第三部「鬣犬咬傷その1」

冬が来た。

北欧の妖精であれば眠りにつく頃だが、医療機関は繁忙期だ。

インフルエンザもノロウィルスも、冬に勢力を増す。

「何でこんなに混んでるんだ!」

70才男性、もうすぐ定期処方薬をもらいに来る感じなのだが、風邪で受診したらしい。ついでにいつもの薬ももらって帰れば良いのに、純粋に風邪の時のテンプレート処方だ。

「季節がら、お風邪を召される方が多いからですかねぇ。」

そういうことが聞きたいのではないのだろうし、本心で言うなら

「お前らが遅い。」

と言いたいのだろうが、混雑を言い訳にする事が目に見えているからか、そう言ってくる。

「こんなに待たされるならなら他所で貰うぞ!」

「この季節に待たずに薬がもらえる薬局をご存知なら、是非そっちに行ってください。」

すかさずそう言うと、患者は面食らった顔をする。

「そんなこと言わずにうちでお願いします。」

という言葉を期待したのだろう、下品な話だ。

後ろでは5才くらいの子供が母親に寄り掛かって辛そうながらも大人しく薬を待っている。この姿を見て、70才のあんたは自分の態度をどう思うんだ?


隣にいた松木とほぼ同時に服薬指導を終え、ほぼ同時に次の作業に入る。

「待てないオジサンとかオバサンってなんなんですかね?バカなんですか?」

松木が最近怖い。俺の教育の賜物か、それとも斉藤が消えて本性が出るようになったのか。

「それ患者の前で言うなよ。」

「流石に言いませんよ。」

「そりゃそうだな。」

松木も薬剤師の免許が届いて半年以上、ある程度の作業であれば、会話しながら行えるようになった。

「こういうモラルハザードって、地域色ですか?」

俺は薬袋を取り落とした。

「いやそれ絶対外で言うなよ。」

「言いませんけど。」

「まぁ、地域色が語れるほど俺もこの土地に馴染んでないけど、その可能性よりは、世代の問題だと思うぜ。」

「年齢を経ると堪え性がなくなるって話ですか?」

「ああ。何か経年による大脳の萎縮で、我慢ができなくなるって論文あるらしいね。」

医療用語では脱抑制というもので、認知症の他、酒に酔ったり麻薬でラリって我慢が効かなくなる事を言う。

認知症の診断に至らなくても自分の孫を強姦する老人が前者、芸能人が酒に酔って未成年者と行為に及ぶのが後者だが、本質的に、両者は脳の同じ部分、前頭葉が弱っている。

「けど、俺が言ってるのは世代の話。今の60~70代の団塊世代は、待ち時間のクレームが多い。確かに他の世代に比べて母数が多いけど、それにしたって傾向が片寄ってる気がする。上の世代も下の世代も、比較的大人しく待ってるし、どの世代も人の話がちゃんと聞けない人は一定数いるけど、待ち時間の文句の多さはこの世代に特有の印象だね。」


根拠になりそうな理由はいくつか考えられるのだろうが、学生運動全盛期、高度経済性長期を経た世代である事は言うに及ばずだ、せっかちで攻撃的なクレーム傾向の要因として、充分に考えられる。


誰か臨床研究で論文化してくれないだろうか。


また、現在の70代の後期中等教育修学率は60%程度、つまり4割は中学校までしか出ていない。一方、大学進学率は20%。つまり、同一世代内の学歴による格差は、だれもが大学に行く今よりも、そしてほとんどの人間が高等教育を受けない戦前よりも実感が大きい。

おそらく学歴そのものより、その落差、その世相を経験した世代であること自体が、大きな要因だ。

自分は狭き門を潜って勝ち抜き、周囲より偉いというアイデンティティと、それを認識しない他人との齟齬が人を狂わせるのだろう。

県議会議員が病院の待ち時間と応対に腹を立ててSNSで愚痴を言ったら逆に叩かれて自殺に追い込まれるという事件もあった。


「多分、俺達の親世代とか、俺達の世代が定期的に病院にかかるような年齢になった時には、クレームのトレンドも変わるんだと思うよ。」

そして、俺達もいつか時代に置いていかれ、疎まれる時が来るのだろう。

「まぁ、その頃にはAIに服薬指導を受けるのが一般的になって、そもそも俺達の仕事は無くなってるかもしれないけどな。」


蛇足だが、俺が世代間でクレーム内容に違いがあると推察する根拠は、教育カリキュラムの違いというのもある。

例えば、ウィルスと細菌の違いが定義されたのは19世紀初頭だが、1930年代にインフルエンザの原因がウィルスであると発見されてすぐ世界大戦の時代になり、欧米主流の理科系教育の忌避から、日本の教育に「ウィルス」という言葉が組み込まれたのは、思ったより近年の事なのだ。

