39.もうあいつ一人でいいんじゃないか?※

 デセルティコの入り組んだ構造を、帝国正規軍は把握しきれていない。整然とした陣を敷くこともできず、辛うじて連携を取りつつ小隊規模で動いていた。


 対するデセルティコ側の主戦力はゴート族と警備軍の兵卒たち。オヴィスによって一応にも仲間としてまとめられはしたものの、彼らの連携には大いに難があった。街を制圧しようとする正規軍に対応しようとして広がり過ぎれば、ただでさえ行き届かぬ連携がますます難易度を増す。


「全体の戦局を気にする必要はない。狙うは一点突破……ライフィスだ。」


 イオストラはりんと響く声でそう言って、ゴート族によって記されたデセルティコの詳細な地図の一点に指を置いた。


「ライフィスの身柄を確保し、敵軍に投降を促す。」

「そんなことが可能か?」


 オヴィスは懐疑的な視線をイオストラに向けた。


「……可能だ。君たちの集めた情報を総合するに、デセルティコにいるライフィスの配下は全軍のごく一部で、しかも街全体に散らばっている。こちらが揃えられる戦力はさらに少ないが、局所的に敵戦力を上回るのは容易だ。ライフィスがいるであろう庁舎を敵軍から切り離して攻め落とすこともできるだろう。」


 問題は多い。


 まずは兵士の質である。ゴート族にせよ居合わせただけの武芸者にせよ、腕っぷしは確かでも集団行動には不慣れだ。警備軍も熟練度と言う点において正規軍に劣る。

 そして何より、彼らはイオストラの麾下きかではない。イオストラの指示によって身を危険にさらすことにどこまで耐えられるか、閾値いきちが大いにばらつくだろう。


 次に情報の質である。なるほど、ゴート族が築き上げて来た情報網は大したものだ。情報量と伝達速度はすさまじい。だが軍としての動きには不慣れなのだろう。ツボを捉えきれていない。ゴート族の集めた情報のみに基づいた作戦立案は危ぶまれた。


緻密ちみつな連携は厳しいだろうね。烏合の衆だもの。」


 緑色に輝く目であらぬかたを眺めながら、ティエラは言う。イオストラは彼女の視線を目で追って首を傾げる。


「何かあったか?」

「……いや。羽虫が飛んでいただけさ。」

「ああ、なるほど。」


 イオストラは納得した。ティエラはアルビノのハエを探しているのだった。羽虫が気になるのも当然だ。


「……私は少し休んで来よう。作戦には参加するので、始める前に呼んでおくれ。」


 ティエラはきびすを返すと、ゴート族の一人を捕まえて休憩できる部屋を要求する。彼女を目で追ううちに、青い顔で佇む金の髪の青年が視界に入った。


「カレンタル、お前も休んでおいで。」


 言って、イオストラはカレンタルに部屋を貸すようにオヴィスに頼む。


「あ、いえ! ぼ、僕は大丈夫です!」

「大丈夫なものか。ほぼ休みなくここまで来たのだ。さぞ疲れているだろう。ここでお前ができることはないから、今は休んでくれ。」

「……イオさんも、無理はなさらないでください。」


 カレンタルは心配そうにイオストラを見つめていた。


「無理などしない。」


 イオストラは微笑んだ。カレンタルの表情は変わらない。


「そら、行け。」


 カレンタルは躊躇ためらいがちに頭を下げると、部屋への案内を早口に断って、避難民たちの集まる庭へと小走りに去っていった。柔らかな目でそれを見送り、イオストラは固い表情に戻って地図と向き合う。


「……ティエラの言う通り、我々が綿密な連携を取るのは難しい。現場で私の咄嗟とっさの判断に瞬時に従えるほど、君たちは私を信頼してはくれないだろう。出来るだけ細かく状況を想定しておきたい。庁舎の見取り図などあれば欲しいが……」

「そいつぁ流石さすがに俺たちの手元にはねぇな。」


 そうだろう、とイオストラは頷いた。いつ帝国に敵対するか解らない暴力集団の手元に地方自治の中心たる庁舎の見取り図などあったら大問題である。


「こちらに。」


 デセルティコの地図の上に、紙が一枚重なった。顔を上げると、灰色の髪をした男がすぐ隣に立っていた。


「なんだてめぇは?」


 オヴィスが低く威嚇すると、その男はへらりと笑った。


「庁舎の職員ですよ。クエルドと申します。いくらか情報がございますので、聞いていただければ幸いです。」


 クエルドは流れるように敵軍の現状を語り始めた。帝国正規軍の正確な数と位置情報。庁舎内の警備の状況、ライフィスの居場所に至るまでをぺらぺらと語る。口を挟む隙もなかった。


 地図の上を動き回る指と薄ら笑いを浮かべた横顔とを、イオストラは繰り返し見比べた。


「……以上が現在私の知る情報の全てです。」


 そう結んだ時には、ライフィスの布陣は丸裸になっていた。イオストラは眉根を寄せる。恐ろしく効果的な情報だった。それだけに扱いが難しい。悪意の嘘が混じっていたなら、不利に働くこと著しい。


