第三部「鬣犬咬傷その3」
板倉敬一の話をしよう。
「犬塚さん、やっぱり松木先生の講演の監督には行かないそうです。」
松木と話した翌日、板倉を通して丹下マネージャーに、健康セミナーの件を確認して貰ったところ、実質的な担当者は犬塚である旨が返答された。
次に、たまたま来店していた犬塚に直談判したところ「そういうのは上長を通すのが常識だ」と説教の上却下され、板倉を通したが、結局この返答だった。
しかも、セミナー当日の今日に。
板倉にも、部下を庇うつもりはないらしい。
「こんな状態で放り出されて、松木がかわいそうです。そもそも誰も監督しないのに、会社としてあの子の講演を誰が評価するんですか?あいつは、業務時間外に講演のネタ考えたりしてるんですよ、何のためにやるんですか?」
「それは、地域の皆様のために、薬剤師としての責務を果たす為ですよ。評価は僕がしています。」
板倉にしてはよく考えた答えだが、無給で企業がこれをさせていることは、問題視しないのか。
「松木に、今回の演目で何を喋るか、台本の提出を求めてないですよね?それでどうやって評価するんですか?」
松木が「演目の台本はどこに提出するのか」と板倉に訪ねたところ、「提出する必要はない」と答えたらしい。
「そもそも、台本をつくって講演する必要はないと思っていた。」
と続けたとか。
「それは後でもらいますよ。」
「松木に講演させた後で、「もっとこうするべきだった」とか後から言うってことですか?板倉先生は松木に、恥をかかせたいんですか?」
評価の方法すらまともに考えられていない。
松木が何を喋ろうと、きっと興味が無いのだろう。
「それは信用するしかないじゃないですか。」
通訳すると「松木はおかしな内容の講演をするとは思えないので、信用して任せる」と言いたいらしい。
松木が「何を話せば良いですか?」と一応質問したところ。
「心の健康は体の健康、美しい心は美しい体を作る。」
と答えたという。
わが社の営業理念として、新入社員が研修で最初に教わる言葉だ。
ついでに言えば弊社の各店舗の看板の下に、この言葉が書いてある。
つまり、新人の薬剤師に、まともなセミナー講演用の台本など作れるはずがないとタカを括った上で、「健康セミナー」と称して会社の宣伝をして来いということである。
それを受けて、終業後の余暇と休日を1日潰し、約1時間分「講演」として保たせるための台本と、想定される質疑応答を準備し、リハーサル迄行った俺と松木の努力は、評価どころか想定もされていない。
ちなみに演題は「ドラッグストアの薬剤師との付き合い方」。もちろん、俺の新入社員時代の演目の流用である。
当時の丹下マネージャーをして「及第点」と言わしめた内容だった。
曰く、「薬剤師にしては些か越権に過ぎ、弊社の宣伝にあまりならず、逆に自社の方針への批判が伺える。質疑応答は的確だった。」とのこと。
どこが及第点だったのかさっぱりわからないが、少なくとも丹下マネージャーにはまだ、俺を評価する気概があった。
丹下は自分達を「病院の薬剤師や、他の医療従事者より、知識や治療そのものへの寄与より、供給に特化した存在であり、同じように医療従事者を名乗るのはおこがましい。」と自負しており、板倉はその思想の影響を随分と受けている。彼らにとって薬剤師とは、「医療に従事する者」ではなく、薬という、医療に深く関わっている「物を売る商売」なのだ。
その点において、俺は丹下マネージャーとも、そのシンパたる板倉とも相容れなかった。
犬塚に至ってはその最たるものだ、医療産業に従事する企業が営利組織であることは否定しないし、それをおかしいとは思わない。
だが、俺はこれに、どうしても賛同できない。
薬局で薬を渡す立場でも、病院で服薬指導を行ったり、外来の服薬指導を行う立場でも、同じ薬が渡るのであれば、その情報に差があるはずはないし、あってはならない。
そして、同じ仕事をしているのであれば、同じ仕事をするために日々の研鑽と努力をしているのであれば、病院にいても、町にの薬局にいても、我々薬剤師は、等しく医療従事者であるはずだ。
卑下することなく、胸を張るべきである。
少なくとも6年制の薬学教育では、医療従事者たることが教育されている。
