第二部「キャンサー・イン・ザ・ライ〜ライ麦畑の癌組織〜その6」
「やるぞ!犯人探し!」
「は?」
貴重な休日である日曜日に俺を呼び出したのは中岡であった。
管理栄養士がドラッグストア側の業務の一部を兼任する性質上、俺と中岡の休日が重なる事は殆ど無い。
調剤室は医療機関のスケジュールに準じて運営されているが、ドラッグストアは年中無休だからだ。
そんなわけで、プライベートで中岡に呼び出されるというレアなイベントにつられて、ホイホイ近所のファミレスに出向く。
そこには松木の姿もあった。
松木は仕事の時とあまり変わらない清楚なブラウスだが、ネックレスやピアスなどのワンポイントと、スカート姿なのは珍しい。
一方、プライベート時の中岡の服装は、よりバストを強調するタイトなもので、向かいに座れば催眠術もかくやと言わんばかりに視線が吸い込まれていく。
「唐柴先生、私達真面目に話をしてるんですけど。」
ジト目の松木が言う。
「ああ、いや、分かってるけど、見つけてどうするんだ?」
「警告する、私達の仲間に手を出すとどうなるか思い知らせてやる。」
噛みつかんばかりの顔である、薄い顔立ちの女が殺気立つと、ギャップで迫力が倍増だ。
「で、どうやって見つけるんだ?」
「それをこれから考える。」
バシッと突き付けたのは、全部で5枚の怪文書だ、内容は全て同じ。
調剤室とドラッグストアにそれぞれ回線が用意されているためか、ファックスは各店に2枚ずつ送られてきた。
「各店舗に送りつけられた怪文書のコピーだ。」
「全部丹下マネージャーに回収されたろ?何で持ってるんだ?しかも殆どコンプリート。」
かく言う俺が持っていた分も、きっちり回収された。
丹下マネージャーが休憩室に俺を呼んだ時、彼が俺に伝えた方針は「静観」、事実上の「黙殺」である。
「全店に送られていたら流石にこうはいかなかったが、俺のエリアの3店舗にのみ送られて来ている。弊社は現在、親会社とのパワーゲームの真っ最中だしな、営業本部長様からは『現場で解決しろ、本社は一切関知しない。』とのお達しだ。」
丹下マネージャーはバカじゃない。福島さんのいる前でこの話をすることの意味を充分承知している。
はじめから大きな対応をするつもりもなく、事を荒立てるくらいなら福島さんの自主的な退職を勧めることも辞さないということだ。
「だから俺から言えるのは、再発防止に努めるって事と、これ以上問題を大きくしないように協力して欲しいって事だけだ。」
目を伏せた福島さんは何も言わない。被害者本人への説得は、もう終わっているらしい。
「悪いようにはしない。だから俺に少し預けてくれ。」
あくまで穏やかに、しかし有無を言わさない態度だった。
「丹下さんも甘かったね、ファックス自体は回収しても、報告用に撮った写真のメールを削除させなかったし。」
さしもの丹下マネージャーも、それをわざわざ3店舗分確認するような人間が出るとは思わなかったのだろう。
「俺はあんまり、気が進まねぇよ。」
「嘘つけし。蓮チャンも持ってるっしょ、自分が拾った1枚をさ。」
図星だった。まず、丹下マネージャーは俺に写真のメールを送らせなかった。
恐らく他の5人の発見者は丹下マネージャーに自ら報告のために写真を撮り、唯一そうしなかった俺に連絡を取ったのが最後の確認事項で、写真を送らせる必要がなかったからだろう。
そして俺は、丹下マネージャーに預けると決めはしたが、納得のいく采配がされなかった時の為の保険としてコピーを残した。
「あたしは蓮チャンが思ってるほどバカじゃないし、蓮チャンの考えてる事はお見通しよ。目的は同じだし、協力しようよ。情報は多い方が良いし。」
口調はいつも通りだが、その目は真剣そのものだ。そのギャップに気圧されるように、俺は苦笑していた。
「勘違いだよ、俺は犯人探しのために証拠を残した訳じゃないし、中岡ちゃんをバカだと思った事はない。コピーは欲しければあげるけど、取りに帰ろうか?」
「うん、是非そうして欲しいなぁ。」
途端、中岡はいつもの人懐っこい顔になる。こいつは見た目より、中身の方が男殺しなのかもしれない。
「了解、じゃあ、ガトーショコラとドリンクバーの注文よろしく。」
「はいはーい。」
「ところで、さっきから松木が大人しいのはなんでかな?」
「いえ、別に。」
言葉とは裏腹に、何か言いたげである。
「一応言っとくけど、俺は男に手を出す趣味はないし、それと同じく、人妻に手を出すこともないからな。」
「えっ!中岡さん結婚してるんですか!」
「あれ?結構有名だと思ってたけど、ちーちゃん知らなかったの?」
「全然知りませんでした。」
「しかも社内恋愛。」
「うそ!どこの人ですか?」
