第29話 頑丈な心が少し揺れた、そんな気がした


 資料や本が積まれているけれど散らかっているようには見えない室内にカナリアはいた。紙束と星空を詰め込んだような水晶が置かれた机の前にムハンマドは腰を掛けている。


 カナリアは初めて入る学園長室に緊張していた。ノアは何度が訪れたことがあるようで落ち着いた様子である。



「カナリア嬢、大丈夫だったかね?」

「は、はい。打撲程度でした。治療を受けているので大丈夫ですわ」



 緊張しながらもそれを表に出すことなくカナリアは答えるとムハンマドはうむと頷き、立ち上がった。


 二人の前まで歩くとムハンマドは頭を下げてきたのでノアも、カナリアもそれに驚く。



「危険な目に合わせてしまった申し訳なかった」

「い、いえ、その……」

「学園長、貴方は悪くないです。頭を上げてください」



 慌てるカナリアの代わりにノアは冷静に言う。ムハンマドはゆっくりと頭を上げて申し訳なさげに眉を下げている。


 ノアの言う通りムハンマドは悪くはない、悪いのは敵対キャラクターなのだから。そうは分かっていてもカナリアは口には出せない。



「我々がいながら危険な目に合わせてしまったんだ。これは失態なんだよ」

「全てを完璧にできる人間なんていませんよ。学園長」



 全てを完璧にできる人間など存在しない。いくら、警戒しているとはいえ、隙というのは隠し切れないものだ。


 それでもムハンマドは首を左右に振った、これは学園側の失態であることには変わりないのだと。



「これは君の国に報告しなければならない」

「それは……」

「ただ、それは少し待ってほしい」



 ノアよりも先にムハンマドは言う、どうやらこれには裏があるらしい。まだ、エラの尋問は終わってはいないので詳しくは言えないらしい。



「両国が動けば、主犯が何をしでかすか分からんのだ」



 目的が分からぬ以上、何をするか分からない。もし、両国が動きだせば相手が強行してくるかもしれない。相手の目的が分からない以上、迂闊なことはできないとムハンマドはそう言いたいようだ。



「隠ぺいしたいわけではないのだよ。それは分かってくれるかね?」

「はい。騒ぎになっては主犯もそれに乗じて逃げる可能性もありますから」



 ノアの言葉に「よくわかっているね」とムハンマドは笑みをみせる。逃げられてしまっては再び機会を与えてしまう可能性があるのだ、それは避けなければならない。



「エラ容疑者から聞き出した内容を精査してから報告することになる」



 ムハンマドは「何、数日ぐらいだ」と言った。


 エラは尋問される、この国の調査というのは罪の重さによって違ってくるものだ。エラが行ったことは特級に値する。隣国の王子を狙ったのだ、罪が軽いわけがない。


 王直属魔導士団が担当することになるのではないだろうか、カナリアは詳しくは知らないので想像でしかない。



「二人はこのことを内密にしていてくれ。わしやアルフィー以外には話してはならん。生徒に不安を撒くのは相手の思う壺じゃからな」



 二人が頷いたのを見てムハンマドは「話はそれだけじゃ」と微笑む。


 二人が授業を受けていないことは、ムハンマドが医務室担当者に手を回したらしいので怪しまれることはないだろう。


 カナリアは一礼してノアに促されるように学園長室を出た。


 緊張感から解放されてほっと胸を撫でおろす。隣に立つノアも息をついていたので少しは緊張していたのかもしれない。


 廊下を歩きながらその様子を眺めていれば、ふいに目が合った。



「カナリア」



 彼はそう言ってカナリアの手を握り締めた。突然のことに驚いて目を瞬かせれば、ノアは心配と申し訳なさを混ぜたような表情を向けてきた。



「すまない、僕のせいで」



 彼はそう言って謝る。きっとカナリアが駆け付けてくれたことと、エラの攻撃を受け壁に吹き飛ばされたことを言っているのだ。


 そんなことかとカナリアが口を開こうとすれば、ノアは眉を下げ今にも泣きだしそうに目を細める。



「もっと、しっかりするべきだった」



 どうやら、自身の警戒心の無さを反省しているようだ。警戒心が薄くなるのも無理はない、誰も教師が何か企んでいるとは思わないだろう。


 カナリアが「アナタが悪いわけじゃない」と言えば、ノアは首を左右に振った。



「少しでもおかしいと思ったら、警戒すべきなんだ」

「そうかもしれないけれど……」

「カナリアが来てくれなければ、僕はどうなっていたか分からない」



 何をされてしまうのか、ノアは分からない。カナリアは血を採取されることを知っているが彼はそうではない。



「ありがとう、カナリア」



 ノアはそう言ってカナリアを抱きしめた。


 彼を助けたのは放っておけなかっただけだ。礼を言われることはしていない、だって最後まで悩んでいたのだから。自身がシナリオを進めていいのかと。


 主人公でもない自身がどうして進めなきゃならないのだ、そう思っていたのだ。そんな自身に礼など要らない。


 カナリアは複雑だった。彼は優しく抱きしめてくる、その温もりを味わっていいのかそう考えてしまって。


 ノアはカナリアのことを心底、想っていた。それはエラの問いに答えていた時に聞いている。迷いなくはっきりと紡がれた言葉にカナリアは何も言えなかった。


 少しだけ、まだ思っていたのだ。どうせ、猫耳尻尾が目当てなんでしょうと。そう思っていた自身が恥ずかしくて、申し訳なくて。彼の想いを受け止めきれなかった自身に腹が立って。


(あぁ、本当にどうしよう……)


 彼の想いに自身はどう答えればいいのだろう。自身はどう想っているの、そう心に語り掛けても頑固なそれは少し揺れるだけだった。



「あぁ、ごめんよ」



 カナリアが抱き返すか迷っていれば、ノアはそう言って抱き着くのをやめた。そろそろ離してくれ、そう言われると思ったようだ。


 それがなんだか寂しくてカナリアは空いた手を隠すように自身の背に回す。



「いいんですのよ。もう慣れましたから」

「そうかい? それならいいんだ」



 ノアは「怒られたどうしようかと思った」と微笑む。そんな表情が彼にはよく似合っているなと思った。



「カナリア、背中は大丈夫かい?」

「えぇ。少し痛む程度ですわ、問題ありません」

「それでも休むべきだ。寮まで送るよ」



 彼は心配性だなと思いながらも、その気遣いが嬉しくて。普段なら断るのだけれどカナリアそれを受け入れることにした。


 それがまた彼が驚くことだったのか一瞬だけ固まっていたが、嬉しそうに頬を緩めてる姿に思わず笑ってしまう。今の彼が犬ならば、尻尾を思いっきり振っているに違いない。



「手を繋いでもいいかい?」

「それは見られたら面倒なので」

「えー」



 それはそれ、これはこれである。きっぱり言うとノアはぶーっと頬を膨らます。それがまたおかしいくてカナリアはまた笑ってしまった。



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