第一部「ジェネリック・シンドロームその7」

「福島さんと唐柴先生って、なんかお似合いですよね、付き合ってるんですか?」

「はぁ!?」

突然の言い掛かりに、啜りかけたラーメンを軽く吹き出してしまう。しばらく麺類はやめた方がいいかもしれない。

結局この日は珍しく、最後まで調剤室が荒れることなく閉められたので、この間の埋め合わせに、松木に夕飯を奢る事になった。曰く、

「明日が休みなので、餃子が食べたい。」

よって、近所の中華料理屋である。

「ないない、あり得ないよ。」

「えー、怪しい。だって前の店舗でずっと一緒だったんでしょう?」

「確かにそうだけどさ。それは関係ないでしょうよ。」

俺が今の店舗に赴任するまでの1年半程、つまり薬剤師としての実務経験のほとんどを、福島さんと同じ店舗で行っている。

年齢は近くとも、経験の差は歴然で、新入社員の頃からフォローして貰うこと数多、情けない失敗も、若気の至りで起こしたドラッグストア側のスタッフとの揉め事も、全て現場で知っている。

そんな相手をわざわざ口説くなんて正気の沙汰ではない。

自分の思考の中でさえ、「さん」付けを外すことが出来ない程に、敬意を持った相手ではあるが。

「それにあの人さぁ・・・。」

言いかけて、淀む、しくじった。

「何ですか?」

「彼氏、いるんだったんじゃないかな、今度聞いてみたら?」

薬剤師としての口八丁に感謝しつつ、他の話題を探す。俺自身、まさかこの話にオチがつく事になるとは思わなかったが、それはまた別の話だ。

「何か誤魔化されてる気がしちゃいますね。」

それは俺に女の影があることか、それとも知る者の少ない福島さんの秘密の事か、どちらにせよ女の勘は怖い。

「あ、斉藤さんと福島さんの事なんですけど、私やっぱり直接、福島さんから聞くことにしたんです。後味が悪い話だって言われたけど、なんだか気になっちゃって。」

「で、教えてもらった?」

「はい。実際、ただの喧嘩にしてはかなり後味の悪い話でした。」

「だよな。」


今を去ること4年前、とても優秀で優しく、おまけに美人で評判の良いベテランの女性薬剤師がいた。

彼女の名前は石井夏子、当時36才。

石井先生はまた、スタッフ受けも良く、第一子出産の際、どんな条件になっても構わないから退職だけはしないでくれと、当時のドラッグストア側と、調剤部門双方のマネージャーが伏して頼んだという逸話が残っている。

所属店舗は違ったが、たまの応援勤務で出会うだけの関係だった福島さんとも仲が良く、福島さんは石井先生を、姉のように慕っていたそうだ。


そんな彼女の事を、唯一、良く思わないスタッフがいた。

そう、斉藤である。当時あのブルドッグは、その石井先生と同じ店舗に属していた。

元より薬剤師に対して横柄な態度を取ることが多い斉藤だったが、年が近い石井先生には、特に厳しい態度を取った。

目の前で年齢の近い女性が、薬剤師として評価され、患者やスタッフに愛され、家庭にも恵まれている一方、児島は独身で給与も低く、患者やスタッフからも評価されない。

自業自得であっても、その落差には打ちのめされる思いだったであろう。

決定的だったのは、その年の登録販売者試験でも、また不合格になった事だった。

会社の推奨ということもあり、希望者は会社の扶助で、登録販売者資格試験を受けることが出来るのだが、彼女はそれに何度も落ちて、マネージャーからのお叱りと共に、今度からは自費で受験するように通告されたのだ。

そして丁度その直後に、石井先生の第二子懐妊が報告されたらしい。


程なくこれは店舗全体に知れ渡るのだが、今も石井先生は、第二子懐妊を斎藤の耳に入れた事を悔いている。

そこからの斉藤は、医薬品知識でも、接客応対でもなく、醜悪さに磨きをかけた。

石井先生の指示や質問は無視し、手渡す物は投げ付ける、高いところの在庫をとるために、脚立に登れば、徹底的にその脚立を蹴った。

石井先生は休憩室の冷蔵庫に自分の飲み物を置くことも、怖くて出来なかったという。

しかし同時に、斉藤の悪意に屈することも、薬剤師としての責任を放棄することも、彼女は拒み、産休まではと働き続けた。

そんな生活をおよそ3ヶ月続け、妊娠20週の頃、休みの日に、翌日の勤務の事を考えると手が震え、「このままではマズい」と考えた矢先に不正出血を起こし、すぐに受診したが、そのまま流産した。

端から見ていても原因は明らかだったが、石井先生は自分の身を守らなかったこと、そして子供を守れなかったことを悔いた。

そして彼女は最後まで、勤務に穴を空けた事を申し訳ないと言い、馴染みの患者を案じながら会社を去った。


一方の斉藤は、まるでそれを自己正当化するかのように、前にも増して薬剤師を軽んじるようになった、自分の預金額を惨めったらしく暴露することにしかならないが「○○円で免許を売ってくれれば、私でも薬剤師をやれる」が口癖になったのも、この頃からである。