4年制の薬学教育を受けた薬剤師が、全員医療従事者としての自覚が薄いとは到底思わないが、職場の上長が軒並みこれだと、仕事にあたっての認識の齟齬がストレスとして大きいことは、ご想像いただけるだろう。はっきりいって辛い。
職場が悪いのか、今までの教育が悪いのか、意識のアップデートが足りない個人が悪いのか、俺には判断できないが、少なくとも俺の上司たる板倉には、俺の医療従事者としての矜持は、評価に価しない戯れ事なのだ。
象徴的な事例がある。
67才、男性。
奥様が半月ほど前に処方された薬を紛失し
「薬がない!」
と、さもこちらが渡していないかのような態度で怒鳴り込んできた。
患者は生活保護受給者で、明細書はあるが領収書はない。
薬歴を確認したが、同じことが2ヶ月連続で起きている。
俺はこちらがきちんと薬を渡した旨を丁寧に確認したうえで、処方せんの再発行を依頼。
医師も普通に保険適応として了解してくれた。
患者にとっては手間だったが、病院で処方せんを受け取って戻った頃には、薬は準備できている状態だった。
本来なら税金の無駄遣いと憤るところであるが、今回は違う。
女性の薬は認知症の改善薬で、本人に管理はできない。
そして、この男性の方も、会話時の言動に、同じ話を繰り返したり、同じ確認を何度もする。平板な表情などを加味すると、67才とは思えない程の認知機能の低下が伺えた。
つまりは軽度の認知症患者がより認知機能の低下した家族を介護する、いわゆる、にんにん介護の状態だったのだ。
薬の紛失は、認知症においては主訴となりうるし、自覚があっても患者自身が認めたがらないケースも多い。
俺はこの件を、医薬品を紛失したクレームではなく、認知症患者の症状として対応した。
「唐柴先生は心が広いですね。」
板倉は俺に、そう言い捨てた、もちろん、保険への適応を通したことが、ではない。
板倉は前回、そもそも「先週渡したばかりなので、よく探して下さい。」とだけ言い捨ててこの男性を追い返している。
彼には、患者の「症状」と「クレーム」の区別はつかないし、俺の医療従事者としての行動も「クレーマーへの丁寧な応対」と区別できないのだ。
「もういいです。」
今更何を言っても遅い、松木はもう会場に向けて出発した。
納得は行かないが、あの子の経験値にはなる。
それを人事評価として還元してやれないのは、教育担当としては歯痒いばかりだが。
「すいません、ちょっと良いですか。」
俺の怒気を孕んだ「もういいです。」が聞こえたのか、夏子姉さんが割って入った。ありがたい。
板倉は、夏子姉さんに声を掛けられてから、普段見せない満面の笑みと、高いテンションを湛えている。
「板倉先生って、ホント石井先生大好きですよね。」
板倉も福島さんに言われたくはないだろうが、確かに露骨だ。
彼が1年目の頃に、ほんの数ヵ月一緒に働いた時期があるだけらしいのだが、彼もまた、石井夏子先生を慕う薬剤師の一人だ。姉としてではないが。
上司の道ならぬ恋路には興味はないが、対象が自分の身内となると、嫌悪感も際立つというものだ。
「人の女房と枯れ木の枝は、上り詰めたが命がけ」という都々逸があるらしい。
夏子姉さんは魅了の魔法で相手を操るタイプの女だから、落ちて死ぬのは男だけだ。
「板倉先生、人が少ない日にごめんなさい、うちの子のお迎えがあるので、そろそろ失礼します。」
ここぞとばかりに上目遣いの40才である、一般にどの程度の有効性なのかは知るよしもないが、板倉には効果覿面だ。
「はいもちろん、お疲れ様でした。」
鼻の下を伸ばして惚ける板倉を尻目に、ひらひらと手を振って帰っていく。
混雑具合を見て、峠を越えてから帰る辺りが流石だが、このあと薬剤師が2名体制で、しかも相棒が板倉では、憂鬱が過ぎる。
「そういえば、かかりつけ薬剤師の同意書取ってますか?」
わざとらしく話題を振ってくるが、よりにもよって「ノルマ」の話か。
かかりつけ薬剤師制度は、2016年4月に発足した制度で、複数の科を受診している患者の服用薬をサプリメントや健康食品との相互作用を含めて一元管理し、残薬や重複薬の回避や削減を目的に、患者に「自分の薬剤師」を持ってもらうという制度である。
この「かかりつけ薬剤師」の仕事をするのには、いくつか条件がある。
