閑話休題「CHICKEN」
「美味しい。」
食にうるさい桃子が唸る。
「でしょ?」
「私、ラーメンも結構色々食べたけど、これはなかなか凄いわね。」
面白そうだと思って誘った研修の帰りに、お互いが今まで食べて一番美味しかった物の話になり、俺が最近、それを更新したので、その店につれてきたのだ。
ラーメン「デザート・イーグル」
鶏を一羽丸ごと溶かしたようなスープに絡む、モチモチの中太麺がウリである。
開店以来の店主のこだわりは「麺の固さを客に決めさせない事」。
自分が判断した最適の固さの麺を提供する事で、自分のラーメンを最高の状態にして、客の前に持っていくというスタンスだ。
勿論、食べている最中に麺の状態が変化することも織り込んで提供されているため、最後の一口迄最高に美味い。
開店から3年たった今でも「生意気」だと言う客もいるという。だが、それでも客の心を掴み、店は地域屈指の人気店になった。
「俺は、この店から、「自分が正しいと思う物を提供し続ければ、商売として成立する。」っていう、仕事人としての矜持を教えてもらったんだ。」
奇しくも、俺が薬剤師になった年に、この店もスタートしている。
偶然この店を見つけて、この味に惚れ込み、開店直後から通っている俺にとって、この店は社会人のとしての俺の同期の一人であり、ライバルであり、ある種の目標なのだ。
「なるほどねぇ。」
丼の底に残った、鶏の骨の味すら感じる濃いスープを食べながら、桃子が呟く。
「今日は研修も面白かったし、言うこと無いわ。」
今日の研修は「皮膚科医が語るステロイドの選び方」というタイトルで、「未だに根強いステロイド外用剤への忌避意識の緩和」と「炎症鎮静後の外用剤の継続使用の重要性」を説き、それを薬剤師からも患者にアプローチして欲しい旨で締める、大変解りやすく、明確なコンセプトで、明日の実務に活きる類の研修だった。
おまけに先生は朗らかな物腰のナイスミドル。
「蓮君と付き合ってて良かった。」
丼に目を落としたまま、ほう、と溜め息を吐くように、男を悦ばせる。やはり良い女だなぁと、常々思う。
「私で良かったの?」
「は?」
「私じゃなくて、後輩ちゃんを誘わなくて良かったの?」
「まぁ、あの子にも聞かせてあげたいくらい良い研修だったし、資料は絶対コピーあげるけど。」
まぁ、先日予定をすっ飛ばしたので、その埋め合わせに桃子を優先したのは確かだ。
折角のラーメンが胃から出てきそうだった。
「ねぇ、私の他に女出来たら、ちゃんと言ってね。」
「ああ、約束は守るよ。」
それが、俺が彼女と付き合う条件だった。
「最近、本命君とはどうなの?」
「相変わらずよ。そろそろ卒業だから、最近はロクに帰っても来ない。」
桃子には、俺の他に恋人がいる。なんなら彼と同棲している。
相手は桃子の出身大学の大学院生、六年制薬学部の第二期卒業生で、大学院進学者は決して多くない。
優秀なことは間違いないが、忙しい上に収入も少なく、桃子の収入にある程度依存した生活を送っているらしい。
その隙間に滑り込むことで、俺はようやく彼女に相手をしてもらっているのだ。
まぁ、その価値は充分にあると思うのだが。
しかし、その彼ももうすぐ卒業か。彼が真剣に桃子の方を向けば、きっと俺との関係は消滅するだろう。
傷の浅いうちに終わりにして、俺も次の恋に走るべきか、万に一つの勝ちを信じて、挑み続けるか。
いずれにせよ、答えを出すのは今夜ではない。
「寒くなってきたわね、どうりでラーメンが美味しいわけよ。今年も雪降るのかしらね。」
「去年は雪の時は遊びに来てくれなくて寂しかったっけなぁ。」
「10年に一度の豪雪で、どうやってそっち行くのよ。車出してもらえないんだったら、帰れなくなるじゃない。」
去年の豪雪の時に、慌てて買った雪掻き用の大きいスコップが、今も玄関に立て掛けてある。
俺の住んでいる辺りは特に雪国という印象はなかったし、実際入社した年は、スタッドレスタイヤが必要無いほどだったのだが、稀にひどい雪に見舞われるらしく、昨年はその洗礼を受けたのだ。
「そのままうちにいてくれれば良いのに。」
「はいはい、ワガママ言わないの。」
本心だったが、茶化されて軽くあしらわれる。風がひどく冷たい。
「今日はどうする?」
「あいつには、今日は帰らないって言ってある。明日出勤前に駅まで送ってくれる?」
「勿論。じゃあコンビニでビール買おうか。」
そう、結論を急ぐ必要はない。今この瞬間に抱える不安や不満、寂しさを慰め合う相手がいる幸せを、俺は強く噛み締めた。
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