25. 遅くなんてありませんから

 インドゥスから届いた手紙は、アンビシオンの政庁をにわかに活性化させた。

 イオストラの印章いんしょうがくっきり押された手紙には彼女の現状が記されていた。インドゥスに到達。デセルティコから船でアンビシオンに戻る予定、と。


 イオストラは三日ほどでアンビシオンに戻るはず。楽観がアンビシオンを支配した。


「実際のところ、イオストラが戻ったからって大して状況は変わらんがなあ。」


 空気が弛緩する中で、サファルは不機嫌に独りちた。


 現状アンビシオンが無事なのはヒルドヴィズルの行軍が不可解な遅延を見せているためだ。恐らくイオストラの孤立と無縁ではないだろう。あるいはイオストラの帰還と共に動き出すかもしれない。そうなればすぐにも勝敗は決するのである。


「状況は変わりますよ。イオストラ様の身の安全が確保されるのですから。」


 サファルの独り言に反応したのはリャナだった。イオストラがアンビシオンから連れ帰った少女。暇を見つけては彼女に接触しているサファルだが、イオストラが彼女の何を評価して傍に置くのか、未だによく解らなかった。


「身の安全、か。それはどうだろうな。」


 サファルが呟くと、リャナは怪訝な顔をした。


「どういうことですか?」

「……イオストラには敵が多い。」

「存じ上げておりますよ。どなたが味方でどなたが敵だか。新参者の私にはさっぱりですわ。」


 リャナはことのほか冷たくそう言って、横目でサファルをにらんだ。


「そうかそうか。じゃあ新参者に教えてやろう。」


 強いて砕けた態度でそう言って、サファルは二本の指を立てた。


「イオストラの対外的な敵は、ざっくり二種類だ。一、現在の皇帝である叔父とその支持者。二、聖教会。玉座と聖教会は建国時から深い関係を持っていてな。聖教会が帝政に何かと影響を及ぼしてきたわけだ。イオストラの母である先代はそれを憂いて聖教会を解体しようとした。そして何者かに暗殺され、継承権一位だったイオストラをすっ飛ばして叔父が戴冠たいかんした。ここまでは解るよな?」

「基本ですね。」


 リャナはあっさりと頷いた。


「ただ、先帝崩御ほうぎょの原因をかたくなに現在の皇帝陛下や聖教会に求めるのは理解しかねますが。証拠はあるのですか?」


 サファルは答えず、ただ口端を吊り上げた。数秒の沈黙が降りた。リャナの表情は、次第に疑問の色を深くした。


「……ないんですか?」

「俺の知る限りは。」


 サファルは答えて肩をすくめた。


 皇帝が倒れ、幼い娘の順序を飛ばして弟が玉座に就いた。事実はこれだけなのである。先帝が聖教会に反発していたことも、玉座に就いた弟が聖教会に恭順していることも事実であるが、それは二人の皇帝の数ある特徴の一つに過ぎない。


「点在する無数の事実をそれぞれが都合よく組み合わせ、自分の説を補強する要素ばかりを引っ張ってきて、それっぽい物語を作る。イオストラが勝てば、根拠なぞなくてもそれは事実になる。時にはそうやって歴史が創られることもあるんだろう。」


