第一部「ジェネリック・シンドロームその2」
適当にカップ麺を見繕って、きちんとレジに並び、会計した物を持って、ドラッグストア側の倉庫の奥にある休憩室に引っ込む。
「あ、お疲れ様です。」
ちょうど休憩終わりの新人が、休憩室を出る準備をしていた。
「おう、お疲れさん、戻るところ?」
新人の松木千佐は入社から約半年。
薬剤師免許が手元に来て約三ヶ月で、随分仕事に慣れたものだ。
いささか動作や判断が固いのも、経験を積めば改善されていくだろう。
晩夏から初秋の閑散期が終わるまでには、一通りの事は自分で出来るようになってもらえるとありがたい。
「はい。あ、唐柴先生、ちょっと良いですか?」
俺はカップ麺の封を切りながら、向き直る。
「来週の新人研修に持っていく症例で何か良いものを探してるんですけど、アドバイスをもらっても良いですか?」
弊社では、新人薬剤師への研修の一環として、各々が出会った症例を持ち寄ってグループワークとして発表し、共有する時間をとっている。
しかし、病院の入院患者ならいざ知らず、町の薬局で出会うような症例に、細かく経過を追う必要がある重症患者や、薬剤師からのアプローチで状況が劇的に改善する事例は少ない。
せいぜい飲みやすい薬や用法を選択したり、用法毎に薬を一包にまとめることで服薬忘れを改善したり、話が聞きやすい患者から検査値の聞き取りをして、血圧や血糖値などの経過が良好な様をグラフにするのが精一杯だ。
今年度の新人薬剤師は20人、初回に持ち込まれた症例には、使用薬剤すら同一で、コピーを疑われるようなものすらあったらしい。
もっとも弊社の人材育成部門は、慣れない新社会人生活の真っ只中にいる新人に資料を作らせれば毎年そんな感じになるという事を承知し、拗ねて辞められるのも困るので半ば容認している節があり、特にそれについての言及はしないのだが。
そんな中にあって松木は、エペリゾンという肩凝りの薬が歯科から処方され、顎関節症の治療に用いられた例をあげ、「治療効果の経過」と「本来の適応から外れた使用で、国民健康保険への適応の対象となるのか」という二つの視点からの妥当性に言及した発表を行った。
これは教育担当や同期の間でそこそこウケたらしい。
確かになかなか良い出来映えだった。3年前に新人だった俺が研修に持っていったものとほぼ同じ内容だが。
「次はちゃんと自分で考えますので。」
思案しながらカップ麺に湯を注いでいると、そんな風に付け足してくる。
元来真面目な松木が何故、俺の作った資料をそのまま持ち出すこととなったのか。
詳しいことは良く知らないが、多くの新社会人が就職に先立って引っ越しを行うのに対し、松木は薬剤師免許の交付の直前に住所を変更している。
ゴールデンウィークの終わり頃に慌ただしく引っ越しをしたため、研修の準備に手が回らなかったのだとか。
「別に気にしなくていいよ、人事評価に影響ないし、楽できるところは楽したら。」
「それはそうですけど、まあでも一応は、真面目にやろうかなと。」
殊勝な心掛けには感心するが、指導係としては、そんなものより技術的な部分や服薬指導の充実に力を入れて欲しい。
「今回は市販薬の症例だけど、そもそも松木先生、OTC売ってる?」
薬剤師の仕事が病院の調剤室にしかなかった頃、医療において絶対の権限を持つ医師には「患者への不必要な医薬品の処方」での荒稼ぎが出来てしまい、実際それが一部の医師の間で横行した。
これを憂慮した厚生労働省は、医師を介さず患者が自分で薬を買って健康状態を管理する、いわゆるセルフメディケーションというものの普及を急いだ。
これが患者を、あるいは税金をによる国民皆保険制度を守るためなのか、肥大化した医師の権限に対する牽制なのかは知るよしもないが、その役割は薬剤師に白羽の矢が立った。
薬剤師がカウンターの外に出て医薬品の供給に従事するという意味を込めて、オーバー・ザ・カウンター、頭文字をとってOTC医薬品という言葉が生まれた。
