第7話 付け焼き刃
その男タドポールは気づいていた。
自分の様子を伺いながらついてきている者がいることに。
すでに陸軍士官を三人殺しているのだから、どこかでボロを出していてもおかしくはない。
追手は殺す。
標的をまだ見つけていないのだから。
警察に捕まるつもりはない。警察補助隊といえど、そこらのAランク魔術師には負けない自信がある。
その男は有望視されていた軍人だった。ゆくゆくは将官と誰もが思っていただろう。Aランク上位の魔力に、確かな実力。
しかし、負け戦の責任を被せられ、処刑されかけたのをほうほうの体で国を出た。その後、他の国を迂回して隣の国まで逃げてきたのだ。
もちろん密入国なので、まともに生活をすることは難しい。非合法の仕事で食べていくしかない。
どうせなら、ということで男の部隊を潰した相手の軍人に復讐することにしたのだ。
輝かしい未来を奪ったあの男は、絶対に許すことはできない。
標的の名はヴィンセント・ヴァーミリオン。
男が率いる隊を——他の隊もまとめて全て、たった一人で完膚なきまでに叩きのめした軍人だ。
敵はもう下士官ということはないだろう。功績からいえば将官でもいいくらいだ。ただし将官は近隣国の協定で全員を申告することになっているので、もっと大々的に発表されていてもおかしくはない。
殺した中には当たりはいなかったが、もともと当たるとは思っていない。今は輪番で警察補助隊 に配属されていると噂になっていた。
噂では下士官ということになっていたが、出世して士官になっていると睨んでいる。
ヴィンセント・ヴァーミリオンは圧倒的な戦闘力を持っていた。
通常なら一人で勝てるはずがない。
しかし、彼は気づいたのだ。
あの化け物の力の秘密に。
あまり実戦向きではないと言われる〈身体強化〉の魔術を使い、一瞬で間合い詰めて体術で仕留められた。
これは相性の問題だ。
近づかれては同士討ちを警戒して飛び道具が使えない。
しかし、魔力はこちらが上なのだ。
こちらも一人で戦い、同じ土俵で勝負すれば、負ける道理がない。
〈身体強化〉は難しい術ではない。殴れる距離で使えるほど発動速度が出せないから使われないだけだ。
先に発動しておいて近づけば何の問題もない。
同時に二つの術を使うような曲芸はできないので、魔術の利点である遠距離攻撃はできないが、相手が魔術師であれば近づいてしまえば接近戦で負けることはない。
「今度は必ず殺す……」
男は呟きながら、先程からずっとつけてきている獲物に意識を向ける。
意外なことにどうやら軍人どころか、ただの少女のようだった。
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カノンは浮かれていた。
身体強化の術による圧倒的な運動能力の向上が正常な判断力を失わせていた。
普段であれば、カノンは周到に準備をする。相手に気付かれないように、罠にかけ、毒を盛り、あらゆる方法で裏をかいて挑む。
そうやって、ラエンダム魔術学園に入学できないほどの小さな魔力しかないカノンは、探偵として犯罪者と渡り合ってきた。
今までのセオリーを忘れさせるほどに、身体強化は画期的だった。
走る速さは体感で倍は超えている。
強化が脚力以外にも効いていることを考慮すれば、魔術師など何もさせないうちに近づいて殴り倒せるだろう。
カノンはその男を遠目に見つめる。
なんとなく歩き方から軍人かその経験者だと予想した。
(身体強化があれば……!)
軍ではある程度体術の訓練もあるが、魔術師なら基本は遠くから魔術を放つ砲台役だ。
手が届く距離まで近付けば、強化された運動能力にまかせて倒せるはずだった。
どうやら、相手は尾行に気付いている。
飛び出して近づくまでに、魔術を一回くらい発動できるだろう。
それをうまく回避できるか……。
(近づかれたくないなら、広範囲の術で牽制するのがセオリー。でも対人戦なら普通は、水平方向にしか範囲を拡げない。人間はそんなに高く跳べないから。でも、今なら壁を使って高く跳べる)
一応、ピンポイントで狙われた場合も想像しながら、気持ちを整えた。
カノンは飛び出す。 男がカノンの方を向いて構えた。
勝負は一瞬でついた。
男が使った魔術は、カノンを近づかせないためのものではなかった。
一瞬だけ迎撃しようとしたが、使う術を切り替えたのだ。
類稀な感知能力を持つカノンは、それが何かわかった。
そして、気づいてしまった。
今、この瞬間に勝ち目がなくなってしまったことに。
(身体強化!?)
交錯は一瞬。
カウンターで腹を蹴られて後ろに吹き飛んだ。
自分の身体がボールみたいに転がった。
止まっても痛みで動けない。
口に砂が入ってじゃりじゃりと鳴っているが、呼吸が止まって吐き出すこともできない。
精神的にすでに負けていた。
そのまま相手が立ち去ってくれたらいいな、と思った。
相手はゆっくりと近づいてくる。
余裕や油断ではない、淡々と仕事を遂行する死神の足音だ。
立ち上がらなければ、死ぬ。
勝ち目はない。
だから、立ち上がって逃げる方法を探さなければいけない。
大振りのナイフを持っているのが見えた。
その刃から血が滴っている。
何故?
腕を付いて立ち上がろうとしたが、力が入らず、また倒れ伏してしまった。
カノンの右腕から滝のように血が流れていた。
「……っ!!」
叫びだしそうになるのをなんとか堪えて、左手を右の脇に挟む。
圧迫止血の効果は薄かった。血の流れる勢いは少し衰えたが、未だどくどくと赤い雨を降らせている。
傷に気づいたら急に燃えるような痛みがこみ上げてきた。
「誰か!」
声を上げたが、街外れで人に気づかれる可能性は低かった。少しづつ、人気のない所に誘い込まれていたのだろう。
「何者だ?」
いつでも刺し殺せる距離に来て、男が問う。
もう、無理だ。
意識が朦朧としてくる。
血が足りない。
「……探偵よ」
急速に現実感が失われていく。
香ばしい匂いがした。
材木置き場が近いようだ。
このあたりで材木や薪に使う木は、少し香りがある。
(ああ、そうだ。だからあのケーキは……)
「他に俺を追ってるやつは?」
「まだ、いないかもね……」
真犯人を追っている者がいない以上、助けは来ない。
警察ではジグが疑われているのだ。
助けてあげられなかった。
「ししょ……助けて……!」
もう声も出ない。
涙が溢れた。
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