そしてこの地獄のような悶着の果てに、もうひとつ事件が起きる。

結局退職にあたっても、石井先生は挨拶に来ることさえ出来ず、会うことも、気が引けて連絡を取ることも叶わなかった福島さんは、やりきれない思いで日々を過ごしていた。

そんな頃、医療事務研修で斎藤とかち合う事となった。

その休憩時間、斉藤は周りの医療事務に、武勇伝として自分の石井先生に対する仕打ちを語って聞かせていたという。

やはり誰にも相手にはされていなかったが、最後に「御愁傷様」とうそぶいた時、飛び掛かった福島さんに胸ぐらを掴まれた。

「お前が!お前が死ねば良かったのに!」

と何度も叫ぶ声は、研修会場に響き渡り、慌ててやって来た男性社員が数人がかりで取り押さえる大騒ぎだった。

二人とも厳重注意を受けたが、面の皮の厚い斉藤は、被害者は自分だと言ってはばからなかった。

一方の福島さんは、その後の居づらい空気もあり、そのまま辞めるかとも考えたそうだが、この話を聞きつけた、まだ流産による心身のダメージが残る石井先生から「絶対に負けるな」と連絡を貰って踏み留まったという。

以来4年間、福島さんは「姉」との約束を守り、今もこの会社で働いている。


「あんな人なんで雇ってるんですか?」

斉藤には松木も随分泣かされている、被害者は彼女らだけではないし、きっとこれからも被害者は増える。

「あいつと働いたことある人全員がそう言ってるけどな、それだけ正社員を辞めさせるのは難しいんだろう。」

よく知らないが、労働基準法とはそういうものらしい。

「それに、ドラッグストアはどこも調剤併設店舗作りまくってるし、単純な数で言えば、薬剤師と同じくらい、経験のある医療事務が足りないんだろ。」

「腹立たしい話ですね。」

心底同意見だが、実際問題として、医療事務の人数も現在は不足傾向だ。正社員雇用であることを差し引いても、そう簡単には手放せない。

「では腹いせに餃子を一皿追加してやろう。」

「わぁい。」

平和な夜の平和な食事。せめて今夜は、嫌なことは忘れて楽しく過ごしたいものだ、どうせ明日になったって、あのブルドッグはいなくならない。

「あ、そういえば、ジェネリックの話してるとき、唐芝先生何か言いかけてませんでしたか?」

「おお、よく覚えてるねぇ、感心感心。」

「こういうの何気に気になるんですよねぇ。何でしたっけ?」

「ああ、一般名処方になって、高確率でジェネリックにしてくれる文言見つけたんだけど、聞きたくない?新規の患者限定だけど。」

「ホントだったら是非聞きたいです!」

「『病院のからは特にメーカーには指定がないんですけど、うちに在庫があるので良いですか?』って聞くのが一番断られにくい。特に風邪とかの急性期の病気に対しての処方の時は、メーカーの選択より、スムーズにもらえる方が重要だからか、ほぼ100%断られてない。やっぱり、ジェネリックっていう単語を出さないのが最適解だわ。」


俺が新人の頃は「特許が切れて安く作れるようになった」と言えば「使用期限が切れてる薬ってこと?」とか「特許ってなに?」と言われ、「メーカーが違います」と言えば「じゃあ別の薬じゃないか」と言われ、「主成分は同じです」と言えば「添加物は何が違うか答えろ」という世界一無意味なカルトクイズが開催された。

それがある時、製品と処方箋を見せて「ロキソプロフェンと書いてあるからロキソプロフェンを持ってきました。」と言えば第十三興のロキソ○ンでなくても、多くの人がそのまま受け取って帰る事に気がついたのだ。

まぁ、ロキソ○ンはファンが多いので、そこだけは譲らないという患者もいるが。


「でも、それって良いんですか?ジェネリックの説明全然無いし、騙してることになるんじゃ?」

ジェネリック普及に際して、金額や、具体性の無い「飲みやすい工夫」ばかり強調し、患者に「どのメーカーに変更するとどんなメリットが得られるか」を具体的に示してこなかった今までの薬剤師の罪は重い。

お陰で、未だに新人からベテランまで、多くの薬剤師は、ジェネリックについて説明するということを、ジェネリックという言葉の意味を理解させることだけだと勘違いしている。

「もう20年くらい、ジェネリックって言葉の意味を国策として啓蒙して、随分普及もしてるのに、未だに理解できない人たちには、もうどうやっても理解できないと思う。

そして、理解した上で使わない人の考え方を能動的に変えるのは難しい。この上まだジェネリックの仕組みについての説明が必要なら、言葉の意味なんかはもう知ってる前提で、患者側からの求めに応じて不足した知識を補う型にするのが正解だと思ってる。」

