第四章 落ちる黒髪

20.彼はイオストラ様の味方です


 眠りに落ちていた街が緩やかに覚醒してゆく。

 広場に横たわっていた人々はそれぞれに立ち上がると、おぼつかない足取りでインドゥスの街に散って行った。彼らは意思を感じさせない動きで街を片付けると、各々フルミナの術中に落ちる前にいたであろう場所に帰り付き、同じタイミングで我に返った。


 一瞬にして進んだ時計の針に、各所に残る隠し切れない破壊の痕跡に、人々は大いに驚いた。小さな違和感は日常へと埋没し、街は速やかに普段の喧騒に立ち返った。


 そのざわめきの合間を縫うようにして歩く少女がいた。

 ぼさぼさになった長い黒髪、汚れて破れた服、擦り傷の目立つ肌。大きな黒い目はきつい鋭さを帯びている。美しい少女なのに、今はみすぼらしい印象が先立った。彼女がイオストラ・オーネ・レイカディアである。


 イオストラはまず司鳥しちょうきょくに向かった。一定以上の規模の街には必ず存在する、伝書用の鳥を管理する施設である。


 通常便において伝書鳥でんしょどりは大量の手紙を抱えて地域内の街の司鳥局を順に巡り、各局の職員がその街宛の手紙を抜いて鳥を次の街へと送り出す。これを利用した場合、インドゥスからアンビシオンに手紙が届くまで数日を要する。


 他方、速達便では一つの街の司鳥局に向けて鳥を飛ばす。一羽が一つの道しか覚えないから、届け先の数だけ鳥を飼育せねばならない。このため速達便の利用料は通常便のそれとは比べ物にならないのだが、急ぎの手紙には重宝する。


「アンビシオンまで、速達で。」


 覚悟を決めてイオストラが言うと、局員が料金を告げる。イオストラは財布をのぞいて切ない溜息をいた。資金は潤沢とは言い難い。だが情報は鮮度が大切であることはイオストラもよく知っていた。レムレスの敗戦から三日。すで十分じゅうぶん以上に出遅れている。


「頼む。」


 イオストラは不器用な手付きで財布から銀貨を引っ張り出して局員に手渡した。局員から小さな筒がイオストラの手に渡る。待ち時間に見覚えた手順をなぞって手紙を丸め、筒に入れて局員に戻す。


「アンビシオンのどちらまでですか?」

「政庁……サファル・ナールソンまで。」


 イオストラの答えを受けて、局員は筒に細かな字で手早く宛先を刻み、器用に鳥の足にくくり付けた。鳥の身体をがっしりと掴み、イオストラに差し出す。

 

