第二部「キャンサー・イン・ザ・ライ〜ライ麦畑の癌組織〜その2」
「唐柴先生、遅かったですね。」
本来なら、松木と休憩時間がいくらか重なるシフトだったはずが、随分遅れてしまった。
松木が何となく残念そうにしていると思うのは、きっと俺の思い上がりだろう。
「ああ、売場の方の売り上げに貢献してた。」
「一類ですか?」
ドラッグストア側に薬剤師なんて配置してない癖に、弊社では第一類医薬品の売り上げは他の一般用医薬品と同じく、ドラッグストア側の売り上げとして計上される。
「いや、両方。目薬の方はガッチリPB売ってやったぜ。」
そして、ドラッグストア側でどれだけ売り上げに貢献しても、調剤室付きの薬剤師は弊社では何一つ評価されない。
「それはそれは、お疲れ様です。」
正直、何のメリットもないので、こういった場面では、適当に売り場のスタッフを捕まえて応対を変わってもらいたいのだが、誠に残念ながら、ドラッグストアで商品を買うのに、弊社の店員に話を聞くことがお勧めできない。
弊社では基本的に、というかどこのドラッグストアでもそうだが、スタッフは特定の商品に顧客を誘導するように教育される。勿論会社の利益のために。
この言い方では語弊があるため、次の2点に触れておこう。
一つは、スタッフに悪意がない点である。
経営陣は善良な販売員に対して、それが正しいと信じるよう、「客のニーズ」と「こちらの販売したい製品の効能」を刷り寄せて教え、特定の有名メーカーの製品を求めてやってくる客の為に用意した商品より、さも安価で有効かのように吹き込むのだ。その情報を客の前で披露させ、特定の商品に導くという策をとっている。
2つ目は、決して嘘ではない点である。
一般に、販売数に目標がある商品、すなわち利率の高い商品は2種類。
一つは、懇意にしているメーカーや、キャンペーン等でメーカー側の負担がある程度大きい商品、もう一つは製造販売を自社で行う自社製品、所謂プライベートブランドだ。
PBと略して呼ばれるこのカテゴリーの商品は、どの分野でも利率が高いが、医薬品のそれは更に顕著だ。
だから、安価で売っても利益が出る為、同成分の製品でも、PBは有名メーカーのものに比べて安い。
理論上薬効は同一であるため、確かに客の利益になる。
構造的にはジェネリック医薬品と同じであるし、実際、クオリティの高いPBも多いので、一概に悪いとは言わないし、抵抗がなければ、むしろ推奨しても良いものだと思う。
しかし、不勉強なのか、知っててやっているのか、添加物ならいざ知らず、主成分の含有量が違ったり、一部の成分が異なる商品をして「○○製薬の○○と『ほとんど』同じ」と称しての販売や、意図的に成分量を減らしてあるものを満量含有して「○○という成分の量他社より多く入っているので、有効性が高い」という接客をするものが後をたたない。
これは医薬品および医療機器に関する法律を完全に無視しているが、それを注意している責任者を、俺は見たことがない。
もちろん、特定の商品にノルマ、もとい販売目標が設定されている点も、原因の一端と言えよう。
前述の通り、スタッフは基本的にそのように教育されており、マニュアル的にもそうなっているので、悪いのはそういうマニュアルを作り、教育を施している運営陣だ。
以上の2点から、俺は薬剤師として、スタッフの接客応対を信用出来ないし、当然松木にも、こっそりそう教育した。
どのみち調剤室付きの我々には、一般用医薬品の販売ノルマ等、全く関係無いのだ、だったら、胸を張って自分が勧められる物を売ろう。
そしてそれが自社製品なら、尚更に良い。
「今日はまだマシな方だよ、この間オッサンに、同じ接客したら、口上はいいから自分ならどれを使うかで答えろって無茶言いやがるの、症状に合わせて選べって説明してんのに、端から商売のための口上だって決めつけてやがるのな。」
これはこれで穿った目のお客様なので、宜しくない。ちゃんとした奴だっているんだ、俺や松木みたいに。
「それ、何て答えたんですか?」
「俺は目薬嫌いだからそもそも使わないですって言ってやりたかったけど、こじれそうだから抗ヒスタミン単独の点眼剤にした。今でも古い薬が好きな眼科さんからなら同じの出ますってな。」
「へー、唐柴先生、目薬嫌いなんですね。薬剤師のクセに。」
「食い付くとこそっちかよ、あと薬剤師関係無ぇ。」
休憩時間に二人きりだが、特に気まずさは無い、と思う。
いつぞやの夜の話は、そもそも話題に上っていないし、プライベートで会うこともしていないのでなんとも言えないが、ありがたいことに松木が平然としているのでこちらもあわせて平常運行である。
