第一部「ジェネリック・シンドロームその6」
「それにしても、高齢者は先発品の利用率高いですね。」
「まぁ、うちは体感だとそうかもしれんね。全国的に見たら、医薬品の利用数量が多い60代後半から70代前半は、全国平均以上にジェネリックを使ってるってデータがある。」
日本のジェネリック普及率は、2018年度で全国平均約70%、年代別に見ると60代後半から70代前半のジェネリック利用率は、約72%だ。
「では、第一問。日本のジェネリック利用率が、全国平均より低い年代は、どの世代でしょうか?」
「話の流れで言うと、今私たちが用意してる施設の利用者は、皆さん75才以上の後期高齢者なので、その世代ですか?」
「半分正解、もう一つあるけど、判る?」
「子供ちゃん達ですかね。」
「正解。どこまでを子供とするかは置いといても、20才未満は軒並み70%以下らしいよ。」
「診療科で言えば、小児科だけじゃなくて、精神科とか心療内科も極端に低いイメージです。」
「ああ、その辺もよく言われるね。何でだと思う?」
「ジェネリックの利用に不安があるから。」
「そうだね、厚生労働省のアンケートにも『ジェネリックの利用に不安がありますか』って質問項目があるくらいだから、不安なんだろうね。」
「まぁ、気持ちはわかります。高い方が良いもののような気がしちゃいますよ、素人さんは。」
以前ある患者が「ジェネリックみたいな二流品は要らない」と言ってジェネリックの使用を断っているのを聞いたことがある。
もちろんジェネリック医薬品の製造販売のみを行う企業もあるが、医薬品メーカーには、新薬の開発とジェネリック医薬品の開発の両方を行っている企業もあるし、真田のように、自社製品を系列子会社にジェネリックとしての販売させ、製造ルートが全く同じもので値段だけを下げる、オーソライズド・ジェネリック、通称AGという形で販売する企業もある。
何を根拠にそのような事を言っているのか聞いてみたいところだが、おそらくはただの無知だろう。
なにも知らない人間がジェネリック自体を二流と位置付けるのは、全くナンセンスだ。
「そういえば、どっかの国の心理実験で、全く同じ性能の2つの商品を違う値段で同時に販売したら、高い方のがよく売れたって話があるらしいね。」
「あ、それ知ってます。ヤミ金なんとか君で、なんとか君が言ってました。」
「へー、俺はイン○トールって小説で小学生の男の子が言ってたのを覚えてるわ。」
「自分で価値を判断できない時に、値段の高い方を選択する人は、常に一定数存在するから、単純に値段の安さだけを重点に説明しても、普及率は頭打ちって事ですね。」
「それともう一つ、子供も一部の後期高齢者も、薬をジェネリックにするかどうか判断する人と、実際に服用する人が違うから、安い方だと体裁が悪くて高い方を選択するパターンもあると思わない?」
「それめっちゃ同感です。」
実際、患者のジェネリックの使用に関して希望を確認した際「飲むのが自分ではないので分からない。」という回答のもと、先発品を選択するケースや、随分是正されたが、今でも時々「施設利用者に希望をとっていないので」という理由で取り敢えず先発品で処方され、以降そのままになっている場合もある。
寡婦(老齢の未亡人)などの場合は、自己負担が無料なので、見直される事はまずない。
患者の自己負担額が少ないということは、その分残りの医療費は税金で賄われているのであり、本来、倫理的には、自己負担額が少ない人程、積極的にジェネリック医薬品の利用をするべきなのである。
しかしながら、医療費が掛からない、あるいは1割程度の自己負担額の場合、実際に支払う金額が少ないか、あるいは支払いをしないため、医療費を削減する必要があるという感覚が薄い。
「ジェネリックに変えてもどうせ500円しか変わらないので、高い方で良いよ。」と1割負担の患者が言う時、国庫の支出は4500円増額されているのだ。
ちなみに自己負担が無い患者にも、医療費の明細は交付されるが、支払いの領収書と紛らわしいので、実際の金額ではなく、保険点数で表記されており、これも、「自分が医療費として、いくら税金の世話になっているのか。」を意識できない要因の一つになっている。
いわんや、他人の薬をや。
「あ、そうだ・・・。」
「お楽しみのところ申し訳ないですけど、手が止まってますよ。」
ふ、福島さんだ。ありがたいけど、予定より戻るのが早い。
「あ、お疲れ様です。早いですね。」
「唐柴先生がサボってると思って早く戻ったんですが、案の上でしたね。全く、あんまりふざけてると私、帰りますよ。」
無慈悲な台詞に反して、口調や雰囲気は穏やかだ。
「それだけは本当に勘弁してください。」
