35.死なないでやってはくれないか

 砂を固めて作られた家々が何気なく軒を連ねる裏側。四方を家の背に囲まれた街の死角に、その屋敷はひっそりと、それでいて堂々と建っていた。


 ゴート族の頭が住む屋敷である。


 広大な庭は白い砂と南国風の植物とに飾り立てられていたが、今は避難民で溢れ返っていた。


「避難民を受け入れているのか……」

「上に立つ者ってのは、ふんぞり返ってるだけじゃダメなのさ。下の者を守ってこそ、ってな。」


 そう言って振り返ったのは、ゴート族の若頭である。オヴィスと名乗る彼は、山羊の角を装飾した煙管をにやけた口元に宛がって、値踏みするようにイオストラを見た。イオストラは心持ち顎を上げてオヴィスを睨み返した。

 奇抜な服装だった。袖や裾がだらだらと長いデセルティコ伝統の服の上から派手な色合いの布をめったやたらと巻きつけ、長く伸ばした黒髪の一部を側頭部で結い、赤い花で飾っている。傾奇者という印象を押し付けてくるようだった。


「あんたらは守られる側じゃあなさそうだがな。女だてらに腕が立つ。」


 あんたら、という言葉に、イオストラは並んで歩くティエラを横目で見た。彼女の頭はイオストラの肩の高さにあった。小さく華奢な彼女は、確かに只者ではない雰囲気を放っていた。


「強い女は良いねえ! 我らが信仰する女神様も、強い女なんだそうだぜ。ゴート族の男は強い女が好きなのさ。」

「それで我々がお招きにあずかったわけかね。」

「バカ抜かせ。この状況で女連れ込んだりしねえよ。」

「それを聞いて安心したよ。」


 ティエラは低く笑う。避難民が身を寄せ合う庭を抜けて、柱と天上だけの開放感に溢れる廊下へと足を踏み入れる。


「しかし、それならどうして私たちだけがこの屋敷に呼ばれたのかな?」

「私たちって……」


 何故ティエラがイオストラの連れであるかのような雰囲気になっているのか。イオストラが不審の目を向けると、ティエラは口角を吊り上げてイオストラを見る。緑に輝く瞳がスゥッと細まった。


「作戦会議に参加してもらおうと思ってな。あんたらが一番頼りになりそうに見えたからよ。」


 果たしてそうだろうか、とイオストラは首を傾げる。良い動きをしていた者は他にいくらでもいた。


「何しろ解らねえことが多いからよ。何だってデセルティコが帝国正規軍から攻撃を受けなきゃならんのか……」


 廊下を折れて扉を潜ると、一転狭くて息苦しい廊下が奥へ伸びている。黙ってついてくるカレンタルが緊張に身を竦ませるのが気配で解った。確かに、何か嫌な気配の漂ってくる廊下ではあった。僅かな傾斜が、長い廊下を経て人を地下へと呑み込んでゆく。


「へえ。襲撃者は帝国正規軍なのか。」


 ティエラはどこか芝居がかった驚きを示した。オヴィスの表情が僅かに揺れた。


「おうさ。それは間違いない。だから問題なのさ。」


 オヴィスは淀みなく奥へと足を進める。狭い廊下の奥に、丈夫そうな扉が見えて来た。オヴィスは扉を潜って奥へと入る。イオストラもそれに続いた。


「降りかかる火の粉を払う必要はあるが、やり方を誤れば帝国を敵に回すかもしれねえ。状況の理解が急がれるよなぁ。事情如何いかんによっては、もしかすると、武器に寄らなくとも帝国軍を退かせることができるかもしれないとは思わんか?」


