17. あまり失望させないでくれ※
一射で空の目を潰したことに満足感を抱いて、イオストラは次の段階へと意識を移す。ことは思いのほか順調に進んでいる。
デスガラルが悪手を打ち続けているためだった。機動力のない二人から離れられないエルムと、機動力の高いデスガラル。距離を保たれていたら、あるいはイオストラとカレンタルを積極的に狙われたら、エルムの負担は極めて大きくなっただろう。
だがデスガラルは延々とエルムに斬りかかるばかりで、他には目もくれなかった。
「若い。」
エルムが冷やかに呟いた。圧倒的な速度を誇るデスガラルの連撃に生じた、
エルムの機先を制するように、光の尾を引いて物質ならざる矢が飛んだ。エルムは自身に迫る光の矢を振り返りもせずに切り払う。その一瞬がデスガラルの命を救った。再び襲い掛かる
デスガラルの連撃は先ほどよりもさらに早く、一撃が重くなっていた。
「テルが動き始めたな……」
エルムの言葉を耳にして、イオストラは銃を握る手に力を込めた。やはりテルを先に倒さねばならない。だがテルの姿は見えない。イオストラはそわそわと銃身を撫でる。
「焦らなくていい、イオストラ。空の目は潰した。なら術が有効の間、テルは必ず見える位置にいる。ゆっくり探しなさい。」
デスガラルの攻撃の勢いが明らかに衰えていた。
仕留められずとも、牽制だけで十分にエルムの支援になる。それに気付いて、イオストラは胸を高鳴らせた。
デスガラルの攻撃が突沸した。イオストラは素早く周囲の屋根に視線を走らせてテルの姿がないことを確認すると、エルムの傍らに駆け寄った。
デスガラルとエルムの戦場に向けて口を開ける細い路地の奥に銃口を向け、確認もなく引き金を引く。発射された銃弾の奥に、指先を前に向けた状態のテルの姿が見えた。驚いたような表情が家の壁の向こうに消えた直後、銃弾が石畳を消し飛ばす。
舌打ちをしたところで、イオストラはエルムに足を
「無茶はやめろ、イオストラ。ゆっくりで良いと言ったろう。」
そう言うエルムの背後で、テルが路地を駆け抜ける。放たれた光の矢を、エルムの剣が弾いた。イオストラは座り込んだままで銃を構え、引き金を引く。テルは俊敏に弾丸を
「な、なんだあの俊敏性は……!」
「自分に強化をかけたらしいな。」
「そんなことができるのか?」
「普通は無理だ、な!」
エルムはデスガラルの両爪を止めると同時、
イオストラの脳裏を焦りが侵食する。ゆっくりしている余裕はないのかもしれない。
「うぎゃあああ! 俺の頭が地獄逝き!」
デスガラルが鳩尾を押さえて苦しむ間に、エルムはイオストラを庇うように立ち位置を調節した。
イオストラは横目でカレンタルを見た。エルムの守備範囲ぎりぎりの場所で、彼はデスガラルに銃口を向けていた。顔は恐怖に引き
「カレンタル、銃を降ろせ!」
イオストラはカレンタルの傍によると、小声で言った。銃を向けることでデスガラルを威嚇できるとは思えなかった。下手に刺激してカレンタルを狙われると、かえってやりにくくなる。
「で、でも—―」
「大丈夫だから。私たちに任せろ。」
心優しいこの青年を、こんなにも怯えさせてしまった。自責の念を噛み潰して、イオストラは笑って見せた。
「きっと君を守って見せる。」
全ての民に
しかし語りかけた相手は恐怖に目を見開いて、イオストラの向こう側を凝視していた。
「イオストラ!」
一瞬、誰の声か解らなかった。エルムの切羽詰まった声はあまり聞いたことがなかったから。驚いて振り返ると、目の前にエルムの顔があった。視界の端で何かが輝く。エルムが表情を歪めた。
イオストラの体の前に差し出されたエルムの腕を、光の矢が貫いていた。
血の霧を散らしてテルが屋根に伏す頃、エルムの腹は四本の刃を芽吹かせていた。
「ハートキャッチ! やったね! 引きずり出してソーセージ作ろ!」
凶悪に笑うデスガラルの肩が吹き飛んだ。んぎゃあと叫んでデスガラルがひっくり返る。
カレンタルが手にした銃の口が吐き出す煙の筋が、細く空へとたなびいていた。
*****
白の魔法使いは残酷で身勝手な神だった。
ヒルドヴィズル達の父であり、王。ヒルドヴィズル達は彼を
その白の魔法使いがへらへら笑って無様を
悪夢のような光景だった。怒り、憎悪、嫉妬……。テルの感情は荒れ狂い、押さえようとしてもままならない。
過剰な負の感情がイオストラを過小評価させたのだろう。テルはイオストラをエルムの弱点としか見なかった。
最大の強化をデスガラルに与えた上で、イオストラに向けて
