閑話休題「少しずつ死んでゆく世界」

閑話休題「少しずつ死んでゆく世界」


丹下マネージャーとの面談、指示の後、そのまま休憩時間だった。

気を使って休憩室から出た丹下さんには悪いが、休憩室には言いしれぬ居心地の悪さが残っていたので、俺は自分の車に引きこもることにした。


昼休みに仮眠がしたいときは、普段正しい目的で使われることのない後部座席がベッドの代わりになる。


思うより広い後部座席に寝そべって、正しくない目的で使われたときの事が時々頭をよぎるが、今日はそんな気分ではなかった。

ストレスに負けそうなときほど桃子の残り香を探す自分に失望しながら、味のしない菓子パンをかじる。

なにか慰めの言葉を求めてショートメッセージでも打とうかと思ったが、やめた。


頭の中では、福島さんへの慰めや、犯人への憤りより「これからここの調剤室はどうなるのか」が先に立つ。

福島さんはここの調剤室の屋台骨だ。

免許さえあればどうにでもなる薬剤師業務より、調剤薬局事務としての知識や経験値、なにより「この薬局に慣れている」という部分は他に替えがたい。同じ経験値で薬剤師を憎む斎藤に替わられたら、ここは崩壊する。

最初のターゲットは松木だろう、退職か異動か、いずれにしても長くは保たない。

そして次は板倉と斎藤に挟まれた俺だ。

俺に方にも松木を緩衝材、及びストレス緩和剤として頼っているフシがある。

これをなくせば俺も危ない。


ジリ貧だ。


コンコン、と窓を叩く音がした。


見上げると苦笑いの関西人が、缶コーヒーを下げてこちらを見下ろしていた。

「いやー、なんか大変ですね。」

他人事かよ、と思わなくもないが、ほかに言葉がないのだろう、誰でもそうだ。

「ええ、これからどうなるんですかね。もし福島さんが辞めるなんて事になったら、ここの調剤室は終わりですよ。」

「そうですよねぇ。ほんま大変ですね。」

「ええ、本当に。」

甘い缶コーヒーをすすりながら「大変ですね」を繰り返す。

「先生は辞めんとってくださいね。」

ああ、丹下さんか。佐々木さんまで使うなんて、手の込んだことを。

「いやぁ、俺らも使い捨てっすよ。」

「いやいやそんな事ないですって!」

言ってから、申し訳ない気持ちになる。

丹下さんと同じかそれ以上の年齢で、俺達から薬剤師手当を引いた給与でコキ使われ、それでもこの会社にしがみついている佐々木さんに対し、気分一つで職場を変えられて、何なら給与も増える薬剤師の俺。

嫌味にしか聞こえないだろう。

「僕らもM&Aでどうなるか分からんですよ。」

ドラッグストア業界は、未だ店舗展開の拡大路線を続けているが、反面各店舗ごとの売上見込は減少している。つまり1店舗あたりの利益は、かつてほど大きくない。

しかし経営陣は、店舗を増やすことでしか成長戦略を測れない。

そうなると真っ先に削られるのは人件費だ。

「いやいや、クビにはならんでしょ。」

「クビにせんでも潰すエグい方法、なんぼでもあるんです。僕ら奴隷ですわ。」


実際この後佐々木さんは、給与据え置きで複数店舗の店舗責任者となった。

開店直後と閉店直前の数時間以外を「休憩時間」扱いでシフト外にされ、足りない勤務時間を半休扱いで有給から差し引かれるという、変形労働制を悪用した勤務形態だった。

そしてしばらく後、彼はこれに耐えられず、心身を病んで退職する事になる。


「ものが売れなくなってるのに、毎月前年比10%売上増の目標立てて、人を雇いもせんのに店舗を増やし続けて、一体どうするつもりなんですかね?」

「そういう成長の仕方しか知らないんですよ。」

征服王イスカンダルの時代から、拡大路線の末路は崩壊と決まっている。

しかし経営陣の誰もが「自分が退職するまでは破綻しない」と信じ、現場の悲鳴を無視して同じ事を続けている。

それしかやり方をしらないし、通用しなくなる頃に自分は引退しているので、やり方を変えるメリットがないからだ。

それとも現場の人間程度の知能では知るよしもない長期戦略があるのだろうか。

「終わってますね。」

「まったく。」


やがてこの波は薬剤師にもやってくるだろう。同じ系列の店舗で食い合って、患者がいないのに1日何人の患者を応対し、痛み止めしか出ない患者にも「客単価何円以上」を求められる。

処方内容は医師が決めており、薬剤師の管轄外であるという「言い訳」は通用しないだろう。

そういう倫理観が蔓延する足音は、着々と聞こえている。

俺たちは少しずつ消費され、使い捨てられていく。


やはりこちらもジリ貧だ。


痛ましい中傷で居場所をなくしてここを去る福島さんと、消費されて死んでいく我々、どちらがマシな死に方だろう。


「あれ?」

ふと違和感が去来する。

「佐々木さんって、福島さんの秘密、知ってましたよね。」

「うん、だって登録販売者の資格掲示、細工したん俺やもん。」

薬剤師と同じく、登録販売者にも店舗毎の登録と店内への掲示義務がある。

福島さんの本名は福島功太であり、資格取得時の氏名も、本名が使われているため、登録証を確認すれば、本名が判明する。

もちろん、その掲示も本名でなければならないが、この店舗でも、そして前の店舗でも表記は「福島さをり」だった。

誰も気にして見ていない掲示だからといって、偽名を掲示するのは当然違法である。

しかし、丹下マネージャー曰く

「単なる誤字なので、保健所から指摘されたらその時訂正する。」

との指示だったらしい。

「功太」と「さをり」がどうすれば誤字なのかは理解に苦しむが、実際、これで保健所の鑑査を2度も乗りきっているとか。

まぁ、そこに疑問を差し挟む余地はない。

ここで改めて、福島さんの容姿に触れよう。

身長170cmオーバー、全体に細いラインのモデル体型で、顔はいわゆるキツネ顔、薄い縁の眼鏡が似合う整った顔立ちだ。

確かに背は高いが、これくらい今時全く珍しくないし、10人が10人、福島さんを女性と信じて疑わない事だろう。


「福島さんから聞いたんですか?」

「いや、前店からの引き継ぎを丹下が直々に持ってきた。そうは言うても、もはや実は結構公然の秘密やけどな。」

パートのおばさんを始め、ここ1年で従業員の多くは人づてにこの話を耳にしているのだという。

「やっぱこういうのって、話が回るん早いよな、人の口に戸板は立てられへんよ。」

福島さんがこの店舗に配属されたのは、俺より半年早く、ちょうど一年前。

つまり着任直後から、徐々にこの話は広まり、皆一様に彼女を暖かく見守っていたということになる。

だからといってこんな晒し上げるようなマネをしていい理由にはならないが、幸か不幸か、現場の混乱というイミでの影響は思ったより小さいのかもしれない。


違和感を拭い去るにはやや足りないが、これがほんの少しでも、福島さんの救いになることを、このときの俺は祈っていた。

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