若干震える手でカップ麺に湯を注ぐ、平常運行である。
休憩室の扉がノックされたので、一瞬、胃に嫌な痛みが走ったが、湯がこぼれなくて助かった。
「はぁい。」
松木が返事をすると、中岡が入ってきた。
「すいません、患者さん来たんですけど、板倉先生が患者応対中で、時間かかりそうだからどっちか呼んで来るように言われたんですけど、どっちか来られませんか?」
「あ、私もう戻るんで、私が行きますよ。」
積極的で大変よろしい。決して間が保たなかったし助かったなどとは思っていない。
「お、ありがとうございます。」
「えー、松木先生もう休憩おしまいですかー?」
「ねー、残念。」
と言って笑顔で出ていく中岡がぶーたれているのは、彼女が恐らく、先程調剤室に戻った福島さんとの入れ替わりで休憩に入るからだ、今日は斉藤がいないので、休憩のタイミングが中岡と松木で重なる珍しいシフトなのである。
「最初から俺を呼んでる事にしとけば、俺が行ったのに、残念だったな。」
「うわー、しくじったわー。うわー。」
それはそれでなんだか悲しいリアクションであるが、気にするのはよそう。
「それはそうと蓮チャンはさ、最近ちーちゃんとなんかあった?」
今回のラーメンは吹いてない、何故ならまだ出来上がっていないからだ。
「いや、何もなかった。」
「えー、ホントにー?」
「うん、いや、何もなかったのが問題だったのかも知れない。」
「何よ蓮チャン、ビビったの?」
「うん。」
「マジか。」
「マジなんだよなぁ。」
重たい沈黙が生まれた。
実に長い3分間だったがとりあえずラーメンが出来たので、スマホのタイマーを止めて、蓋を開けようとすると
「すいません、唐柴先生、患者応対代わって貰って良いですか?」
まるで狙ったようなタイミングで松木が駆け込んで来た。
「いいけど、どうしたの?」
カップ麺が名残惜しそうにこちらを見ている。蓋の空いた口から溢れる湯気が「食べないの?」と言う台詞の載ったフキダシのようだ。
「申し訳ないんですけど、患者さんが何を仰っているのか全然理解できないんです。」
「オーケー分かった。とりあえず戻りながらで良いから、詳しく教えて。」
空腹を我慢し、可愛い後輩のために腹をくくった。
二人して調剤室に戻りながら、簡単に説明してもらう、患者は70才男性。インフルエンザ治療薬が単独で処方されている。
「でも、この方はインフルエンザではないそうです。」
念のための触れておくが、インフルエンザ治療薬は、インフルエンザの治療以外には用いられない。
「なるほど、訳がわからんな。」
調剤室に辿り着いて確認する限り、そこにはあらゆるデタラメが広がっていた。
まず、新規の患者である。問診はあらゆる項目に該当無しが選択されており、住所は郵便番号のみ記入。電話番号を書いてあるので、これはまあいい。
だが、この書き方をする人は大体、真面目に問診を記載しない。
次に処方内容だ。
受け付けたことの無い、どこにあるのかもよくわからない医院からの処方せんで、単回服用のインフルエンザ治療薬のみが処方されており、きっちり保険が適応になっている。
この患者は前期高齢者で、自己負担は2割、つまり8割は税金で負担される。
処方されている薬は昨シーズン末に小此木製薬から新発売された、新薬だ。
「疑義照会はしましたが、『そのまま出すように』と言われました。」
この時点で、患者に薬を渡すことはできる。
真偽はともかく、医師のカルテにはおそらく「インフルエンザウィルス感染症」と記載されているからだ。医師の診断を疑い、確認した上で、間違いないと言い張る以上、それを信じる他無い。
患者がなんと言おうと、彼は「インフルエンザウィルス感染症」だ。
「で、患者はインフルエンザじゃないと言ってると。」
しかも無症状。主訴無し。
「これって予防効果ないよな。」
「はい、でも、適応外処方で私の知らない使用例があるのかも知れないと思って、一応唐柴先生を呼んだんです。」
「流石にあり得ないでしょ。」
判断は良いが、残念なことに、新薬が適応症以外に使われる事は珍しいし、この薬は日本で開発された新薬だ、当然、海外で他の症例に適応されていることもない。
「すみません。」
「いや、良い、俺を呼んだのは正解だよ。」
松木にニヤリとキメ顔を向けて、患者のところへ向かった。
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