 イオストラは外に出ると、手紙を携えた鳥を空へ放った。


 鳥は数度羽ばたいて空気を捉え、大空へと舞い上がる。取り残された数枚の羽根がゆっくりと舞い降りる。しばしその姿を目で追って、イオストラはきびすを返した。


 自分たちを襲った小さな異常のことなどすっかり忘れて、街は賑わいを見せていた。



 *****



 砂漠の白砂に映る鳥影ちょうえいが、見る間に小さくなっていく。

 山肌を流れる風を捉えて、伝書鳥は急峻な連峰を乗り越えた。

 ひしめく枝葉が形成する緑の絨毯じゅうたんを眼下に捉え、奇岩が形成する崖を潜り、山から流れ出す川を辿って飛んだ先。

 リニョン王国の旧王都、アンビシオンがそびえていた。



 *****



 白の魔法使いに関する伝承は、世界に広く残されている。

 その気になって調べてみれば、これまで知らなかったことが不思議なほどだった。


 いずれの伝承においても英雄豪傑に力を与える上位存在として描かれている。堅苦しい歴史書には記されていないのは、その非現実的な立ち位置が原因なのかもしれない。


 ページの上に流れた金の髪を、リャナはわずらわしげにき上げた。


 あらゆる時代、あらゆる場所で英雄の導き手として登場する、白の魔法使い。ある伝承では優しく穏やか。またある伝承では荒々しく残虐。さらに別の伝承ではただただ神秘的。

 人物像は全くバラバラで、一つの存在というよりは立ち位置を表す言葉のような印象も受ける。


「おや、私の意図を理解して白の魔法使いについて調べていらっしゃるのですか? 感心感心。」


 突然声をかけられて、リャナは飛び上がった。振り返ると、わずかに開いたリャナの私室の窓からクエルドが顔をのぞかせていた。


「な、何か御用ですか!」


 リャナは噛みつくように問いかけた。


「用事がなければ来てはいけませんか? 勿論、用事がなければ来ませんが。」


 言いつつ、クエルドはひらりと室内に入り込み、数枚の紙をリャナに差し出した。


「イオストラ殿下がお戻りになられたら、こちらをお渡しください。」


 リャナはその紙に視線を落とす。ヘルマーノ・ロコニオという男に関する人事資料のようだった。


「イオストラ様に、ですか?」

「ええ。必要になるはずです。」


 クエルドは朗らかに笑うと、リャナの手元の本に視線を移した。


「白の魔法使いに関して、有用な知見は得られましたか?」

「どうかしら。」


 リャナは肩をすくめて見せた。


「確かに多くの伝承が残されていますけど、与太話よたばなしばかりですよ。後の人が面白がって作った逸話が大半じゃありません?」


 リャナの懐疑的な意見を受けて、クエルドはくすくすと笑った。


「あなたは本当に、人の意見に囚われない真直ぐな感性をお持ちですね。著名な学者の説でも軽く否定する……。素晴らしい姿勢だと思います。」

「馬鹿にしてます?」


 クエルドの慇懃いんぎんな態度はリャナを苛立たせた。わざとなのだろう。怒らせることでリャナを自分のペースに巻き込もうとしているに違いない。気を落ち着けようと深呼吸した、その瞬間を狙いすましたかのように、クエルドは言葉を重ねた。


「白の魔法使いは実在しますよ。」


 リャナは咳き込んだ。クエルドは内緒話であることをことさら強調するようにせるリャナに顔を寄せ、声を潜めた。


「古くは聖杖の乙女による救済、多くは聖小国乱立せいしょうごくらんりつの時代に勃興ぼっこうし滅亡した国々、最近ではバルティア王国やリニョン王国の建国……。様々な時代、様々な人物と共に、彼の存在が語られています。」


 リャナが積み重ねた本の山を、クエルドはそっと撫でた。


「神聖帝国繁栄の祖である神聖大帝もまた、白の魔法使いの導きを受けた者だそうですよ。」

「仮に白の魔法使いが伝承の通りに存在するとして、」


 リャナは腕を組んでクエルドと向き合った。


「私には彼の意図がさっぱり掴めません。神聖帝国の建国を手伝っておいて、その敵国にも援助を与えている。例えばバルティア、カンビアル、そしてリニョン王国……。代表的なこれらの国々は、まだ解りやすいです。時間がズレていますから。」


 ヒルドヴィズルが歳を取らないことをリャナは知っている。だから何千年にもわたって生きていて、あちこちで影響力を及ぼす存在が有り得ないとは思わない。建国時点で関わっていても時代が変われば彼の思惑から外れてしまう国もあるだろう。それを正そうとして敵を用立てるというのも、理解できないではない。


「解らないのは聖小国乱立時代の振る舞いです。あっちにもこっちにも味方して、悪戯に混乱を助長して……。意図が全く掴めません。」

「それはあなたがあのお方のスケールを捉え損ねているせいですよ。」


 クエルドは軽い口調で言った。


「あなたの考え方、実に普通でよろしい。私の見込んだ通りの方だ。味方だなんて! 白の魔法使いともあろうお方が、人間ごときと対等な関係を築くとでも?」


 クエルドはリャナの部屋の窓枠に腰掛けて、軽く首を傾げた。踏み固められた雪の色をした長髪が、首の傾きに合わせて流れた。


「リャナさん、白の魔法使いにとって人間など取るに足らないものです。個人や一国に肩入れすることはありません。彼は人類を俯瞰ふかんし、一つの方向性に導いているのです。」

「方向性、ですか?」


 リャナは目をしばたかせた。


「……神聖帝国の歴史は戦いの歴史……」


 クエルドは韜晦とうかいするように呟いた。それは有名な歴史書の導入である。


 今からおよそ千年前、聖小国乱立時代に神聖帝国の前身、神聖王国が誕生した。

 水底から湧きあがる泡のように国ができては消える時代に生まれた小国の一つに過ぎなかった神聖王国は、ある王の代に突如として力を付けた。連戦常勝、周囲の国を次々と呑み込んで、飽くなき肥大化を開始したのである。国名が神聖帝国に変わったのはこの頃で、時の王は現在では神聖大帝と呼ばれている。


 以後、神聖帝国は無数の小国を呑み込みながら拡大し続け、三百年ほど前、長年に亘って覇権を争った大国バルティアを下した。第一大陸の北側には未だカンビアル王国が残っていたが、雪と氷に閉ざされ資源も乏しい大地には神聖帝国の食指も動かなかった。


 かくして神聖帝国は建国以来の最大領土を実現した。ここから長い国内紛争の時代が幕を開ける。

 占領したバルティアの民が神聖帝国への不満を武力として示したのである。

 この内乱は泥沼化した。憎しみが憎しみを呼び、そもそもの原因など忘れ果てて人々は延々と殺し合った。バルティア王国の中核となっていた民族・バルト族が絶滅するまで、陰惨な殺し合いが続いた。


 ようやく悲惨な内乱が終結したと思えば、今度はにわかに力をつけたカンビアル王国が南下を開始した。この危機にヴァルハラは開門し、カンビアルの兵士たちとヴァルハラの怪物たちがぶつかった。

 北の山々に積もった雪は、双方の血で赤く染め上げられ、針葉樹の合間は死体で埋めつくされた。カンビアルは再び吹雪の守りの奥に引きこもり、以後は沈黙を続けている。


 ようやく訪れた平和に水を差したのが、リニョン王国の分離独立であった。百五十年の戦乱の末にリニョン王国を下してから五十年、平和とは言い難い情勢不安を経てイオストラの反乱……。


「この国の闘いの歴史が、白の魔法使いの意図に沿ったものだというのですか?」

「ええ。」


 クエルドは素気なく頷いた。


「正確には白の魔法使いと法王さま、でしょうか。聖教会の法王さまと白の魔法使いとは何らかのご縁がおありのようで……私ごときに偉大なる方々の間柄をうかがい知るのは難しいのですが、盟友に近いご関係でしょうかね? このお二方が望まれてのことでしょう。白の魔法使いが敵を育て、法王さまが迎撃する。神聖帝国成立以降にヒルドヴィズルが参戦した戦争・紛争は、全てがこの構造に当てまります」

「聖小国乱立時代の敵国も、バルティアも、リニョン王国も……?」

「ええ。カンビアルを撃退して、外にはもう敵を求められなかった。故にこそ、ヒルドヴィズルを二分してリニョン王国を建国した。……最盛期の神聖帝国から分離独立などと言う離れ業ができたのは、合意の上だったからです。」


 クエルドの顔には笑顔が浮かんでいたが、冗談を言っている風ではない。


「……一応伺いますけれど、あなたの言う白の魔法使いとは、エルムのことで間違いありませんか? あの変態クズ野郎の?」

「あなたは一体、白の魔法使いを何だと思っているのです?」

「半年も一緒に暮らせばそういう評価にもなります!」

「嘘……ですよね? え? あの神秘の存在が? へ、変態?」


 リャナの悲鳴のような声にクエルドは頭を抱えた。リャナは咳払いをして仕切り直した。


「つまりエルムは、神聖帝国の敵を育てるためにイオストラ様のお傍に?」

「でしょうとも。」


 クエルドはショックの抜けきらない様子で肩を竦めた。


「リニョン王国の血を引く姫で、皇帝に対する恨みもある。旧リニョン王国が担ぎ上げるのに、これほどおあつらえ向きな人物がいますか? それをよりにもよって旧リニョン王国の王都に預けて放っておくなんて、不用心にも程がある。」


