ、それが解決して実用化したら発表するつもりではいるけど。今回はどの道、致命傷だから、ノーリスクね」
ミルムの手から白いモヤのようなものが溢れてくる。それが傷口に入り込んでいった。
「どうだ?」
「黙っててよ、神経使うんだから」
手から出てきては、続々とカノンの身体に入っていく白い煙。それが今度は傷口の周りに集まり、傷を塞いでいく。最終的には肌色になって、まるで傷などなかったかのように覆ってしまった。
「内臓もね……」
今度はカノンの腹部に手を当てて、目を閉じる。
入っていった白いモヤを操っているのか。
「成功したわ。血液の補充と内臓と腕の損傷修復」
「良かった……!」
ジグは拳を握りしめた。
「貸し一つだからね」
「わかった」
目を丸くしたのは横で見ていた大佐である。
「これはすごい! この術が広まれば外傷で死ぬことはなくなりますな!」
「さっきも言いましたけど、未完成です。人体実験するわけにもいかないので、実用化までは遠い術ですよ」
ジグの時のような気安い喋り方ではない。公人の顔になった。
「そうだ、ミルム」
ジグは、近所に新しいお店ができたのを思い出して教える時みたいに軽く声をかけた。
「なに?」
「血痕を追って連続殺人犯がここまで来ると思うんだが、このまま迎え撃っていいか?」
ミルムは頭を抱えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます