40.大人げないじゃあないか

 教会は人でごった返していた。


 皆一様に顔に不安を貼り付けて、心細そうな視線を交わし合っている。


 何が起きたのか。何故こんなことになったのか。虚実入り混じった情報が、人々の口を渡ってゆく。


 ざわめきに紛れて、シスルは周囲の様子をうかがっていた。

 さりげなく教会に紛れ込み、ヴァルハラに入る。容易なことだと思っていたが、何故かシスルの存在感は奇妙に浮き上がっていた。こちらに向けられる視線が気になって仕方がない。


「何故見られているかと言うとね、君が悪いことをしようと思っているからさ。」


 エルムが耳元で囁いた。


「バカを言うな。心の内まで見通せるはずがない。」

「バカな君のためにもっと噛み砕いて言うとね。これからすることを悪事と認識して緊張した君が、挙動不審に陥っているからさ。」


 シスルは言葉に詰まった。エルムはにんまりと笑って、楽しげな色をした双眼をシスルに向ける。


「できないことを無理にやろうとするからこうなる。その辺り、イオストラと似ていて可愛らしいと言えなくもないか……」

「好き放題言ってくれるが、思うに悪目立ちしているのは私ではなく貴様だ!」


 シスルは押し殺した声で言った。エルムは表情をそのままに首を傾げる。教会に差し込む光を受けて、銀の髪がキラキラと輝いた。


「よくもまあ、誰にも気付かれずにイオストラ様の傍に貼り付いていたものだ。」

「基本的に封珠ふうじゅの中で寝ていたからねえ。そうでなくとも、俺が本気で気配を隠せば気付く者などいないし。」

「……つまり、今はわざと邪魔をしている、と?」

「バレたか。」


 切れそうになる理性を、シスルは無理矢理繋ぎ留める。


「遊び半分で邪魔をするのはやめてもらおうか。」

「おや、遊び半分だなんて、誤解もはなはだしい。それではまるで、半分は本気みたいじゃあないか。」


 エルムの笑みには一点の曇りもなかった。シスルは唇を引き結ぶ。


「……ああ。あなたのような上位存在から見れば、我々の営みなど万事が万事、戯れで済む話だと言うことか。」

「おお、馬鹿なくせに理解は早いな。勘がいいのか。」


 優しく細められた目が不気味な色に染まる。


「人間ごときに本気を出すなんて、あまりに大人げないじゃあないか。」

「ああ、そうなのだろう。あなたにとっては全てが永遠の時を過ごすための余興に過ぎないのだろう。あなたと法王さまの崇高な目標とやらも含めて。」


 白の魔法使いも法王も信用に足らない。身を守るためには彼らの本当の目的を明らかにしなければならない。ヴァルハラへの潜入は必要なことだ。


 シスルは大聖堂の奥へと続く小さな扉に視線を向ける。


 ごく自然にあの扉を潜り、さりげなくヴァルハラの門を抜ける。落ち着いてやればできる。シスルは意識的にゆっくりと立ち上がり、そろそろと小さな扉に向かう。心臓の音が嫌に大きく響く。教会の神官たちは避難民の面倒を見るのに忙しいらしい。


