第一章……平穏な学園生活など存在しない

第1話 一日の始まりはいつも最悪である

 晴れわたった空にさんさんと輝く太陽の木漏れ日が窓辺から射す。豪奢な室内を眺めながら、カナリアは溜息をついた。


 いつ見てもこの特別寮の部屋には慣れない。天蓋付きのベッドから降り、寝間着を脱ぎ捨てクローゼットを開ける。黒と白を基調とした制服を取り出し、姿見の前に立つ。


 紅く長い髪に透き通るような白い肌、深紅の瞳は全てを見通すように煌めき、頭に生える猫の耳に尻から飛び出る尻尾。カナリアはあぁ、またかと指を鳴らすと猫耳と尻尾がぽんっと消えた。


 カナリアはヴァンレット公爵家の一人娘だ。父は王族直属である魔導士団の幹部であり、母は猫族の王家の血を継ぐ猫の半獣人だ。半獣人とは人の姿に獣の耳と尻尾を持つ種族のことを指す。また、獣人という獣の姿に人間のように二足方向して生活する種族も存在する。



「この設定、本当に面倒だわ。まぁ、乙女ゲームだから仕方ないのかもしれないけれど」



 身支度を整えながら愚痴る。そう、カナリアは知っている、この世界が乙女ゲームであることを。いや、実際にはこうして生きているのだから、現実なのだろうが。それでも、これがあまり人気ではなかった乙女ゲームの世界であることを知っていた。


 前世の記憶が戻ったのはこのアーツベルン魔法学園に入学すると決まった日のことだった。ぶわりと記憶が流れ込んできたのだ、自身が乙女ゲームの悪役令嬢キャラクターに転生したという事実を。


 思い出してからはもう面倒だった。こんなことを誰かに言えるわけもない、相談すらできない。思い出した時にはすでに自身の噂というのは最悪だった。我儘で自分勝手という悪役令嬢街道まっしぐらであったので、やり直すのは無理に等しかった。


 こうなったらもう自由に生きていったほうが楽だ。楽しむだけ楽しんで死んでやろうとカナリアはふっきれていた。




「この乙女ゲーム、ご都合設定が多いのよねぇ。だからあまり人気がなかったのだけれども」



 この乙女ゲームは要所要所にご都合設定と呼ばれるものが存在する。よくある獣人差別というのもが少なかったり、人間と同じように普通に暮らしていたり、生活水準が比較的高かったりとなんともご都合展開盛りだくさんな仕様だ。


 他にもまだまだあるので、こういうところが人気のなかった理由ではないだろうか。クソゲーとまでは言われていなかったものの、微妙な評価だった記憶がある。


 中途半端に戦闘要素であるアクションを入れたのも、微妙な評価の理由だったのかもしれない。戦闘が悪いとかそういうのではないのだが中途半端が仇となったのだ。


 なんでこんなゲームをしていたのだろうかとカナリアは身支度を整えながら思う。確か、友人が乙女ゲームにハマっていて、ちょっと興味を持ったからじゃなかっただろうか。丁度、値下げされ安かったこのゲームを見つけて買ったとか、そんな理由だったような気がする。



「さて、そろそろね……」



 カバンに授業で使う魔術書などを入れていれば、扉を叩く音が響く。いつも時間きっかりなことと思いながら、扉を開ければ飛びだしてくるピンク色の二つに結われた長い髪。



「カナリア様~! お迎えにまいりましたぁ~」

「いつも飽きないことね、シャーロット」



 彼女はシャーロット・ハインリッヒ。ハインリッヒ伯爵家の娘で、彼女の父親がカナリアの父の部下に当たる。幼少期からの付き合いがあり、そのせいかいつも取り巻きのように引っ付いて離れない。


 シャーロットは憶病な性格ではあるが、それを悟られたくないのか彼女は虚勢を張ってしまう。カナリアという後ろ盾がいるからだろう。性格が悪いというわけではないのだが少々難がある子だ。


 虎の威を借りる狐のような彼女だがカナリアは放ってはおかなかった。父と知り合いというのもあるが、放っておくのは可哀そうだと思ったのだ。それにシャーロットはカナリアの言うことには従順で、迷惑行為を振りまいたりもしないので傍に置いていた。


(まぁ、乙女ゲームではカナリアの命令でいろいろ悪さをするのだけれどね)


