30. 余計なことをするな

 初撃を躱されて、シスルは唇を噛んだ。即座に次弾の装填に移る。


 遠距離射撃に特化したこの銃は大量の根源ノ力を処理するためにすこぶる巨大で複雑な構造をしている。人間には持ち運ぶのも至難であり、抱えて発射しようものなら反動で身体が四散する。

 人間が使うとすれば地面に固定するしかない大火砲を遊撃に使用できるのがヒルドヴィズルの戦略的な特長の一つである。


 それでも多くのヒルドヴィズルは剣を好んで使う。


 銃は剣よりも構造が複雑だ。指先一つで敵を殺せるだけに、そこに至るまでの過程が難しい。一方で剣は単純明快。極めようと思えば果てはないが、ただ殺すだけなら簡単なことこの上ない。根源ノ力を弾として飛ばす初歩的な創世術で遠距離のカバーは十分可能。ヒルドヴィズルは銃を力に劣る者が用いる姑息な兵器であると認識しがちだ。

 遠距離攻撃における根源ノ力の効率を思えば、銃もあながち馬鹿にはできないというのに……。


 遠視の創世式越しに見える戦場で、ラタムが高く手を掲げた。光が目に飛び込んで来た。シスルは顔をしかめる。光が示す意図はごく単純だった。


「帰れ。」


 その信号に、シスルは些か気分を害した。そんなに自分が足手まといに見えるというのか。

 光の反射で信号を送ってきた以上、ラタムはシスルの場所を把握している。ただ一射からそれだけのことを読み解いた。誰にでも出来ることではないが、敵に出来ないとは限らない。敵にも場所がばれていると考えるべきだ。早めに決着を付けたい。


 確殺を期して放った第二射もまた躱された。やはり狙撃地点がばれている。シスルは舌打ちをして移動する。遠視の創世式をラタムの戦場に固定し、片目に戦況を映して走る。


 白の魔法使いの支配する戦場は地獄の様相を呈していた。砂の槍が降り注ぎ、炎が迸る。黒い霧が剥がれて蠱王ノ腕の不気味な全貌が露わになる。砂漠そのものがラタムに牙を剥いているようだった。

 何度致命傷を与えても、白の魔法使いは平然と再生する。対してラタムの生は一度きりだ。砂に足をとられてラタムの機動力は無残なくらいに低下しているし、遠距離攻撃から身を隠すことのできる地形ではない。創世術師の方が有利に違いない。

 それでも初めはラタムが圧倒的に押していた。近距離戦闘で白の魔法使いを捕らえ、怒涛の連撃で白の魔法使いを死の檻に閉じ込めていた。


 再びあの状況に持って行くことができれば、勝機も見える。


 ラタムが溶岩の中に消える。シスルは息を呑んだ。無事な姿を見て胸を撫で下ろしたのも束の間、次には氷の槍が彼を襲う。熱気と冷気の狭間で生じた爆発が、またもその姿をシスルの視界から隠した。


 シスルは戦場に銃口を向けて、遠い景色に全神経を集中させた。


 砂嵐が晴れた瞬間、ラタムの頭上から必殺の光を放とうとする白の魔法使いの姿がシスルの目に飛び込んで来る。視神経と指が直接繋がっているかのような速度で、シスルは魔弾を射出した。

 弾は展開された防護壁の四枚までを打ち砕き、五枚目を穿うがって地に落ちた。

 白の魔法使いが嘲るように唇を動かす。


「惜しい。」


 血液が沸騰したような気がした。

 威力が足りない。シスルはありったけの根源ノ力を銃に送る。内部機関がフル回転し、魔弾に根源ノ力を焼き付ける。銃の内部で渦を巻く力はシスルが流した根源ノ力を巻き取って肥大化し、弾丸の初速を最大化する。予測軌道上に創世式を展開、加速度を増加。


 白の魔法使いの放つ光が、ラタムを呑み込もうとしていた。シスルは息を止めて狙いを定める。


「シスル!」


 遥か遠くで発せられた叫びを、ヒルドヴィズルの鋭敏な耳が捉えた。切迫した響きに含まれた制止の意図を、シスルは正確に読み取った。

 帰れ、止めろ。その声を振り切るように、引き金を引いた。

 全身を襲う衝撃をヒルドヴィズルの身体は見事に受け切った。詰めていた息が小さな声となって喉から零れる。展開された式を通過する都度に魔弾は速度を増し、空気抵抗を押しのけ、熱気を切り裂いて直線を描き、何に阻まれることもなく白の魔法使いの頭蓋骨に喰い込んだ。