「まぁ、今日はお土産のごま○まごに免じて許してあげます。」
「ふぅ、駅前のイ○ンの東京物産展に命を救われるとは思わなかったぜ。」
「私も休憩の時初めて頂きましたけど、美味しいですね、あれ。」
「ふふ、きっとまた唐芝先生が買ってきてくれますよ。」
おかしい、事務と新人薬剤師が、結託して俺から菓子をタカっている。そしてそんな仕打ちとは裏腹に、美しい笑顔のハイタッチだ。
「別に良いけど、君ら仲良いね。」
「でしょう?仲良いんですよ。」
福島さんも今日は緩んでるな。
そんなこんなで、3人で施設の調剤業務をこなしていると、中岡が近寄ってきた。
「福島さんすみません、今来た患者さんなんですけど。」
中岡も仕事に関しては、主に斉藤ではなく、福島さんを頼る。
「何ですか?」
福島さんは誰にでも素っ気ないが、中岡には特に素っ気ないし、いくらか表情も固い。
「難病医療費の助成区分が変わった人が来たんですけど。」
「それがわかってるのなら、新区分の自己負担割合を確認して対応すれば良いんじゃないですか?」
「遡って前月も一部返金があるみたいなので、一緒に確認して欲しいなぁ、なんて。」
「斉藤さんは?」
「難病指定の受給者証と領収書持った人が来た瞬間、トイレに行きました。」
「あの人本当に最低ですね。良いですよ。返金対応は代わりますので、中岡さんは今日の分の入力をお願いします。」
「ありがとうございます、助かります。」
2人連れ立って患者応対に向かった。彼女らの事だから、きちんと適切な対応の上、程なく薬剤師には「調剤」と「服薬指導」の仕事が回ってくるだろう。
こうして優秀な医療事務を抱える薬局では、特に甘えがちだが、本来はこういった対応も、薬剤師には求められる。
保険医療業務に対応する医療従事者には、厚生局への登録が必要となり、これをもって、国民健康保険制度に関する知識を適切に持っているとみなされる。
保険医師がいるように、保険薬剤師もいるのだ。
何が恐ろしいかと言えば、申請すればそう見なされてしまうため、実際に医療福祉や保健制度に関する知識が不十分でも、出来る体裁で仕事に放り込まれるのだ。
薬剤師は医薬品だけでなく、医療制度そのものにも精通していなければならないのである。
後で松木と、二人がどういう対応を行ったかフィードバックする時間を設けなければ。
「福島さんと中岡さんって、何かあるんですか?」
状況把握の為に一緒に聞いているのかと思ったが、松木の興味は患者応対とは別のところにあったらしい。
「福島さんは中岡ちゃんが苦手なんだよ。」
「え、何でですか?」
「知らない、本人は巨乳の女は信用できないって言ってた。」
「へー、意外ですね。」
「まぁ、たぶん嘘だけどね。斉藤さんとはガチンコの大喧嘩だったけど、中岡ちゃんに喧嘩は売らないし、仕事は成立してるから、あんまり気にしなくて良いよ。」
「ちなみになんですけど、斉藤さんと福島さんとの喧嘩って、どんなだったか聞いてもいいやつですか?」
「仕事中に振り返るには、ちょっと後味が悪い話だからな、まぁ、そのうち聞かせてあげよう。
」
ちょうど松木が端末を使用していたので、話を切り上げ調剤室を出て、服薬指導に使う方の端末で入力内容の鑑査を行っていると、さっきの患者が福島さんに注文をつけていた。
「なぁ、今回から全部ジェネリック辞めて元に戻してよ。」
嫌な予感。
「はぁ、それは在庫状況にもよるので、確認してみますけど、どうしてですか?」
おいおい福島さん、そういうことを聞くのは俺達薬剤師の仕事だよ。
入力内容をジェネリックのままで確認していたので、切り替えに少し時間を貰うことも含め、口を挟もうと近づく。
「今回から自己負担額が減るんでしょ、いくら使っても五千円までならさ、高いのもらわないと損じゃない。」
潰瘍性大腸炎や膠原病等の自己免疫疾患の患者には、医療費の自己負担額が一定の金額を越えると、それ以上は公費として国が負担するという制度がある。
彼の診断名はループス腎炎、免疫抑制剤とステロイドを併用している。
免疫抑制は、総じて高額であるが、加えて、彼の使用するタクロリムスは、先発品とジェネリックの薬価差が大きい。
先月までの彼は、支払いの上限が一万円だったため、ジェネリック医薬品の利用で薬剤料を下げ、病院の支払いを含めて八千円程度に収まるようしていたのだ。
ところが、先日制度改革があり、一部の患者の負担額の上限が一万円から五千円に下がることとなった。
自己負担減額の条件の中に、「長期かつ高額」という文言がある。
何を根拠に高額とするかは不明であるが、彼が長期に渡る特定疾患患者であることには間違いない。
それで?今までジェネリックの使用になんの問題も無かったのに、「どうせなら高い薬を使いたいから」変えてくれ?
