29. お前など相手にしていなかった

 介入できる闘いではなかった。

 イオストラは突き付けられる己の無力を前に立ち竦んで、エルムが切り刻まれるのを見つめていた。


「な、なんで……? い、いきなり、こんな……」


 カレンタルは状況に対応できていなかった。騎手の戸惑いを感知したオオアシが巨大な後脚で砂を掻く。

 その僅かな動きが皆の注意を引いた、次の瞬間。砂の大地が爆散した。風が生んだ砂漠の地形に不自然な凹みができていた。今になって銃声が耳に届く。無意識に詰めていた息が、高い音を伴って喉を出入りした。


「狙撃……?」


 自分の唇が紡いだ言葉で、イオストラはようやく状況を呑み込んだ。その威力はアンビシオンの軍が装備する兵器の中にないものだった。敵の援護射撃だ。気温に反した冷たい汗が、イオストラの頬を伝い落ちた。


「残念、外したな。」


 余裕たっぷりにエルムは呟いた。追い風が吹いているはずのこの状況で、ラタムはエルムから距離を取った。どこからともなく取り出した小刀を天に掲げ、一定のリズムで回す。光信号だと気が付いた時には、ラタムは信号を送り終えて小刀をしまい込んでいた。その間にエルムの傷は回復する。


「……狙撃手による待ち伏せ、か。なるほど、我々はまんまと誘い込まれたというわけだ。」


 イオストラは苦い気分で呟いた。

 光反射で信号を送ることができるからには、ラタムは狙撃手の位置を知っている。結論は一つしかない。


「いや、この待ち伏せはラタムにとっても想定外だよ。」


 空気が動いた。気が付けば、隣にエルムが立っていた。


「馬鹿な。だったらどうして信号が送れる?」

「魔弾だからね。乗せた力が尾を引くんだ。それを感知すれば飛んできた方向は解るし、着弾から音が届くまでの時間で距離も解る。簡単に割り出せるさ。」

「か、簡単……?」


 イオストラは疑問を持ってエルムの言葉を繰り返した。エルムはイオストラに微笑みかけると、視線をラタムに転じて声を張る。


「因みに俺もすでの位置は把握している。その点、注意してやった方が良いんじゃないか?」

「……わざわざ伝えるまでもないことです。」

「そうか。大した信頼だ。」


 エルムはにっこりと笑って頭を揺らした。瞬間、砂漠を横切った魔弾が頬を掠めてエルムとすれ違った。魔弾の衝突を受けた砂漠が血潮のように砂を噴き上げた。


「かなりの根源ノ力を込めている……。それだけに、尾が長く伸びすぎだ。あと少しだけ伸びれば届くんだけど。」

「……何を企んでいる?」


 ラタムが不審げに眉を寄せる。エルムは黙って肩を竦めた。


「勝てるのか?」


 イオストラは小声で問いかけた。


「不利だな。」


 自信満々にエルムは答える。


「俺の得意分野は創世術だが、砂漠は根源ノ力の空白地帯だ。根源ノ力が薄い場所で創世術を使うのは難しいのさ。近接戦闘でラタムにかなうわけないし。」

「おい。」


 エルムの得意分野が抑え込まれ、ラタムの得意分野に引きずり込まれ、遥か遠方に狙撃手までが控えている。このままでは到底勝ち目がない。


「困ったな。この環境じゃ、魔弾の威力減衰も激しいからさ。」

「それは我々に有利なのでは?」

「いいや、不利だ。」


 きっぱりと言い切ったエルムは、いつも通りの笑みを浮かべていた。不安に揺れていたイオストラの心がふっと静まった。


「誘うか。」


 エルムが手にした二重螺旋の長杖ちょうじょうに炎がまといつく。

 イオストラの頬を熱があぶるる寸前、エルムは砂を蹴って前進した。巻き上がった砂がイオストラとカレンタルを頭から襲う。

 神速の突進を、ラタムは余裕をもって迎え撃った。炎に隠れた長杖と黒い霧を纏う大鎌との回転は重なり合い、一つの動きに収束して演武を為す。


 不意にエルムが流れを変えた。二重螺旋の杖が地面を突いた。杖を中心に砂が隆起し、雪崩なだれ落ちる。崩れる砂山から飛び出したラタムを追って、天から無数の槍が降り注ぐ。