それ故、1950年代に生まれ、60年代に中等教育しか受けていない者に、ウィルス性の風邪に細菌を殺す薬は効かないと言っても、馴染みが薄く理解しにくい。

また、彼らが生きた時代には、知的財産権というものに関する教育と、社会通念が薄い。

国産の粗悪なコピー商品が今よりも横行していた時代の人間には、特許使用料期限切れによる開発費の減額である「ジェネリック」が、いわゆる「バッタもん」に見えてしまうのだろう。

実際、70代の患者への服薬指導時に「特許ってなに?」と真顔で聞かれて言葉に詰まった経験がある。

このように、世代間の「常識」には違いがある。

鎌倉幕府が「いい国作ろう」でなくなっただけではないのだ。

どうやら俺達には、相手の世代における「常識」を考慮したコミュニケーションを図る事が求められるらしい。

「それはちょっと、複雑ですね。」

会話はそこで途切れて、服薬指導に向かう。

次の俺の相手は、団塊の世代に匹敵する「待てない」人達である。

「子供がこんなに辛そうなのに、何で早くしてくれないんですか?」

そう、子を持つ母親だ。

「すいません。お子様は体重当たりで一人一薬の使用量が違うので、どうしても準備や確認に時間が掛かるんです。」

気持ちはわかる、母親で主婦という仕事は、近代の日本では社会問題になるほどの激務だ。だが、粉薬もシロップも、体重当たりの適量を用意しないと大きな事故に繋がってしまう。急ぐより量を正確にする方が、確実に子供の健康を守る上で重要なのだ。


母親達だって、きっとそれは分かっているのだろう。

しかし、それでも黙っていられない程に、彼女らは日々必死なのだ。


「今回は粉薬とシロップが両方出ています。」

そう言って薬袋を見せる。用法毎に均等に分包された粉薬と、我ながら丁寧にボトルに線を引いた、1回1目盛のシロップを見れば、要した時間は思い知れよう。

「クループだったんですね、症状残っちゃいましたか?」

患者は4才の女の子。

お薬手帳を見たところ一昨日に別の医院から、小児には珍しい、ステロイドの単回服用の処方が出ていた。

これはクループ症候群という、過度の喉の腫れや、それに伴う咳、呼吸不全といった症状の治療に用いられる処方である。

この場合、出された薬を飲めば数時間で症状が劇的に改善する事が多い。

今回は咳を抑えるシロップと、上気道炎でよく用いられる、抗生物質だ。

咽頭炎の後の二次感染だろうということは、容易に想像がつく。

「うん、全然咳が止まらなくて。」

「あら、ステロイド効かなかったですか?」

クループの所見でステロイド無効はかなり珍しい。毎年これくらいの時期にはクループの患者によく当たるが、こんなこともあるのか。

「いや、飲ませてない。」

スマホを片手にめんどくさそうに言う。

「は?」

一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。

「ステロイドを?何故ですか?」

慌てて訪ねる、この薬局から出された処方ではないので、俺が慌てるのもおかしな話だが、なにか理由があるのなら、確認する必要がある。

「なんか、アルコールが入ってるって書いてあったから。」

「アルコールになにか過敏な症状があるんですか?」

「いえ、特に。」

つまり、「子供はアルコールを飲んではいけないから」飲ませなかったと言うことらしい。

「ええっと、一昨日別の医院さんにかかって、この薬が出てるの、今日の先生に言ってますか?」

「いや、聞かれなかったから。」

訂正する。こいつは母親ではない。

年齢は10代後半から20代前半、キラキラしたスマホを持ったキラキラした女だ。

年齢や容姿を引き合いに母親の自覚の有無を推し測るべきではないが、この場合は見た目通りだった。

本当に子供のために「早くしろ」と言っていたのかも怪しい。

はぁ、と一つため息をついて、怒りを堪える、でないと怒鳴り散らしてしまいそうだった。

「失礼ですけど、お子さんが辛いのは、あなたがちゃんと薬を飲ませなかったからですよ。」

まず一番の被害者は子供だ。薬を飲ませてさえいれば、この子はこの3日間、咳に苦しむ事はなかったはずだ。

「だってアルコール入ってるって書いてあるし。」

女は同じ言葉を繰り返す。

自分の子供のことなのに、興味がないのか?