 弾き出された中身が赤い花を咲き散らせ、ラタムを呑み込まんとした光は掻き消える。

 シスルは詰めていた息を安堵と共に吐き出した。瞬間、


「捉えた……」


 頭の内側で不気味な声が蠢いた。

 シスルは身を固くする。魔弾の軌道を何かが遡上してくる。加速の式をくぐり、銃口に入り込み、伸ばした腕でシスルの意識を鷲掴みにする。周囲の景色が遠ざかる。


 意識が戻った時、シスルはラタムの前にいた。首に当てられた冷たい手から熱いものが流れ込み、体内を巡って自由を侵す。


「俺は初めからお前なんて相手にしていなかった。今日のお相手はこの子でね。」


 白の魔法使いの言葉に、シスルは息を止めた。

 体が動かない。けれど心は激しく揺れ動いた。ラタムの足を引っ張った。その事実が脳の内側で反響し、増幅されて溢れ出す。


「ひ、人質……」


 皇女は非難の気配が強く滲む声で呟いた。


「なん、で……?」


 シスルは痺れた舌を懸命に動かして問いを投げる。


「魔弾は込められた根源ノ力の尾を引く。」


 もったいぶるように白の魔法使いは言葉を切った。


「砂漠は根源ノ力の流れの空白地帯でね。それだけに細い流れも良く目立つんだ。遡ることなど造作もない。ただ、周囲の根源ノ力が薄い分だけ拡散するのも早い。普通の射撃では途中で尾が途切れてしまう。」


 シスルはほぞを噛んだ。白の魔法使いの防護壁を貫き、ギリギリで届かなかった魔弾。あれがシスルを魔弾の強化に誘導していたのだ。強い根源ノ力を帯びた弾丸はくっきりとした尾を描いてシスルと白の魔法使いを繋いでしまった……。



「繋がりさえすれば、お前ごときを掌握するのはわけない。根源ノ力の空白地帯故にコンタミネーションの心配もなく、位置転換も容易。俺に不利な環境が、ことごとく幸いしたよ。……君は勝利の女神だねえ。」


 シスルは屈辱に身を震わせた。ラタムの顔を見られない。ラタムに顔を見られたくない。それなのに、白の魔法使いはシスルをラタムに向き合わせて逸らそうとしない。


「さて、ラタム。もしもこの娘を助けたいなら、歩いてビクティムまで戻れ。お前がビクティムの門を潜った段階でこの娘は解放しよう。助ける必要を感じないなら、この娘もろとも俺を斬るといい。それを合図に殺し合いの再開だ。」


 ラタムの冷たい目がシスルを見つめた。シスルは目を閉じる。斬られるのは構わない。だが、その後ラタムはこの怪物に勝てるのか……?


 小さな溜め息が耳を揺らした。砂漠を満たした殺気が引いてゆく。シスルは恐る恐る目を開いた。蠱王ノ腕の輪郭がほどけ、光がラタムの腕に巻き付くように蠢いて霞む。武装解除してラタムは踵を返す。