公費ももちろん国庫支出、つまり税金で賄われている。
それを彼は、何の合理的理由も無く、いたずらに多く浪費したいと言っているのだ。年齢54才、いい歳をしたオジサンである。
ちなみに、2020年現在においても、患者希望による先発品の使用を薬剤師が正当な理由無く断ることはできないし、税金の無駄遣いは、残念ながら正当な理由には当たらないらしい。
なぁ、厚生労働省よ、「保険薬剤師」に真っ当な仕事をさせたいなら、俺達みたいな現場の薬剤師に、こういうバカな患者を取り締まる権利を、どうにか与えてくれないだろうか。
「在庫の一部が足りないので、今日のところは、そのままでいかがですか?」
せめてそう声を掛けようと近付いたのだが
「損?何が損ですか?その分のお金は全て税金ですよ?医療費の増大が問題になっているのを知らないんですか?未来の子供達に、今の医療制度が残せないかもと言われてるのに、自分が損した気分がするから、何の問題もないのに高い薬に変えろって、あなた本気で言ってるんですか?」
背後にいた俺さえもすくむような声量で、畳み掛けるように、一気に言い放つ。
この位置からは見えないが、その眼は鋭く、憎むべき極悪としてその患者を睨み付けていることは想像に難くない。
「お、俺には関係ない。」
面食らった患者は、どうにかそう言い返したが、福島さんの剣幕に、それ以上言葉を吐く事はなかった。一瞬、にしては長くピリついた沈黙が広がる。
「すいません、今回は在庫が足りないので、次回からで良いですか?次からは両方のパターンで充分な数を用意しますんで、気が変わったらまた教えてください。」
精一杯の笑顔で二人に割って入るが、こちらもこれ以上の問答は避けたい、落としどころとしても、これが精一杯だ。
「じゃあ、今回はそれで良いよ。」
福島さんは、まだ何か言いたそうな顔をしていたが、それまでだった。理性的で助かります。
「返金代わりますんで、福島さんはピックアップをお願いします。」
勿論、中にいる二人が調剤を開始しているだろうが、調剤室に引っ込んでもらうためにそう言うと、意図を汲んだ福島さんは無言で踵を返した。
引き継いだ返金業務を済ませて程なく、調剤を済ませた松木が、患者に薬を渡せる直前の状態で薬を運んできた。
いち早く患者にお帰りいただくために、目の前で鑑査してそのままお渡しする。患者も大人しく服薬指導を受け、返金分との差額を払って帰っていった。
「すみませんでした。」
調剤室に戻ると、福島さんがバツの悪そうな顔で待ち構えていた。何故か松木と中岡も、似たような顔でこちらを見ている。
君らも仲良いね、ホントに。
「いやいや、俺が言いたかったこと全部言ってくれたんで、嬉しかったですよ。」
本心だった。実際、怒れる福島さんの背中は凛として、大きく輝いてすら見えた。
純粋な接客業であればたぶん間違いだが、医療従事者としてはこれ以上無い、毅然とした立派な態度だった。
「いえ、割って入ったのが唐芝先生じゃなかったら、大きなクレームになっていたかもしれません。」
余談だが、板倉はこの手のクレーム未満の小さなトラブルの種を、実に見事なクレームへと膨れ上がらせる天才である。
「流石にそれは大丈夫でしょう、間違った事は何も言っていないし。それにしても、腹立つ患者でしたねぇ。言ってやりたくなる気持ち、とてもよく解ります。」
「私ああいう人本当に許せなくて。それでも、実際に言ってしまうのは良くなかったです。すいません。」
「こういうこと言ってたってバレると後で板倉とモメるんで内緒ですけど、ホントにカッコ良かったです。俺も見習うべきだと思います。ちょっと惚れそうでした。」