いわゆるドラッグストアで販売されている、要指導医薬品及び第一類から第三類医薬品をまとめてOTC医薬品と総称する。
これによって薬剤師は、現在のように病院以外の活躍の場を得ることになったのだ。
「あんまり売ってないです。」
これは松木の怠惰ではない。
カウンターから飛び出した我々の前に立ち塞がる者が現れたからだ。
厚生労働省の政策に追いつかず、薬剤師が用意できなかった薬店の経営者を救済するための制度として、2009年に登録販売者制度が施行された。
登録販売者には、第2類医薬品までの販売が許されている。
彼らの登場により、市販の医薬品に薬剤師が携わる例は極端に減った。
理由は単純、登録販売者は実務経験があれば受験資格を得られる民間資格で、薬剤師のように大学を卒業して国家試験を受ける必要がないため、人件費が安い。
商品を第二類以下の医薬品に絞れば、人件費の掛かる薬剤師が不要となるためだ。
もちろん、要指導医薬品、第一類医薬品の販売は薬剤師からでなければならないが、それ以外の、じつに多くの一般用医薬品に関しては、薬剤師からの販売である必要がなくなったのだ。
そのせいで、薬剤師がこれらの医薬品と接する機会が格段に少なくなっている。
「だよねー。併用の質問とか、実際あんまり来ないもんな。」
頼りになる登録販売者が所属していて、薬剤師の手を煩わせずとも適正に販売できる例も多々あるのだろう。
しかし現実問題、薬品名等を把握しておらず、併用薬がある旨を積極的に伝えないお客さんも、質問された時に答える自信がないせいで積極的に併用薬を確認せずに販売する登録販売者もいる。
パッケージの「○○に効く」という文字だけ見て、誰にも何も聞かずにレジに行くお客さんも多い。
こういった傾向に企業側も危機意識があるのか、薬剤師がもっと積極的に一般用の医薬品販売に携わるように、指導や研修を行う傾向にある。
「こればっかりはタイミングだからね。あと1週間と少ししかないけど、もっと積極的にオーバー・ザ・カウンターしてもらうようにします。松木先生も一般用医薬品の前で悩んでる人見つけたら、優先的に接客して。」
「了解です。」
「それでダメなら、諦めて症例を捏造して下さい。俺が休憩から戻ったらフォローするから、ラーメン食べていい?」
「ああ、すいません、よろしくお願いします。」
休憩室から出ていく松木を見送って、昼飯とも3時のおやつともつかない時間にラーメンをすする。
松木は可愛い後輩だ。
いや、インスタントラーメンをすすりながら誰に格好をつける必要も無いか。
後輩として可愛いというだけでは決してない。
ぷっくりと蠱惑的な唇に、丸くて大きな瞳、通った鼻筋と、結構に派手な顔立ちで、下ろせば肩まである髪を、後ろで束ねている。平均的な身長ながら、ゆったりめの白衣の下には均整の取れたプロポーションを隠しており、薬局勤務以外の研修等で顔を会わせるときは、まじまじと見てしまわないように要らぬ気苦労をしてしまう。
薬学部が六年制になる事が決まった頃から、割合は少し男性に傾いているが、現在日本の薬剤師の約6割が女性、4割が男性である。
変な噂が立てば広がるのは早いし、男性の肩身は狭い。
おまけに、意外と狭い業界であるため、薬剤師同士でカップルなんぞ作ろうものなら、在学中は全然知らなかったのに元カノジョと今のカノジョが大学の同期だとか、職場の先輩後輩なんて話はザラである。
「そもそも、部下に手を出す上司とか、最低だろ。」
俺と松木は役職上の明確な上司と部下という訳ではないが、職場のヒエラルキーの上下に位置することには間違いない。
別に余人の事情を否定はしないが、どうも立場を悪用した卑怯なやり方のような気がして、俺はそういうシチュエーションが好きではないのだ。
「いや、そんなことないやろ。」
不意に声をかけられて、危うくラーメンを吹き出すところだった。