「あれ? 引くのか。意外だな。」


 白の魔法使いは無責任に首を傾げた。


「ラタム……」


 もたれた声でシスルが呟くと、ラタムは肩越しにシスルに言葉を返す。


「これ以上余計なことをするな。解放されたら速やかにビクティムまで戻って来い。」


 冷たい声が耳から頭に侵入し、見る間に膨れ上がる。ラタムの歩数が刻む距離よりも遥か遠くに、彼の心が離れてゆく。


 顔を伝って流れた涙は、砂に落ちて消えた。



*****



「……不意打ちで仕掛けて返り討ちに遭い、技量で敵わないところを力押しで誤魔化し、最終的には人質をとって要求を通す。」


 ぽつりぽつりと、今回の戦いにおけるエルムの所業をイオストラは列挙した。


「褒められた闘いではないな。」


 褒められないどころか、これが物語であればイオストラ達は確実に悪役だろう。それも小者の。


「命のやり取りに過程などあるものか。結果が全てさ。俺たちはラタムを退けた。それだけだ。」


 エルムはすまし顔で言った。焚火が映し出した彼の影が、古龍の都に揺れる。


 イオストラはじりじりと焚火に近付いて暖を取る。砂漠の夜は冷える。ラタムの妨害さえなければ、今頃はデセルティコに到着しているはずだったのに……。


「寒くないですか?」


 カレンタルが声をかけた相手は、金髪をポニーテールに結った女だった。シスルという名のヒルドヴィズルは後ろ手に縛られて座り、鋭い眼光を周囲に撒き散らしていた。


「あの、良ければ毛布を……」

「失せろ。」


 一蹴されて、カレンタルはしょんぼりと焚火の傍に戻る。


「そんな怖い顔するなよ。お前には感謝してるんだ。お前が来てくれなきゃ、俺は今頃エルムじゃいられなくなっていただろう。」


 シスルの表情が憤怒に染まる。


「いや、本当に危なかったんだ。あと一歩のところでやられてしまうところだった。後衛がテルやフルミナだったらと思うとゾッとする。お前でよかった。」


 エルムの口から言葉が零れる都度、シスルの頬が赤みを増した。青い目が湿り気を帯びて揺れる。


「エルム、止せ。」

「ん? 労ってあげているのに?」

「いたぶっているんだろうが!」


 エルムはちろりと舌を見せて笑う。シスルは濡れた目に爛々とした殺意を滾らせて地面を睨みつけていた。


 悔しいのだろうな、とイオストラは彼女の内面をおもんばかった。己の無能と無力ほど、心を傷つけるものはない。

 しかもエルムの言葉は的を射ていた。シスルが介入するまで、ラタムはエルムを圧倒していた。シスルがラタムの動揺を誘わなければ、あのまま勝敗が決していた可能性が高い。


「ラタムは、強かったな。」


 イオストラは膝を抱えた。認めざるを得ない事実だった。


「そうだろう、そうだろう。」


 何故だか上機嫌にエルムが頷いた。


「俺が最高の状態であったとしてもラタムに勝つのは難しいだろうな。」


 エルムはすがすがしい笑顔を浮かべていた。


「……最高の状態のお前でも勝てない?」

「ああ。この体じゃ無理さ。」

「この体? お前、体調でも悪いのか?」

「おや? 心配してくれるのかい? これは嬉しいな。なら気合を入れて体調を悪化させるとしよう。」


 エルムは優しく目を細めた。炎の色の目がくるりと青に転じる。その目に魅入っていた自分に気が付いて、イオストラは顔を赤らめた。


「あ、悪化させるな! ……問題がないならいいんだ。いや、良くない。この先、もしももっと恐ろしい相手が現れたら……」

「あいつより上だと断言できるような奴は現存するヒルドヴィズルの中にはいない。」


 きっぱりとエルムは断言した。


「互する者ならいるのか?」


 イオストラの質問に、エルムは少し考える素振りを見せてから指を二本立てた。


「二騎。」

「そいつらが出てくる可能性は?」


 イオストラはやや前のめりになって問いかけた。エルムは考えるように首を傾げた。視線が動く度に、彼の目はくるくる色を変える。知らずその目を注視していた自分に気が付いて、イオストラは顔を赤らめた。


「低いな。一騎は狂犬。齢七百のヒルドヴィズルだが、十年前の反乱に与したとがでここ十年ほど磔刑たっけいに処されているらしい。」

「じゅ、十年? 酷い……」


 カレンタルは真青になって呟いた。実際、酷い話だ。聖教会に反旗を翻した挙句にその仕打ちだというのなら、そのヒルドヴィズルはすでに聖教会への忠誠心など持っていないだろう。


「ヒルドヴィズルならではの残虐刑だな。」


 エルムは肩を竦めた。


「……もう一騎は最古の四柱と呼ばれる四騎のうちの一騎でね。他のヒルドヴィズルとは立場が違う。気ままに世界を放浪していて、誰の指図も受けない。出会うことすらないだろうな。」

「そうか……」


 イオストラは安堵の息を吐いた。現状でイオストラがヒルドヴィズルに対抗するにはエルムを頼るしかない。彼の手に負えないヒルドヴィズルが多数いるわけではなく、手出しをしてくる可能性も低いというのは朗報だった。


「問題はラタムがまた追いついてくるであろうこと、だな。奴は律義にビクティムまで戻るだろうか? 今頃そこらに身を潜め、彼女を救出する策を練っているのでは?」

「いや、あいつはそう言うことはしない。約束を守らないと胃が痛くなるような奴さ。要求通り、歩いてビクティムまで帰るだろう。即座に折り返しても四日は猶予がある。その間に方々に連絡を入れることもしないだろうさ。」