 ちらりと背後を確認してから、シスルは素早く扉を潜り、後ろ手に戸を閉めて息を吐いた。


「……もっと自然にやれなかったのか。」


 いきなり前に立っていたエルムにあわや悲鳴を上げそうになって、シスルは両手で口を覆った。


「こ、ここまでは予定通りだ。」


 教会の構造はどこもおおむね同じ。ヴァルハラの門の入り口となる術式が刻まれた部屋に急ぎ足で向かう。


 教会の最奥、壮麗で巨大な門がそびえている。その奥にある円陣が、シスルの潜るべきヴァルハラの門だった。


「この先は付いてくるなよ。」

「ここまで仲良くやって来たのに唐突に冷たいじゃないか。」


 仲良くやった覚えはない、という言葉を、シスルは苦労して呑み込んだ。


「イオストラ様をこの混乱の只中に置いてヴァルハラに行こうと言うのか?」

「おや、俺がイオストラの命を惜しむと本気で思っているのかな?」


 シスルは目を瞬かせた。言われてみればその通り、この男にそんな感情があるなどと思ってもいないのに、何故そんなことを言ったのだろう。


「とにかく、付いてくるな!」


 エルムが意味深長な笑みを漏らした。嫌な予感を覚えつつ、シスルは門扉に手をかけた。

 門はひとりでに内へと開いた。徐々に大きくなってゆく扉の隙間から見える部屋の中に、一組の男女が立っていた。シスルの目は男に釘付けになる。

 すらりと伸びた背に、端正な顔立ち。長く伸びた砂色の髪。服装は丈の長い白のローブだけという簡素なものだが、それが最上の装いであると認識させるだけの気品が匂い立っている。


「ほ、法王……さま……?」


 シスルの口から乾いた言葉が漏れた。法王の目が怪訝そうにシスルに向かい、そのままするりとエルムに移る。シスルの背筋に冷たい汗が滲む。


「これはこれは……」


 法王が口を開く。シスルはぎくりと身を竦めた。


「あなたが当代の白の魔法使いですか。お初にお目にかかります、とまずは言っておきましょう。随分と人間らしい意識をお持ちのようだ……」


 法王の視線はシスルを通り抜けて白の魔法使いに注がれていた。


「初対面、ね。冷たいことを言うじゃないか。」

「旧知と言う認識でよろしいですか?」

勿論もちのろん。」


 上位者たちが解りづらく旧交を温めている中、シスルはヴァルハラの門から出てくるにはあまりにも平凡な印象の金髪の少女と、疑問の視線を交わし合っていた。



*****



 待ち受ける兵士たちをものともせず、ティエラは速足に進んでゆく。イオストラはただ彼女について歩くだけで良かった。


「浮かない顔だね、イオストラ皇女。」


 肩越しに振り返ったティエラが、からかうように声をかけて来た。


「あなたの強さがあまりにも想定外だったものだから。」


 イオストラは憮然と答えた。連れて来た手勢は庁舎入り口を塞ぐ役割に回った者を除いて遊兵と化していた。


「楽に済むならそれに越したことはなかろう?」

「それはそうなのだが……。個人の武勇に依存した戦術は私の好むところではない。」

「真面目なことだな。力を持つなら使うべきだと、私は思うがね。」

「あなたは使っているのか?」


 ティエラは足を止めてイオストラを振り返る。


「あなたはまだ本気を出していないのだろう?」


 イオストラが問うと、ティエラは怪しく笑う。


「人間ごときに本気を出すなんて、あまりに大人げないじゃあないか。」


 イオストラは足を止める。ティエラも遅れて歩くのを止め、きびすを返してイオストラと向き合った。


「おい、どうした?」


 ゴート族の若者たちが不思議そうにイオストラに問うた。


「いや……。情報通りであれば、この先に対した兵力は存在しない。後方の階段を封鎖しておいてくれ。ここから先は、私とティエラだけで行こう。」

「わ、解った。」


 足音が遠ざかっていくのを確認して、イオストラは封珠ふうじゅをきつく握ってティエラと向き直る。


「やはりあなたは人間ではないのか?」

「言わなかったかな?」


 ティエラは悪びれなかった。


「……ヒルドヴィズルが私の味方ぶって武器を振るう理由はなんだ? 何を企んでいる?」

「別に、何も?」

「嘘を言うな。ヒルドヴィズルであれば間違いなく聖教会の一員。即ち、私の敵だ!」


 イオストラはティエラに銃口を向けた。


「その認識は少し違う。私は聖教会の一員ではない。時に邪魔をし、時に邪魔をされる。彼らとはそういう関係さ。」


 銃を向けられても怯むことなく、ティエラはそんな風にうそぶいた。イオストラはティエラの言葉をしかと吟味し、自分の考えに間違いがないことを確認してから、ゆっくりと口を開いた。


