第2話 押しかけ弟子

 史上最強の魔術師の弟子の一人は今、故あってケーキ屋をしている。


 ジグ・ジングルという赤毛の青年だ。


 ともあれ、ケーキ屋の朝は早い。


 ボールに卵を割り入れると、中で黄身と白身がひとりでに分離して、かき混ざって メレンゲに変わっていく。


 その様はまるで、お伽噺の魔法のようだった。


 〈液体操作〉の魔術により、傍目には勝手にボールの中で調理が進んでいるように見える。


 釜に薪も入れずに生地が焼けてしまう。炎の魔術を使って火加減を調節するからだ。


 術の感触は本人に伝わっているので、仕上がりに関しては毎日ほとんどブレがない。


 ただ、味の評判は良くはない。


 自覚はあるので、毎日試行錯誤して、材料の分量を少しずつ変えたりしている。


 だが、元のレシピ——この店を建てた友人が遺したもの——が一番マシなのだった。


 そもそも、昔友人クリスティーナ・カロルが作ったケーキは美味かった。


 レシピはきっと正しく美味しいものができるようになっていて、ただ自分の調理技術がまだ足りないのだとジグは思っていた。


「とりあえず、店を開けるか」


 味はイマイチだが、応援してくれる人も中にはいて、少ないが来客はある。


 元の持ち主の両親もその人々に含まれていたが、ある事件で他界してしまった。


 死んだ友人は人気のケーキ屋をやるのが夢だった。


 彼女のケーキを再現して美味しいと人に言わせたい。


 だが、あの時のケーキと比べると何かが物足りない。


 かつてジグの師は言った。


『俺はお前らを強くすることはできるが、人間の世の中で強さで解決できることはそう多くない』


 いくら強くなっても、ケーキは美味しくならないのだ。


 ジグは店の看板を外に出した。


 そこで、奇妙な光が目に入ってきた。道がキラキラと朝日を反射している。水たまりのようにも見えたが、どうやら水ではなく、油のようだった。


 しかも、少し固めの油だった。踏んだら気をつけていても滑って転んでしまうだろう。ハイヒールでも履いて土に穴を開けながら歩かない限りは。


 誰かが油を撒き散らしたのか? 何のために?


 少し考えてから、ジグは〈液体操作〉の魔術を使って、油を空中に浮かせて近くにあったバケツに入れた。


 〈液体操作〉は難易度は高いが、応用の多い術だ。水を相手の口と鼻に突っ込めば攻撃にも使えるし、調理にも活躍し、このように覆水を盆に返すこともできる。


「待て、糞ガキ!」


 振り向くと、まだ十代半ばくらいの銀髪の少女が屈強な男に追いかけられていた。


 走りにくそうに少し踵の高い靴を履いて、一目散にこちらに向かってくる。


「あ」


 そこでジグは気づいた。


 この油を撒いたのはこの少女で、追いかけてくる二人を罠にかけようとしていたのだ。


 自分は滑りにくいように面積の小さい靴を履いているのだ、と。


「あ」


 少女もそこで、気づいた。


 油が綺麗に無くなっていることに。


「あ」とつぶやいた青年が今、掃除したのだと。


 どう見ても追いかけている方が悪者なので、ジグは少女を庇うように立ちふさがった。


「この人たち窃盗犯です!」


 その判断をフォローするように少女が叫ぶ。


 そう言われた二人は、目配せすると、無言でジグに向かってきた。


 対応が早い。チンピラのような無用な威嚇もない。


「軍人崩れか?」


「ダメっ。片方はBランクの魔術師ですよ。殺されますっ」


 一人はナイフを出して、半身で突き出してくる。


 もう一人は、足を止め手を前に構えていた。


 こちらが魔術師だろう。ナイフの援護をしようとしている。


 ジグは、ナイフに向かっていくようにして間合いを詰める。


 ナイフをかわして密着したかのように見えた次の瞬間、ナイフ使いが大砲の砲弾のように吹き飛んだ。


 攻撃というほどでもない。魔術で身体能力を強化して突き飛ばしただけだ。


 吹き飛んだナイフ使いは民家の壁に激突した。白目をむいている。あとから泡が口からでてきた。


 もう一人の魔術師が、人の頭ほどの大きさの火の玉を放った。


 回避しても、燃え移って大火事になりかねない。


 しかし、ジグが一瞥すると、炎は霧散した。何事もなかったかのように、熱気さえ残さずに。


「へ?」


「〈脱発動〉だとっ?!」


 術の制御を奪いとって、消滅させたのだ。大体は魔力自慢の魔術師は魔術を撃ったら満足して、そこからの制御が弱い。


 次の魔術を放つ前に、また間合いを詰めてまた突き飛ばす。


 こちらは壁にはぶつからなかったが、地面で数回バウンドして同じように動かなくなった。


 銀髪の少女は、6秒ほど呆然としていたが急にはっとして、


「ダメですよう!」


 と声を上げた。


「せっかく用意した罠が台無しじゃないですかあ」


 舌っ足らずなしゃべり方にすこし苛立つ。


「いやいや、人の店の前を汚すなよ」


「お店?」


「そこだ」


 とジグは店の方を指差す。白い煉瓦の建物がある。一階が店舗で二階が居住スペースになっている。


「もしかして、おじ……お兄さんが裏通りのケーキ屋さん?」


「誰がおじさんだ。……でも、そんなに有名店じゃないはずだが」


「微妙に物足りない味だと聞いてます」


「…………」


 ジグは顔をしかめた。


「で、何を盗まれたんだ?」


「盗まれたのは私じゃないんですよう。知り合いのおばあさんに大事な形見の指輪を盗まれたので探して欲しいと頼まれたのです。とりあえず、犯人を捕まえて現金化のルートを辿ってみようと」


「警察でもないのに?」


「私、探偵をしてるんです。カノン・カロルです」


「ふむ……」


 自己紹介を聞いてジグは一瞬、固まった。


 元のこの店の店主と同じ名字だったからだ。


 あそこの家族はみんな死んでしまった。親戚がいるとは聞いていなかったが、嫌なことを思い出すので名前には触れなかった。


「探偵? なんでわざわざそんな仕事を……」


 フィクション以外で聞いたことのない職業だった。


「魔力は低いので、魔術はさっぱりですけど、私、感知能力はけっこうすごいんですよ。現場の魔力の痕跡で人物の区別くらいつきますし」


「ふーん」


 近所の禁術蒐集家が興味ありそうな特技だな、とジグは思った。


「俺は——」


「ジグさんですよね。知ってますよ。お兄さんのこと」


 美味くないケーキ屋の店主としてか、ロクでもない噂かのどちらかだろう。


「さっきの二人組、少なくとも魔術師の方はBランクのはずですけど、あっさり倒しちゃいましたね? 〈脱発動〉の術なんて実戦で使う人初めて見ましたよ。あとは〈身体強化〉でしたね。脚と腰と腕に、こう、きゅっきゅっきゅって感じで」


「見ただけで何を使っていたのかわかるのか」


「魔力の動きでなんとなくですけどね」


「それは、優秀な感知能力だな」


 ジグは素直に感心した。初見の相手が何かの魔術を使用したとして、魔術を使ったことくらいならジグにもわかるが、何をしたかまでわかる人間は今までで一人しか見たことがない。そして、その魔術師は、忌々しいことにジグよりも強いのだ。


「そーゆーわけで、弟子にしてください」


 さらりと予想だにしない台詞を言って、カノンはぺこりとお辞儀をした。

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