34.なんとも泣かせるじゃあないか

 内乱によって活気を失った街は、突如として戦場へと姿を変えた。


 政庁にて発生した戦闘は機先を制した帝国正規軍が勝利した。突如本拠地で発生した戦闘に、街に散っていた警備軍は仰天した。

 警備軍の本拠地は政庁から離れていたが、統帥権を持つ市長との連絡を取ることができず、対応が遅れた。


 混乱の中、皇子の護衛であったはずの帝国正規軍が街へと飛び出して市民に銃を突きつけると、危機を察知しつつも情報を得られず右往左往していたデセルティコ警備兵がこれに対応。デセルティコ各所で散発的に戦闘が発生し、恐慌状態に陥った市民が四方八方へ逃げ散った。


 誰も全貌ぜんぼうを把握できないままに、状況は悪化の一途をたどる。


 無秩序にうねる人並みの中から辛うじて逃げ出し、どこだかも解らない路地裏に身を潜め、イオストラは深々と息を吐き出した。


「怪我はないか?」


 短く問えば、カレンタルは何度も何度も頷いた。


「イ、イオさぁん……」


 涙混じりの情けない声が、イオストラの背筋を正させる。自分がしっかりしなければ。


「静かにしろ。」


 イオストラが毅然きぜんとした声で応じると、カレンタルは唇を噛んで泣き言を呑み込んだ。


 一体、何が起きているというのか。イオストラは頭を回転させる。

 真先に考えたのは、この騒ぎが自分に起因するものなのか否か、だった。もしもそうであればデセルティコの人々に対して非常に申し訳なく思うのと同時に、急ぎ身を隠さねばならない。

 一方で、違和感もあった。イオストラを探しているのならば、もっと穏便な手段がいくらでもあるはずだ。ここは帝国傘下の街なのだから。

 イオストラとは無関係に生じた騒ぎだとすれば何があり得るだろうか。山賊や魔物の襲撃? 浮かんだ考えを、イオストラは否定する。デセルティコ特有の事情により、山賊の襲撃は考えにくい。街の中央が起点となっていることから、魔物の仕業とも思えなかった。


「イオさん、エルムさんを……」

「駄目だ。」


 イオストラはきっぱりと拒んだ。

 ヒルドヴィズルとの闘いにエルムを使うのは、もはや仕方がない。不条理には不条理を以て抗するしかないのだから。

 だが、理解できない状況をエルムの力で飛び越えてしまうのはあってはならないことだ。


 それは堕落に他ならない。


「私は力を持つだけの愚か者になるつもりはない。」


 イオストラは首から下げた封珠ふうじゅを固く握った。


「まずは状況を見極める……」


 銃声が近づいてくる。何者の間で戦闘行為が発生しているのかすら、イオストラは把握できていなかった。とは言え、おおよその予想は付いていた。


 デセルティコにはゴート族と呼ばれる民が住んでいる。民族的には帝国民と同じだが、宗教・文化・歴史的な流れから区別される集団である。この地にデセルティコという都市を築いた者たちの子孫で、今でもこの都市の裏に法に寄らない権威を持っているのだという。

 賊特有の秩序が働いているおかげでデセルティコ砂漠周辺はこと盗賊からの襲撃という観点において安全なのである。だが、所詮しょせんはまつろわぬ暴力集団なので、時に大規模な抗争を発生させて警備軍とぶつかることがあるという。


 今起きているのがそれなのだろうと、イオストラは考えたのである。


 路地裏から顔を出して、表の様子をうかがう。激しさを増す銃撃戦を為す二つの勢力は、どちらも制服を身にまとっていた。どうやら帝国正規軍とデセルティコ警備軍とが衝突しているらしい。イオストラはしゃがみ込んで頭を抱えた。


