44. 万物万象を司る大河そのもの

 水の粒は形を変えながら空中で渦を巻く。茶葉が踊り狂い、熱を帯びる水に色と味とを送り出す。

 空中での舞いを終えると、色のついた湯は茶葉と分離して三つのカップに収まった。


躍動的ダイナミックなお茶の淹れ方ね……」


 リャナはそう呟いて、カップをそっと持ち上げた。湯気からは豊潤な紅茶の香りがした。店で最も高い茶葉を使った紅茶だったが、口に含むと恐ろしく渋かった。


不味まっっずい……」


 リャナは思わず呟いた。


「本当だ、不味い。」


 自分で淹れた紅茶に残酷な裁定を下すと、エルムはカップをカレンタルに渡した。


「君にあげよう。」

「え? あ、ありがとうございます。」


 カレンタルは目を白黒させて礼を言った。


「無理して飲まなくても大丈夫よ?」

「美味しいですよ。」


 気を遣うリャナに、カレンタルは柔らかく応じた。どうやら貧乏舌の持ち主らしい。


「茶葉の成分を全部出しきるから渋くなるのよ。私が淹れ直すから、お湯だけちょうだい。」


 言った次の瞬間には、ポットは熱湯に満たされていた。リャナは一瞬の思考時間を挟んで新しいポッドを探し出し、茶葉を入れた。エルムの創った湯を注ぎ、砂時計を引っくり返す。お湯を沸かすという工程を飛ばしたせいか、気分がむずむずした。


「便利ね、創世術そうせいじゅつって。」

「だろう?」


 リャナとカレンタル、そしてエルムは、イオストラがいるはずの教会からほど近い場所にあるカフェを訪れていた。店そのものは綺麗に残っているが、従業員の姿はなく、当然営業もしていない。リャナ達は勝手にこの店に入り、勝手に紅茶を淹れているのである。


 建物の造りの効果なのか、砂漠の熱は店の中には及ばない。灼熱の光に炙られる外とはまるで違う世界にいるようだった。


「そう言えば、イオストラ様、暑くなかったかしら……」


 リャナはふと、不安になった。ゴートの屋敷も涼しかったので、外の暑さを失念していた。あの服の上から外套マントまで羽織って歩いたのだ。さぞや暑かっただろう。


「大丈夫だ。あの服は暑さも寒さも通さないから。」

「は?」


 エルムの言葉に何か怪しいものが含まれているような気がして、リャナは眉根を寄せた。


「布面積を無駄に増やして隅々まで守護系の創世式を織り込んだからな。あの服を着ている限りは熱も氷も剣も槍も弾丸も創世術であろうともあの子の身体を傷付けるのは難しい……」

「あ、あんた……イオストラ様に何を着せてるのよ!」


 呆れた、とリャナは息を吐く。


「そんな便利なものがあるなら、普段からお着せすれば良いのに。」

「着ないだろう、あの子は……」

「それもそうか。」


 イオストラは理不尽な力で優位を取ることを好まない。デザインが奇抜なだけと思えばこそ例の喪服もどきも着て行く気になったのだろう。


「きっとあの子は、俺のことを許してはくれないだろうな。」


 ぽつりと、エルムは呟いた。


「何を大袈裟な。騙して変な服を着せたくらいで。」

「……そうだね。」


 長い睫毛まつげの下で、双眼が深いあいを湛えた。


「エルムさん、大丈夫ですよ。心配しないでください。」


 カレンタルがおずおずと言った。エルムは胡乱うろんな視線をカレンタルに向ける。


「心配?」

「い、いえ。なんだか不安そうなので……」

「そうか。そう見えるか……」


 静かな声でそう言って、エルムは天井を見上げる。


「心配ならお止めすれば良かったじゃない。」

「イオストラのことを心配しているわけではないさ。俺はエルムのことで頭が一杯なのだから。」


 エルムの言うことは解らない。えて解りにくい言葉を使っている。つまり解って欲しくないのだろうから、相手にしないことにしていた。


「大抵の人間は自分のことで頭が一杯だと思うわよ。普通よ、普通。」


 砂が落ち切ったのを確認して、リャナはポットを持ち上げた。

 茶こしを通してカップに落ちた赤いお湯から、薫り高い煙が立ち上る。カレンタルがやって来て、カップをテーブルへ運ぶ。


「……普通、か。」


 紅茶と同じ色の目を静かに伏せて、エルムは呟いた。彼が紅茶を口に運ぶ様は完成された芸術のようで、その美しさは無暗むやみに人の心を打った。


「美味しいです!」


 カレンタルの反応はエルムの淹れた渋茶を飲んだ時と変わらなかった。貧乏舌なのである。


「……砂糖入れていいか?」

「あんた、子供舌だったのね……」


 リャナはがっくりと肩を落とした。


「そうみたいだな。」


 エルムの呟きは湯気をかき乱して紅茶を揺らした。

 一拍遅れて液面を揺らした吐息を、リャナは見逃さなかった。



*****



 葬儀の会場たる大聖堂で、死者とただ一人の参列者との間に立ち、法王は静かに問いを投げる。


「死んだ者はどうなるか、君は知っているかな?」

「腐る。」


 宗教的な概念への反発も含む短い答えを、イオストラは不愛想に返した。


「ああ、確かに、しかばねをそのままにしておけば腐るだろうね。活動を停止した肉体は虫や細菌などの小さな生物の餌となる。肉体を構成していた物質は他生物の体内で分解され、別の物質の構成要素として利用される。それが物質的な循環だ。しかし私はそんなことを問うたのではない。」