 サファルは皮肉っぽく言った。


「イオストラ様はそんな嘘を吐く方ではありません! 嘘に踊らされるような愚か者でもない!」

「疑うことを知らない子供の頃に身に着けた知識は常識になっちまうものでな。イオストラにとって先帝が聖教会に謀殺されたってのは常識であり、前提なのさ。」


 リャナの瞳が鋭さを増した。


「イオストラ様は、誰からそれを聞いたのですか?」

「俺の親父様さ。」


 サファルは正直に答えた。


「あいつは旧リニョン王国の無念と怨念に包まれ、反乱の旗頭になるべくして育てられた。」


 リニョン王国の王族の血を継ぎ、聖教会解体派でもある。イオストラの立場は特別すぎた。皇帝に一番近い身分でありながら、少数派との親和性があまりにも強い。


「アンビシオンはイオストラにとって絶対に安全な場所ってわけじゃない。この戦いに負けたら、ほとんどの責任がイオストラに被せられることになる。イオストラがいなくなった途端のジジィどもの慌てっぷりもそれが原因だろうさ。敗戦の責任から自分たちを守る盾が消えたんだ。ヴァルハラの開門はアンビシオンの連中に負けを意識させるのに十分なインパクトだった。下手すりゃ後ろから刺されるぞ、イオストラの奴。」

「何よ、それ……!」


 リャナが吐き出した声は、汚泥のように濁っていた。握った拳が細かく震えている。リャナは目を閉じて何度か首を横に振ると、大きく息を吐いた。震えが収まった。


「よく解りました。アンビシオンにイオストラ様の味方なんていなかったんですね。」

「待て待て! 俺は味方だ!」

「どこが? イオストラ様の状況を見ていて、何もしなかったんですよね?」


 サファルは息を呑んだ。リャナの言葉は、残酷なほど正確にサファルの痛いところを突いた。


「お前、きつい女だな。イオストラの侍女じゃなきゃ屋敷から放り出せたのに……」


 サファルは引き攣った笑みを浮かべ、冗談めかして言った。


「あら、イオストラ様がいて良かった。」


 リャナは涼しい顔でそう答えた。サファルはゆっくりと視線を天井へと移した。


「認めたくはないが、本当の意味でイオストラの味方と言えるのはあいつだけなのかもしれねえ。」


 サファルは顔を上向けたままでリャナに探りを入れる。


「軍服を着た銀髪の男ですか?」


 リャナはすぐに意図を察したらしかった。サファルは首肯する。


「やっぱ、あんたもあいつのこと知ってたんだな。」

「カテドラルで知りました。」


 リャナは平坦な声で答えた。だからイオストラは彼女をアンビシオンから連れ帰ったのか。サファルは一人納得する。


「サファル様は、彼とは?」

「ああ、子供の頃からの付き合いだよ……」


 胸の悪くなる腐臭の中で出会って以降、エルムは堂々とサファルの前に現れた。


「俺はあいつが嫌いだし、あいつがイオストラの傍にいるのは良くないことだと思っている。だが、イオストラの唯一にして最大の味方だという気もしているんだ。」


 自分の気持を言葉にして、サファルは悪寒を覚えた。どうしてあんな奴を認めねばならないのかと、身体が厳重に抗議している。


「あの人は一体、何者なのでしょうか?」


 リャナの目に探るような色が混じる。彼女がエルムの正体を探っていることを、サファルは把握していた。


「俺もずっと疑問に思っていた。十年来ずっとだ。だから観察もしていたし、それなりに調べたりもしたさ。……白の魔法使い、なんて言葉には自力じゃ辿り着けなかったが。」


 サファルの言葉に、リャナの目元がぴくりと動いた。自分の調べ物をサファルに把握されていたことに気が付いたのだろう。


「あいつは……ただイオストラの願いを叶えようとしているだけだ。俺にはそう見える。」


 リャナは目を瞬かせた。以前イオストラに同じことを言った時の反応を思い返して身構えたが、幸いリャナは落ち着いていた。サファルは先を続ける。


「エルムの外見が人間だから、俺らはつい人間としてあいつのことを考えちまうが、よく考えると本体はあの玉だ。あの玉に含まれるエネルギーを使って、コミュニケーションツールとしての人体を作っているに過ぎない。もしかしたらあいつの本質は、俺たちが思っているよりも曖昧としたものなんじゃないか?」


 リャナとサファルは、恐らく同一のエルムを見ている。銀色の髪と七色の目をした、人間離れした美貌の男。だがそれは果たしてあの宝玉の創る人体の固定の姿なのか?