 むしろ反乱を誘発しようとしているかのようだ、とクエルドは呟いた。


「じゃあ今回、内乱にヴァルハラが介入してきた理由って……」

「エルムさんがいたからですね。ヒルドヴィズルに与えられた任務も、彼を封じた宝玉の回収です。」

「そんな……!」


 リャナがイオストラの安否に関して心配していないのはエルムの存在あってのことだ。だが、彼がいなければイオストラは真当に勝利できていたかもしれないのだ……。


「いよいよ解らない……。どうしてそんなことを? 白の魔法使いに何か得なことがある?」

「それです。」

「は?」


 リャナはきょとんと首を傾げた。


「彼らが何をしているのかについてはほとんど調べ尽くしたのですが、動機がさっぱり解らない。私などではあの方々のお考えを推察するなど、とてもとても……。ですからリャナさんから直接尋ねていただきたいな、と思いまして。」

「え? なんで私? あんたが直接聞けば?」

「そんな畏れ多い。私などがあのお方の前に立つなんて。恐縮の余り消えてしまいます。」


 クエルドは大げさに額を押さえて首を横に振る。リャナは頬を引きらせた。実際に彼の前に立った者が消えるのを目撃したリャナにとっては、冗談では済まない言葉である。


「機嫌を損ねて殺されかねないって言いたいのよね? 私も同じだと思うけど!」

「そんなことはありませんとも。あなたは彼の現在のあるじの大切な部下ではありませんか。彼にとっては味方です。」

「白の魔法使いは人間ごときを味方だと思わないって、あんたさっき言ってたわよね?」

「おや、鋭い……」


 気が付けばリャナは丁寧な態度を忘れていた。頭を振って気を落ち着ける。知らぬ間に相手のペースに巻き込まれ、距離を詰められていた。これは良くない。


「あなた、どうしてそんなことを調べていたの?」


 主導権を握るには自分から質問するに限る。リャナはきつめの声でクエルドに問いかけた。


「秩序があればそれを壊そうとする者が現れるのは当然のことわりでございまして。」


 クエルドは笑みを深めた。奇妙な影が彼の表情を覆った。リャナは息を呑んだ。


 白の魔法使いによる秩序を壊そうとするならば、この男はエルムの敵なのだ。だとするとイオストラの敵ということになるかもしれない。だが聖教会の敵なのだとすると、敵の敵としてイオストラの味方なのかもしれない。


 思考が絡まってしまった。リャナはこめかみを押さえて目を閉じる。


「ああ、ご安心を。私はイオストラ様の味方ですよ。」


 クエルドは猫撫で声で断言した。


「白の魔法使いの敵なのに?」


 探るようにリャナは言った。


「私はあのお方に敵対できる器ではありません。ドラゴンの足元で踏み潰されないように必死になっている鼠のようなものです。踏まれないために進路を知りたい。そう言うことです。」


 クエルドの例え話に、リャナは一応納得した。普遍的に納得するには、彼の目に宿る光が不審に過ぎた。


「一つだけ言っておきます。エルムはあなたの思っているような存在ではないと思うわ。」


 リャナの言葉に、クエルドは目を瞬かせた。


「確かに凄い力を持っています。ちょっと理解を超えたところもあります。」


 言いながら、リャナはこの半年で目の当たりにしたエルムの奇行の数々を思い返していた。


「けれど、伝承ほどに理不尽な存在とも強大な存在とも思いません。度し難いクズではありますけど、彼は彼なりにイオストラ様のことを大切に思っています。彼はイオストラ様の味方ですよ。」


 クエルドはスッと目を細めた。


「人間の尺度であの方を量るなと、申し上げたはずですよ。」

「私、人外の定規は持ち合わせていませんので。」


 きっぱりとしたリャナの言葉に、クエルドは重たい溜息を零す。


「あなたは本当に、人の意見に囚われない真直ぐな感性をお持ちですね。素晴らしい姿勢だと思います。」

「ありがとうございます。」


 素気なくリャナは答えた。クエルドはわざとらしく肩を竦めてから、いつものように窓から外へと出て行った。

 リャナは窓の外に視線をやる。


 伝書鳥が一羽、窓の外を横切った。

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