 法王は挑発的に唇の両端を吊り上げた。


「根源ノ力については、白の魔法使いから聞いているな? この世界の全てのもととなる非物質。万物万象は根源ノ力の流れの内にある。ああ、確かに生と死の循環の大部分は物質的な循環の内に起きているが、それすらも根源ノ力の大いなる流れの一部なのだ。」


 複雑な話が始まる気配を察して、イオストラは腕を組んだ。煙に巻かれてなるものかと心に強い壁を築く。


「根源ノ渦を一筋の大河に例えてみよう。この大河は無限大の半径を持つ円を為している。川には無数の支流があり、それぞれが池に繋がっていて、その池からまた大河へと流れ込む小川がある。大河から流れ出て大河へと戻るこの池が万物である。広さも深さもそれぞれに異なる。流れ込む水量も流れ出す水量も千差万別。水の流れはふちを削り池を広げ、また深める。時の経過に従って池は大きくなり、留まる水量も増大する。やがて広がり切った池は大河に合流し、河をますます大きなものとする。」


 法王はふときびすを返してライフィスの遺体の傍らに立ち、冷たくなった彼の頬に手を這わせた。


「彼の池は広がり切る前に河に呑まれたが……」

「私たちは池で……河に呑まれることが死?」


 イオストラの問いに、法王は頷いた。


「今の例えならばその通り。長くある池ほど削られて貯水量が多くなる。ちなみに創世術とは池の水を河に放出して流れを変える技術だ。」

「だから大きな池ほど大きな結果を出すことができる?」

「一概にそうとは言い切れない。池の大きさだけではない。大河との距離や流入口、流出口の太さも問われる。だが貯水量の多さが一つ強大な武器であるのは間違いない。……池の内部の水に相当するものを指した、創世力なる俗語を聞いたこともあるのでは?」

「……ある。」


 イオストラは素直に頷いた。


「時を経たヒルドヴィズルほど強いというのは、つまりはそう言うことなのか?」

「ああ、その通りだ。奴らは体に刻まれた身体強化の創世式を池の水を用いて励起れいきさせ、強大な戦闘力を引き出している。従って貯水量は強さに直結する。そして貯水量は長く生きれば増える。ことヒルドヴィズルの貯水量の経年増加量は大きいので、生存年数が強さと結びつく。まあ、貯水量の増加率には個体差が非常に大きいがね。そこにいる御仁ごじんなどはかれこれ二千年も生きていらっしゃるというのに、大して増えていない。」


 法王が示した先を見れば、ティエラが不機嫌そうに佇んでいた。


「どうせ創世術を扱うような頭脳も繊細さもお持ちではないから、あまり関係のないことかもしれないがね。」

「惑わされるなよ、イオストラ。ヒルドヴィズルの強さにそいつの言う貯水量とやらが大きな影響を及ぼすのは確かだが、必ずしもそれだけではない。闘いには勘や経験も絡む。ラタムの創世力はあの年齢の平均を大きく下回っているが、それでも最強の一角と呼ばれるだけの実力を持つ。そいつのように創世力と頭がでかいばかりではヒルドヴィズルとしての活躍は難しい。」


 ティエラの双眼が怪しい光を放つ。彼女の後ろでシスルが力強く首を上下に動かした。


「ご安心下さい。あなた方の得意とする野蛮な領分に手を出そうという気はございませんので。」

「野蛮とあざける割には随分と便利に使っているではないか。ヒルドヴィズル達を。」

「ナイフを使うことはあっても自らナイフになることはないでしょう?」

「おや、私の記憶が確かならお前もナイフをやっていたことがあったと思うが? 大層ななまくらぶりを披露してくれたものだ。」

「さて、私の記憶が確かなら、同じ時期にあなたもなかなかの無能を晒していましたが? だからあなたの兄上は――」


「――話を戻さないか?」


 イオストラは呆れて口を挟んだ。言い争ううちに、ティエラと法王との間の緊張感が危ういたかぶりを見せていた。身の危険を察知したのか、クエルドは教会の隅に移動して気配を殺している。その情けない姿を横目で見て、イオストラは密かに溜息を零した。


「話の繋がりが見えない。あなたは白の魔法使いの話をすると言わなかったか? これまでの話のどこに白の魔法使いが出て来た?」


「ああ、これは失礼。」


 法王はあっさりと機嫌を直してイオストラと向き直る。


「それで? 白の魔法使いは、先ほどあなたが示した河のどこにいる?」

「全てに。」


 法王はこともなげに答えた。


「は?」


 イオストラは法王の言葉の意味を捉え損ねた。


「この世界の根源たる力の循環。万物万象を司る大河そのもの。それを我々は白の魔法使いと呼んでいる。」

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