乱暴な考え方なのかもしれないが、今はもう、ジェネリックという言葉自体を啓蒙する時期は終了し、患者自身のリテラシーを問うようにシフトする時期だ。

繰り返すが、ジェネリックの利用率向上による国民医療費の削減は、厚生労働省主体の国策である、今のやり方で頭打ちなら、次の段階に移らねばならない。

そして、患者も薬剤師も、理解が追い付かない者は、何処かで置いていくしかない。

「ジェネリックって言葉に反応して嫌がる人がいるなら、ジェネリックって言葉を聞かせないようにして、それでしれっと使ってもらって、問題ないってことを、体験で知ってもらう方が良くないか?」

もちろん、添加物による違いで過敏症状が出たり、望んだ薬効が得られず先発品を使う場合に強要するものではないが、現在のジェネリックの利用率は7割。

残りの3割の人が全てこの珍しい副作用に苦しむ人である筈がない。


また、頭で理解は出来たとしても、それを上回る強い思い込みというものは回避できない。「金額が安い」という点を起点とした「ジェネリック」という言葉そのものへの過剰な不信感や忌避意識、それに伴った負のプラシーボ効果による薬効不充分や相関性の乏しい副作用の発現は、もはや一種の症候群だ。


「仰ってることは良く解ります。でも、どうせ理解できないから説明しないだなんて、凄く患者さんをバカにした考え方じゃないですか?」

残念ながら、否定する言葉を俺は持たない。

20年かけたにしては、患者達にはあまりにも理解されていないが、薬効のある薬を開発するのと同じく、同じ効力の薬剤の値段を下げることだって立派な企業努力であるし、こと医薬品において『安かろう悪かろう』の時代はとっくに終わっている。

殆どの人にとって、今やジェネリック医薬品と先発医薬品は対等なのだ。

こんなことは、少し調べれば誰にでも分かる。

であるにも関わらず、自分から理解しようともせず、「何となく」ジェネリックを嫌うような一部の患者達は、本当にバカだと思う。

「いや、ジェネリックについてちゃんと理解したうえでジェネリック嫌がる人とか、ジェネリック不信末期の人は、今の文言でも『先発品がいい』って言ってくるよ。選択肢を無駄に与えて『どっちが良いですか』っていうと、高い方が良いって心理に引っ掛かる人がいるから、それを回避するために考えて、実際結構上手く行ったよって話だからね。」

しかしそれを口にすると、折角の楽しい時間に、更に大きく水を差すので、ここいらが落とし処だろう。

「まぁ、気に入らなければ使わなくて良いよ。」

彼女はなにも言わなかった。

後輩に気を使わせてしまうとは情けない。内容的にも、そのまま受け取れば患者に寄り添っているとは言い難いものだ。

真意っはどれだけ伝わったろうか、失望させてしまったかもしれない。

嫌な沈黙が始まりそうだったので、頃合いと見て伝票をレジに持っていく。

「ごちそう様です。」

「まぁ、この間のお返しだしね。で、これからどうする?店を変えるか、家まで送るか、自転車取りに帰りたければ店舗に戻るけど?」

帰したくない、と言うには些か詰まらない方向に盛り上がってしまった。

そして多分、次は無い。

「あ、自転車は大丈夫なので、家までお願いします。」

「了解。」

さて、お開き。


いそいそと車に乗り込み、10分ほど運転して、彼女のマンションにたどり着く。会話はない。

「ここで良いの?」

「あ、私の部屋の前に駐車スペースがあるので、そこまでお願いします。」

俺の住んでいるマンションと同じで、敷地内に駐車場があるタイプ、空いているのは1箇所だけだったので、どこのことなのかはすぐに分かる、ついでに部屋番号も分かる。

「独り暮らしの女の子が1階の角部屋?」

「急な引っ越しで、他に無かったんです。」

ちょっと停めにくい感じの位置取りをしてしまったので、モタモタと車を停める。どうせ最後だからと、助手席の松木を名残惜しんで時間を稼いでいるわけではない、断じて。

「ごめん、手間取ったわ。」

「あ、いえ。」

エンジンを切って数秒、暗闇に松木を感じる。あれ?

「その、良かったらコーヒーでも飲んで行かれますか?」

「え?」

しまった。良く考えたら、しっかり車を停めて、途中で降りてもらわなかったのも、どうせすぐに発車するのにエンジンを切ったのも、まるで部屋に上げろと言ってるようなもんじゃないか。これはわざとじゃない。本当に違うってば。

などと考えていると

「ああ、すいません、唐柴先生明日もありますもんね。」

「いや、頂きます。」

食い気味に答える事になった。

「じゃあ、どうぞ」


数日後。

「病院さんからメーカーの指定がないんですけど、うちに在庫があるお薬でよろしいですか?」

松木が風邪で来局した患者から問診を受け取りながら言う。例によって患者のジェネリック希望の確認欄は空欄だった。

「使ってるじゃん」

という目線を向けると、彼女は照れたように笑った。



ジェネリック・シンドローム 了

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