閑話休題「職業病」
閑話休題「職業病」
閑話休題「職業病」
「昨日のドラマだけどさぁ、おかしくない?」
海鮮丼が食べたい、というのが桃子のご所望だったので、朝起きてすぐ最寄りのインターから高速に乗って、日本海を臨む某県の海鮮市場まで行ってきた。
ぎちぎちに刺身が敷き詰められ、ウニといくらにまみれたどんぶりによるプリン体祭をひとしきり楽しんだ後、一般道でゆっくり帰りながら、腹ごなしに何か漠然と面白いものを探していた。
「何が?」
残念ながら、特に何も見つからないので、1時間もしないうちに、彼女は退屈しはじめていた。更に残念なことに、俺の車にはカーナビも映像機器も搭載されていない。
「ほら、あったでしょ、違法薬物の常用者が何人か連続で劇症肝炎で死んだから、事件だと思って捜査して、原因になった薬のカプセルを、売春のついでにバラ蒔いた女の子が捕まる話」
「ああ、あれね。」
「原因になった薬ってさぁ、アセトアミノフェンって話だったでしょう?実際あり得ると思う?」
「いや、あれフィクションでしょ。」
「それはそううだけど、子供の解熱に使うレベルで安全なアセトアミノフェンで、劇症肝炎起こさせるって、カプセル何個分必要かって話よ?」
「アセトアミノフェンによる劇症肝炎で4人も死者が出るって話が現実的じゃないのはその通りだね。よく覚えてないけど、アセトアミノフェン以外の薬の名前も出てなかった?」
「ハロセンって、吸入麻酔剤でしょ?常温で固体なの?ゼラチンのカプセル内で状態保持出来る?」
「すいません、無理ですね。」
「でしょう?おかしいわよ。」
好きなドラマに物言いが入ったので、何か言い返してやろうと考えていたら、ある考えが頭を過った。
「その薬って、覚醒剤とアセトアミノフェンが混ざってたんでしょ?粗悪な覚醒剤で肝負荷が増大してて、少量のアセトアミノフェンで肝炎になる状態だったんじゃない?」
「それなら劇症肝炎の原因は、その粗悪な薬物の過量摂取だから、医学的にはアセトアミノフェンの有無を原因として考慮しません。発見したの検死の専門医でしょ?市販で普通に手に入る成分が体内にあって、疑問なんて持つ?」
「ぐうの音も出ない。」
「実は私、これの原作読んでるんだけど、アセトアミノフェンとかハロセンが薬に混ざってるのも、カプセル入りって設定も、ドラマのオリジナル設定で、原作では『ラットを肝炎にさせる特殊な薬』ってなってて具体的な成分名に言及する記述は無いの」
「へー。」
「俳優さん達の演技がとても上手なだけに、ちゃんとした監修が付かなかった事が残念ね。」
ここで今度は、俺の方にも不合理に思い至る事が出てきてしまった。
「話してて思ったんだけど、研究用のラットを肝炎にする為の物質が、人間にも全く同じ様に効いたとするでしょ。
それが覚醒剤と一緒に検出されたとしたら、そういうのは未知の違法薬物ではなくれっきとした毒物で、立派な毒殺事件なのさ。
だから、最初からそういう捜査になるはずで、『覚醒剤取締法がらみのの事件かと思いきや無差別殺人事件の可能性があります』っていう展開と矛盾しちゃうよね。」
「あと、そもそも『薬物中毒になる前に劇症肝炎で死んだ可能性がある』って何?この場合は薬物中毒の症状が、劇症肝炎でしょうよ。」
「それは多分、薬物中毒と、薬物依存、急性中毒と慢性中毒を混同してるんでしょ。中毒死はあっても依存死って言葉はないし、慢性中毒の依存症患者が死ぬ時も、病名は「薬物中毒による○○死=中毒死」だ。多分それがわかってない。」
このように、テレビドラマの粗探しで盛り上がるのは、専門職特有の職業病ではなかろうか。
「あとさぁ、全然別のドラマだけど、『胃潰瘍の薬を飲んで眠気が酷くて勉強に集中できなかった』っていう台詞があったんだけど、何飲んでる想定の台詞か判る?」
「オキセサゼインかな?」
「局所麻酔剤で眠気は可能性あるけど、レアケースだし、第一選択薬じゃないから、その気になれば中止できるでしょう?」
「スルピリドは?」
「同じく、止めようと思えば止められるでしょ。」
「心因性なのを踏まえて実は高用量で内服させてたりは?」
「そんなの問題にされたら色々厄介なのに、わざわざそんなことする?そうまでしてスルピリド使うメリットある?」
「またぐうの音も出ない。」
「まぁ、人生のかかった受験を前にした患者だから、医師に眠気が絶対に嫌だと主張したはず。これを無視したなんておかしいし、もしそうなら担当医が意地悪すぎる。患者はそこそこ賢い設定のキャラクターなんだし、セカンドオピニオンを求めるべきよ。」
「薬剤師が交付時に、しっかり治す為と称して脅し気味に服薬指導を行ったり、複数の薬のうちどれが眠気を催す可能性があるか具体的に指導しなかった可能性も。」
「昔の薬剤師なら特にあり得る、ぐうの音も出ないわね。」
ご満足いただけて何より。
このあと、暫しの沈黙の後、「医療関連用語しりとり」が始まり、桃子を自宅に送り届けるまで、2時間しっかり盛り上がった。桃子は独り暮らしではないので、送り狼は回避。
楽しい日帰り旅行でした。ちゃんちゃん。
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