淑女会話―ガールズトーク―

清野勝寛

本文

淑女会話



 昔付き合ってた彼から連絡がきた。

「こんばんはー、お元気ですか? 今度久しぶりにそっちへ帰ることになりそうなんだけれど、もし時間の都合がつくなら、ご飯でもどうですか?」

 四年ぶりになるだろうか、その連絡にうっかり既読をつけてしまったのは私のミスだ。最近バイトと卒論に翻弄されていたせいで気が抜けていたのかもしれない。



「……で、返信しないまま二週間経ったと」

「……うん」

 深夜二時、ファミレスにサナエを呼び出して、どうしたものかと相談する。そういえば、二人で会うのはもの凄く久しぶりかもしれない。半年ぶりくらい?

 東京の夜はすこぶる暑い。熱帯夜と言えば聞こえはいいけれど、電気代が高くなるのと、食べ物が長持ちしなくなるだけで、良いことなんてなんにもない。汗で服もぐっしょりになるし。これで昼間よりマシだって言うんだから、困るよね。

「まあ、あんただしねぇ……。意識するなって方が無理な話だとは思うけどさ、別に普通っしょ? 別れたら会話をしてはいけませんなんてルールないんだしさ」

「まぁ、そうなんだけど」

 もちろんそんなことは分かっている。でも、いざ行動を起こそうとすると、なんだかなぁって思う。そういうことって結構ない? 押しボタン式信号機を押さず、皆赤信号で渡ってて、自分がスイッチを押すんだけど、タイミング悪く車が来てさ。「おい空気読めよ」って車からの視線感じちゃって一人で気まずくなって。そういう空気に負けて、結局それ以降はその信号を自分も赤で渡ってしまう、みたいなさ。

「あんたは昔からそうだよね。見た目チャラいのに中身はずっと処女っていうかさ」

 サナエはポテトを一つ摘まんで口に入れてから私に言った。お前はその逆だけどな、と思ったが、口には出さないでおく。私は金髪に露出多めのファッション、対してサナエは艶やかな黒髪ショートで、色調が抑えめな服を好んだ。こいつの場合は確実に「男受けが良いから」という理由だろうが。

 深夜のファミレスは静かで過ごしやすいが、その分話し声がよく響くので少し恥ずかしい。それに、サナエは声がでかい。どこの淑女が夜中のファミレスで処女がどうだと大声で宣うのか。ああ恥ずかしい。幸い店内に客は私たちしかいないし、店員も奥に引っ込んでいるみたいだけれど。

「……正直、面倒だなって思っているところもあるかな、少なからず。でも、それと同じくらい、ちょっとだけ会ってみたいっていうのもある。どんな風に変わったのかなって」

「で、イケてたら再会を機にとか考えてやがるな?」

「ふふん、そこはほら、駆け引きですよ。大人ですから」

「かーっ! 喧しいわこのメス豚が」

 そう叫んでから、サナエがまたポテトをほおばる。これをガールズトークと言うのかは私にはわからないが、あまり付き合いの浅い人間には見られたくないなとは思う。


 サナエとは小学生からの付き合いだ。家から自転車で通えるという理由だけで今の大学を選んだ私たちだが、思った以上に反りが合わず、サナエは学外に、私は周囲のノリに合わせつつ、隅っこになんとか自分の居場所を作るという方法でそれぞれ生き残った。大学という場所は「ノんでサワいでヤりまくって」というところだという偏見を持っていたが、実際は、同級生の飲み会は一次会で終了するし、名前だけ連ねたサークルでは歓迎会以降飲み会というものがそもそも開催されず、と拍子抜けしたのを覚えている。高校の時からサナエの家に遊びにいく度、サナエの父親のお酒やらつまみやらをくすねて慣らしてきたので、「食えるものなら食ってみろ」と鼻息を荒くしていた私達は、慎ましやかに行われる飲み会の間中、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。


