53.仲間のために闘う

 アンビシオン内の権力構造が音を立てて変わってゆく。


 それは本来あるべき形への回帰を目指した動きではあったが、イオストラを操って権力を握っていた者たちからすれば面白くない話である。


 不満が行動に現れないのは迫る危機を意識せざるを得ないためだろう。レムレス平野で自軍を蹂躙した化け物どもが、数を増やしてアンビシオンに攻め込んでくる。その恐怖が思い切った行動を封じ込めた。逆に恐怖に駆られた者がイオストラの首を手土産に聖教会に降伏する、という可能性もないではなかったが、今のところそうした動きは見られない。

 長老衆たちはただ集まってぶつぶつと文句を言うだけだった。それでイオストラを動かすことができると、彼らは未だに信じているらしい。


「ゴート族との付き合いなど認めない、別れなさい。平民を政庁に入れるな、元いた場所に返してきなさい。軍を勝手に動かしては駄目です、危ないでしょう。……じいさま方の主張はおおむねこんな感じだ。イオストラ殿下がグレてしまった、と思っているらしい。」


 サファルの報告に、イオストラはいよいよ溜息を深くした。


「もういい。」


 聞いているだけで馬鹿馬鹿しくなってくる。あんな連中の期待に応えるために必死だった以前の自分が信じられない。

 もはや長老衆がイオストラの行動を縛ることはない。仲間のために闘うと決めたのだから。


「連中に特別怪しい動きがあったら、その時は報告を頼む。それよりも……」


 イオストラは少し迷った後、全体としてはさほど重要でない問いを最優先にすることにした。


「探し人は見つかったか?」

「ああ、カレンタル・ロコニオの兄……ヘルマーノ・ロコニオだったな。まだ良い報告はない。アンビシオンの住人一覧表を総点検してはいるが、何せ膨大だからな。故郷の村の一覧表から移住先を割り出せば早かったんだが、敵勢力圏内だし、焼け落ちてるしな……。司鳥局しちょうきょくの記録も当たっているらしいが、発見には至っていない。」

「司鳥局?」

「ああ。カレンタルに仕送りをしていたんだろう? インドゥス方面への伝書鳥の記録から絞り込めば見つかるかもしれない。住所までは解らないが、使用頻度の高い司鳥局から居住区域を特定することができる……だそうだぜ。」

「お、思っていたより大変だな。」

「結構な人手を割いているのは間違いないな。もう少し情報が多けりゃ良かったんだが……。カレンタルが兄の近況を把握しているわけじゃなかったからな。」


 サファルはそう言って肩を竦めた。


「手紙はなかったのだろうか。」


 イオストラは素朴に疑問を覚えて首を傾げた。


「田舎の方じゃ識字率も低い。二人とも読み書きできなかったし、代筆や音読を引き受けてくれる奴もいなかったから、金銭が送られてくるだけで手紙は届かなかったらしい。」


 イオストラは絶句した。カレンタルが読み書きできないことは知っていたが、そのことが彼にもたらした不利益はイオストラの想像を超えていた。

 神聖帝国は庶民に対する教育を行っていない。卑賎ひせんな身に教育は過ぎたるものと多くの貴族が思っているためだ。

 民に教育を施しているのは聖教会である。神の教えを読み解くために文字を教える。イオストラはこれを洗脳だと思っていたが、その洗脳を享受できなかったことで、カレンタルはただ一人の家族との繋がりを断たれてしまった……。


「そういや、リャナがカレンタルに読み書きを教えていたぞ。」

「そうか。……うん、良いことだな。」


 リャナはきちんと読み書きの重要性を知っていて、カレンタルを思いやることができるのだ。彼女の人間性の深さに、イオストラはいよいよ感じ入る。


「明日までに教科書を丸暗記するか死ぬかを選べ、というようなことを鞭片手に迫っていたが……あれでいいのか?」

「リャナにも考えがあってのことだろう。」

「お前がそう思うならいいけども。」


 サファルは首を傾げつつも頷いた。


「南部からの撤収はどうなっている?」

「滞りなく進んでいる。連中に伴って、ゴート族の使者が来る手筈になっているらしいから、受け入れの準備をしておくべきだろうな。」


 イオストラは頷くと、頭の中で試算する。戦の勝敗を分けるのは兵の質よりも数によるところが大きい。これは常識ではあるが、どうやらヒルドヴィズルに関しては例外を認めなければならないらしい。ヒトを超えた膂力りょりょくだけではない。万象を再現する奇跡の業をもって様々な兵器の代替となり、兵器を扱わせれば人間には不可能な活用方法を実行してのける。その上集団行動にも長けていて、一騎一騎が老練である。