エルムはあっさりとデスガラルに背を向けた。攻撃を背後から受けようとも構うことなく、片腕を犠牲にイオストラを守った。襲ってきた強烈な感情は、テルをその場に縫い付けた。
銃弾に体を貫かれて倒れ伏す刹那、テルは愛しい人の名を呼ぼうとして愕然とした。彼には名前などなかった。
誰も彼を名付けなかったから……。
テルもまた、彼に名を与えはしなかった。
*****
光の矢が消えると、エルムの腕に穿たれた無残な傷跡が露わになった。デスガラルにやられた腹部の傷はさらに重い。深々と突き刺さった爪を引き抜くと、大量の血肉が零れ落ちた。
慌てて傷口を押さえたイオストラを、エルムはやんわりと押しとどめた。
「汚れるからやめておけ。」
「で、でも……」
イオストラは
「そんな顔するな。悩みがあるなら言ってごらん?」
穏やかな空の色を呈するエルムの目がイオストラの顔を映した。ひどく情けない表情をしていた。
「私はまた、足手纏いにしかなれなかった……」
「何を言う。一人倒しただろう。」
「でも、私がいなければこんなにやられることはなかっただろう?」
「それはそうだ。お前の望みでなければ誰がこんな馬鹿馬鹿しい闘いなんぞ—―」
エルムが言葉を切った。不審に思うよりも早く、イオストラは強い力で引かれた。エルムの体に受け止められる。生温かいものが服に沁み込んで、鉄の臭いが
「え?」
血の幕の向こう側で、カレンタルがイオストラに銃口を向けていた。
「な、なにを?」
「あ、あなたは僕を……騙していたんだ!」
ひっくり返った声でカレンタルは叫ぶ。恐怖と怒りに歪んだ頬には、涙の痕が一筋残っていた。
「ああ、フルミナだな。カレンタルを掌握されたか……」
エルムが小さく舌打ちをした。
「お、思い出したんです……。僕は……僕の村は!」
イオストラは息を呑む。
「う、嘘吐き!」
「落ち着いてくれ、カレンタル! それは—―」
カレンタルが銃の構え方を変えた。ひどく震えていた銃口が、ピタリとイオストラに向けて固定される。
「ああ、残念だよ。カレンタル・ロコニオ……」
エルムがゆっくりと立ち上がった。赤く染まった双眼は酷く冷たい。
「イオストラの友達になってくれると踏んでいたんだがね……」
残された腕を億劫そうに持ち上げて、エルムはカレンタルを指さした。殺す気だ。イオストラは瞬時に悟る。
「だめだ!」
イオストラが叫ぶと、エルムは
「やめてくれ、エルム……」
自分でも驚くほどに弱々しい声で、イオストラはエルムに懇願する。
「彼を、死なせてはならない……! ぜ、絶対に! 彼を死なせたら、私は!」
カレンタルを巻き込んだ。彼の全てを失わせたのはイオストラなのだ。故郷も、平穏も、命さえも……。それなのに罪に向き合うことに怯え、彼の記憶の欠落に甘えて
「そんなもの、背負えるはずない……! 無理だよ、嫌だぁ……」
言葉と共に熱い雫が目から落ちた。
「あまり失望させないでくれ、イオストラ……」
冷たい声が降り注いだ。イオストラは涙で濡れた目でエルムを見上げる。氷のような二つの目が、イオストラを見下ろしていた。
「この程度の罪を背負ったらもう歩けないのか? お前の覚悟はその程度だったのか? こんなつまらないことで幕を引くのか?」
滝のように落ちて心を穿つ言葉を前に、イオストラはただ立ち尽くす。
「だが—―」
不意に、エルムはイオストラを抱き寄せて、ダンスのステップのようにくるりと二人の立ち位置を入れ替えた。低く滑らかな声が、イオストラの耳元でそっと囁く。
「お前が望むのなら、それも良いだろう。」
エルムの声をかき消すように銃声が響いた。エルムがくぐもった呻き声をあげる。イオストラと銃口の間に立つエルムの体に、魔弾が次々に撃ち込まれる。
「やめろ! カレンタル!」
イオストラの必死の声は、カレンタルには届かない。肉がひしゃげ、骨が砕け、それでもなおエルムの体は銃弾を絡めとってイオストラに触れさせない。舞い踊る血と肉を、イオストラは身を凍らせて見つめていた。
「そんな顔をするな、イオストラ……」
血濡れの片腕が、確かめるようにイオストラの頬に触れた。
「また、すぐに—―」
エルムの顔が、視界から消えた。エルムの頭を弾き飛ばした銃弾がイオストラの髪を掠めて家の壁を
「……エルム……」
伸ばした手の先で、緑の輝きはふわりと揺れて、嘘のように薄まり、消えた。
イオストラの頬を伝う涙に、最後の輝きを残して。
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