57.太陽がもう一つ

 険しい山を、シスルは半ば這うようにして進んでいた。脆い斜面は手足をかける度に崩れて足をとる。零れた欠片は遅れて付いてくる者たちに容赦なく降り注いだ。


 通信途絶前に空の目が捉えた珍妙な機械の位置と自分の現在地とを頭に描きつつ、一歩一歩を慎重に、けれど急いで進む。


 テルセラが対応しているだろうとは思う。けれどそれを待つことはできない。付近にいたヒルドヴィズル達をせっついて山に分け入ったが、中央連峰の過酷さは聞きしに勝るものだった。


 身体強化式に頼り切っていたヒルドヴィズル達は一人、また一人と脱落し、もうほんの数人しかついて来ていない。


 かなり近づいているはずだ。崖を上り切ると、肩で息をしつつ周囲を見回す。汗で張り付いた服を仰いで風を通し、体を苛む熱を誤魔化した。

 幸いにして五感はヒルドヴィズルのそれだった。密集した木々に閉ざされた森の中、間断なく響く叫びや怒声を透かして、ちらちらと動く人影と、僅かな機械音を捉える。

 方角を決めて、シスルは足を踏み出した。地面を這い回る蔦植物が足をとる。無視して進めば、ぶちぶちと音を立てて蔦がちぎれ、シスルの足からだらりと垂れる。


 ナイフを探り当てて構える。ここまでついて来たヒルドヴィズル達も同様に戦闘に備える。気配を殺して茂みに散り、装置を取り囲みにかかる。


 敵兵の気配はない。罠なのか、それともこの深い森に兵を配置するのが難しかったのか。


 包囲が完成するのを見届けると、シスルは彼らを待機させて前に出る。空の目で見た装置がそこにあった。装置の傍らで座り込んでごそごそしている人物に、シスルは目を留める。


「マッドパピー博士……か?」

「ん? なになに? 誰か僕のことを呼んだかい?」


 マッドパピーはひょっこりと機械油塗れの顔を上げ、シスルを見て首を傾げた。


「んん? あれ、君は……ヒルドヴィズルかな? さては、僕の装置を壊しに来たね!」

「ご推察の通り。」


 自分の身の安全よりも機械の心配をする博士に呆れつつ、シスルはナイフを構えた。


「ふふん、お馬鹿さんめ! 僕が何の備えもなく、大事な発明品をこんなところに置くと思ったのかな? いでよ、僕の造った最強の兵器!」


 言ってから、マッドパピーはきょろきょろと地面を見回して、落ちていたリモートコントローラーを拾い上げ、レバーをガチャガチャ動かした。何事も起こらなかった。


「あれ、おかしいな、故障かな? ちょっと待ってね。」


 待つはずがなかった。シスルが出した合図と共に、ヒルドヴィズルがなだれ込んでマッドパピーの身柄を押さえる。


「あ、ちょっと! 何をするんだい! 待ってって言ったじゃないか! 君たちには言葉が通じないのか!」

「問答無用!」


 シスルは装置に向き直る。オンとオフを入れ替えるだけの単純な操作系だった。シスルはレバーをオフに切り替える。瞬間、身体強化式と意識とが繋がったのが感覚で理解できた。同時に地面が大きく揺れた。


「あ、そっか。根源ノ力が抑えられていたから僕の造った最強の発明が動かなかったんだね。……はあ、観測も防衛もできないなんて、やっぱりちゃんと人を借りなきゃダメだったなあ。反省、改良、再試行だよ。」