「まぁ会うだけ会ってみたら? とは思うけどね」

「まぁ……だよね」

 結論にはすぐに辿り着いた。もともとアクティブな私たちは、見た目や趣味こそ違えど、思考は酷似している。サナエが考えていることは、大概私も同意見だ。

「それより、就活はどうなってるのさ、あんたがスーツ着てるの見たことないんだけど」

「私は今のバイト続けるつもりだから……そっちこそどうなってんのよ。っていうかもう遅いでしょ、早い人は決まってる人もいるみたいだし」

 なんだかんだ楽しかった大学生活は、もう直ぐ終わり。長かった学生身分も最後となる。大学四年の夏、私たちは少なからずなんともいえない寂しさを感じていた。

「漫画のアシだっけ? なんだかんだ絵だけは続いてるもんねあんた。下手くそなのに」

「うっせ」

 一言余計なんだよ。コップ二つを持ってドリンクバーに向かう。カルピスとオレンジジュースを入れて席に戻る。

「で、あんたはどうするのさ?」

 私が問うと、サナエは急に身を捩ってウフフと奇妙な声で笑いだした。気色が悪い。

「え、なにキモい。どうしたの」

「実はぁ、結婚……することになりましてぇ」

「はぁ!?」

 思わず立ち上がる。テーブルに膝をぶつけたがそんなことよりも緊急事態だ。あの、サナエが結婚……。

「まぁ驚くのも無理はない……が、事実だ! フハハハハ!! サナエ大勝利!!」

「そ、そんな……三度の飯よりエロが好きなサナエが……こいつ飲ませたらチョロそうランキング四年連続一位のサナエが、誰か一人のものに……一体どんな巨根なんだ……」

「喧しいわ! まぁ、大きさっていうよりは、その、情熱的な感じ……?」

 そんなことは聞いていないし、どうでもいい。絶対騙されている。このままではいけない。早くその男を救ってやらなければ。

「で、どんな騙しテクを使ったんだ、白状しろっ! つーか何で彼氏いるの黙ってたんだよ!」

「や、それがさ。実はあたしも付き合ってるとは思ってなかったんだよね……。いわゆる【お突き合い】の出来るフレンズって感じで二年前くらいからたまーに会ってた人なんだけどね。彼は、あたしとずっと付き合ってると思っていたみたいでさーあはは」

「なにがあははだ、やっぱり詐欺じゃねーかクソヤロウ! ……因みにどんな人なの?」

 そんなエロ本みたいな展開が世にあっていいのだろうか。いや、エロ本にそんな世界があるかは知らないが。どこのバカ野郎がこの女に騙されたのか、興味本意で聞いてみる。サナエがこれでもかと気持ちの悪い笑みを浮かべてネチネチと語りだす。

「うーんっとぉ、五つ年上の会社員でぇ、最初は普通にナンパされたのぉ。それでねっ、その時サナエちょーっとゴブサタだったからぁ、あんまり好みの顔じゃなかったんだけどぉ、ま一回くらいいっかーって思ってついていったら、なんとその日は二人でご飯食べただけ。なぁんにもしないで連絡先だけ交換してぇ、それから頻繁に連絡とってぇ、月一、二で会ったりしてたのぉ。その間も全然襲われたりとかなくてぇ、ムラ……としてたらぁ、半年位して、やーっと手を出してきてぇ、それからフレンズの関係? みたいな? んで、先日指輪渡されたみたいな?」

「えぇ……なにそれぇ……」

 思わず頭を抱える。その人に言ってやりたい。私の方が百倍いいオンナですよ、と。

「今式の話とかしてるのぉ。とりあえず、あたし……幸せになるね!」

「それは今度お前の両親に言え……」

「大丈夫よぉ、あんたにもきっと良いヒト、見つかるってー」

 薄気味悪い猫撫で声でそう言いながらサナエは私の肩をポンポンと軽く叩いた。現実をまだ受け止めきれない。

「うるさい、あとその声やめろや」

「あ、怒っちゃったー? ごめんねー?」

 ここぞとばかりに煽ってくる。私はたまらずドリンクを一息で飲み干し、その勢いのままドリンクバーに向かった。

「ま、相談くらいいつでも聞くから」

「……納得いかねぇ」

 世の中はいつだって不条理だ。不条理ってどういう意味かわかんないけど。



 店を出る頃には、空は明るくなっていた。近くのゴミ捨て場にカラスが群がっている。ちらほらとスーツを着た人間が彷徨うゾンビのように生気のない顔で現れ始めた。ニコニコと笑顔を浮かべてジョギング中のおじさまおばさまとすれ違う。私達も、いつかあんな風になるのだろうか。

「あーねっむ……」

 隣でサナエが大きな口を開けて不細工な欠伸をする。こいつとも、いつかこのままでは、今みたいな関係ではなくなってしまうのだろうか。結婚して、子供ができて……。

「式には必ず呼びなさいよ?」

「なんだよ、男漁りする気マンマンかよ。こわ」

「当たり前よ、数少ないチャンスなんだし?」

 私の未来を想像してみる。こんな生活をしている姿しか想像出来なくて、少し不安になった。

「じゃあ、おやすみ。今度話聞かせろよなー」

「はいはい、おやすみー」


 帰り道、彼への返信を考えながら、当時の彼との記憶を思い出す。そういえば彼も奥手な人で、私にしては珍しく、真面目な交際関係を築いていたような気がする。


「おはよう、久しぶり。返信遅れてごめんなさい。暇はつくるので、是非。昔話に花を咲かせましょう。詳しい日程決まったら連絡ください。待ってます」


――よし、送信。


 玄関の鍵を開けていると、普段滅多に会わない隣人が慌ただしく家から出てきた。靴を上手く履けなかったのか、私の横で前のめりになって、そのままぐるんと転がった。綺麗なこけ方だ。コントを見ているみたいだった。

「あの……大丈夫ですか?」

「いてて……あ、え、はい……すみません……」

 私が手を差し出すと、隣人はその手を取らずに立ち上がり、頭を下げた。真面目な人のようだ。……こんなやりとり、彼とも昔、したような気がする。

「いってらっしゃい」

 スーツの土埃を払いながらそそくさとその場を去ろうとするその人の背中に、声を掛けた。すると彼は立ち止まり振り返る。

「……いってきます」

 そう言って隣人は私に軽く頭を下げた。少し照れくさかったのか、頬が赤かった。こんな風に、誰かに声を掛けたのっていつぶりだろう。もう覚えていない。


 その人の背中を見送ってから、私は家の扉を開け中に入り、そっと玄関の鍵を閉めた。


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