「本社勤務だよ、会社の組織表に名前載ってるから、探してみると良い、驚くぜ。」
「いやいや、教えてくださいよ。」
「今はその話じゃないし。」
「うわもー気になるー。」
別件で悶える可愛い後輩を置いて、俺は一度自宅に帰り、コピーを持ってすぐにファミレスに戻った。
「うわぁ、本格的。」
わざわざ近くの書店で買ってきたらしい近隣の地図に、ペンと付箋で印がしてあった。他のいくつかはよく分からないが一つには俺達の店の住所が書かれていた。
「あ、蓮チャンおかえり。」
「唐柴先生、早速それ貸してください。」
松木にコピーを差し出すと、少し残念そうな顔をした。
「ダメです、これも何も書いてない。」
「何?何の話?」
「5枚のファックスのうち2枚には、どこから送られてきたファックスか書いてあるんです。だから先生のにも書いてあるかと思って。」
見ると確かに、俺の持ち込みのものを含めた6枚のファックスのうち2枚には、コンビニの店舗名が記載されている。
「いや、残りも分かるぞ、それ。」
「え?」
二人が同時に顔をあげる。俺は二人を無視してドリンクバーでコーヒーを汲むと、席に戻ってガトーショコラを一口。
「ファックスのヘッダー、ああ、その住所書いてあるところをヘッダーって言うんだけど。」
勿体ぶるわけではないが、ガトーショコラに大変合うので、コーヒーを一口すする。
「コンビニからファックスを送ると、ヘッダーには必ず、送信した時間と場所が追跡できるように、時間の隣に店名か、シリアルコードが印字されるんだ。シリアルコードは店舗に対応してて、検索すれば住所と一緒に分かる。」
「マジですか!」
松木がそういうと二人して検索をはじめ、店舗名をメモしていく。
「で、次はどうしましょう?」
「まぁ、順当なら時間と店名を書いた付箋を所在地通りに地図に貼っていくよね。」
「そうそう、こういうのがやりたかったんだし!」
中岡が満足げにはしゃぐ。
「なんか新入社員研修みたいですね。」
「お、じゃあ松木が仕切るか?」
「いや私こういうのホント駄目なんです。」
出来ない事から逃げるなよ、とここが調剤室なら言っていたが、少し迷って止めた。
プライベートまで職場と同じ説教とか、ダサすぎる。
「て言うかそもそも君らどうやって犯人探すつもりなの?」
「いや、手掛かりを繋いでいくと自然と浮かび上がる的な事なのかなぁって。」
中岡は気不味そうに頬を掻いた。
「あのなぁ、今時1時間の刑事ドラマでももうちょい頑張るぞ。」
「えー、じゃあ、住所とか分かったし、こいつで誘惑して防犯カメラの映像とか集めて回ろうかなぁ。」
中岡は自分の胸を指差す。
「やめてあげて、旦那さんが泣くからやめてあげて。」
「じゃあどうするし?」
「うーん、実はさっきから気になってるんだけど、この怪文書の文字って、なんか見たこと無い?」
「いや?新聞かなんかじゃないの?」
「そうかもしれんけど、何か違う気がする。なんか全体的にフォントが丸っこいよな。どっちかって言うと何かの雑誌みたいな。」
「なんかすごい話ししてますね。」
「松木は?覚えない?」
「いえ、わかんないです。私は新聞も雑誌もあんまり読まないんで。」
そうは言うが、松木にも愛読している雑誌がある。
彼女は学生の頃から、俺と同じ薬学業界誌を定期購読しているのだ。
新入社員研修の時、これの話で随分盛り上がっった。
しかし、女の子がファッション誌の一つも読まないのはどうだろうか。
「てか、そもそも君ら、犯人の目星付いてる?」
「うーん、正直怪しい人はいる。」
「はい!先生!」
「はい、松木君!」
「犯人は弊社の従業員です!」
「根拠は?」
「なんとなくです!」
リケジョが根拠無しでものを言うのは問題だが、言いたい事は分かる。何せ同意見だ。
「では質問を変えよう。福島さんのアンチファンやストーカーの嫌がらせである可能性を無視する根拠は?」
福島さんの外見のクオリティは高い。マスクを外していても、言われなければおよそ男性だと気が付く者はいないだろう。ストーカーの一人や二人、いてもおかしくない。
「でも実際、福島さんにそういうのがいるって聞いた事ないです。」
「言ってないだけかもしれないだろう?自分のトラブルに他人を巻き込む事を嫌う人だからな。」
松木はこれに閉口した。それじゃあ探偵役は出来ないぜ。
「じゃあ、蓮チャンはそういう奴が犯人だと思ってる訳?」
「いや、俺も多分、君らと同じ奴を疑ってると思ってるうよ。」
言ってから、失言だったと気がついた。もう今更だが、犯人探しに反対した割には協力的過ぎる。
「根拠は?」
巨乳のドヤ顔がムカつく。巨乳でなければ殴ってるぞ、巨乳でなければ。
「色々あるけどまず、ファックスの送り先が調剤とドラッグストアの両方だったからかな。」