 部屋の最奥に立ったオヴィスが振り返る。屈強なゴート族の若者たちが、彼とイオストラ達を隔てるように建ち塞がった。


「なあ、どう思う? 皇女イオストラ?」


 違和感は突如牙をく。イオストラは拳を固く握った。背後でドアが閉まる音が無機質に響いた。帯びた剣が存在感を強める。


「この状況、もしかしたらあんたの身柄一つで何とかなるんじゃねえかって、オレは思うんだよな。」


 オヴィスはそう言って、凶悪に笑った。



 *****



 宿の部屋には死体が五つ。


 シスルは肩で息をしつつ、顔にかかる金の髪を血に濡れた手で搔き上げた。


 人の体内の臭いがした。鼻に皺が寄る。


 不意を打って銃を奪うことができたのが幸いだった。相手がシスルを侮っていたからだ。でなければ殺されていただろう。無力な女という第一印象が、シスルを救った。


 ヒルドヴィズルの力を使えなければ、自分はこんなにも弱いのだ。


「へえ、やるなあ。」


 目前で行われる命のやり取りを、エルムはただ優雅に眺めていた。実に楽しそうに。


「しかし、お前、マズいんじゃあないか? 仮にも西方師団は帝国正規軍を支援するために出撃したのだろう? 殺してしまうなんて、なあ?」

「自衛をしただけだ……」


 シスルは唇を噛んで、苦しい言い訳をする。


「ああ、お前の言う通りだよ。」


 優しい声でエルムが言った。シスルの唇に血が滲む。どんな事情があれ、シスルが支援対象である帝国正規軍の兵士を殺害したことに間違いはない。こんなことが知れたら、ラタムが責任を負わされかねない。


「お困りのお嬢さんに一つ、助言を贈ろうか。」


 エルムがニヤニヤ笑って声をかけて来る。


「バレなきゃいいのさ。」

「屑が!」


 思わず罵ったものの、その言葉に一定の説得力を認めないわけにはいかなかった。


 ヒルドヴィズルは強力すぎるが故に、一定の危険性をはらんでいる。仮に制御を外れれば、どんな災いをもたらすか解らない。だから聖教会のヒルドヴィズルの身体には居場所を発信する術式が刻まれている。これは身体強化の術式と連動するものだ。逆に言えば身体強化さえ行わなければ居場所を特定されることはない。幸か不幸か、シスルはヒルドヴィズルとしての力を封じられていた。恐らく、露見することはないだろう。


(……居場所が特定されない……)


 シスルは無意識に顎をさすった。今、シスルは聖教会の管理下を外れている。

 誰にも悟られずに動くこともできる。


「おい、腹の落書きはいつまで効果がある?」

「ん? 消えるまでだ。消したければアルコールで拭くといい。」

「そんな方法で消えるものなのか!」

「お前まさか……油性のインクがアルコールで消せることを知らなかったのか? なんて無教養なんだ。」


 エルムは小馬鹿にするような目でシスルを見た。


「貴様の書いた創世式がアルコールで消えることに驚いているのだ!」


 叫んでから、シスルは深呼吸して自分を落ち着かせる。


「私はもう行く。構わないな?」

「ああ、どこへなりとも行くといい。そう言う約束だ。流石にラタムもビクティムに着いただろう。」


そう言って、エルムはシスルに何かを投げ渡した。受け取ってみると、それは純白の銃だった。銃身に白いつたが巻き付いていて、撃鉄の横に白い花が八重に咲いている。


餞別せんべつだ。ヒルドヴィズルの力が使えないのでは不安だろう。持って行くといい。」

「……どういうつもりだ?」


 シスルは疑いの眼差しをエルムに向ける。


「死なないでやってはくれないか。君が死ぬとあいつは悲しむだろう。」

「え?」


 シスルは目を瞬かせた。白の魔法使いは既にシスルから視線を逸らし、窓の外を見やっている。聞き違い、だったのだろうか。

 手の中でくるりと銃を回すと、思いのほかに手に馴染む。


「……ありがとう。次に会う時は敵同士だ。」


 シスルは白い花の咲く銃を構えて、宿の部屋を後にした。


「さて、それはどうだか……」


 エルムはぽつりと呟いて、宿の出入り口へと視線を移す。右目と左目に別の景色を映して、ゆるり、微笑んだ。


「さて、この難局、どう乗り越える……?」



 *****



 戦場などまるで遠いことのように、アンビシオンの街は賑わっていた。煉瓦造りの街を行き交う人々の足取りは軽く、楽しげに言葉を交わし合っている。


 あるいは、忍び寄る恐怖が彼らに明るさを強いているのではないか。

 捻くれた目で見れば、人々の安寧がどこか白々しく映る。こういう感性をクエルドに馬鹿にされるのだと、リャナは苦笑した。


 活気に満ちた街の中、ぽっかりと人のいない場所がある。


 純白の建物である。随分と古いはずなのに汚れておらず、ひびの一筋も走っておらず、錆も浮かず苔も生えていない。場所からも時からも外れたように、ただ白い塊としてそこにある。かつて聖教会から分派した西方教会が本拠とした大聖堂だった。


 近づいてよくよく表面を確認すれば、恐ろしく細かな溝が建物の壁全体にわたって彫り込まれて、何らかの模様を形成しているのが見て取れる。


 リャナはぐるりと大聖堂の周囲を半周した。広大な敷地に鎮座する巨大な建物には入り口がない。リニョン王国の崩壊とともに入り口は消えてしまったのだという。神聖帝国の役人が幾度か調査に訪れたらしいが、結局中に入ることは叶わず、建物に傷を付けることも出来なかった。