 まだ勝ち筋が見えない。


「それから、カテドラルからも友人が到着した。」


 イオストラは唇を引き締めた。不足分の戦力を補いうるとされる聖教会きっての科学者にして発明家。そしてエルムとクエルドが口を揃えて取扱注意を唱える怪人物である。


「すぐにも会いたい。今はどうしている?」

「先方が要望した条件に合った部屋に通したらしい。政庁の敷地の端も端だけどな。」

「端?」

「ああ、アンビシオン政庁がリニョン王国の王宮だった時代の建物でな。当時は警備兵の詰め所だったらしい。」

「何故、客人をそんなところに?」


 イオストラは訝しむ。


「客人が希望する部屋の条件に当てはまるのが、そこしかなかったんだと。」

「条件?」

「指定半径以内に重要施設がなく、それでいて政庁の敷地内にあり、多少の損壊が許され、地上と地下に十分な面積が確保された石壁の建物、を希望してきたんだよ。」

「周囲に重要施設がなく……損壊が許され……?」


 あまりに怪しい文言に、嫌な予感を覚える。


「こちらに呼ぶか?」

「いや、私が行こう。協力してもらう立場だ。案内を頼めるか?」


 そんな怪しげな人物をできれば本庁に招き入れたくない、という本音は、二人の共有するところだった。




 旧兵舎は冷たく古びた、重苦しい建物だった。大きな出入り口を潜ると、がらんと広い部屋が待ち受けている。奥に並んだドアの向こうには、兵士たちが体を休めた部屋が残っているのだろう。


 人の声は地下から聞こえた。部屋の隅にさりげなく口を開いた下り階段を進むと、声はだんだんと大きくなる。


「あ、それはあっちね! それから、これをそこに貼り付けて……」


 男とも女ともつかない声が、早口で指示を飛ばしている。


「こちらでよろしいですか?」

「あ、あの、こ、これはどうすれば?」


 リャナとカレンタルの声がした。イオストラは苦笑する。アンビシオンに正式な地位を持つ者たちが手一杯な中、リャナは遊撃部隊と化しており、カレンタルはその手伝いに引っ張り出されていた。