「不安があったことはお察しします。でも、それなら薬をもらった薬局か、診てもらった病院に「本当に飲ませて大丈夫か」と相談するべきでしたね。」

薬局と医院のどちらも、患者に不安を残したまま帰した事はには怒りを覚える。

俺が服薬指導していれば、少なくともこんなことはさせない。それだけに歯痒かった。

「じゃあ帰ったら飲ませます。」

「それが正しいかどうかも、こちらではもう判断できません。よかったらこちらで先生に経緯を伝えて確認しますけど、どうしますか?」

女は答えない。

こいつはおそらく、「間違えたくない」のだ。

信じがたい事だが、行動心理としては、これは責任を回避するために意思決定を拒否する類のものである。

アルコールが入っていると書いてあるから「間違って子供に飲ませた」と言われたくなくて飲ませない。

それで結局子供が治らない事は、状態の継続なので、「自分のせいではない」のだろう。

同じ医院に連れていかず、経緯を伝えなかったもの「何故飲ませなかったのか」と叱責されたくなかったからだ。

そして今も、親としての意思決定を求められているのに、「間違いだった」事が露呈する事を恐れて答えに窮している。

こいつは、親としての責任を回避したがっているのだ。

「確認させていただきますね。」

無言の母親モドキを置いて、医院に電話をかける。

こんな親に育てられる子供が可哀想だが、俺に出来るのはこれがせいぜいだ。

「はいもしもし、○○医院です。」

「いつもお世話になっております。○○薬局薬剤師の唐柴と申します。疑義照会なんですけど。」

「はい、少々お待ちください。」

この医院は又聞きをせず、医師に直接電話が通る。

「何?」

顔は見えないし、年齢も知らないが、医師の声色は明らかに暗く、イライラしている。

医療としてはこれが正しいのだが、問い合わせに他のスタッフのクッションが無いと、医師の機嫌が対応に直結する事があって、いささかか辛い。

まぁ、だからこそ普段の信頼関係がモノを言うのだが、残念ながら、ここの先生はいつもだいたいこんな感じだ。

「いつもお世話になっております。○○薬局薬剤師の唐柴と申します。先程受診されたの○○様なのですが、一昨日に別の医院で診療を受けておられて、その時に処方された単回服用のデキサメタゾンエリキシルをまだお持ちとのことなのですが、これをどうすべきか相談しそびれたとのことでして、なんとお答えすればいいでしょうか。」

「は?何それ。そんなの知らないよ、好きにして。」

ガチャンと電話が切られた。

うう、予想通りとはいえ、後味が悪い。

そして好きにしろ、ときたか、困ったな。

ヒントとしては、クループの診断を他で受けたというバイアス無しでこの処方が作られた事。つまり現状、ステロイド単回服用が必要な程の喉の腫張はないのだろう。

俺は母親モドキをまた置き去りにして、子供本人のところへ行った。

赤いコートの女の子がソファに足を投げ出すように座っている。倦怠感があるのか、ボーッとしていた。

「ねぇ。」

目線を合わせるように屈んで、笑顔で声を掛けると、辛いだろうに、照れたように可愛らしく笑いながらこちを向いてくれた。

「辛いところごめんだけど、お口を大きく開けてください。」

促すと、素直に口を開けてくれるが、残念、目線を俺に合わせながら、顎を引いて口が下を向いている、角度が悪い。

「そのままゆっくり上を向いてください。」

いじらしく言う通りにしてくれる、すると一瞬だがしっかり喉の奥の様子が確認できた。やはりそれほど腫れていない、ように見えるが、確信はない。

薬剤師には、やはり診断する能力はないのだ。

しかし、口を開けているのが辛かったのか、咳き込んでしまった。

擬音を付けるなら「ケンケン」といった感じ、ドン○ー・コン○2をやったことがある人には、オウムが卵を吐く時の効果音というと上手く伝わるかもしれない。

犬吠様咳嗽、クループの特徴的症状だ。

「ごめんね、ありがとう、もう少し待っててね。」

そう言って母親モドキの元に戻る。

「一昨日の薬はなるべく早く飲ませてあげて下さい。」

「飲ませていいんですか?」

「10ミリリットル一気飲みで、結構すぐに症状収まると思いますよ。さっきチラッと言いましたけど、アルコールに過敏な人のためにアルコールが入っていると書いてあるだけで、飲酒と同じように考える必要はありません。」

