46.神を殺した青年

 神を殺した青年は崩壊する世界を支えるための人柱となった。仲間たちが世界を救うと信じて。


 艱難辛苦かんなんしんく創意工夫そういくふうの末に世界は危機を脱した。しかし彼は救われない。世界が力を取り戻すほどに彼の存在は薄れ、曖昧なものになってゆく。次第に言葉が少なくなり、意思が通わなくなり、顕現に支障をきたし、やがて完全に消えた。


 ティエラは大いに嘆いて彼を探す旅に出た。法王は彼を諦めた。彼のおぼろげな意識が万物に宿っていることは理解していたが、互いに干渉する術がない以上は無意味なことと割り切った。その名を忘却待ちの死者のリストに連ねて己の役割に没頭し、やがて本当に彼のことを忘れた。


 思い出したのは再び顔を見る羽目になった時だった。


 白の魔法使いの召喚を為したのは聖教会の中の研究機関・探求部たんきゅうぶの一学者だった。

 今や誰よりも長く探求部に努めている不枯ふこの者であり、その発想力と行動力は天才と呼ぶに相応しいが、倫理観と協調性に著しく欠けるために責任ある立場に置かれることはない。マッドパピーはそんな人物だった。


「僕の創った凄い装置の動力をどうするかっていう課題に取り組んでいた時に、ビビッと来たのさ!来たのさ! 普通なら根源ノ力が装置に流れ込むように創世式を組むでしょう? でも僕は、根源ノ渦の管理者の存在を知っていたからさあ。あ、これ利用できないかな、と思ってね。」

「……利用、できるだろうな。確かに。」


 あらゆる創世術に通じ、世界の真理さえ知る法王ともあろうものが、一学者に言われるまで気が付かなかったのである。白の魔法使いは万能の動力源として利用できるということに。


 だが、不思議と悔しさはなかった。


「彼が世界に干渉できないのは源素げんそ……じゃなくて根源ノ力が満ちたせいで、存在濃度が薄まってしまったからなんでしょう? なら、濃くしちゃえばいいんだよね! このたま、根源ノ力は透過するけど白の魔法使いは透過しないようにできてるのね。根源ノ渦から白の魔法使いの欠片を拾い集めてこの中に入れる。うまくすれば根源ノ渦に干渉可能な存在濃度にできるわけさ。」


 浮かれるマッドパピーの前に佇む白の魔法使いの目に色はない。


「一応成功にはこぎつけたけど、課題は山積だよ。一番の問題は耐久性。根源ノ渦に干渉するには根源ノ力を出入りさせなければならないから珠の表面には小さな穴がたくさん開いているんだけど、当然ながら出入りの度に穴が大きくなっちゃう……。今のところ、絶えず出入りがあるから、あっという間に白の魔法使いが出て行っちゃうの。何とかして穴の拡大を遅延させたいのさ。穴を開閉式にして、使う時だけ開くようにできればいいなって。ねえねえ、法王ちゃんってそういうの得意だよね。法王ちゃんと言えば結界術! 結界術と言えば法王ちゃん! 世界一つ作るような壮大緻密ちみつな結界術の使い手なら、どんな境界だって創れるでしょう? 僕が構造を考えるから、ちょっと創ってみてちょうだい。あと予算ちょうだい。」


 差し出された手の上に、球体が載っている。


「寿命は?」

「数時間かなあ。連続稼働時間はそれくらい。今のところずっと稼働してるわけだから、これもそろそろ駄目になるね。」


――僕はいきたい。


 かつてそう言って故郷を離れ、生き延びる道を探した病弱な少年が存在したことを、法王はふと思い出した。


「耐久性が解決したら、ようやく量産化を目論もくろめる。機器類のエネルギー源に使うのだから、量産してナンボだもんね。」


 その言葉は、どうしようもなく嫌悪感を掻き立てた。


 実に馬鹿馬鹿しい話だった。ただ一つの目的を為すために、必要なもの以外は全て排除して生きて来た。不要なものには何の興味も持つべきではない。生き方を単純化し、ただ一本の道を速く進むことに全てを賭けた。配下の学者が為した偉大な発明はその速度を大幅に上げる可能性を秘めている。


 それなのに法王の感情はこの発明を忌避きひしている。しかもその理由を明確に説明できない。


「法王ちゃん? どうしたのうわああ!」


 法王が軽く指を動かすと、マッドパピーの掌の上で封珠が砕け散った。


「その研究は凍結せよ。」


 命じられたマッドパピーは、やがて探求部から姿を消した。


 その後急速に、封珠ふうじゅの技術は各地に広がっていた。マッドパピーが闇雲に出資者を探し歩いた結果だった。


 顕現した白の魔法使いが聖教会のヒルドヴィズル部隊を壊滅させたのを皮切りに、各地に白の魔法使いが召喚されるようになった。一夜にして国が滅び、地形が変化し、根源ノ渦は荒れに荒れた。


 この状況で帰って来たマッドパピーに反省の色はなかった。


「聞いて聞いて! 諸国を放浪してね、新しい天啓てんけいを得たんだよ! ヒルドヴィズルの身体強化式を無効化するってどう? ん?白の魔法使いの召喚? ほぼ完成したし、もういいかな!」


 そう言って新しい研究に突き進む。研究の意義など飾りにすぎず、やって良いこと悪いことの境界など知ろうともせず、ただ己の好奇心だけに忠実である。十分に理解し好ましく思っていたはずのマッドパピーの性質に、この時ばかりは法王もまゆひそめた。