「それはつまり、敵ということでは?」

「ん?」


 ティエラは首を傾げて自分の発言を振り返り、いや、と呟いた。


「彼らとは時にいがみ合い、大抵は中立で、稀に協力し合う関係さ。……聖教会と言うより、あの組織の長と仲が悪いのだよ、私は。」

「仲が、悪い……」


 聖教会の長と言えば、当然法王のことだ。神聖帝国において皇帝をも凌ぐ権力を持ちながら正体を掴めない不可思議な人物。

 仲が悪いだなんて、まるで同格の相手に向けた言葉ではないか。


「ヒルドヴィズルでありながら聖教会の支配下になく、あまつさえ法王と不仲だと言う……。あなたは一体、何者だ?」

「私? 普通のヒルドヴィズルだよ。ただ、現存するヒルドヴィズル達の中で最も古い時代から存在する四騎のうちの一騎というだけさ。」


 イオストラは目を剥いた。驚きの表情を誤魔化そうとして、瞬きを繰り返す。

 最古の四柱と呼ばれる四騎のヒルドヴィズルの話はエルムから聞いていた。イオストラの前に現れることはなかろうと、エルムはそう言っていたのに……。


「……もしかして私のことを高い相手と思っているのかな? 白の魔法使いを従えていながら?」


 ティエラはふわりと微笑んだ。


「君が従えているのはおよそこの世界で最も強く尊く美しい存在だ。それが解らぬのもまた、人間の人間らしさではあるのだけれどね。」


 ティエラの目が細くなる。緑の光彩が一層輝きを増して、視線の圧が高まったように思われた。


「あいつから何も聞いてはいないのだね……」

「エルムが私に隠し事をしていると?」

「していないと思っていたのか?」

「いや、まさか。」


 むしろイオストラはエルムのことを疑っていた。言葉も仕草も心すら、あらゆる全てが嘘くさい。エルムのことを信頼しきっていると思われることは侮られることと同義だとすら思ってきた。

 だが、信じていなかったことを指摘されるのもまた不快だった。そんな自分の心の動きに戸惑って、イオストラは目を伏せる。


「私が君にすっかり全てを話してしまうのは、あいつの歓迎するところではなかろうね。……まあ、そうと解っていて全てを話してしまうために私は君を探していたのだけれど。」

「私を? 探していた?」


 イオストラは目を丸くした。ティエラが探していたのは、白いハエではなかったか。


「ああ。だが、君はうまく私の目を欺いた。何故だろう。あの絵を見せた時、君は知らないと答えたし、どう見ても嘘を言ってはいなかった。」


 ティエラはしみじみと首を傾げる。


「何故嘘を言っていなかったと解る?」

「ああ、それは解るよ。私には特別な力があるから。」


 イオストラは半眼でティエラを見つめた。ティエラは片手でまぶたを上下に広げて己の眼球を空気に晒す。


「この目で見える世界は、どうやら君たちの見ているものとは違うらしい。私が見ているのは根源ノ力の流れ、いわば世界の深淵だ。ものの本質、人の心の動き……。そうしたものが、私には見えている。だから君が嘘を吐いていないことは解った。ただ、あの時嘘を吐いていなかった君が、やはりイオストラ皇女だという。この矛盾をどう説明したらいいのだろう。」

「……何に矛盾を感じているのかが解らない。」


 イオストラの答えに、ティエラはますます不思議そうな顔をした。


「君は白の魔法使いを知らなかっただろう? ではなぜ、君がイオストラ皇女なのだ?」

「あの時あなたが私に見せたのは、ハエの絵だっただろう? アルビノの……」


 ティエラの顔から表情が消えた。慌てたように懐をまさぐって、くだんの絵を取り出す。


「この、絵が?」

「どう見てもハエだ。」


 イオストラは頷いた。


「……あ、そう。ふぅん。そういうことをするのか。」


 ティエラは絵をくしゃりと丸めた。


「私の目は君たちと見ているものが違うからね。平面とは……特に図や絵とは相性が悪いのさ。色くらいしか解らなくてね。なんとなく悪意の見える絵だとは思っていたけれど。あの野郎殺す。」