 黒い霞に包まれた鎌が唸りを上げて伸び、エルムの肩を掠めて砂の大地に突き刺さった。それをアンカーとして、ラタムは一気にエルムとの距離を詰める。エルムが後方へ跳べば鎌は地面を離れてラタムを中心に円を描き、鞭のように唸りを上げて追いすがる。二重螺旋の長杖と組み合った刹那せつな、鎌はにわかに鞭から棒へと性質を変じた。

 変化に対応し損ねたエルムが鎌に絡めとられて砂の大地に叩き付けられる。エルムの体が舞い上げた砂がつぶてとなってラタムを襲う。ラタムが急所をかばった隙を突いて、エルムはぬるりと拘束を脱した。


「何なんだ、あの鎌は……」


 紐状にも棒状にもなる変幻自在の鎌。その正体がイオストラにはさっぱり掴めない。


「おや、俺の姫が中を見たいと仰せだ。御開帳ごかいちょう願うとするか。」


 エルムは冗談めかしてそう言うと、長杖をラタムに向けて突き出した。爆炎がほとばしる。ラタムは咄嗟とっさに鎌を盾のように構えたが、それ以上の対応をすることはできず、あえなく炎に呑み込まれた。


「やったッ?」


 肌を刺す熱から顔を庇いつつ叫んだ次の瞬間、イオストラは絶句した。ラタムが掲げ持つ鎌が発する黒い霞が楔型のトーチカを形成し、一本の巨大な黒い矢となって炎の奔流を遡上そじょうする。霞が削れ落ち、盾が見る間に薄くなる。完全消失よりも一瞬早く獄炎を脱したラタムが得物を振るう。き出しになった鎌を見て零れそうになった悲鳴を、イオストラは辛うじて噛み殺した。


 それは何かの生き物の骨だった。異様な数の関節を持っている。折り畳まれて一本の長い棒を為し、展開すれば柔らかな関節が繋ぐ骨は長く伸びて鞭のようにしなる。

 先端の鎌状の構造は、腕の骨の途上から突飛に伸びた巨大で鋭い鉤爪かぎづめだった。二個目の関節の先端にある生々しい獣の足が、グロテスクな鎌をさらにおぞましく映し出す。


「な、何ですか、あれ……!」


 カレンタルが泣きそうな声を上げた。


「だから言っただろう、腕だって。」


 エルムは伸びた鎌の先を捕らえてうそぶいた。ラタムは微動だにしなかった。彼が手首を返せば、鎌は生きているように自在に関節を動かしてエルムの身体を打った。ラタムが距離を詰めれば関節が折り畳まれて一本の長い棒へと変化を遂げる。


「う、腕……?」


 繋ぎ合わせたものではない。確かに一本の腕なのだろう。だが生きた姿が想像できない。何の腕だというのか。


「何にせよ、見やすくなった……」


 エルムは鎌を受け流す。霞を纏った大鎌は捉えどころがなく、何か不条理な力によって動いているかに思われたが、そうではない。鎌はただ物理法則に忠実だった。それが意思を持つかのようにのたうつのは、ラタムの技術によるものだ。それが解ると、一層恐怖が増した。


 距離をとろうとしたエルムを鎌が追う。エルムが鎌の頭を潜る。ラタムの腕の僅かな動きに敏感に応じて軌道を変じ、果てしなくエルムを追いかける。根負けしたエルムが足を止めて鎌を受け、刃を受け流した次の瞬間、ラタムは最適な間合いに踏み込んでいた。

 エルムの眼球にラタムの二指が食い込む。のけぞったエルムを、棒状に変化した鎌が細切れにする。


 肉片の隙間を通過して着地すると同時に踵を返し、ラタムは再び鎌を振るう。


「痛って……。お前、本当に容赦な――」


 言いかけたエルムが両断される。上半身と下半身が諦めたように輪郭を揺らがせ、溶けた。零れ落ちた緑の輝きが爆発的に変異し、溶岩となってラタムを包む。鎌が地面を払い、吹き上げた砂が壁となって熱を減じる。