 ティエラの協力を取り付け、数騎の強力なヒルドヴィズルを中心として各地の白の魔法使いを討伐する一方で、新たな白の魔法使いの生まれる余地を削って行った。白の魔法使い討伐の報が届く度に、法王は手元の封珠を砕き、より純度の高い封珠を創った。


 最後の白の魔法使いが討伐された後、法王は極めに極めた創世術の技量の粋を尽くして最高純度の白の魔法使いを創り出した。


 自分にとって彼は友であったのか、敵であったのか、それともただの手駒であったのか。長すぎる時を経て、当時の己が抱いていた感情は解らない。ただ当時の彼がどういう人間であったか知っていた。

 九割以上の白の魔法使いを含んだその存在は、かつて世界のにえとなった彼にそっくりで、そのくせ何かが違っていた。彼そのものであればこそ湧き立つ違和感を誤魔化しきれなかった。


 違和感の正体に気が付いた瞬間、法王は最高純度の封珠を打ち砕いた。


 新しい封珠では白の魔法使いの存在濃度を過半に留め、目覚めさせぬままに教会の祭壇にまつった。

 世界から隔離し、侵されることのない永遠の眠りを与えたつもりだった。


 ところが封珠は不特定多数の人々の願いによって満たされ、またしても白の魔法使いは目覚めてしまった。これが先代の白の魔法使いである。

 無数の願いによって生み出された偶像たる白の魔法使いは、個人の願いに縛られないが故に安定した個として存在した。彼とは長い付き合いになった。共に神聖帝国を創り上げた同志であった。


 だが形あるものはいずれ壊れる。根源ノ力の出入りを極力避け、頻繁に修繕を繰り返してもなお、封珠は永遠たりえなかった。


「ラタムとルイ、それにテル……西方教会の連中を頼む。」


 最後に会った時、先代白の魔法使いは彼を信じた者たちの行く末を案じていた。


「俺やお前の思惑に巻き込んだんだ。助けてやってもいいだろう?」


 彼の双眼には慈愛の色が浮かんでいた。


「彼らも貴重な資源です。浪費するつもりはありません。」


 法王はつっけんどんにそう答えた。


「それから、次の封珠を創っても、もう起こさないで欲しい。」


 静かに、白の魔法使いは懇願した。


「……確約はできません。必要とあればまた再びお目覚めいただく。」


 己の役割を全うするために、憐憫れんびんも倫理も決して障害になりはしないことを、法王は再度確認した。


「しかしその時が来るまでは、どうかゆっくりお休みください。」


 言うべきことを言って、法王は頭を下げる。


「……また会おう。」


 そして白の魔法使いは去った。


 彼が最期の時を誰と過ごしたのか、あるいは一人で迎えたのかは知る由もない。


 白の魔法使いが根源ノ渦に還ったのを確認すると、法王は再び彼の欠片を集めて封珠を創った。誰の祈りも届かぬ蔵の暗がりへと封珠を押し込んで、時が堆積するに任せた。


 それで良かったはずなのに……。




*****




 紅茶に投げ入れた角砂糖は見る間に溶けて形を失う。その様を眺める琥珀の目は、瞬きの後に青に染まった。


 イオストラは何を吹き込まれただろう。封じられた身では解らない。

 もっとも、封じられない身では解ったところで何もできないのだが。喜怒哀楽も生も死も、全ては意識の上を滑り抜けてゆく。


「ちょっと、どれだけ入れる気?」


 リャナの声が降って来た。エルムは我に返る。


「溶けなくなるまで。」


 エルムは答えた。


「さすがに体に悪いわよ。」

「健康の心配をされたのは久しぶりだよ。」


 エルムは苦笑してカップを傾けた。恐ろしく甘ったるい。

 水平を取り戻した液面が揺れて渦を巻く。紅茶の中からキラキラ輝く白い粉が浮き上がり、空中に小さな直方体を形成した。砂糖壺さとうつぼの中のものと寸分たがわぬ角砂糖を見て、リャナが感嘆する。エルムは静かに目を伏せた。


 砂糖は紅茶の中で溶け合っている。そこから再分離した角砂糖は、元の角砂糖とは違うものだ。中に溶けていた砂糖で構成された、全く新しい角砂糖。


 人柱として根源ノ渦に溶けた青年も、無数に召喚されて同じ数だけ砕け散った白の魔法使いたちも、確かにエルムの中にある。無数の白の魔法使いを抱えながら願いに触れねば一つの人格に至れない不出来な存在。

 あとどれだけ人の心に触れ、自分の屍を積み重ねれば、人並みの存在になれるのだろう。


 エルムの溜め息に合わせるように角砂糖が紅茶に飛び込み、また溶けた。


 運命の足音が近づいてくる。


 真実を知れば、イオストラはエルムを許してはくれないだろう。エルムは彼女に卑怯なまでの強さを与える一方で、彼女の心の弱さを体現する存在でもある。


 イオストラは自身に甘えを許さない。


 故にエルムを許さない。


 喫茶店のドアが小さくきしんで、ゆっくりと開く。エルムはカップをソーサーに戻した。かちゃりと高い音がした。


 外から注ぐ光を背負って佇むイオストラに、エルムは穏やかな笑みを向けた。

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