「ティエラ?」


 恐る恐る声をかけると、ティエラはわざとらしいくらいに無邪気な笑顔を浮かべて見せた。


「謎は解けてすっきりしたよ。ありがとう。」


 ティエラは踵を返して歩みを再開する。


「待て。私はすっきりしていない。全てを話そうとして私を探していたと言ったな。聞こう、あなたの話を。」

「それはこの戦いが終わったら、ゆっくりとお茶でもしながら話そうではないか。」


 ティエラは足を止めなかった。イオストラは彼女の後を追って歩き出す。


「今はライフィス皇子だろう。君、ライフィス皇子をどうする気なのかな?」


 歩きながら、ティエラは問うた。


「捕らえる。小人数での旅の途中ならいざ知らず、デセルティコを掌握できたなら手元に置いておくことも可能だし、その方が何かと役に立つ。麾下きかの者たちが合流すれば、アンビシオンまで連れ帰ることも可能だ。」

「ほう。殺さないのか。」

「皇子と言う身分は利用できる。それに……」


 少し迷ってから、イオストラは事実を認めることにした。


「度し難い馬鹿だが、悪い人間ではない。」


 今現在は関係がこじれているが、そもそもは従兄妹同士なのである。歳も近い。先帝が崩御する前にはそれなりに仲が良かった。


「上に立つ者が馬鹿だというのは、それだけで万死に値する罪だと思うがね。」


 吐き捨てるようにティエラは言った。


「この状況を見たまえよ。」

「それは擁護できないが……悪気はないと思う。」

「無邪気であることは愚行の免罪符にはなり得ない。」


 イオストラからはティエラの背中しか見えない。だからこそ、声に含まれた苛立ちのようなものを強く感じた。


「君は敵対しているくせに妙にライフィス皇子を庇うね。一応、幼馴染だということかな?」

「……個人と公人は違うというだけのことだ。……ああ、言われてみると、個人的にはライフィスが嫌いではないんだ、私は。」


 幼い頃に共に遊んだ記憶を思い返すと、今こうして兵を交えている現実こそ悪夢のように思われる。どのような過程があればこんな事態に陥るのか。幼かった自分たちと現在の自分たちの間には、十年の歳月が重苦しく横たわっている。

 少し前のイオストラは、この十年を透かして幸せだった子供時代を見つめることができなかった。


 どうして急に思い出す……。


「私の目から見るに、君の心はぐちゃぐちゃだな。」


 突然目の前に緑色の目が現れた。近距離で見つめるその目はイオストラの意識を呑み込もうとするように怪しい光を流動させていた。


「君はこれまで、自分を悲劇のヒロインだと思って生きて来たのだろう? 被害者だから報復する権利がある。奪われたものを取り戻す資格がある、と。だが現実に放り出され、様々な人と触れ合ってみれば、君こそ世を乱し人々の幸せを陰らせる悪であり、君が奪われたと思ってきたものはそもそも君の手に余るものだった。そう言われて少し自分を客観的に振り返ってみると、敵だと思い込んで来た相手は意外に悪い奴じゃあなかったような気がしてきたりして……」


 背中を嫌な汗が伝った。


「な、何を言っている?」


 イオストラの声がやや攻撃的な響きを帯びた。ティエラの美しい唇が、笑みの形に歪む。その表情をすると、彼女はエルムそのものに見えた。


「意地の悪いことを言ったね。聞き流してくれたまえ。私は何も、君を不快にさせたいわけではないのさ。」


 ティエラが背を向けると、じっとりとした圧は霧散した。イオストラは知らず安堵の息を吐き出した。


「さあ、急ぐとしよう。あんな小者に、いつまでも時間を割いていられない。さっさとご退場願おうではないか。」


 そう言ってティエラは廊下の果てにある大きな扉に槍を向けた。


 その向こうに、ライフィスがいる。

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