ゴホゴホとむせながら、声のした方を向くと、小銭の束をいくつか抱えた、ドラッグストア側の店舗責任者、店長職の佐々木さんがぬらりとそこに立っていた。
「い、いつからいたんですか?」
「ずっとおったよ。機械でお札数える音してたやろ?それに気付かんってどんだけあの尻に夢中やねん。」
全く気が付かなかった。
「まぁ、先生なら大丈夫と思いますけど、職場の雰囲気悪くせんようにだけお願いします。」
「ははは、善処致します。」
「それと、知ってはると思いますけど、うちの会社は社内恋愛オッケーなんで。」
「で、あれでしょ?社内報にバッチリ結婚式の写真と○○店の某さん達が夫婦になりましたって名前載るんでしょ?あれめちゃくちゃ恥ずかしいですよねぇ。」
「俺もバッチリ載ったっちゅうねん。しかもバッチリ部下やっちゅうねん。」
「すんません、知ってました。」
仕事の話しかしたことはないが、何故かこの陽気な関西人と俺は仲が良かった。
つり銭を持って出ていく佐々木店長を見送って、今度こそ一人休憩室で息を吐く。
お陰様で、午後からもうひと踏ん張り出来そうである。
貴重な休憩時間はあっという間に終わり、午後の仕事を迎え撃つ。
と、早速松木が患者とやりあっている。
「この薬はお手帳に書いてあるメーカーさんのものはありませんが、別のメーカーさんのものならあります。」
どうやら転院かなにかで薬局を変えた患者と話をしているらしい。
「ジェネリックのことですか?できれば嫌なんですけど?」
「そもそも、前の薬局さんで貰ってらっしゃるのもジェネリックです、この薬は色んなメーカーさんが作ってますし、病院からもメーカーさんの指定はないので、どのメーカーのものでも問題はないですよ。」
教えた通りに対応していてくれて大変喜ばしい。
「じゃあ、何が違うんですか?」
そう聞かれた瞬間、松木が困った顔で俺の方を見た。詰めが甘い。
「ちょっとお借りして宜しいですか?」
困った顔の二人に割って入って、患者さんからお薬手帳を拝借し、中を確認する。
降圧薬など色々な薬を飲んでいるが、運が良いのか悪いのか、この薬局で同一メーカーで揃わないのは粘膜調整剤、いわゆる痰の切れを良くする薬だけだ。
処方内容と患者の格好を見る限り、内服しているのは本人では無い。
「お父様のお薬だそうです。」
「うちにあるのはワトー薬品のカルボシステインですが、前にもらってらっしゃるのは、沢田製薬なんです。」
言いたいことはわかる、メーカーの違いで一番のネックになる、主成分以外の添加物の違いについて、うまく説明出来ないのだろう。
そんなの何年やってたって難しい。
「えーと、これ、成分的には全く同じですので、何が違うか強いて言うなら、コマーシャルに出てるのが、玉ねぎ頭の貴婦人か、桃太郎侍かの違いですかねぇ。どうしても桃太郎侍が良ければ、仕入れますけど。」
俺が苦笑いで言ったのが、そこそこ面白かったらしい
「いえいえ、そんなのどっちでも良いです、どっちだったか忘れましたが、そちらにある方でよろしくお願いします。」
患者(の息子さん)は納得して帰ったが、松木は怪訝な顔をしている。
「添加物の違いって、無視していいんですか?」
実際、薬効に影響しない部分の差違を説明しても、患者には理解出来ないか、意味のないことが多い。
ただ、まれにどうしてか薬効の違いを訴える患者がいることも事実である。
「まぁ、かえって混乱する患者さんもいるし、使ってみてダメなら戻すっていうのがセオリーだけど、今回に関しては、別の根拠がある。お薬手帳のコピーもらってるから、見て気がついたら教えて。」
後輩に手頃な課題を与えつつ、他の業務を確認する。何人か患者が来た形跡はあるが、処方内容は重くないものばかりで、今待っている他の患者も、板倉が対応中だ。
これなら休憩前に来た軟膏の混合調剤を、指導しながら行えるだろう。
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