第28話 彼女しか僕の隣を歩けない
エラの担当している実習室というのは甘い香りがする、それは授業を受けている時から思っていたことだ。
(それにしても、今日はやけに匂いが濃い気がする……)
ノアは不思議に思いながらも持っていた箱を実験台に置いた。エラは「ありがとう~」と、語尾を伸ばしながら礼を言っている。彼女は手にしていた魔導書を置いて箱を開けた。
中身は薬草や、それらを調合する道具などであった。これは確かに重いわけだとノアは中を覗いて納得した。
「これを~、仕舞うの手伝ってくれる? 薬草はわたしがやるからぁ」
「わかりました」
ノアは道具をいくつか手に取って仕舞うために棚へと向かう。エラはそんなノアの背ににんまりとした笑みを見せていた。
あと少し、そうあと少しだ。ノアが棚の扉を開けようと手を伸ばした、その時。
「ノア様、お待ち!」
ばんっと扉を開けて叫んだのはカナリアだった。そのあまりの音にエラはびっくりして尻尾を逆立て、ノアは固まってしまう。
カナリアはまだ整っていない息など気にもせず、ずいずいと実習室に入っていく。そして、ノアが開けようとしていた棚を覗いた。
「エラ先生。どうしてこんなところに液体の入った小瓶が仕込まれているのかしら?」
カナリアは棚の隅を指さす、そこには隠されたように液体の入った瓶が置かれていた。いや、仕込まれていたといったほうが正しい。
それを見たノアは眉を寄せて振り返る、二人の眼差しにエラは視線を逸らした。
「ワタクシ、少しおかしいと思ったのです。最近のエラ先生の様子」
必要以上にノアに執着しているような様子、それは見る人からすればおかしいと思わなくもない。
本当は敵対キャラクターであることを知っているからなのだが、それでも様子がおかしいと思ったのは嘘ではない。カナリアはエラに鋭い視線を向ける。
「それにこの匂い。人間にしか効かない判断能力を鈍らせる香料ですわよね」
カナリアの言葉にエラの目つきが変わった。諦めたような、それでいて敵意をを向けるようなそんな瞳にノアは気づき、一歩カナリアの前に出る。
「エラ先生、それは本当ですか?」
ノアの厳しい目つきを見てエラは笑いだした。突然、笑いだすものだから二人は少し驚いた様子をみせる。
腹を抱えてひとしきり笑った後にエラはふっと表情を変えた。
「ほんっと、邪魔ばかり入るわよねぇ」
「エラ先生」
「そうよ、そうよ。そこの猫娘の言う通りよ」
エラはカナリアの言ったことを認めた。ノアの前で嘘はつけないことを彼女は知っているので、無理に誤魔化せば墓穴を掘るのは目に見えていたようだ。ならば、潔く認めるほうが話は早いとエラは溜息を吐く。
エラは片手を腰に当て不愉快そうにカナリアを見つめている。
「どうしてこうも邪魔ばかりはいるのかしら~。嫌だわ~、ほんとにぃ~」
「何が目的なんだ、エラ先生」
「それは言えないわ。でも、アナタに用があるのよ」
エラは「大人しく幻覚を見てくれないかしら?」と可愛い子ぶるように言ってみる。もちろん、そんなことを了承してくれるとは微塵も思っていないふうに。
そんな態度に二人の不信感が露わになった瞳に苦笑しながらエラは手をひらひらさせる。
「困ったものだわぁ、どうしましょう」
「生徒への危害を見過ごすわけにはいかないのですが?」
「そうよねぇ。特に王族であるノア様にだものねぇ~」
エラは頬に手を当てる。そんな態度にかかわらず、二人は警戒を解かない。そんな様子に舌打ちをうつとエラは腰に当てていた手を抜いた。
「なら、強行手段をとっても別に構わないわよねぇっ!」
腰に忍ばせていたワンドを手にし、エラは魔法を発動させる。闇属性であろう鋭い刃が二人に放たれた。
カナリアとノアは左右に別れて飛び避けると刃はその威力で実験台や棚を破壊した。
威力を見れば彼女が本気であることは分かる。ノアはワンドを構えてカナリアは籠手に魔力を注ぐ。
「暴れれば、教師が来ますよ」
「大丈夫よぉ~。魔法をかけているからぁ~」
エラは「気づいた頃には終わっているわ」とにっこりと笑みをみせる。ワンドを振れば、無数の闇属性の刃が再び襲ってくる。それほど広くはない室内で攻撃を避ければ物は破壊されて足場が余計に悪くなる。
エラは動くことなく魔法を発動させていく、相手に休む暇を与えぬように。この学園の教師として選ばれただけはあり、彼女の魔法は強くて逃げる隙というのを与えてはくれなかった。
カナリアは攻撃が止んだ瞬間に飛んだ。拳を振り上げるも、エラはそれを見通していたかのように素早く風属性魔法を放つ。びゅんっと突風が吹いたかと思うとカナリアは壁まで吹き飛ばされた。