「そうなんですか。」

「そのあと、夕食後から今日の薬を使ってください。抗生物質は症状によらず使いきって、咳止めのシロップは症状がなければ無理にとは言いませんが、使いきれなかった分は一週間程度で廃棄して下さい。どちらも1日2回朝夕食後で5日分です。」

さて、どの程度理解できただろうか。どれだけ丁寧に言っても、こいつが抗生物質を5日間子供に与え続けるとは、俺には思えない。

「わかりました。」

本当に分かったのかなぁ。

どれだけ説明を尽くしても、実際に飲むのは患者だ、俺達の説明よりも、本人達の自覚の方が重要なのは、どうしようもない。

「半分くらい飲ませます。」

何故そうなる。

もう知らん。と投げ出したい気持ちでいっぱいだが、さっきの女の子が可哀想なのでギリギリで飲み込む。

「半分にする根拠はなんですか?」

もう、答えを待つつもりはない。

「あなたが何となく、多いと感じるからですか?医師は根拠をもって薬の量を決めてるんです。使うなら全量をきちんと使ってください。そうでないと効果を保証できませんし、別に半分にしたからといって副作用が起こらなくなるわけではありません。」

服薬指導の時、指示通りの服用はしないと宣言する患者は少なくないが、そういう人達はは医療をなんだと思ってるんだろうか。

「そうなんですか。」

この段にあっても、こいつは理解できないといった表情である。


アーサー・クラークに曰く、高度に発達した科学は、魔術と見分けがつかないという。

リモコンのスイッチを押せばテレビがつくのと同じく、薬を飲めば咳が止まる。

しかしそこには複数の科学的ロジックが存在し、一つでもそれが狂えば、同じ効果は得られない。

リモコンも信号が弱いとテレビがつかないし、薬も量が少なければ効かない。

少し考えればわかりそうなものだが、この母親モドキには、どうやらクラーク則よろしく、化学と魔術の見分けがついていないらしい。

「じゃあ何かあったらどうしてくれます?」

どいつもこいつもこればっかりだ。

そんなに自分が薬を与えなかったことを正当化したいのか。

「具体的に何が起きることを想定しておられるのかさっぱりわかりませんが、何か気になる事が万が一起こったら、病院に連れていって、何を飲ませてどうなったかきちんと説明して、適切な処置を受けてください。」

この場合、副作用への懸念などほぼ必要ないので「副作用何て起こりません。」と言ってしまってもいいのかもしれない。

その方がこいつも安心するのだろうし、なにより、こいつが聞きたがっているのはその言葉だ。

だが、限りなく0%に近い可能性でも、0%ではないので「100%何も害になることは起こらない」と言う言葉は軽々しく言えない。

特に、子供から目を離す口実を探しているような母親モドキには。

だが、命に関わる副作用が簡単に起こるような薬を、たかが咳のために医師がわざわざ処方すると何故思うのか。

そこまで医師の処方が信用できないなら、病院に連れていくべきではない。現代医療の治療のおよそ7割は薬物治療だ。

「それならやっぱり飲ませたくない。」


ただの風邪なら、確かに安静にしていれば薬を飲まなくてもそのうち治るだろう。

しかし今回の場合は特に、子供が苦しむ時間はその分長くなるのだが、ここまで言って何故それが理解できないのか。

そもそもただの風邪だと確認して、それでおしまいで良いのなら、処方せんを持って薬局に行かなければいい。

「薬は要らない」と医師にはっきり言うのが怖ければ、処方せんを破り捨てればいいのだ。

病院で直接薬を受け取らないのであれば、その行為は誰にも知られることはない。

ちなみに、病院は処方せんを発行する際、処方せん発行料を診療報酬に加えている。

どうしても医師の指示通りに薬を飲むつもりが無いと正気で言うのなら、要らないものは要らないとはっきり言う方が良いだろう。税金の無駄遣いだし、自己負担額も増える。

子供の場合は多くの自治体で医療費は無料だが。


「今のお子さんの症状より、万に一つの副作用の方が心配とおっしゃるなら、こちらからはそれ以上何も言えません、薬剤師として費用対効果を考えても、とにかく早く服用することをおすすめしますし、今日の薬もちゃんと飲んでください。」

本当に可哀想だが、子供の口に薬を突っ込む訳にもいかない、最終的に判断するのは、患者自身だ。この場合は患者の保護者だが。

「もういいわ。」

母親モドキはそれだけ言うと奪い取るように薬を引ったくり、娘の手を引いて帰っていった。


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