 今しがたスイッチを切った装置の真下の地面が割れて、金属でできた巨大な人形が武骨な姿をさらけ出す。


「恐れ入ったかな! 僕が滅多に使わない身体強化式をフル稼働させて、一晩かけて埋めた金属兵の劇的な登場だぞ!」


 なんと無駄な労力を使うのだろうと呆れる間もそこそこに、カシャン、と虚しい音が響いた。足場を失った身体強化式阻害装置が倒れて壊れた。


「ぎゃああああ! 僕の発明品が! なんて酷いことを! 君たちに人の心はないのかあ!」

「え、自業自得じゃあ……」

「許せない! どうしてヒルドヴィズルはこうも暴力的なんだ! うわああん!」


 勝手に自滅したマッドパピーの理不尽な叫びが森にこだまし、それに応えるように金属の巨人が巨大な拳を打ち合わせた。その音圧に、シスルは背筋を粟立たせる。


「拳の錆にしてやるぞ!」


 巨大な拳が振り下ろされた。





 意識が身体強化式にかちりと嵌るのを、皆が感じ取った。一瞬の空白の後、爆発的な歓声が上がる。


 式の稼働を確認して、テルセラはほっと息を吐いた。フルミナが任務を全うしたのだろう。


「ありがとう、フルミナ……!」


 とにかくラタムの安否を確認しなければならない。思った矢先、凛とした女性の声が回線に割り入って来た。


『シスルです。身体強化式を妨害していた装置を破壊、現在敵兵器と交戦中です!』


 テルセラは思わず眉をひそめた。


「え、シスル……? フルミナは?」

『フルミナ様、ですか? お会いしていませんが……』

「そ、そう。解ったわ、ありがとう。」


 テルセラは必死になって平静を取り繕う。背中からどっと汗が噴き出した。


 装置を止めるために出たフルミナがいなくなった?


「その場は何とかなりそう?」

『問題ありません。』

「ならそちらは任せたわ。終わり次第、ビクティム要塞に帰還して。」


 不穏に脈打つ胸の内を押し隠してシスルに指示を出すと、テルセラは一つ深呼吸した。フルミナを行かせた後悔がのしかかって来る。すぐにフルミナを探したいが、優先すべきことではない。

 必要事項に順序を割り振り、空の目を飛ばして状況を整理し、ヒルドヴィズル達に前進の指示を出しつつ、ラタムに呼び掛ける。やることの多さに目が回る。


 ラタムもフルミナもいないのだから、テルセラがやるしかないのだ。


「どこ行ったのよ、二人とも……!」


 毒づきながら、視覚を空の目に繋ぐ。

 捉えた景色は意外なものだった。反乱軍の進攻は驚くほど遅れている。彼らは酷く怯えていて、進もうともしていない。敵陣の奥へと向けて、骸が列を作っていた。


「ラタム?」


 テルセラは呟いた。身体強化式を無効化された状態でこれほどのことが出来るだろうか。だが、それが可能な者がいるとすればラタムだろう。


「ラタム、聞こえる? ラタム?」


 応答はない。なおもしつこく呼びかける。


 ラタムは二百年以上を生きたヒルドヴィズルである。長年にわたる代謝の結果として根源ノ力の物質化が半端になり、個体の意識消失と共に身体も消失する。死ねば死体は残らない。


「ラタムの命示めいしはどうなってる?」


 後ろにいたヒルドヴィズルに問えば、彼はすぐさま城壁から飛び降りて保管室に向かった。どうしてもっと早くに確認しなかったのかと己の不手際に苛立ちつつ、テルセラは呼びかけを続けた。


「テルセラ様!」

「なに!」


 城壁を這い上がって来た先ほどのヒルドヴィズルに、テルセラは乱暴な声で応じた。


「命示が、砕けています!」


 一瞬、テルセラの頭の中は純白に染まった。


「ですが、妙なのです。棚の分がまとまって砕けていて……」

「生存が確認できる者の命示も?」

「はい。」


 テルセラは眉根を寄せる。根源ノ力の動きが制限されたために繋がりが切れて砕けた? いや、それならば全ての命示が割れていなければおかしい。


「割れていないものもあったのよね?」

「はい。」


 だとすると、単純にものとして壊れただけなのか。だが、何故?


 原因究明は後だ、とテルセラは気分を切り替えた。命示がないとなると、生死確認は困難を極める。呼びかけて応答がなければ死んだものと考えるべきなのだろう。


「ラタム! 応答を! ラタム!」

『……聞こえている。』


 短い応答があった。テルセラは胸を撫で下ろした。この声を聴いてこれほど安心したことが、かつてあっただろうか。


『全員を要塞に戻して防御壁を最大出力で展開しろ。』

「ん?」


 淡々とした声で伝えられた指示の意味を呑み込み損ねて、テルセラは間抜けな声を返した。


『以後の対応は任せる。』

「何言って――」


 テルセラはハッとして言葉を切った。眩しさに目が眩む。頬に当たる熱が肌を焼く。


 空に太陽がもう一つ。


 凄まじい熱と光を発するそれは瞬く間に巨大化し、空を覆い、ゆっくりと、落ちて来る……。


『終わりだ……』


 ラタムの声は冷たく乾いていた。

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