「カナリアっ!」
ノアは倒れるカナリアへと駆け寄る。腰を強く打ったカナリアは呻きながらも立ち上がろうと身体を起こす。
「わたしの誘惑に乗れば、こうはならなかったのよ~」
カナリアの姿を見てエラは言う、わたしの誘惑に乗っていれば誰も傷つかずにすんだというのにと。
「わたしのほうがスタイルもいいし~、美人でしょう~」
貴族としてぬくぬく育ったお嬢様よりも魅力的であろうと、エラは恥ずかしげもなく言うので自信のある女だなとカナリアは目を細めた。
確かに自身はぬくぬく育った、スタイルも残念ながらよくはない。美人か美人でないかと問われると悪くはないとは思うというそんな程度だ。
彼女のように自信はない、性格に関してはエラよりはまともだと思いたいぐらいだ。
「どう~? 今からでもわたしの元にこな~い?」
「断るっ!」
即答だった。そんなことを考えていたカナリアの肩が跳ねて、エラはそのあまりの速さに目を瞬かせていた。
ノアは真っ直ぐな瞳でエラを見つめいる。
「僕はカナリアだから、愛したんだ」
紅髪と深紅の瞳はカナリアによく似合っていて、猫耳尻尾の姿は彼女の完成形ではないかと思えるほどに美しいと思った。
けれど、見た目だけで彼女を愛せると思ったわけではない。カナリアの態度や会話してみた時の反応、それらが良かったのだ。
王子であるのを知っているというのに、態度を変えるでもなくて。怖気づくわけでも、媚びるわけでもなくはっきりと言う姿勢が嬉しかった。
自身の好みというのは周囲から見れば異常なのだ。興奮することも、それに執着するのも。カナリアはそんな姿であっても落ち着いていた。面倒そうではあったけれどそれでも受け止めてくれていた。
「出会った当初は自身の落ち着きのなさもあった。だが、話しているうちにやっぱり出会った時の印象は間違っていないのだと確信した。だから、僕はカナリアを愛すると決めたんだ」
迷いなく言葉を紡いでいくノアにカナリアは声が出なかった。エラに向けられる瞳は真剣で嘘のない色をしている。むしろ、エラに対する怒りのようなものが見えた。
彼は怒っている。何に怒りを見せているのか、カナリアには分からない。冷静に静かに怒るノアは少し怖くみえた。
「僕は何があろうとカナリアを愛する。彼女しか僕の隣は歩けない」
はっきりとノアは言い切った。強く、迷いなく、有無を言わさない。威圧をも放つその言葉にエラは一歩、下がる。
ノアは素早くワンドを向けた。瞬間、凄まじい嵐のような風が吹き抜ける。エラは僅かに反応が遅くなり、その風を受けてだんっと壁に叩きつけられた。
態勢を立て直そうとエラが身体を起こして顔を上げる――目の前にノアがワンドを突きつけ立っていた。
「僕は意外と足早いんですよ、先生」
ふっと小さく呟けば、何処から湧いて出る蔓に絡まれてエラは身体を拘束されてしまった。その隙にノアはエラの持っていたワンドを奪う。
「あんなに空気を裂けば、匂いも薄れるよ。それに敵の話を聞くなんて、そんな隙を見せたほうが悪い」
ノアの言葉にエラは唇を噛み、睨む。拘束を解こうにもワンドを取られてしまっては魔法は使えない。魔力の媒体となる魔具がないと魔法は使えないのだ。
「何事だ!」
そう叫んで入ってきたのは狼の獣人、アルフィーだ。彼は室内の惨状と拘束されたエラを見て困惑している。
「エラ先生はどうやら何か企んでいるようです」
ノアはエラを監視しながら今あったことをアルフィーに話す。それを聞いて驚いたようにエラを見ると、彼女はもう諦めたように俯いている。
「なるほど、そういうことかね」
「ムハンマド学園長」
白い髭を撫でながらムハンマドは室内へと入ってくる。エラの元まで行き、「何を企んでいるのだね」と問うが彼女は何も言わず笑みを見せるだけだ。
何も言わないエラにムハンマドは険しい表情になる。けれど、責めることはせずカナリアたちのほうを向いた。
「君たちは無事だね?」
「はい、僕は。ただ、カナリアは魔法を受けて……」
「少し腰を打っただけですわ」
カナリアは立ち上がって裾につく埃を払う、腰を打ったが動けなくはない怪我だと。ムハンマドはその様子に「一応、医務室に行きなさい」と告げる。
「二人には少し話したいことがある。医務室で治療を受けた後に学園長室へと来てくれぬかね」
ムハンマドは申し訳なさげに言ってアルフィーに他の教師を呼ぶように指示を出した。
そんな様子にカナリアはノアに支えられながら、ムハンマドの指示の通りに医務室へと向かうことにした。
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