「どうしよう……。ますます状況が解らなくなった……」

「イ、イオさん……」

「何が起きている? 帝国正規軍がデセルティコを襲う? 有り得ないだろう。どんな事情があったらそんなことになるんだ……」


 こめかみをぐりぐりと押し込んで想像力を働かせるが、いっかな事情が見えてこない。


 状況の変化はイオストラの理解を待たなかった。銃声は瞬く間に拡大し、街全体を包み込む。

 流れ弾に怯えて泣き叫ぶ者、逃げるうちに自損する者、親を見失って泣く子供、子供を呼びながら人波を泳ぐ親……。恐慌状態にある民の間を駆け回って、警備軍がてんでバラバラに最善を尽くしている。


「待てよ? 帝国正規軍のあの装備……。まさか、ライフィスの軍、か?」


 イオストラは顔をしかめる。だとするとこの騒ぎのきっかけを作ったのが自分である可能性は極めて高い。


「事情はさっぱり解らないが……私のせいなのか?」


 イオストラは心と頭を同時に痛めた。


「ど、どうしましょう、イオさん……」

「あ、ああ。」


 イオストラは言葉を濁す。どうすればいいのか、イオストラにも解らない。だがそれを口にすればカレンタルを不安がらせてしまう。

 優先すべきはアンビシオンに戻ることだ。だが、デセルティコを脱出するのは容易ではないだろう。仮にライフィスがイオストラを追った結果のこの騒ぎなのだとすれば、脱出経路は真先に抑えて然るべきだ。

 さらに言えば、逃げることなど許されていいはずがないという思いがイオストラにはあった。


「ま、まずは民の安全を確保する。避難誘導を――」


 言いさして、イオストラは唇を引き結んだ。


 帝国内で一定以上の規模を持つ街には、必ず有事の際の避難先がある。教会である。教会に攻め入ることは聖教会を敵に回すことを意味するので、ここに逃げ込んだ者を尚も追う者は滅多にいない。

 しかし聖教会と結んでいる神聖帝国の正規軍が敵対している今、この街の住人は果たして聖教会にとって保護すべき対象なのだろうか?

 さらに言えば、そもそもイオストラはとうの昔に聖教会の敵だった。


「イオさん……」


 カレンタルの不安げな声が鼓膜を揺らす。住人たちの悲鳴が響く。イオストラは大きく息を吐き、声を張り上げた。


「教会だ! 教会に逃げ込め!」


 怖い、と思った。自分の一言が悲劇の引き金を引くかもしれない。人の命を背負う責任に押しつぶされそうになる。以前は平然と背負うことができていたはずの責任。


――解っていなかったから背負えたのではないか?


 ふと浮かんだ考えを振り払うように、イオストラは首を振る。今考えるべきはそこではない。


「教会? だ、大丈夫なんですか?」


 カレンタルが小声で問うた。


「私は聖教会を信用していない。奴らに異端とされて滅ぼされた都市が記録上にも無記録上にも無数に存在していることも知っている。だが、それにしてもこんなやり方はしないはずだ。仮にこの事態に奴らが絡んでいたとしても、表立って住人を攻撃することはない。助けを求める者を救わぬ教えがあるか。」


 イオストラは聖教会について理解が足りなかった。それ故にヴァルハラの開門を予想できなかった。それでも確信している。これは聖教会のやり方ではない。


「非常に不本意だが、現状では聖教会が最も信用できる。」


 イオストラは深く息を吐き、吐いた以上に大きく吸った。


「教会へ! 急げ!」


 行く先を見失った意識は容易く誘導される。人々は雪崩れるように一方向に駆ける。

 多くの街では教会は街の中央に位置するが、異教徒によってつくられた街であるデセルティコでは街の端に取ってつけたように建っていた。常であれば防衛面の不安要素となる構造が、今回に限っては幸いした。


 避難誘導は逃げ惑う人を引き寄せ、教会に向かう人の数は瞬く間に膨れ上がった。街中に散らかっていた警備軍の他、商人の護衛や旅人など腕に覚えのある者も続々集い、避難民の後方を守る。膨れ上がった武装勢力を叩くべく、帝国軍も集まった。


