第八章 駒たちは踊り散る

52.命の数

 レムレス平野の西。帝国の西と東を分ける中央連峰ちゅうおうれんぽうの谷間を塞ぐ形で建設されたビクティム要塞は、一時反乱軍によって占拠されたが、俗に西方師団と称されるヒルドヴィズルの部隊によって奪還され、現在も維持されている。


 要塞の一角にある小さな部屋に、シスルはラタムを見つけた。命示めいしの安置室だった。


 ヒルドヴィズルには骸を残さぬ者も多い。故に未帰還の者が死者なのか不明者なのか逃亡者なのか、判別することが難しい。命示はその管理のための道具である。個々のヒルドヴィズルの持つ根源ノ力と連動した透明な球体であり、対応したヒルドヴィズルが死亡すると砕ける。


 すなわちここにある命示の数はこの戦いに導入されたヒルドヴィズルの数であり、この部隊を率いるラタムが背負った命の数でもある。


 多い、とシスルは溜息を吐いた。同時に、当初より少なくなったことを憂える。


「……追加部隊が到着しました。」


 業務口調で言葉をかけたシスルを一瞥いちべつして、ラタムは素気なく頷いた。


「また命示が増えるな。」


 他人事めいたラタムの言葉に、シスルは唇を噛む。


「これだけのものを賭ける価値が、この戦いにあるのだろうか?」

「それを考えるのは我々ではない。ヒルドヴィズルは兵器だ。迷いも意思も不要と知れ。」


 冷めた声でラタムは答えた。思わずシスルはラタムを睨む。


「思考停止したままでいろというのか?」

「ヒルドヴィズルになるとはそういうことだ。お前が変生へんせいする際に説明したつもりだが?」


 解っている。そもそもシスルは変生する前から軍人だった。自我を殺して国に仕える倫理も持ち合わせている。だが、これは違う。


「……私情を挟まず国に仕える。それは民を守るためだ。最大多数の最大幸福を実現する手段となるべく、兵は国に仕えるのだ。だが、法王さまは民のことなど考えてはいない。あの方が何を見ておられるのか、私には解らない。」


 法王にとって命は数に過ぎないのだ。デセルティコで彼と会って、シスルはそれを嫌というほど思い知らされた。


「法王さまは神聖帝国をイオストラ様に譲ろうとなさった。つまり、もうこの国に用はないということではないのか? ならばあの方はどのようにこの国を扱うのだ?」


 詰問きつもんしてもラタムは答えない。シスルは拳を握り締めた。


「……リニョン王国だって、使い捨てたじゃないか……!」


 五十年前に神聖帝国に統合される形で滅亡したリニョン王国は現在の反乱の火種の一つであった。シスルは軍人としてかの国の最後に立ち会った。


 リニョン王国の建国を助け、度重なる神聖帝国からの攻撃を退けた西方教会のヒルドヴィズル達。彼らが突如として戦闘を放棄したことが、リニョン王国の電撃的な滅亡の始まりだった。

 それが高次の者たちの定めたシナリオの通りだと知った時の怒りは、今をもって筆舌に尽くし難い。


 リニョン建国当時の神聖帝国は既に最大勢力を実現しており、敵たりうる外部勢力はなかった。だから法王が自ら作ったのだ。しのぎを削り合う敵国を。神聖帝国に敵対し、共に勢力を拡大し、いずれは元の通りに一つになる、都合のいい好敵手を。


「法王さまは常に成長と拡大を求めておられる。そしてそのためには闘争が手早いと考えておられる。」


 何故そこまで敵を求めるのかと問うたシスルに対するラタムの答えがこれだった。

 そんな訳の解らないことのために、国が一つ生まれて滅び、多くの人が殺し殺されたのだ。


「こんなバカな話があるか?」

「確かに愚かしい話かもしれんな。」


 ラタムの言葉に、シスルは驚いた。ラタムがそれを認めるとは、思ってもみなかった。


「リニョン建国の際は同じ意思を受けたヒルドヴィズル同士で殺し合い、血を流した。俺の先達も、その茶番に命を散らせた。俺もそうあるべしと後を託された。あの方々を、試してはならない。」

「何故だ?」


 淡々としたラタムの物言いに、シスルは無性に苛立った。


「聡明で仲間想いなあなたが、どうしてそんな生き方しかできない?」


 ラタムは何も答えなかった。その無表情の奥に、もの言いたげな気配が揺れる。その言葉が生まれることはない。


 育まれてきた価値観からラタムを引っ張り出せない自分が、シスルはただただ歯がゆかった。



*****



 アンビシオンの政庁に、イオストラの靴音が響く。


 長く美しい黒髪は出陣の時よりもさらに長く、過酷な旅にもめげずにさらに美しく、一筋ごとが光を弾いて波を打つ。幼さを残す顔立ちを引き締めるのは鋼の決意。


「よう、お帰りイオストラ。」


 近寄りがたいまでに鋭い気配を発して長老衆が待ち受ける広間に向かう幼馴染に、サファルは気安く声をかける。


「ああ、苦労を掛けたな。」


 イオストラはふわりと微笑んだ。サファルは目を瞬かせる。少し雰囲気が変わっただろうか。


「リャナから聞いたよ。留守中、随分と尽力してくれたのだろう? ありがとう。」

「お、おう。」


 サファルは戸惑った。こんな優しい笑顔を浮かべられる奴ではなかった。イオストラはこういう自分を噛み潰しながら、歯を食いしばって生きて来たのではなかったか。


「なんか……雰囲気、変わったな。」

「そうか?」


 イオストラは首を傾げた。流れた髪がさらりと音を立てた。イオストラの背後に控えたリャナが、満足げに口角を持ち上げた。その隣では見たことのない青年がおどおどと視線を彷徨さまよわせている。


「紹介は後に回すとしよう。リャナ、疲れているところ悪いのだけれど、カレンタルを客間に案内してくれ。」


 その言葉の柔らかさにサファルはいよいよ面食らった。


かしこまりました。」


 リャナはうやうやしくイオストラに頭を下げると、カレンタルをせっついて廊下を進んでいく。


 廊下にはサファルとイオストラが取り残された。否、もう一人……。サファルはちらりと彼女の首元に視線を向ける。


「サファル、お前は父君ふくんと私、どちらの味方だ?」


 カレンタルとリャナが声の届かない距離まで離れると、イオストラは低い声でサファルに問うた。


「意味が解らない。」


 サファルは答える。アンビシオンの長であるサファルの父・ナールソンおうとイオストラは味方同士だ。戦況の不利に怯えてイオストラを裏切る輩も出かねない現状であっても、ナールソン翁だけはイオストラを戴き続けるだろう。彼の根幹にあるのは亡国への、あるいはかの国の王女への妄執なのだから。


「すぐにわかるとも。……選んでおいてくれ。」


 イオストラは広間の扉の前に立つ。サファルは先に中に入ると、居並ぶ貴人たちにイオストラ皇女の来訪を告げ、末席に加わった。一瞬の間を開けて、扉が再び開く。貴人たちは各々立ち上がった。


 部屋の中央を横切る赤絨毯を、イオストラの軍靴が威風堂々、踏み進む。一段高くしつらえられた椅子の前に立ち、渦中の皇女は振り返る。黒髪がつやを放って大きく揺れた。


「留守の間、苦労をかけた。」


 イオストラの声はどこか冷たく広間に響いた。


「おかえりなさいませ、イオストラ殿下。」


 ナールソン翁が進み出て、深々と頭を下げる。その姿勢のまま、言葉を続ける。


「お疲れのところとは存じますが、ご裁可いただかねばならぬことが多数ございます。まず、こちら。軍の再編なのですが、不足分の徴兵をせねばならぬかと――」

「南方警備軍の半数をフロルへ移動させよ。それで兵力の補填と増強は十分だ。」


 ざわり、と広間が揺れた。


「し、しかしそれでは南方の警戒が弱くなります。」

「安心しろ。ゴート族がデセルティコ砂漠を押さえている。」

「ゴート族!」


 嘲笑で修飾された声で誰かが叫んだ。


「あのような蛮族に何を期待しておられるか!」

「奴らに忠誠など期待できませぬ。状況に応じて平然と裏切りましょうぞ!」

「奴らに対してこそ兵を置いておかねばなりませぬ!」


 ゴート族は神聖帝国に住む大多数の民と民族的な違いはない。ただ宗教的・歴史的な要因から神聖帝国においては異端として取り扱われてきた。近年は法に寄らない権力を振るってデセルティコを裏側から支配しているとされ、住人や旅人から法的根拠のない土地代金を納めさせて懐を温めているという。

 つまり蛮族ではなく反社会的勢力である。そうならざるを得なかった事情があることは認めつつも、罪を無視するわけにもいかない。手を結べば利はあろう。だが、歴史と法と感情が邪魔をする。


 イオストラはこれをどう収めようというのか……。


「黙れ。」


 静かな声が、雑言を貫いて響いた。


「確かに彼らには批判を受ける謂れがある。だが、誹謗は許さぬ。正しく彼らの罪を問い、また此度こたびの協力を跳ね退けるに足る合理性を持つ批判のみ口に出すことを許そう。」


 功績をみて罪を減じようというのか。だが、それはあまりにも理不尽ではないか? 能力と状況に応じて罪と罰の均衡を変更しようとは。以前のイオストラはそんな不平等を許容しなかったはずだ。やはり、変わった。


 以前の彼女は、常に周囲からの失望に怯えていた。

 両親を早々に失って寄りかかるものもなく、そのくせ至高の血をその身に宿すが故に周囲からの圧力ばかりが凄まじい。

 そんな環境に育った結果としては当然の在り方だったかもしれない。

 いつも周囲の目を意識して、注がれる期待に沿おうとして虚勢を張り、虚像に追いつこうとして無理を重ねる。いつも息を切らしていて、今にも倒れてしまいそうで、目が離せなかった。限界まで背伸びをしているのは誰の目から見ても明らかなのに、さらに上に手を伸ばそうとして、そのくせ周囲が踏み台を差し出してもがんとして乗ろうとしない。誰よりもがむしゃらに努力をしているのに、何故か自分はズルをしているという意識を抱えて苦しんでいる。


 そんな彼女をずっと見て来た。ただ見て来ただけだった。手を差し伸べても握り返される覚悟などなく、だから彼女も手を取ろうとはしなかった。


 己を苦しめる重しを潔く背負い込むばかりだった。そんなイオストラが、義理も道義もかなぐり捨てて、何かを為そうとしている。

 その光景を前にして、サファルは口を閉ざす。自分は長老衆の味方ではなく、増して道義の味方でもない。イオストラが立つならば、サファルはその傍に立つ。サファルに支える力はなく、彼女がサファルに寄りかかることもない。それでもサファルは彼女の味方だ。故にこの場で言うことは何もない。


 不満の香る沈黙が室内に満ちる。イオストラは薄く笑った。


「決まったな。では、次の議題だ。」


 イオストラに促されて、ナールソン翁は次の提案をする。イオストラはそれをばっさりと切る。一連のやり取りに、誰もが感じ取ったに違いない。


 長老衆の傀儡かいらいの皇女はもういない。


 自身を育んで来た者たちの思惑を、イオストラは超えようとしている。


 それを一番近くで見られないことだけが、サファルは無性に悲しかった。

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