第一部「ジェネリック・シンドロームその5」

「これジェネリックでしょうが!おかしいでしょうが!」

77才男性、血圧の薬やビタミン剤等に加えて、ケトプロフェンの湿布剤が処方されている。

「これはジェネリックじゃありませんよ。」

対応は松木だ。

松木が見せている湿布薬は、間違いなく竹光製薬の先発品だ。

「これじゃないでしょうが!いつもの湿布をくれっていってるでしょうが!」

患者はわめくばかり。松木は俺に目線で救援を求めてくる。

「がんばれ」

と口パクで伝えて、奥に引っ込み、次の作業にかかるようにせっつく斉藤を無視して、対応を考える。

いつもの、という彼は、気まぐれにうちを利用することもあるが普段は別の薬局で薬を貰っているし、その「いつもの」を確認するためのお薬手帳を持参していない。

こういう時に頼りになるのが、薬局のIoT化の初歩、電子薬歴だ。

紙の薬歴ではその都度紙面で内容を確認する必要があるが、電子薬歴の場合、(システムのデザインにもよるが)新規処方にはチェックが付いたり、文字の色が変わったりする。

このおじいさんの湿布剤は、文字が紫色で表示されている、これが意味するのは『類似薬の使用歴がある』だ。

それを踏まえて数回分の処方内容を振り返ると、存外、答えは簡単だった。

「早くしてください!」

医療事務の斉藤は、四十代後半のお局社員だ。小太りで軽くしゃくれた受け口と、膨らんだ頬に小さくて丸い目に低い鼻と、正にブルドッグのような出で立ちの女性である。

「患者さん来ますよ!」

今は偶然にも、待ち合いスペースには誰も待っていないし、突き付けられた処方せんはファックスでコピーされてきたもので、どう考えても急ぐ必要はない。

「はいはい、すぐやりますねー。」

突き付けられたコピーを電子薬歴用のパソコンの前に放置して、棚から1つ薬を取り、再び二人の前に顔を出す。

「これですか?」

調剤室から持ち出したのは竹光のケトプロフェン、テープ剤だ。

「それでしょうが!」

正解らしい。

「わかって良かったです。松木先生、疑義照会してパップ剤30mgからテープ剤の40mgに変更してもらってください。」

訂正内容のパソコン入力を斉藤に頼みたいところだが、色々面倒なので自分で入力を変更する。

「やっぱり間違ってたでしょうが。」

主語がないので明確ではないが、うちの間違いだったのだろうと言いたいらしい。

「いいえ、先生にこっちで出して良いか確認して、変えてもらいます。」

「いつものっていったでしょうが、いつものが出てるでしょうが!」

納得いかないご様子だ。

「見た目が肌色で、水分があんまり無くて薄っぺらい見た目の貼り薬は、湿布じゃなくてテープ剤っていうんです。病院で湿布薬下さいっていうと、白くて分厚くてしっとりした感じの湿布剤が出てくるんです。」

「それはジェネリックでしょうが。」

全く会話が成立していないが、剤形(薬剤の形状)の違うものを「ジェネリック」と呼ぶという勘違いをしている人もいる、ということだろう。

「ジェネリックとは、メーカーが違う同じ成分同じ量の薬の事で、剤形の変更のことではありませんよ。」

これ以上なく簡潔な説明だが、反応は芳しくない。

誰かが自分に向かって、理解不能の言葉を話す時、老若男女、国籍を問わず、人は皆同じリアクションを取る。すなわち「無表情で黙り込む」のだ。

恐らく彼は死ぬまで、ジェネリックと言うものを理解できないだろうし、テープ剤とパップ剤の違いも理解できないだろう。彼は今「薬局で薬を間違われたが、話が通じていつもの薬がもらえた」という間違った理解だけを受け入れたのだ。

ものの数秒の悲しい沈黙の後、薬の準備が出来上がり、松木も疑義照会によって変更の許可を得たので、二人でチェックした後服薬指導を再開した。

さっきより幾ばくか素直に頷いている患者を尻目に、俺はファックスで来た方の内容に戻る。


「私待ってるんですけど。いつまでやってるんですかね。」

薬のピックアップをしようとプリンターの前でピックアップ指示書が出るのを待ち構えていた斉藤が、数分前と同じ台詞を吐く。こいつは何を思ってこの数分間プリンターの前で何もせず過ごしたのだろう。

