28. 英雄を殺すのは

 アンビシオン領主の五男、サファルの私室には、緊迫の空気が漂っていた。ローテーブルを挟んで座る二人の男から湧き出しているものである。


 二人の間に立って、リャナは己の苦労にしみじみと思いを馳せた。クエルドと直に会ってみるべきだとサファルに言えば「ヒルドヴィズルは凶暴で恐ろしいから嫌だ」と言い、サファルに会えとクエルドにえば「男性は腕力が強くて恐ろしいから嫌だ」と答える。どうやらリャナは臆病な男二人の間で壁の役割をさせられていたらしい。

 そうと悟ったリャナの怒りを目の当たりにして、ようやく二人は接触を果たした。


「やっと直に会うことが叶いましたね。」


 クエルドが嫌味っぽく口を開いた。


「ああ、全くだ。貴殿がもう少し早く声をかけてくれれば良かったのだがな。」


 サファルは余裕ぶった態度で鷹揚おうように頷いて見せた。


「ああ、申し訳ないことでした。お互い、慎重になりすぎたようです……」


 慎重じゃなくて臆病でしょう、というリャナの言葉は、あくまで胸の内に留めたものである。


「貴殿は人の身を超越した存在なのだろう? 私などに慎重になる必要はないように思うが……?」


 サファルは探るように目をすがめた。


「人の身を超越したなどとおこがましい。ヒルドヴィズルは言うほど特別なものではありません。弱点を正しく突いたなら、人間でも勝つことができますとも。」


 そう言って、クエルドはわざとらしく眉をひそめた。


「そもそも闘う羽目になったのはイオストラ様のミスですがね。大人しくしていれば、我が主が彼女を最短で皇帝にして下さったでしょうに。」

「待ってるだけで良かったと?」

「ええ。何もしなければ何の問題も起きなかった。彼女は努力が空回りする人のようです。」


 クエルドは挑発するように言った。サファルは頬をひくつかせた。


「しかしこうなってしまっては仕方がありません。イオストラ様が御身の安全を確保して下さるまで、我が主も大きな動きはできませんが、最大限助力はいたします。サファル様には座してお待ちいただきますよう。」


 態度だけは丁寧に、クエルドはサファルに無力を突き付ける。


「さて、なかなかそう言うわけにもいかなくてね。私も私なりにイオストラの勝利に貢献したいのさ。人がヒルドヴィズルに勝てるというのなら、その方法を是非教えていただきたい。」


 怒りを抑えた声でサファルは問うた。


「ええ、勿論お教えしますよ。……もっとも、私などよりも白の魔法使いの方がよほど詳しいはずですが。」


 リャナは首を傾げる。クエルドはサファルに対して妙に攻撃的で、しかも恩着せがましい。しかもサファルはそれを納得しているように見える。これは一体、どういうことだ?


「聞こう。ヒルドヴィズルへの対応策とは何だ?」


 サファルはため息交じりにそう言うと、足を組んだ。応じるようにクエルドはやや姿勢を崩した。


「一つ、ヒルドヴィズルは常に超人的な力を発揮しているわけではありません。我々は創世力そうせいりょく——奇跡を起こすエネルギーを人よりもはるかに多く保持していますが、それだけで闘えるわけではない。体に刻み込まれた身体強化の創世式そうせいしき励起れいきさせた時のみ、ヒルドヴィズルとしての性能を発揮しているのです。ですから不意打ちが極めて有効です。」

「不意打ちって……」


 呆れたようにサファルは呟いたが、クエルドはごく真剣な様子だった。


「あるいは動揺させて身体強化の制御を甘くさせるのも有効です。相手の精神を揺さぶるのは対ヒルドヴィズル戦では特に大切ですよ。身体強化であろうとその他の創世術であろうと、精神の乱れが制御の失敗に直結しますから。口も大事な武器です。」


 クエルドは自分の口を指さして、白い歯をき出しにした。


「相手が使っている身体強化の創世式が解ればさらに細かな対策が立てられます。九割超のヒルドヴィズルは近接主体か遠距離主体かの二択を迫られ、いずれかの汎用式はんようしきを刻むことになります。自分専用にカスタマイズした式を刻んでいるヒルドヴィズルは……尖った性能の方が多いですね。支援特化、妨害特化、隠形特化、などなど。ただでさえ個性豊かな性能が、ますます個性に満ちてくる。」


 クエルドは二本立てた指をサファルに突き付けた。


「二つ、個体ごとの性能の差が激しすぎること。これはぐんとして重大な欠陥です。性質も力量も異なる集団は統制を取るのが難しく、作戦の実現性も測りがたい。この状態を緩和するために性質ごとに群を分けているわけですが、それでも力量差は歴然と存在します。群を率いているのは強力なヒルドヴィズルですから、弱い個体に対する理解に欠けているところもあります。……平然と無理難題を押し付けてくるんですよ、彼ら。」


 妙に実感のこもった言葉を吐き出した後、クエルドは気分を変えるように首を横に振った。


「三つ、先の発言と矛盾するようですが、彼らは少数精鋭です。数の差は圧倒的。これを埋めるはずだったライフィス殿下の軍とは連携が取れていません! もはやイオストラ様が再進撃されるまでに合流するかどうかも怪しい……。数の暴力に訴えましょう。伝統的な最優の戦法『囲んで殴る』を適用するのです。」