研修を受けた認定薬剤師で、3年以上の実務経験と、年1回の地域医療貢献活動の経験があり、半年以上同じ薬局に勤務し、週に32時間以上、その薬局に勤務していることだ。(2018年度からは、1年以上同じ薬局に勤務する事が条件になったが、移行期間があった。)
俺は下半期から同一薬局への勤務が半年以上になるため、すべての条件に該当するのだが、1件も同意を取っていなかった。ちなみに、子会社化以降本社から指示されたノルマ、もとい「努力目標」は月に1件以上だ。
「そもそも、必要と判断される事案にあまり出会ってないです。」
かかりつけ薬剤師となる場合には、患者と相互に同意書を交わすのだが、その際「かかりつけ薬剤師が必要と判断する事由」を薬剤師が記載する場所がある。つまり、不要な患者には同意を取る必要はない。
「そんなのいくらでも書けるでしょう。」
これを「でっち上げろ」と言うことが、どれ程下品か、彼には理解できているのか。
愚直な板倉は、本社の意向に従い数を伸ばしているが、店舗にノルマ未達者がいることで、指導力をと問われることを懸念しているらしい。
本社は何故、そのようなノルマを課すのか。
理由は簡単、儲かるからだ。
同じ内容の薬を渡す場合でも、かかりつけ薬剤師に発生する指導料は、そうでない薬剤師から指導を受ける場合より、30点ほど保険点数が高い。自己負担額で言えば、30円から100円程だが、一人あたりの売り上げが300円違う。
現場の我々は必要に応じて対応するだけだが、経営者はこの金額差を無視できないのだ。
仮に同意書を取得して、かかりつけ薬剤師となった場合、患者への24時間対応が義務となる。具体的には、携帯電話の番号を教え、勤務時間がいでも電話に出られるようにしておく必要があるのだ。
が、弊社ではこの応対が給与に反映されない。つまり休日に対応する義務だけ押し付けられて、儲かるのは経営者だけの状態なのだ。
加えてかかりつけ薬剤師が必要な対象となりやすい患者は、精神疾患や認知症の患者が多い。
経営者が積極的な薬局では、深夜に何度も電話で起こされて、潰れる薬剤師もいると聞く。
「そういうのはレアケースですし、電話は僕が持ちますから、安心してください。」
と板倉は言う。確かに今の自分には負担がないのかもしれないが、そういう前例を作ると管理薬剤師の負担が増えて、いざ自分が昇格したときに首を絞める事になる。
それに現在管理薬剤師をしている桃子が同じ目にあう可能性が増えてしまうし、そんなことはさせられない。
これが「経営者が自分達の利益のために誰彼構わず「かかりつけ薬剤師」の同意を取ることを推奨している」のでないと言うのなら、少なくとも会社が制度を整えてから始めるべきことだ。
そうでないと現場が疲弊するだけだと思うのだが、板倉にはこれが、ただの言い訳に聞こえるらしい。
国家の政策という大義名分にも、なかなか困ったものである。
「とにかくお願いしますね。」
俺が返事を渋っているとそれだけ言い捨てた。
憂鬱な夜が始まった。
せめて仕事が終わった後の楽しみを持たなくては。
「講演お疲れ。打ち上げいこうぜ。」
トイレに行くふりをしてチャチャっとメールを入れる。
「それは是非行きたいですけど、今日の施設配達って唐柴先生じゃないんですか?」
ちょうど終わったところだったのか、すぐに返事が来た。やはり長い夜になりそうだ。
「へっくしょ!」
結局先に帰宅した松木に夕飯の買い出しを任せて、彼女の部屋に集合した。
「大丈夫ですか?」
くしゃみ一つにも甲斐甲斐しく心配してくれるような女を捨てる奴がいるというのだから、全く不思議だ。
「ああ、多分。」
「最近寒いですからね。先にお風呂入りますか?」
「マジで!?それは嬉しい。この時期シャワーだけだと正直しんどくてさ。」
「ふふふ、一緒に入っても良いですよ?うちのお風呂広いんです。」
「逆上せそうだな。」
ホントに逆上せて介抱された。
風呂上がりに、やたらと漂白剤の匂いのするタオルを貰ったので、潔癖なのかと訪ねると
「最近忙しくて新品を用意出来なかったので、漂白したばかりのにしました。」
とのこと。そんな事を気にするような関係でなくなる事を願うばかりだが、エチケットというものだろうか。
今度新品を買いにでも誘ってみようか、こういうものはどこで買うんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます