幕間狂言

51. 尽きない知識欲

 レムレス平野においてヒルドヴィズル部隊に敗れ去ったイオストラ皇女は、中央連峰を超えて砂漠を南下し、デセルティコに逃げ込んだ。

 神聖帝国に不満を持っていた少数民・ゴート族と結んでデセルティコを武力制圧し、麾下きかと合流。アンビシオンへと帰還した。



 それから数日、時をさかのぼる……。



*****



 法王領ヴァルハラ。神聖帝国を裏から支配する聖教会の本拠地をようする街である。


 政治的、経済的、物理的な規模の巨大さにもかかわらず、この街は地図に載っていない。街の境界に張り巡らされた結界によって外界から遮断されているために普通に出入りすることはできず、周辺環境も窺い知れない。

 外部との接点は少なく、多くの住人は外の世界を知らない。

 与えられた世界で与えられるものだけを享受する人生。困窮することはなく、危機に瀕することもなく、人を疑う必要もない。清く正しく、人生を送る。閉じた世界だ。


 ふと、クエルドは足を止めた。


 完璧に整った街の中央区画。聖教会本部に並んで立つのはムハイディンの孤児院。各地の教会から集められた孤児たちが養育されている。ヴァルハラと外部とが繋がる数少ないこの施設は、クエルドの育った場所でもあった。

 養育環境は悪くなかった。聖教会は少なくとも子供の福祉には力を入れているのである。どこで打ち捨てられたとも知れない孤児であったクエルドも、大切に育ててもらえたものだ。

 聖教会がなければクエルドは何十年も前、物心つく前に死んでいただろう。本来クエルドが聖教会に捧げるべきは感謝と忠誠であって、叛意ではないはずだ。


 子供時代に触れた温かさから視線を逸らして、クエルドは聖教会本部に向かう。

 本部の地下に広がる探求部。不枯の科学者たちが尽きない知識欲をよすがに永遠の探求を行う狂気の空間である。時に知識欲ではなく支配欲の坩堝るつぼとなるその場所の、果ての果て。地位としては最下層の研究員であるのに誰からも一目置かれ、距離も置かれている人物がそこにいる。


 マッドパピー。聖教会の誇る偉大な科学者ではあるが、その性質は狂気に満ちている。法王から重宝されていながら聖教会における地位は低い。それを気に病む風でもないのに時折思い立ったように聖教会を出奔し、教会内に封じられていたオーバーテクノロジーをばら撒いて世界的な脅威を発生させ、咎められることもなく戻って来る。そしてそれに罪悪感を覚える様子はない。平たく言えば危険人物である。


 うまく扱うことができれば非常に役に立つ存在ではあるだろう。だが、法王以外でマッドパピーを上手く扱ったものは歴史上存在しない。法王ですら持て余している感がある。


 そんな人物に声をかけるというのは、慎重と堅実を愛するクエルドにとってはこの上なく不本意であった。


「おや? おやおや?」


 ノックの後に研究室に足を踏み入れたクエルドに視線を向け、マッドパピーは思い切り首を傾げた。メガネがギラリと怪しく光った。


「僕にお客さんとは珍しいなあ! なになに、何の御用? 僕は今、君にとっても興味があるよ。」


 クエルドはごくりと咽を鳴らした。


「博士のご高名、かねがね伺っております。実は博士を見込んでお願いがございまして……」

「ん? なになに? 何が欲しいの? 人類皆殺しキャノン? それとも大陸断裂アンカー? なんでも出したげるよ!」


 クエルドはしばし沈黙した。主の判断に背くなどあるまじきことだが、それでも踵を返してこの場を去りたいという欲求には抗い難い。この人物は需要と無関係に自身のアイディアを次々と実現し、使わないまま棚にしまい込んでいる。使いたくてたまらないものだから、頼まれれば貸してしまうのである。人類皆殺しキャノンだの、大陸断裂アンカーだのという、物騒な名前の品々を。明らかな敵が相手であっても、関係なく。


 これが味方に相応しいだろうか?


「実はあるお方があなたのお力をことさらに見込んでおりまして。日の目を見ないままにしまい込まれたあなたの作品の数々、その方のお役に立ててみようとは思われませんか?」

「いいよ!」


 マッドパピーはあっさりと頷いた。


「い、いいよって……。その、え?」

「折角の発明品が状況のせいで使われないんだもの。状況を変えるのは良いことだよ! 一度は使ってみたい兵器がたくさんあるからねえ!」


 マッドパピーは楽しそうだった。強い決意もなければ、後ろ暗さも感ない。実に気楽に法王を裏切ろうとしている。


「いやあ、亡命するの久しぶりだなあ。亡命セット、どこだったかな。今度の雇い主はどんな人かなあ! どの発明品を使わせてもらえるかな!」


 楽しそうに準備を整えるマッドパピーの様子に寒気を覚えた。勿論、顔には出さない。


「それにしても法王ちゃんてば、よく君みたいな不穏分子を放置しておくよねえ。」


 マッドパピーにだけは言われたくないと、切実に思った。無論、口には出さない。


「まあ、法王ちゃんの判断基準て常人とは違うからね。」


 マッドパピーが開いたファイルの中には、精緻な式がびっちりと書かれた紙が何枚も挟まっている。狂科学者マッドパピーの成果の数々である。

 だが、クエルドは珠玉の発明品を収納したファイルよりもマッドパピーの発言に興味をそそられた。


「法王さまの、判断基準?」


 知りたかったことが突然目の前を走り抜けた。興奮する意識を理性で押さえつけて、それでも心臓は脈を速める。


「そう。法王ちゃんはね、根源ノ渦を大きく育てることだけを考えているのさ。」

「なんですって?」


 クエルドを振り返りもせずに、マッドパピーはファイルをめくる。


「総括的に言えば、平和な時代よりも戦いの時代の方が根源ノ渦の成長速度は大きいのさ。その分減退するリスクもあるわけだけれど。」


 マッドパピーは新しいファイルを引っ張り出して、ページをめくる。


「平和というのは根源ノ渦を安定化させるけれど、増幅速度を大きく鈍らせる。敵や競争相手は進歩と成長に不可欠だ。個にとっても、社会にとっても、種にとってもね。進歩と成長を止めさせない。そのために敵を絶やさない。これが神聖帝国の闘いの歴史というわけさ。」


 クエルドは頭を高速回転させる。


「法王ちゃんはあらゆるものを根源ノ力の差し引きでしか測らない。僕を黙らせて得られる根源ノ力よりも好き勝手させて得られる根源ノ力の方が大きいと考えている間は、僕を放任するだろうね。」

「なるほど。ご自身の権力や聖教会の利益で物事を判断しないのか。だから一見すると奇妙にも思われる行動をとる。……だとすると、神聖帝国をイオストラ様に譲っても構わないというのは……」

「ん? イオストラ様? 誰それ。」

「……あなたがこれから仕えようとしている主ですよ。」

「へえ、そうなんだね! 秘密兵器をじゃんじゃん使わせてくれる人だと良いな!」


 マッドパピーの期待には沿えないだろう。イオストラは自分の手に負えない力を振り回すのを嫌う人だ。それでもマッドパピーが加われば、争いの火種は大火へと成長する。あるいはマッドパピーは法王がイオストラに勝ち目を持たせるために用意した駒なのかもしれない。クエルドは法王の掌の上で踊っているに過ぎないのか。


 だが、目の前にある権力や栄光に目もくれず、自ら戦と混乱とを招き寄せてまで、何故根源ノ渦を育てねばならないのか?


「……法王さまは何故根源ノ渦を育てることにこだわるのでしょう?」


 答えを一つ得れば疑問が一つ増える。終わりの見えない疑問の旅路に、クエルドは苛立つ。


「え?解らないのかい、クエルド君。」

「あなたには解るのですか?」

「解るとも!」


 自信満々にマッドパピーは頷いた。


「増えていく数字を眺めるのって、楽しいじゃない。」


 多分違うと、クエルドは思った。


「さあ、早速行こうか! 僕と兵器の新天地へ!」


 あまりにも迷いなく手際よく準備を整えたマッドパピーが、クエルドを不安にさせる。


 とんでもない間違いを犯してしまったのではないか、と……。

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