ちなみに、おじいさんの薬の訂正で出てきた指示書は捨てようとしたので、個人情報を含む印刷物用のゴミ箱から取り上げて俺が調剤した。

俺は斉藤に応えずに、処方内容の鑑査を済ませ、指示書を印刷する。

同時に出てきた薬袋や情報文書をまとめる。

「鑑査ですか?」

「いやいい、俺が見るよ、だからさっきの人の引き継ぎに、パップ剤が処方されたら確認してテープ剤出すように疑義してって引き継いで。」

「患者さんの希望通り出すように言われたので、今後は変更があったら、その都度で変更した内容を事後にファックスするだけで良いように言質取りました。」

「優秀かよ。」

笑顔で松木と向き合っていると、背後でガンッとテーブルに何かを叩きつける音がした。

「早くしてください!」

音に驚いて振り返ると顔を真っ赤にしたブルドッグ、もとい斉藤がこちらを睨み付けていた。

「患者さん来てるんですか?」

斉藤は答えずにフンフンと鼻を鳴らしながら、受付の事務席に帰っていく。

言うまでもなくないが、斉藤とは日常で行われるような会話は無いし、他のスタッフが和気あいあいとしている時は「仕事」を口実に嬉々としてぶち壊しに来る。

そんな奴なので、松木とすれ違うときに

「どけ!」

と叫んでいくことも忘れない。

「ふざけんな!」

と叫んだが、松木が泣きそうな顔をしていたので、追いかけることまではしなかった。

「大丈夫?顔とか洗ってくる?」

「いえ、大丈夫です。」

「うん」

言いながら、鑑査を続けると、案の定、錠剤の数が間違っている。

「ごめん、これ数おかしいよね。」

「はい、また20錠多いですね。」

何度言っても、斎藤の計数過誤は直らない。

「それを確認するのが薬剤師の仕事でしょう?」

と言って全く反省もしないし、報告書の自分が間違えた項目には、きちんと自分で原因と対策を書くルールになっているが、何度言っても書かず、提出出来ないので、仕方なく鑑査者(主に俺)が記載を捏造して提出している。

これでは直る筈もないし、なんとなれば、わざとやっている節さえある。

板倉に相談しても「僕の言うことも聞いてくれないんですよね」とのボンクラ発言が返ってきたし、マネージャーに直接相談しても「まぁ、難しい人だけど、仕事はちゃんとできる人だから」と、暗に容認するような答えが返ってきた。エリアマネージャーが昇進するまでは、斉藤とマネージャーは一緒に働いていて、その頃はうまく制御出来ていたらしく、後進の板倉がかつての自分と同じように、うまく制御する事を期待しているらしい。

板倉の成長を待つ間に俺達がどうなるかは、何故か考えてもらえない。

「福島さん、早く帰ってきてくれ。」

二人が休憩に入って約30分。残り30分が永遠に感じられる。

「ただいま戻りました~。」

殺伐とした調剤室に救世主が!

「中岡ちゃん!早かったな!」

彼女は中岡美尋、糸目、小鼻の地味な顔立ちながら、特筆すべきは身長152cmにして驚異の胸囲Fカップ!

男の夢の体言のような彼女は、この調剤室の医療事務スタッフにして、もう1つの顔を持つ。

「育相ラス1の人がドタキャンしたから、そのまま戻ったんよ、向こうの人、普通に通常業務させてくるし」

育相とは育児相談会の略。

近年、ドラッグストアでは、育児中の主婦や高齢者に向けた栄養相談を、イベントとして不定期に行うところが増えた。そしてそのために、新たな雇用も創出されている。

そう、彼女は管理栄養士だ。

「あと、めっちゃおっぱい見てくるし。」

いや、それは仕方ない。男性スタッフは皆そうだ。

「ありがとうございます。」

松木もつられて礼を言う。先程の態度からも明らかだが、斉藤は特に松木へ強く当たる傾向にある。免許交付前から、指導担当の俺のいないところで「仕事が遅い」とか薬剤知識の詰まらない粗を見つけては「こんなことも知らないのか」と、聞きかじった様な知識で、本質とは無関係な難癖をつけたりしていたらしい。


俺も着任した頃「この薬何の薬か知ってる?」と、俺が入社した頃に発売になったような薬のクイズをされた。

「血糖降下薬ですね。」と答えると、細かい作用機序を聞くでも、正解と言うわけでもなく、プイッと去っていかれた事がある。

後から気が付いたが、俺の知識の程度を計るつもりだったらしい。患者にも時々そういうのがいるが、それにしても稚拙だったのを覚えている。


そんな経緯から、最初のうちはドラッグストアの業務を振って逃がすようにいていたのだが、薬剤師免許が交付され、調剤室に出ずっぱりになると、どうしても限界がある。

「いや、だって心配だし。」

中岡が医療事務への転向を命じられたのは、松木に免許が届いたのと同じ頃だ。

元々学生バイト時代からのこの会社の古株で、管理栄養士となった後も、そのまま乞われて就職した筋金入りである。

その為、年齢のわりに社歴が長く、ドラッグストア側のスタッフにも顔が利き、古参スタッフや出世した幹部社員にも気に入られているため、斉藤も彼女の前では比較的大人しい。