 いつの間にか、イオストラは混乱の最前線に立っていた。銃弾の飛び交う市街地で、木箱の影に身を潜めて弾を込める。生と死を隔てるのは中身も知れない木箱一つ。湧き上がる恐怖が内臓を締め上げる。意地と使命感で踏み止まるうち、得体の知れない興奮が恐怖心を抑え込む。

 異常な状況に充てられて、今や帝国軍の引き金は非常に軽い。弾雨が住人を容赦なく襲う。銃撃で帝国軍を牽制しつつ、イオストラは現状への焦りを募らせていた。


 雑多な者たちが警備軍と協力し合って帝国軍に抗っているが、指揮系統は形成されておらず、補給もない。イオストラが拾った銃弾もすぐに底を突くだろう。


「カレンタル、次の集団と共に教会に向かえ。これ以上は乱戦になる。」


 傍らで丸くなっているカレンタルに指示を出すと、驚いたような目が返って来た。


「で、でもイオさんは?」

「お前がいたところで役には立たない。行け!」

「それは、そうですけど……! でも、ぼ、僕だけ逃げるわけには……!」

「足手纏いだ。」


 イオストラはまなじりを吊り上げて言い捨てた。言葉が強するかもしれない。心の片隅がちくりと痛む。


「足手纏いがいないと無茶するじゃないですか!」


 思わぬ言葉が返ってきて、イオストラは目を丸くした。


「ぼ、僕は闘うことなんてできません。お、男なのにイオさんに守られてばっかりで、な、情けないところばっかりです。イオさんが僕のせいで動きにくいのだって解ります! でで、でも、動きにくいから無茶ができないんです! 僕だってもう解りました!」

「だ、だが……私が無茶をするかしないかに関わらず、状況は危機的だぞ!」


 言い合ううちにも銃声が響いている。イオストラはほぞを噛んだ。カレンタルが逃げるのを拒むとは想定外だった。


「いいから行け、カレンタル。私はこれ以上、君から何かを失わせるわけにはいかないんだ。」

「なら、イオさんを失わせるのもやめてください! 一緒に教会に行きましょう。」

「私は教会に庇護を求める気はない。」


 イオストラはカレンタルに背を向けて戦場へと向き直る。

 弾丸の行き交う広場に取り残された荷車の影で、旅商人の一家が身を寄せ合っていた。イオストラは誰とも知れない護衛士と視線を交わし合い、威嚇射撃を行った。銃撃が止んだ瞬間に、身元不詳の護衛士が一家を救出しに走る。各自の状況判断に委ねられた危険な戦況だった。


 行動が噛み合わなくなった瞬間に崩れる。


 広場から脱出する途中で旅商人家族の子供が足をもつれさせた。瞬間、歯車が狂った。空転したのはイオストラだった。


 子供が倒れたのに気付いた母親が甲高い悲鳴を上げる。身分不詳の護衛士は現実主義者だった。子供を助けに行く母親を止め、振り向こうとする父親を追い立てて広場からの脱出を敢行する。

 イオストラは自覚以上に夢想家だった。反射的に転んだ子供に向けて駆けだした。カレンタルの制止の声が聞こえた時には遅かった。無数の殺気が肌を刺す。蜂の巣となった自分の無惨な肉体の幻が、瞬間的に思考を占めた。


 空気を割く一本の槍が、イオストラの眼球を幻覚から引き剥がした。見惚れるような弧を描いて、槍は帝国軍の射手の一人に吸い込まれた。イオストラに集中していた殺気が霧散する。


「なんとも泣かせるじゃあないか。無能で無力な己を顧みず、他者を救済しようなどと。」


 戦場を戦場とも思わぬゆったりとした足取りで、女が一人歩いてくる。アルビノのハエを探していた女だった。いかにもそこらで拾ったような、粗末な棒を片手に携えている。


「まずは無事な再会を喜ぼうではないか。私はティエラ。君は?」


 無数の銃口が向けられた遮蔽物のない広場に立って、ティエラは悠々とイオストラに手を差し出した。感情が全て彼女に呑まれてしまったかのように、戦場は静まり返っていた。


「……イオ。」


 イオストラはようやく我に返って返事をすると、ティエラの手を取った。柔らかくしなやかで、少し冷たい手だった。それを認識した次の瞬間、遠慮もなく品位に欠けた連続的な銃声が耳に飛び込んで来て、世界は音を取り戻した。