「……馬鹿なのか?」


 イオストラは正直に思ったことを呟いた。シスルの眼光がイオストラを刺した。


「誠実、と言っておあげ。……ともあれ、ラタムがお前の帰還を阻むことは、もうないだろう。」


 イオストラは肺の底から息を吐き出した。目に見えていた最後の障害を突破した。新しい妨害が入る可能性は薄い。

 深い安堵の中に仄かな寂寥感せきりょうかんを見つけ出して戸惑う。過酷な旅だったが、悪いことばかりではなかった。悲しみと苦しみの中に、楽しい時間も確かにあった。

 そんな旅路の終わりを惜しむ心地は、アンビシオンで待つサファルやリャナの顔が浮かんだ途端に吹き飛んだ。


「ようやく、終わる。……いや、始まる。」


 イオストラは大きく背筋を伸ばし、そのまま地面に横たわった。砂に埋もれた石畳が柔らかく背中を支えた。頭上には満天の星空が静かに瞬いていた。

 明日と明後日のこの時間は船の上。三日後にはアンビシオンの自室のはずだ。こんな風に過ごす最後の夜に、星空がこんなにも明るいことに気が付いた。何か物悲しくなって、イオストラは目を細めた。


「あまりはしゃぐなよ、イオストラ。運命とかいう奴は意地が悪い。はしゃぐと足元を掬われるぞ。」

「神だの運命だの、私はそんな下らんものは信じていない。」


 漆黒の瞳に輝く星空を映して、イオストラは頑なに言った。


「道は自分で切り開くものだ。私はそう信じている。」

「そうかい。」


 どこか物悲しげに、エルムは呟いた。


「だが人は神の掌の上から逃れられない。俺はそれを知っている。」


 いつもと違う、とイオストラは思った。あるいはその違和感こそエルムの内面への入り口なのかもしれなかった。けれどイオストラは咄嗟とっさにそこに踏み込むことができなかった。

 しんしんとした砂漠の夜に、焚火の爆ぜる音が沁み込んだ。



*****



 生まれたての太陽が砂漠に注ぎ、冷たい夜気をたちまち熱気に置換する。温度差は空気の揺らぎとなって人々の視覚に飛び込んだ。


 海と砂漠に面した交易の街デセルティコは東のカテドラルと西のアンビシオンとの交易の中継地として、古くから多くの富を得てきた。


 リニョン滅亡後の五十年の平穏は、人々に観光という文化を根付かせ、デセルティコに限りのない人と富を流し込んだ。

 ここへ来てアンビシオンで発生した反乱は、デセルティコの民にとって青天せいてん霹靂へきれきであった。アンビシオンに向かう観光客は途絶え、アンビシオンからの観光客も止まった。未だ細々とした交易が続いているが、いずれは中央から禁じられるだろう。デセルティコの黄金時代も、どうやら終わりであるらしい。


 男は腹の底から溜息を吐き出した。

 船から降りてきた人の旅券をあらためるのが男の仕事だった。反乱軍がビクティム要塞を占拠して以降、仕事は非常に楽になった。忙しくしていればすぐに過ぎてゆく時間が、果てしなく長い。

 倦怠けんたい益体やくたいもない思考を生み出し、苛立ちを助長した。

 デセルティコを囲う蜃気楼のベールの向こう側にうっすらとそびえる中央連峰を恨めしくにらむ。あの山の向こうで凄惨な紛争が行われたという事実は、どうにも実感が伴わない。顧みるのは自分の経済的損失だけである。


 汽笛が男の意識を蜃気楼の彼方から引き戻した。朝一番の船が着港し、乗客を吐き出す。パラパラと降りた乗客は旅券を示し、滞りなくデセルティコへと向かう。


「ん?」


 提示された旅券の形式に不審を感じて、男はその持ち主に目をやった。

 男とも女とも、成人とも子供とも見える小柄な人物だった。男は一時、我を失った。その人物はあまりにも美しかった。同じ生き物とは思えないほどに。


「何かおかしいかな?」


 澄んだ美しい女声だった。


「いやね、見慣れない形式だから……。発行者は、と。」


 女から受け取った旅券をよくよく見やって、男は息を呑んだ。発行者は聖教会。見慣れないのも道理である。そんな旅券を持つ者は滅多にいない。


「し、失礼したね。お嬢さん、お名前は?」


 脂汗を拭って問うと、女は口端を吊り上げた。男を見つめる緑の双眼が怪しく輝いた。寒気が男の脊髄を這い上がる。


「ティエラ。」


 白磁のような肌が柔らかくほころんで、冷たい笑みを形作った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る