今のところ、調剤室内で斉藤を制御出来るのは、中岡だけだ。

社会人としては俺の同期入社だが、4年制大学の卒業なので、歳は松木の方が近い。確か一つ上だ。育児相談を得意とするだけあって、面倒見まで良い。

「まぁ、どこまで役に立つかっていうと微妙だけどね。」

入社1~2年目までは、ドラッグストアの販売業務に従事しながら、時おり管理栄養士としての業務に従事していたが、栄養管理が重要なのはドラッグストアに来る客ではなく薬をもらいに来る患者の方だと気が付いた経営陣が、最近になってようやく医療事務職の方に従事させるようになった。

経験さえ積めば、調剤室業務も店舗業務も、管理栄養士業務も出来る、未来のオールラウンダーだ。

確かに今のところ、医療事務としての経験値は他の業務に比べて低いが、そんなことはどうでも良い。

「いや、今はそういう次元じゃないところで助かってるよ。」

仕事が遅くとも確実であることの方が重要なのだが、それが解っている者と働けるかどうかで、末端の医療安全が保たれるかどうかは、大きく違ってくる。

「患者さん待ってますよ!早くしてください!」

このように、自分が間違うことは棚に上げ、いたずらにに周囲の人間を急かしては調剤過誤を誘発するやつと働いていては、患者応対にぜんっぜん集中できない。

「何でこんなに遅いんですか?患者さんが文句言い出したらどうしてくれるんですか?」

しかし、斉藤は何故こんなにイラついているのか。

まぁ、かつての同僚が現場を離れてエリアマネージャーをしているとか、その頃の下っ端が上司になっているとか、更年期だとか、この年齢で当然のように未婚であるとか、慢性的にイライラする要素は多々有るのだろう。


ついでに言えばご想像の通り、彼女は、薬剤師を全く尊敬していない。「金で免許を売ってくれれば、自分でも出来る」と豪語してはばからないのだ。

彼女の知能では登録販売者の試験にすら、制度開始以来落ち続けているのに。


だがそれ以上に、彼女はこれ迄、多くの患者から待ち時間のイライラをぶつけられてきており、周囲のキャリアが上がっても、自分が相変わらず患者のイライラの捌け口になる事に、ついに我慢できなくなったのだ。

この一点にあっては、一概に彼女が悪いとは言えないのかもしれない。

しかしその後に、彼女が出した解は、患者と一緒になって、あるいは患者より先に、同僚のスタッフに原因を押し付けて、怒りを撒き散らす側に回るというなんとも救われないものだった。

ナポレオンに曰く、強敵よりも無能な身内の方が恐ろしいという、無能な身内にも心当たりがあるが、敵さえ内包する組織に、健全な運用など有るのだろうか。

「それは僕の服薬指導を邪魔しながら言うことじゃないです、後にしてください。」

当然、「後で」などあり得ないのだが。

「いつもありがとうねぇ。」

すごい剣幕の斎藤を見て気を使ってくださったのか、反面、待っていた患者さんは穏やかだ。

当たり前のことだが、状態安定でいつも通りの薬をいつも通り受け取っていかれるだけの患者も多い。

病人の皆が皆苛立っておられるわけではない。

「いえいえ、お大事に」

患者さんから逆にいくらか元気をもらって、次へ向かう。

斉藤、中岡とそれぞれ処方の入力にまわり、松木が調剤、俺が鑑査して投薬の流れで、休憩中の板倉と福島を待つ。

あまり混雑する時間帯ではないが、手の空いたときにやっておくべき事もある。

「介護施設の調剤のファックスってもう来てる?」

「来てますよ。午前中に福島さんが、調剤出来る状態にしてくれてます。」

「仕事早いなぁ。」

「流石ですよね。」

「なにもやること無かったら作ってもらうけど、どう?」

「この間の研修のレポートをそのまま提出して良ければ。」

「全然大丈夫なので、もう俺の印を押して本社行きの便に乗せました。俺の資料は充分役に立ったみたいだね。」

結局、彼女は研修の日まで、一般用医薬品の販売に従事することも、相談を受けることもなかったので、昔俺が書いたレポートをそのまま研修で発表し、そのままの研修成果を俺にフィードバックする事になった。

そして俺はできうる限りの好評価を付ける、なんとキレイなマッチポンプか。

「それはありがとうございます、なんですけど、ホントにそのまま使った発表で乗り切ったのに、そのまま提出して良いんですか?大学だったら一発アウトですけど。」

「会社は大学じゃないし、この会社の人材開発部門に、薬剤師が書いたレポートを適切に評価できる人材はいない。前も言ったけど、絶対に出世や昇給に影響しないから大丈夫。」

「ロクなもんじゃないですね。あ、私が作って見てもらいますか?」

「いや、お互い調剤したやつを、交換して鑑査しよう。俺だってミスするから、思い込みで鑑査しないで、おかしいと思ったことはちゃんと聞いてね。」

ポツポツとお喋りしながら、簡単な施設調剤の準備を始め、黙々と作業する。

受付の前では中岡と斉藤が和やかにお喋り。平和な午後だ、素晴らしい。

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