 銃声はイオストラ達が背に守る側から聞こえた。眉を顰めて振り返ると、デセルティコ特有の長く分厚い布地の服をやたらと派手に着飾った、見るだに粗暴な集団が空に改造銃を向けていた。


「オレらのナワバリで好き勝手やりやがって……!」


 中央に仁王立ちする長髪の若い男が、怒りを帯びた不敵な笑みを浮かべた。


「今この瞬間から、この街はゴート族が仕切る! 逆らう奴は皆殺しだ!」


 野蛮極まるときの声が、街の至る所から上がった。



******



 その頃エルムはと言えば、客も主も逃げ出した宿の部屋の窓辺に座ってのんびりと外を眺めていた。青ざめ戸惑っているのはシスルである。


「何が……何が起きている?」

「さあ? どうにも帝国軍が街を襲っているように見えるな。何故そんなことをするのかは知らないが。」


 エルムは薄い笑みを浮かべて肩を竦めた。砂の色をした左目の前には、いつの間にか空の目と視界を共有するための式が浮かんでいる。


「あなたは全知全能の存在なのではないのか?」


 シスルは胡乱うろんな目をエルムに向ける。


「ああ、そうだよ。しかし今は世界との繋がりがほぼ閉ざされているからね。顕現体で認知した以上のことは解らないさ。」

「……随分と力を押さえられているようではないか。自由になりたいとは思わないのか?」

「あの子よりも自由が尊いと少しでも思ったなら、あの子を殺して封珠を破壊しているさ。……造作もないことだ。」


 シスルの背筋を冷たいものが這った。理解しようとする度に、自分の思った位置にこの男がいないことに気が付いてゾッとする。


「そ、それ程に入れ込んでいるお方の危機ではないのか? 現在の帝国軍は彼女の敵だ。いかなる理由でこの事態に至ったにせよ、イオストラ様にとって良いことではあるまい。」

「好きなようにさせてやればいい。取り返しのつかないことになどさせないさ。ああ、全く、あの子ときたら……。美学やこだわりを捨ててしまえば叶わぬことなど何もないというのに、どうしても捨てられない。そこが可愛いところなのだけどね。」

「叶わぬところなど何もない、などと思っていないのでは? あなたは意外と役に立っていないように見えるし。」


 ラタムにも実質的には負けたことだし、とシスルは心の中で付け足した。


「あれ? 俺、信頼されてないの?」

「彼女の態度をどうやって見誤れば信頼されていると思うんだ!」


 イオストラはことエルムに対して強い警戒心を持っているように見えた。旅の途中まではヒルドヴィズルと遭遇しても彼に頼るのを躊躇ためらっていたというのだから、相当なことだ。

 今は流石に割り切っているようではあるが……。


「今になってあなたに頼るくらいなら、初めから頼れば良かったじゃないか。過度に力を使わずとも出来ることはあったろう。例えばあなたが伝令として動いていれば……」

「ああ、それは無理だったのさ。俺はあまりあの子から離れられなかった。封珠にガッチリ封じられていたから。」


 そうなのか、と言おうとして、シスルはふと、引っ掛かりを覚えた。


「封じられて……?」


 確認するように呟いたシスルに視線を向けて、エルムは穏やかに目を細めた。


「形あるものは、いずれ壊れる……」


 鈍い音が響く。何かが宿のドアを叩いている。幾度となく繰り返される音に、破壊音が混じり始める。


「いつまでも一緒にはいられないんだよなぁ……」


 その言葉を、シスルはほとんど聞いていなかった。


 ドアを破壊して飛び込んできた帝国軍兵士の銃口がシスルを捉えた。 

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