第17話 電話

 風が吹くたび、引き抜いた庭草や掘り返した土の匂いが僕たちのいる縁側まで漂ってくる。

 お昼の休憩を挟んで実働四時間。『松田荘大草刈り大会』は思った以上にタフなイベントになった。

 参加者は僕と健斗と飛び入りの大雅、そして呼びかけに応じてくれた有志の店子たちの計六名。積まれたゴミ袋の山を、今はその有志たちが外の集積場まで運んでくれている。三人ともラグビー部だという。

 アウトドア派なくせに体力のない健斗はさっきから隣で仰向け。へばっている。大雅はそもそもの目的である大きな桜の木に夢中だ。庭石の一つに腰を下ろしてスケッチに余念がない。

『学部の教授が俊と同じ下宿に?』

 電話の向こうの姉ちゃんの声が一段高くなった。そう、と僕は答える。

「昔、お世話になってたらしくて」

『健ちゃんと大家さんにお礼は言ったんでしょうね』

「何か、姉ちゃんの喋り方って母さんに似てきてない?」

 もちろん、二人へのお礼は金曜のうちに言った。

 廃工場を離れて阿部さんに大雅の無事を報告した健斗は、すぐに松田荘にも電話をかけてくれていた。松田さんへのお願いの電話だ。内海が課題を提出するために大学へ向かっている。事情があって期限ギリギリになるかもしれない。米本教授に、どうか待っていてくれるようお願いしてみてほしい――。

 健斗があんまり切羽詰まった様子で頼んできたので、松田さん、断り切れなかったのだとか。久しぶりに米本さんと話ができて嬉しかった、ありがとう、なんて後から逆にお礼を言われたことには恐縮してしまった。

「……でさ、確認書の件だけど」

 本題を切り出すと、姉ちゃんの気配が微かに強ばった。

 僕は意識して肩の力を抜いた。

「援助は、しないことにしよう」

『初めからそうするって言ってるし』

「姉ちゃんだけが責任感じたりする必要ないから」

『……初めからそんなつもりないし。何よ急に。生意気。バーカ』

 その後もしばらく軽口を叩き合って、通話を切った。健斗が薄目を開けた。

「何だって? 利香さん」

「『生意気。バーカ』だって」

「いいなあ、そういうの。言われてみてえなあ」

 健斗の切実な声が可笑しかった。

 大雅が僕の視線に気付いた。立てた鉛筆をこちらに向けて構図を探る真似なんかしている。お返しに指でフレームを作ってみせると、慌ててスケッチブックで顔を隠した。

「バイクの免許取ろうかな」

 大雅を誘って撮影&スケッチ旅行、なんていうのも悪くない。

 健斗の反応はなかった。本当に寝てしまったようだ。

「内海さん、内海さん」

 振り向くと、松田さんが奥から麦茶を持ってきてくれていた。ジャグと人数分のコップが載った重そうな丸盆を受け取るために、僕はさっと立ち上がった。  了

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ネガ・ポジ 夕辺歩 @ayumu_yube

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