「イオストラがエルムを定義した、とあいつは言っていた。」

「持ち主が違えば違う形になるのではないか、と?」


 リャナの言葉に、サファルは頷く。


「例えば俺が持ち主になったら長い黒髪の美少女戦士になるんじゃないか?」

「イオストラ様の理想の姿があれだというには、少し突拍子もない姿ではありませんか?」


 サファルの言葉を綺麗に無視して、リャナは的確にサファルの説の穴を突いてくる。


「まあ、確かに。」


 長く伸ばした前頭部の銀の巻き毛。反して後頭部は短く切った剛毛。長い睫毛まつげの奥の目は見る角度や周囲の色に合わせてころころと色を変える。一概いちがいに理想的な外見とするには奇妙な点がいささか目立つ。


「ま、まあ、外見のことは置いておこう。あいつの性格や行動だ。」

「イオストラ様の楽しみを横からかっさらうような真似ばかりしますし、彼女が失敗すれば猛烈な嫌味を吐き散らすし……。とてもイオストラ様の願いを叶えるためだけの存在とは思えませんけど。」

「ああ。あいつはイオストラ本人には何かと酷な接し方をする。楽しもうとすればそれを遠ざけるような真似をするし、頑張ろうとすれば気力が削がれるような提案を持ち出してくる。そのくせ本人がいないところではやたらと甘やかそうとする。……なあ、リャナ・アーダ。」


 サファルは視線を鋭くしてリャナの顔を覗き込む。


「イオストラは自分に厳しい奴だと思わないか?」


 リャナはきょとんとした表情でサファルを見つめ返していた。やがて何かに気が付いたように視線を揺らした。見る間に顔色が変化する。


「待って……。待って下さい。まさか……!」

「有り得ないってことはないだろう?」


 リャナは目を伏せた。彼女の脳内で、サファルの説とエルムの行動との突き合せが行われているのだろう。やがて彼女は何らかの結論に達したらしかった。青い目が真直ぐにサファルに向けられる。


「サファル様。私、今気が付いたのですが……」

「なんだ?」


 彼女はどんな結論を出したのか。サファルは身を乗り出して答えを待ち構えた。


「私を伝書鳥代わりにするの、やめていただいてよろしいですか?」


 サファルはギョッとした。リャナは半眼でサファルをにらみつけた。


「な、何のことだ?」

「誤魔化さないでください。二人して私に情報を流して、あるいは聞き出して! 監視するような真似までして! ああ、腹立たしい! お二人で直接やり取りしてください。紹介しますので。いつがご都合よろしいですか?」

「ま、待て。落ち着け。」


 サファルは懸命にリャナをなだめた。紹介などされては困る。何故わざわざ彼女を挟むような形を取ったか、この女は解っていない。


「ヒルドヴィズルと直接会うのは避けたいんだ。怖いじゃないか。」

「あら、素敵な発言ですこと。イオストラ様に言いつけますよ。」


 リャナの言葉に、サファルは身を固くした。


「イオストラ様のために何かしましょうよ。遅くなんてありませんから。」


 続いた言葉に、サファルはぽかんと口を開ける。リャナは子供を安心させるような温かい笑顔を浮かべていた。


「……お前、いい女だな。イオストラがいなかったら惚れてたわ。」

「あら、イオストラ様がいて良かった。」


 リャナは涼しい顔でそう言った。サファルはニヤッと笑って気合を入れる。


「よぉし、カテドラルの協力者の使いと対面だ! イオストラが無事玉座に辿り着くための策を、三人で組み立てようぜ!」

「あ、水を差すようですけどサファル様。あの男、いつも不意に来るので次がいつになるか解りません。」


 ちなみに前回は今朝でした、とリャナは付け加えた。

 奮い立った勇気とやる気が熱となって顔面に集まり、サファルの顔を赤に染めた。

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