 束の間、サファルは黙り込んだ。


「貴殿はどこまで本気で喋っている?」

「私は常に本気ですよ。数の優位を生かすなら囲まなければ。勿論、素手では危険なので『囲んで撃つ』が正確ですが。有効な戦法ですよ?」

「そ、そうか……?」


 呟いて、サファルは視線を泳がせた。


「要するにですね、敵がヒルドヴィズルであるからとあまり悲観することはないのですよ。数の利を生かし、削れるところから削りましょう。たった百騎、恐れるに足りません。恐怖の壁が一番高いでしょうね。」

「随分と簡単に言ってくれるな。」


 サファルは苦い顔で呟く。


「一騎で一軍を皆殺しにするような危険な個体はいないんだろうな?」

「いますよ。」

「だよな。流石にそんなのがいるわけ……いる?」

「ご安心ください。今回出撃してきた中ではラタム氏だけです。」


 クエルドはにこやかに言った。


「あ、安心できるか。一騎いるんだろう?」

「今頃は白の魔法使いと交戦中ですか……。始末していただけると良いのですが、難しいですかねえ。まあ、彼に関しては対策があります。ご利用の身体強化術式を把握していますので。」

「というと?」

「術式の全貌が解ればそれを打ち消す式を設計し、戦場に展開することができるのですよ。」

「なんだと?」


 サファルが身を乗り出した。


「つまり、それを使えばヒルドヴィズルは人間になる?」

「人間になると言えば語弊がありますが……ジャマーがうまく刺されば性能の過半を封じることができます。」

「そんな便利なものがあるのか!」

「便利とばかりも言えません。ジャマーの歴史はその無効化とのいたちごっこの歴史です。術式ジャマーが投じられれば術式ジャマーキャンセラーが開発され、するとアンチ術式ジャマーキャンセラーが、さらにアンチ術式ジャマーキャンセラーイレイザーが、そして——」

「あの、それ使えるんですか?」


 リャナは思わず口を挟んだ。


「ああ、使えますよ。抜本的な対策として汎用術式にランダム領域を加えるようになったことで、ジャマーは対集団兵器としての効力を失い、その歴史を閉じたのです。……が、それだけによほど用心深いヒルドヴィズルでも対策していません。無効化術式を作ったところで使うための装置も手元にないですし。」

「使えないじゃないですか!」

「……このアンビシオンにあるんですよ。術式ジャマー。」


 クエルドは声を潜めた。


「大聖堂に。」


 大聖堂。かつて西方教会が本拠地とした巨大な建造物である。アンビシオン中央に鎮座する巨大な白い立方体で、建材の継ぎ目もなく、傷も穴もない。入り口さえない。西方師団がリニョン王国を去って以降、幾度も調査団が派遣されたが、一度として中に踏み入ることはできなかったという。


「大聖堂は許可された者にしか扉を開かない。白の魔法使いならば開けることができます。」


 クエルドの言葉に、サファルは腕を組む。


「つまり、イオストラの帰還待ちか。」

「そう言うことです。ラタム氏はそれで完封できます。他にも危険なヒルドヴィズルは何騎かいますが、今回は出てこないはずです。」

「なるほど、それなら安心だ。」


 サファルは深く頷いた。


「そうでしょう。」


 クエルドも同調する。そうかなあ、とリャナは首を傾げた。


「ところで、」


 ふと、サファルは冷えた目をクエルドに向けた。


「貴殿は先ほど、その危険なヒルドヴィズルとエルムが交戦中だとか言わなかったか?」

「言いました。」


 クエルドはあっさりと頷いた。


「それは……大丈夫なのか?」

「最低限の手は打ちました。白の魔法使いなら何とかするでしょう。」

「どんな手を打ったと?」

「およそ英雄を殺すのは強い敵ではなく、弱い味方なのですよ……」


 笑みの形に細められた目の奥に、酷虐な光がちらついた。



*****



 間に合った。

 緊張を溶かす安堵を拒否するように、シスルは首を振った。


 ビクティムに戻れというラタムの指示に従うことはできなかった。五騎で挑むはずのところを一騎で挑むなど無茶無謀にもほどがある。


 死にたがっている、としか思えなかった。


 思い返せば、彼はずっとそうだった。死ぬ機会を待っているかのように、淡々と己の生を消化していた。


——死なせたくない。


 人の身では持ち上げることすら叶わぬ巨大な銃を構え、熱砂に自重を沈める。銃に刻まれた遠視の創世術が肉眼では点としか見えない人影を拡大し、シスルの目に戦闘状況を映し出す。


(あれが、白の魔法使い……)


 砂漠の太陽を弾く白銀の髪が、術式越しに目を焼いた。思わず細めたシスルの目に、抜けるような青空を映した目が飛び込んだ。シスルは身を固くした。


 気づかれている?


 浮かんだ不安を懸命に噛み殺す。この距離だ。有り得ない。


 大丈夫。シスルは息を吐き出して、呼吸を止める。距離は十分以上にある。ラタムならすぐに連携を取ってくれる。こちらの位置が捕捉されるよりも前に仕留められる。捕捉されたとしてもシスルへの攻撃を見逃すラタムではない。


 激しく動き回る標的にピタリと照準を張り付かせ、シスルはゆっくりと引き金を絞った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る