上手く巻き込まれた気がするが、仕方がない。まぁ、俺も飲み込むには些か辛い感情を持っていたのであるが。
「普通、うちの店舗のファックス番号を検索したら、ドラッグストア側のだけが出てくる。調剤の電話番号はともかく、ファックスの番号は検索出来ないようになってるし、全店舗で電話とファックスの番号が違う。」
弊社では、薬剤師向けの怪しい投資や、個人の怪しい医薬品卸売業者からの営業ファックスで、近隣医療機関からのファックスが妨害されない為に、そうした措置がとられている。
「しかもネット発注の黎明期から医薬品発注にネット使ってるから、取引してる卸売業者も、今じゃファックスの番号を知らない。知ってるのは弊社の人間か、近隣の医院くらいだろう。」
「じゃあ、病院関係者も容疑者じゃないですか?」
「そうだけど、それなら丹下マネージャーが、「自分に預けろ」なんて言う筈がない。外部の犯行なら警察に投げてしまう方が安心で確実だし、マネージャーとしてはそれで案件終了だからな。」
丹下マネージャーがどういった経緯で内部犯を疑うに至ったかは不明だが、恐らくここまでは間違っていないだろう。
「なんだろう、すごくもっともらしく聞こえるけど、当たり前この事言ってるだけだし。」
巨乳が居座っているのが俺の正面でなければ、即刻立ち去るところだった。
「まぁ、そこまで分かってもまだ100人単位で容疑者がいるけどな。」
本社勤務の者を含めると、弊社の正社員だけで400人、バイトを入れれば1000人以上だ。
「だから地図買ってきたんだし、これで更に絞れるっしょ。」
そこから3人で、地図にコンビニの店舗名や送信時間を書いて貼っていく作業になった。
その書き込みを眺めてみると、存外、いくつか気が付く事があった。
まずは復習と補足。丹下エリア10店舗のうち、調剤室併設は4店舗、そのうち3店舗にのみ、怪文書が送られた。エリアの外れにある桃子の店舗を除く3店舗は、比較的距離が近く、調剤スタッフの人員のやり取りが比較的多い。平たく言えば、福島さんが働いたことのある店舗に送られた事が分かる。
次に、時刻は日曜の午後8時からの1時間。
最後に送信元、コンビニ大手3社からそれぞれ2店舗ずつ、計6店舗から発信されている。
これは恐らく意図的に選択されている。
「これってやっぱりわざとですかね?」
「だろうな、うちはそれぞれ別の7からだし、××店は農村からだ。」
「何で?」
「何処に送ったか分かんなくならないように、店舗とコンビニを符合させたんじゃないか?」
「あ、理由はともかく、わざとなのは多分当たりですね、ほら。」
がスマホの画面をこちらに向ける。
「このFマートとFマートの間に7あるのにスルーしてます。」
「なるほどー。」
「んで、ついでに言えば、犯人は一番北にある7から時計回りに移動してる。」
「何で?」
「送信した時間書いたろ?順番に辿っただけだ。」
「なるほどー。」
「へいへい!言い出しっぺよ!ちゃんと考えろ~。」
「うるさいなぁ!苦手なんだよ!こういうの!」
「ストローの袋を飛ばして来るんじゃねぇよ!」
「もう、イチャイチャしないで下さい!続けますよ!」
「はーい。」
「はーい。」
「えっと、これ、地図上だと凄く密集してますよね。歩きだと厳しい気がしますけど、自転車とかなら楽勝っぽくないですか?」
「まぁ、刑事ドラマとかでも、生活圏予測って常套手段よな。」
ここまで来れば、実質答えは出たようなもの、犯人は恐らく、一番最初のコンビニの近所に住む、うちの従業員だ。
「なぁ、従業員の住所付きの名簿って見れるところにあるっけ?」
「いや、個人情報に厳しい昨今、流石にそれは。」
諦めの顔をした俺と松木を尻目に、中岡は意味深げに笑った。
「ふふん、そんなのあたしに任せるし。」
そう言いながら中岡は両手の人差し指をクルクルと踊らせる。
「旦那のアレをちょちょいと弄れば大抵のモノは出てくるし。」
全く悪びれる様子の無いことに、旦那さんの苦労が忍ばれる。頑張って下さい。
「アレってパソコンの事ですよね?」
松木のフォローも虚しく、中岡はやはり意味深げにニヤリと笑ったまま、サムズアップのテンションで自分の胸を持ち上げた。
「手段は想像したくないけどまぁ、そいつは中岡ちゃんに任せるとしてさ、それを踏まえて、敢えてストレートに聞いちゃうけど、犯人誰だと思う?」
目配せと共に中岡が小さく、「せーの」と言った。
「斉藤。」
「斉藤。」
「斉藤さん。」
やっぱり。
ちなみに、休憩室に置かれた従業員ノートの、自己紹介ページに書かれた斎藤の趣味は「コンビニスイーツ巡り」である。
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