 ――大聖堂は許可された者にしか扉を開かない。


 クエルドの言葉を思い出して、リャナは小さく一つ、溜息を零した。


「何やってんだか。入れないのは解ってたのに。」


 今はイオストラ、ひいてはエルムの帰還をただ待っているのだ。


「ああ、もう。イオストラ様はデセルティコに着いたのかしら?」


 もどかしいことだが、数日おきに顔を見せるクエルドに尋ねる以外にイオストラの旅程を知る方法はない。

 リャナは聖堂の外壁に沿って、残りの半周を消化する。角を曲がったところで、足が止まった。


 純白の壁に、黒々とした穴が開いていた。近寄ってみると、破壊されてできた穴というわけではなさそうだった。

 穴の周囲の溝には緑色の光が液体のように流れていた。壁は脈打つように動いており、見ている間にも径を縮めてゆく。咄嗟とっさに、リャナは穴の奥に飛び込んでいた。


 両足が穴の向こう側の床を捕らえる頃には、既に理性を後悔が締め上げていた。後悔は先に立たない。入り口はもう消えていて、引き返す道は失われてしまった。


「……嘘でしょ?」


 呟きは壁に反射して、どこまでも遠くに響いていく。静かで、細く、広い。リャナが入り込んだ穴は、外観と真逆の真黒な壁に埋もれていた。手で触れると、接触した部分から淡い緑色の光が生まれ、精緻な文様を描く溝を液体のように流れた。リャナは慌てて手を離す。


 光は流れるうちに薄くなり、やがて消えた。同じことが足下でも起こっていた。水面に広がる波紋のように、リャナを中心にして光が溝を駆けてゆく。気味が悪かった。


「もう!」


 入り口があったはずの壁に体当たりをした。壁は断固としてそこにあり、頑なにリャナの身体を押し返した。


「なんでよ! どうしてこうなっちゃうの!」


 戻れないのなら進むしかない。リャナは唇を引き結んで覚悟を決める。

 入ってきた壁から見て右に行くのが良いのか、左に行くのが良いのか。どちらにしても、同じような闇が待ち受けているだけだった。


(……救助を待つべきでは?)


 浮かんだ考えに、リャナは首を横に振る。大聖堂には入れない。これは常識だ。仮にリャナの捜索をする誰かがいたとしても、大聖堂は探さないだろう。出入り口は塞がってしまったのだし。


「はぁ、本当、どうして入っちゃったのよ……バカだったわ。」


 数分前の自分に文句を言いつつ、リャナは右に向かって歩を進めた。


 黒い廊下が延々と続いている。歩いても歩いても果てが見えない。部屋もなければ分岐もない。こんな廊下があり得るだろうか。


 足が地面に着く度に、その下から光の波紋が湧き上がる。歩くほどに疲労が積み重なってゆく。


 一歩が重い。


 歩数に応じて体温が流れ落ちてゆく。体の芯から寒気が湧き出してくる。


 何か、おかしい。


 確かに随分と歩いたが、それにしても疲労が大きすぎる。一歩、一歩、体が溶けていくような……。


 リャナは足を止めた。疲労と吐き気が押し寄せる。頭から血の気が引いている。景色が歪み、回っている。膝をつき、横になって目を閉じたい。だがそれをやれば二度と目を開けられなくなると、リャナの危機感が告げていた。


「とんでもないことに……なっちゃった……」


 体を引きずるようにして、リャナはまた歩く。止まっては駄目だ。とにかく、この場所から出る方法を探さなければ。


「クエルドの、奴……。こんなところを、どうやって探索しようって……」


 歪んだ視界の中を泳ぐように、また歩き出す。視界が端から黒ずんで、狭まって、暗転する。耳鳴りが頭蓋骨の内側を侵食し、思考を奪う。


 足がもつれ、体が傾く。


 そのまま倒れ込んでしまいたい欲求を抑え込んで、リャナは無理矢理身を起こした。一瞬、視界が明瞭になる。


「あ、れ?」


 そこは廊下ではなかった。巨大な半円型の空間。中央には黒い空間に浮かび上がるように、純白の二重螺旋が天に腕を伸ばしている。


 互い違いに絡み合う二本の螺旋の前に、砂色の長い髪をした人物が立っていた。リャナの気配を察してか、ゆるりと振り返る。端正な顔立ちをした青年だった。


「……人か。よくここまで来られたな……」


 滑らかな低い声が聴覚を撫でた。それを最後に、リャナの意識はぷつりと途切れた。

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