「……貴重な情報、感謝する。」

「どうぞ感謝は我が主に。紅茶と砂糖をこよなく愛するお方です。」


 その言葉に、一人の女性の姿が浮かぶ。納得と同時、警戒の気持ちが肥大化した。


「その方に感謝を申し上げてくれ。」


 イオストラが言うと、クエルドはうやうやしく頭を下げる。挨拶の言葉を口にして踵を返し、避難民の中に紛れて消えた。


「……信用するのかい?」


 オヴィスがいかにも嫌そうに問う。


「ああ。信用できると思う。」


 不安がないわけではなかった。何しろセレナ・ヘラード皇女には選択肢がある。ライフィスを切るか、イオストラを切るか。

 危険は大きいが、状況はイオストラの安心を待たない。


 イオストラは深く息を吸って、覚悟を決めた。


「実行部隊を集めてくれ。一時間で行動を開始する。」




*****




 詳細極まりない情報を機関銃のごとく垂れ流すなり、クエルドは姿を消していた。悠々としていたのにどこか慌てていたようにも思われた。


 すこぶる怪しい男ではあったが、彼の情報に基づいて行動した結果、イオストラは手勢を率いて庁舎に忍び寄ることに成功していた。


「手筈通りに行くぞ。」


 イオストラの声掛けに、出自も立場もバラバラな者たちが一斉に頷いた。


 作戦は単純だ。この人員で動くに当たっては単純にせざるを得なかった。

 庁舎に攻め込み、外に出ている敵戦力の応援を遮断するためにバリケードを築いた上で内部を制圧する。クエルドからの情報が正しければ、庁舎内に残っている敵戦力をイオストラの手勢が上回るはずだった。


「さて、果たしてうまくいくかな?」


 ティエラの手には、そこらで拾った粗悪な槍が握られていた。その装備がイオストラを不安にさせる。


 彼女は強い。一挙手一投足にそれが滲み出ている。だが、庁舎突入後は狭い室内で戦闘が行われる。槍は得物として不適ではないか……。

 心配なのは槍だけではなかった。ティエラの態度はあまりにも気楽に過ぎる。まるで散歩でもしようと言うような佇まいだった。


「うまくやるしかないだろう。」


 半ば己に言い聞かせるように、イオストラは強い口調で言った。


「速度が最重要だ。一気に畳みかけるぞ!」


 先陣を切るべく踏み出したイオストラの傍らを、風が抜けた。


 ティエラは再先鋒に躍り出るや、不意を突かれた門兵に石突を叩き付けた。昏倒した敵を踏み越えると、滑るように別の門兵へと距離を詰め、回転させた槍の柄で顔面を薙ぐ。地面は彼女の任意で摩擦を忘れるらしかった。氷上で踊るかのように地を滑り、自在に回転する槍の舞いで敵対者を打ち払う。


 その様子に、イオストラは立ち尽くした。


 強い。全身が一体となった、滑らかでありながらもキレのある動きは鍛錬と経験が生んだものであること間違いなかった。その武力はかのラタムにも匹敵する。

 だが、いかにも奇妙な点がある。武術においては当然あって然るべき技術……自身の身体への配慮が抜け落ちている。拳を痛めぬように形を整え、関節を壊さぬようにあらかじめ緩く曲げておき……。そうした型が、一切ない。


 踏み出した足を軸に回転しつつ身を沈め、旋回した足を引っかけて相手の体勢を崩すと同時に体に合わせて動いた槍で殴り倒す。

 見事な動きではあったが、全身の関節に負担がかかり過ぎる。一時的にはそれでも良いだろう。だが長期的には必ず体を壊す。これほどまでに熟練しておきながら、こんな初歩的なことを身に着けていないのはどういうことだ。


「援護をもらえるものだと思っていたのだが。」


 庁舎外縁を警戒していた敵兵をただ一人で制圧して、ティエラは余裕の表情だった。


「す、すまない……。つい見蕩みとれていた。」


 イオストラは正直に答えた。ティエラは小首を傾げて指先で槍を回した。槍が宙に浮いているのかと錯覚するほどに鋭く速い回転だった。


「……あんたの連れだけで何とかなったんじゃあねえのか?」


 呆れ声でオヴィスが言った。


「私の連れではない。」

「え? そうなのか? いかにも連れって顔してたじゃねえか。」


 イオストラの答えを受けて、オヴィスは驚いたような視線をティエラに向ける。


「君たちが来る二秒ほど前に連れになったのさ。ねえ?」


 得体の知れない輝きを帯びた緑色の目が、イオストラを捉えた。


「いや、君と連れ立った覚えはないが……」

「連れないことを言うじゃないか。」

「と、とにかく! 突入!」


 イオストラの言葉と同時、またもティエラが真先に庁舎に向かう。住人に向けて開かれた大きな門は現在も開けっ放しだ。門に一番近い位置に倒れていた敵兵をティエラはひょいと拾い上げ、庁舎の入り口に勢いよく投げ込んだ。

 待ちかねたように銃弾が降り注ぎ、飛び込んだ影を肉の塊へと変える。撃つのを止めろと悲鳴のような声が響いた。静寂の間に、仲間に向けて発砲した事実が入り口を守る兵の間にじわじわと広がってゆく。

 そこに飛び込んだティエラに対し、即座に発砲できる者はいなかった。逡巡しゅんじゅんはティエラが距離を詰めるのに十分すぎる時間を生んだ。イオストラ達が庁舎の門の内側を覗き込む頃には、集中砲火を浴びた死体が一つと、気を失った兵士の山が築き上げられていた。


「……もうあいつ一人でいいんじゃないか?」


 オヴィスがぼそりと呟いた。


「……そう、だな。」


 イオストラはおざなりに頷いた。頭を占める疑念を検証するのに忙しかった。


 人間の身体強度を無視した熟練の武術。自分の体重の倍はあろうかという体格の男を軽々と持ち運び、あまつさえ投げ飛ばす膂力りょりょく。いずれにせよ、人間技とは思われなかった。


 答えは既に出ている。だがその答えをどう解釈してよいのか、イオストラには解らなかった。

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