「ふふ、私に惚れると火傷しますよ。」
存外余裕があるのか、それとも俺の気遣いが通じたか、話が済む頃には福島さんはいくらか持ち直したような顔をしていた。
ついでに、松木と中岡も持ち直したような顔をしていた。
「福島さんと患者さんが揉めていたと児島さんから聞いたんですけど、何かトラブルですか?」
それを聞いて何故、患者が帰ってから戻って来たのか。板倉である。
背後には斉藤が控えていた。
どうやら、トイレに逃げた後、患者と揉めている福島さんを見つけて、休憩室の板倉のところへ報告に行ったらしい。
業務と直接関係無い理由で休憩室に入り、板倉が動くまで平然と居座るブルドッグは、この上更にこういう陰険なチクりが大好物だ。
「もう解決しましたよ、大したことじゃなかったので。」
ねぇ。と福島さんに振ると、福島さんが手短に経緯を説明した。
「患者様が納得して帰られたなら良いですけど、こういう時はなるべく先発品に変える様にしてください。何がクレームの原因になるか判らないので。」
普段ジェネリック変更率に関してやたら口うるさいうえに、本人は患者にロクな確認もせず「入眠剤だけは先発医薬品が良い」という患者に、「久し振りだし大丈夫でしょ」と言ってジェネリックを出して案の定クレームを受けたりする。
そのクセに、部下が同じ様な事をした時は当然のように先発品を出せと言うダブルスタンダードをする辺り、まったく彼のリーダーシップには頭が下がる。
ちなみに、彼がジェネリックを患者に推奨するのは、社会への貢献の為でも、患者の利益のためでもない。
2018年時点で、薬局毎のジェネリック利用率が75%で180円、80%で220円、85%で260円、患者一人あたりの調剤報酬が増大する。
月に2000枚の処方箋をさばいたとして、75%でも売り上げは36万円増える事になる。
企業はこれを保持するためにジェネリック医薬品を推奨し、従順な社員である板倉は、これを堅持しているのだ。
つまり患者は、自己負担割合にもよるが、処方箋を薬局に出す度10円から80円は、「薬局が頑張ってジェネリックを推奨してて偉いねボーナス」を払わされている。
ほら、薬局で貰った領収書と明細書、ちゃんと見たくなったでしょ?
文句は薬局じゃなくて厚生労働省にお願いします。制度を決めてるのは薬剤師ではないので、悪しからず。
話を戻そう。
彼の中で今回の件は、「ジェネリックを無理に推し進めた結果、患者から『強引にジェネリックを押し付けられた』とクレームを受けた」という認識なのだから、さらにに始末が悪い。
間違ってはないが、その経緯を考慮した上で部下を諭しつつ叱責する能力は、残念ながら彼にはない。
「次回からで大丈夫と言質を取ってあるんで、大丈夫ですよ。」
「後から電話が掛かってくることもありますからね。」
「ただこっちの都合を押し付けただけのボンクラと一緒にするな!」っと喉まで出かかったが、のれんに腕押しとなるのが目に見えているので、なんとか飲み込む事にした。
「こういうのでクレーム増えると本当にストレス溜まるんで、でしゃばるの止めてもらって良いですか。」
下品な笑顔で斉藤が言う、何に腹が立つかって、それに注意しない板倉に腹が立つ。
「すみませんでした。」
苦虫を噛んだ顔で福島さんが謝った。
「次から気を付けて下さいね。」
板倉は笑顔だが、その言葉が福島さんと俺の今回の対応に関して、全否定を意味して俺達に伝わっている事を、彼は分かって言っているのだろうか。
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