 灼熱に炙られて立つラタムの背後にエルムが現れた。長杖をラタムに向ける。上空には杖と照準を同じくする氷の槍が浮いていた。


「そ、そこまでしなくても……!」


 イオストラの隣でカレンタルが慌てふためいた。


 カレンタルの目にはエルムが押しているように見えるのだろう。斬っても斬っても再生するエルムに翻弄され、派手な攻撃に晒され続けるラタムは確かに不利に見える。


 だがイオストラの見る限り、現状で不利なのはエルムだった。この環境は創世術主体の戦闘に不利だとエルムは言い切っていたではないか。近接戦闘の技能は圧倒的にラタムが勝っている。創世術の行使も肉体の再生も、エネルギー源はエルム自身の創世力であって、それには限りがあるはずだ。インドゥスでの体験を鑑みれば、余裕がある状況ではない。

 にもかかわらず、エルムは明らかに力を浪費している。実現性が薄いことを実現するほど多くの力を要するのなら、灼熱の砂漠に氷を生むなど以ての外ではないか。


 この状況で、何故そんな無駄遣いをする。

 勝負を投げているとしか思えない。

 このままでは宣言通り、ラタムがエルムを削り殺すだろう。


「エルム……!」

「慌てるなよ、イオストラ。」


 氷の槍が射出される。ラタムを間に挟んで溶岩と氷がぶつかり合い、昇華した。瞬間的な体積の膨張が生んだエネルギーが爆風となって砂漠を吹き荒らす。

 温度差によって生じたあらゆる災禍さいかはカレンタルとイオストラを素通りしたが、ラタムには悪意を増して牙を剥いた。全身を打った衝撃と視界を埋め尽くし肌を襲う砂嵐の中で、ラタムは防御姿勢を取って微動だにしない。

 不意に砂嵐が収まった。エルムがラタムの頭上で杖を構えていた。杖の先に集った光が凶悪に空気を歪ませる。一瞬遅れてラタムが視線をエルムに向ける。


「何故だ?」


 イオストラの口から疑問が零れた。砂嵐による視界不良を利用して不意を打てばそれで良かったはずだ。それなのに、このタイミングで砂嵐は不自然に収まった。不意打ちを厭うエルムではないはずなのに。

 イオストラと同じ疑問を抱いているのだろう。ラタムもまた怪訝な表情を浮かべつつ、迫る攻撃へ対処しようと静から動へ移る。


 大地から立ち上る熱を切り裂いて飛来した魔弾が、停滞した時を吹き飛ばした。エルムが展開した五重の防御壁の内の四つまでを打ち砕いた魔弾は、五つ目に半身を喰い込ませて停止した。


「惜しい。」


 どこかに身を潜めているであろう狙撃手へ称賛とも侮蔑とも思われる言葉を零して、エルムは光を撃ち出した。ラタムは鎌の刃を盾として光をさえぎったが、光の照射は終わらない。焦らすように光は強さを増してゆく。


「シスル!」


 焦燥を宿したラタムの声が砂漠に響く。直後、エルムの頭が弾け飛んだ。ラタムが目を見開く。頭蓋骨を打ち砕かれて脳漿のうしょうを撒き散らしながら、エルムは確かに笑っていた。ラタムは舌打ちをして、崩れ落ちるエルムに鎌を振った。エルムの身体はからかうように揺れて消える。

 再び姿を現した時、エルムは一人ではなかった。


「惜しかったな、ラタム。」


 金の髪と青い目をした女の首に指を這わせて、エルムは嫣然えんぜんと笑った。


「俺は初めからお前など相手にしていなかった。今日のお相手はこの子でね。」


 ラタムの灰色の目に怒りの炎が燃え上がる。人質の女が顔を歪めた。イオストラは唖然とエルムを見つめた。


「ひ、人質……」


 イオストラは呟いた。

 卑怯者、という言葉は辛うじて胸中に留まった。

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