 乙女ゲームでは彼女はカナリアの命令で様々なことをしてしまう。苛めと言えば早いだろうか、陰湿なことを主人公にするのだ。


(まぁ、そんなことさせないけれど)


 けれど、カナリアは決めていた。生まれ変わったからといって、運命を変えるために奮闘する気はないが面倒なことは避けようと。


(まだ死にたくはないし、惨めな思いもしたくないもの)


 いくら、気にせず自由に生きると決めたからといって、死亡エンドやバッドエンドを望んでいるわけではない。できれば長生きしたいし、面倒ごとには巻き込まれたくはない。それぐらいは避ける行動はする。



「カナリア様~早く向かいましょう~」

「そんな焦らなくともいいでしょうに」



 シャーロットに腕を引かれ、カナリアはそんな強引な彼女に呆れつつ自室を出た。


          *


 寮の一階が食堂となっている。公爵家など貴族の生徒は召使いがいたりするため、自室で食べることが多い。けれど、父からの自分のことは自分でやるというしつけにより、カナリアには召使いはつけられていない。シャーロットにはいるようだが、カナリアに合わせているようだ。


 階段を下りて食堂へ向かえば、感じる視線にカナリアは朝食を受け取りながらそれを無視する。ひそひそと囁かれる話し声など気にも留めず、いつものように空いた席に座った。



「出たわ、ヴァンレット家の我儘娘」

「知ってるー。幼い頃に執事が目障りだからって、辞めさせたのでしょう?」

「私はお菓子が気に入らないからって、それを出したシェフを辞めさせてたって聞いたわ」



 なんといいように言ってくれるなとカナリアは思った。確かに執事が五月蠅くて我儘を言ったことはある、お菓子が不味くて文句を言ったこともある。プレゼントが好みじゃなくて駄々をこねたことも、面倒だからといって約束をすっぽかしたこともある。


 そこまで思い出して、これは我儘娘と言われても文句は言えないなと苦笑した。


 声を潜めても聞こえるそれにシャーロットがなんですかあれはと、文句を言いたげな表情をしていたので止めに入る。



「あんなもの、無視していればいいのよ。本当のことだもの」

「で、でも~」

「いいのよ。アナタがワタクシの傍にいるのだから」



 そう言ってやればシャーロットは嬉しそうに笑みを見せる。自分が特別な位置にいるというのが余程、嬉しいのだろう。自分と一緒にいて同じように陰口を叩かれているだろうによく平気だなとカナリアは彼女を見る。


 そんなことを察してか、「あたしは何があってもお傍にいますよ!」と自信満々に言われてしまった。



「あいつらは、カナリア様の良さっていうのを分かってないんですよ!」



 シャーロットはそう言うが良さとはどこだろうか。自身でも我儘な行動をしたと思っている、陰口を言われても仕方ないぐらいには。それでも、シャーロットは言うのだ、カナリア様は素敵な方だと。



「自我を持って、優雅に思うままに生きられるっていうのは凄いことです!」



 シャーロットの言葉にカナリアは苦笑する。それは家柄が良かったからできたことだ。庶民がそんなことをすれば、反感を買ってしまうだけである。庶民でなくともこうして陰口を叩かれ、評判は良くないのだ。


(性格を変える気はないけれど、死にたくはないのよねぇ……)


 パンを口に含みながらカナリアは考える。運命を変えてやるという意気込みはないのだが、惨めな死に方というのはしたくはない。と、いうかまだ死にたくはない。もっと自由に生きて、楽しむだけ楽しんでから死にたい。


 この乙女ゲームの主人公を苛めたり、陥れたりしようとしなければいいはずだ。乙女ゲームのカナリアはそれをやってしまったがゆえに、味方を失い最終的には両親にすら見捨てられ死んでしまう。


 それさえ、しなければいい。だから、カナリアは主人公に関わるでもなく、ただ遠目から見るだけに留めていた。


(何故か、彼女を苛めている生徒の一人に名が挙がってしまっているのだけれども)


 何もしていないというのに、どうしてそうなってしまったのだろうか。カナリアははぁと小さく溜息をつく。


 ゲームのシナリオ通りにしないと、こういうところに皺寄せが来るのかと。どうしても、物語はカナリアを悪役令嬢にしたいようだ。


(まぁ、何とかなるでしょう)


 事を荒立当てるようなことを自身がしなければいいのだ。そう気を付ければいいと、カナリアは自身に言い聞かせ、朝食を食べ始めた。



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