「失礼。」

「イオストラ様!」


 声をかけると、リャナはカレンタルをせっついて膝を折る。


「あ、手を止めないんだよ! 時間は有限! くだらないことに使わないでちょうだい!」

「く、くだらないこととは何です!」


 リャナの怒りを、イオストラは手ぶりで留めた。


「あなたがマッドパピーか。」

「そうだよ、僕がマッドパピーさ。見ての通り、今はお引越しの途中さあ。家庭的で過ごしやすい研究室を作るのさ! 邪魔はしないで欲しいなあ。」

「あ、ああ。すまない……」


 イオストラが思わず謝ると、リャナが憤然と前に出た。


「この方がどなたかご存じないようですね。イオストラ殿下ですよ。」

「あ、そうなんだ。よろしくね!」


 快活に笑うと、マッドパピーは何やら持った手元に意識を戻してしまった。


「……無礼ですよ!」


 リャナが叫ぶ。マッドパピーはきょとんとした表情でリャナを見上げた。


「ど、どうしたのエキストラたん……」

「イオストラ様です。そして私はイオストラ様ではありません!」

「あ、あれ? そうなの? プレアたんと似てるし、てっきり君が皇女様かと思ってたよ。」

「人の話を聞いていないんですか! 私ははっきりと、あの方がイオストラ様だと申しました! ていうか、皇女様だと思っていて荷運びをさせたのですか?」


 リャナが真っ赤になって叫んだ。


「プレアたん?」


 サファルは別のところで引っかかりを覚えたらしかった。


「うん。結構有名人だよ。聖杖の乙女なんて呼ばれてるね。」

「え? 救世の聖女様を直にご存知なのですか?」


 かつて世界が滅びそうになった時、その元凶を排除して世界を救った偉大なる人物を気安げに呼んだマッドパピーに、誰もが得体の知れない尊敬を宿した。


「私が、似ていると……?」


 リャナの頬に刺した赤が、別の意味を宿した。


「うん、知り合いだよ。親友と言っても過言だね。」

「か、過言なのですか。……どのような方だったのです?」

「だから、君とよく似ていたよ。金の髪に青い目が二つ、鼻の孔が二つ、口が一つ、頭が一つに腕が二本、足が二本。胸に脂肪の塊が二つ。」

「……それ、神聖帝国の民の女性であれば大半が当てはまるのでは……」


 リャナは肩を落とした。


「それに、訳の解らないことでキィキィ怒るところもよく似てる。」

「わ、訳の解らないこと? 私はあなたが不敬であるという話をしているのですよ!」

「ん? 何でどうしてどこが? 僕、彼女の協力者なんだけれど。」

「イオストラ様は皇族なのですよ!」

「無条件に敬意を払うべき血が実在するとすれば、僕はとても興味を覚えるな。採血させてもらってもいいかな?」

「はあ?」

「知っているかい? 社会性昆虫の女王個体は、生まれた時には他の個体と変わらない。与えられる食事の違いが女王と労働者を分ける……。もしもただの人を王とする物質を見つけたなら、僕はまた一つ世界の真理に近づける。ああ、なんだか興味が湧いて来た! よし、世の中の王という王、人という人から血を抜こう!」

「血液の提供くらいはわけないが、その研究よりも前にやって欲しいことがある。」

 絶句するリャナを横目に、イオストラはマッドパピーに言葉をかける。

「解ってるって。僕のすんごい発明を爆発させればいいんだね、任せて任せて! 手始めにビクティム要塞を敵ごと木端微塵に吹っ飛ばそう。ピッタリな大量破壊兵器があってね――」

「い、いや。そんな危険兵器の使用をするつもりは……」

「危険じゃない兵器なんてあるのかなあ? 僕の発明品を全て駆使すれば、お仲間の犠牲は減らせるのに、使わない意味があるのかなあ?」


 マッドパピーは意地の悪い笑みを浮かべて、イオストラににじり寄る。


「そもそも君は白の魔法使いのあるじだ。初めから用法容量を守って正しく白の魔法使いを使いこなしていれば、何も犠牲にせずに願いを叶えることができたはずさ。それなのに変に躊躇ためらって、下手な使い方を続けた……。君はそのあやまちから学ばないのかな?」


 思わず首元の封珠ふうじゅに伸びそうになった手を、イオストラは留めた。


「確かに私は白の魔法使いの力を使いこなせなかった。だが私はそれを過ちとは思わない。どれほどの力を与えられようとも、己で制御できない力に縋ることはしない。」


 己に言い聞かせるように、イオストラは言う。


「私の戦略があなたの発明品に合わせて変わることはない。」

「そう? じゃ、これの使用は諦めよう。ならなら、こんなのはどう?」

「え? あ、ああ。」


 真面目な返答などマッドパピーはものともしない。イオストラは目を白黒させた。


「他にもこれとか、あれとか! 試したいものは山ほどあるのさ! ああ、早くやってみたい……。そう、引っ越しなんかに時間をかけている場合じゃないや! 今すぐ調整を始めなきゃ!」


 言うなりマッドパピーは荷物を引っくり返して何かを引っ張り出し、その場にどっかり腰を落ち着けて、何事かに没頭し始めた。


「あの、これはどこに運べば?」


 リャナが声をかけても、もはや何の反応も帰さない。イオストラとリャナは顔を見合わせた。


「引っ越しについては後で応援を手配する。リャナは指示があるまでここの整理を手伝ってやれ。それから、カレンタル。」


 イオストラはあくせく働くカレンタルに声をかける。


「君の兄のことだが……」


 サファルからの報告をそのまま伝えると、カレンタルは控えめに感謝の言葉を返してきた。イオストラは穏やかに目を細める。カレンタルにとって最後に残された肉親に、早く会わせてやりたい。


 傍らで話を聞いていたリャナの表情がみるみる曇っていくことに、イオストラは気付いていなかった。




 懸命に動く時間は濃密で、ゆっくりと、それなのに高速で過ぎてゆく。


 夜、疲れ切って部屋に戻ったイオストラの下に、リャナが飲み物を運んできた。浮かない表情をしていた。


「あの、イオストラ様……」


 かける言葉を探すイオストラに、リャナは彼女らしくもないおずおずとした調子で言葉をかけて来た。


「カレンタルの兄、のことなのですが……」


 一呼吸おいて、リャナは踵を返すと部屋の隅の本棚まで歩み寄り、空いた場所に積まれていた資料から一束の紙を引っ張り出した。


「記憶にとどめておかなかったこと、申し訳ございません。既にクエルドから彼の現状に関する資料を受け取っておりました。」

「え?」


 リャナから差し出された資料を受け取り、何となしに目を通す。文字は眼球の表面を上滑りして、自分でも驚くほどに理解できない。


「カレンタルの兄ヘルマーノ・ロコニオはイオストラ様の挙兵に際する兵士の募集に応じ、レムレス平野に従軍。以後、未帰還です……」


 リャナの声が入ってようやく、イオストラの脳は動き始めた。


 仲間のために闘う。


 その誓いは呪いのように、イオストラの体を締め上げる。

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