16. さぞや便利に使っているんでしょうね

 インドゥスの街の家々の明るい色合いの屋根の合間を縫うようにして、奇妙な物体が飛行している。光で編まれた網状の球体。内側で転がるのは、六つの虹彩を持つ眼球。覗き見の創世術により生み出された感覚器官、空の目である。

 空の目と共有する視界に届けられるのは沈黙の街ばかりで、動く者の姿は確認できない。


(隠れた、か……)


 テルは薄く目を開いた。どこの誰の物とも知れない部屋の木目の床がじわりと目に沁み込んできた。


(妙に大人しいわね。)


 隔視の映像を視界の端に捉えつつ、テルは組んだ胡坐あぐらの上に頬杖をついた。


 白の魔法使いは力のほとんどを封じられている。それでも並みのヒルドヴィズルでは向かい合うことすら叶わない規格外の敵である。西方師団の幹部ともなれば問答無用で消されることはないが、個体の持つ根源ノ力—―俗にいう創世力—―が違い過ぎる。敵対者諸共もろとも周囲一帯を灰燼かいじんと化す。これは白の魔法使いの常套じょうとう手段だった。

 街の中で仕掛けたのは、住人の命を盾にして面制圧を封じるためだった。以前の白の魔法使いであれば住人の命などかえりみなかっただろうが、イオストラの制御下にある今は違う。玉座を望む者として彼女が最低限の矜持を持つことを、テルたちは信じたのである。実際、住人たちの命は盾として機能した。


 だが、その後の白の魔法使いの動きは完全に想定を下回っていた。面制圧だけが白の魔法使いの武器ではない。近接戦闘も非常に高い水準でこなすし、創世術の幅も広い。純粋な戦士としても稀有けうな実力を持っているのである。テルの援護とフルミナの圧力をもってしてなお、対抗できるかどうかは賭けだった。後衛の二人など意にも介さずデスガラルを叩き潰し、対抗手段を失ったテルとフルミナは八つ裂きにされる。そんな展開になる可能性が高いと思っていた。ラタムとデスガラルでは、前衛としての質が違い過ぎる。

 ラタムが間に合っていれば、と己の浮かべた嫌な想像に向けてテルは言い訳をした。


「あれ?」


 生じた疑問が口をついて空間を揺らした。


?)


 目標を補足した以上、急ぐ必要はなかったはずだ。フルミナからラタムに連絡をしたのだから、遅くとも二日後にはラタムが合流してくるだろう。その後に挑めば、こんな危ない橋を渡る必要はなかったはずなのに。


「どうかしたの、テル?」


 フルミナの声がテルの思考を現状へと引き戻す。フルミナの片目には空の目と視界を共有するための鍵術式が展開していた。


「なんでもないわ。」


 テルは短く答えた。そう、ラタムは間に合わなかった。にもかかわらず、テルたちは苦境に立っていない。

 エルムとか名乗る白の魔法使いが打ったのは逃げの一手。その無様さがテルを困惑させる。


(何か、企んでいる……?)


 自身の思い付きに、テルは懐疑的だった。三騎を相手にしたからとて、あえて企む必要などないはずだ。彼は白の魔法使いなのだから……。


 仮にテルの支援下でデスガラルを倒すのが難しいと判断したとしても、足手纏いの二人をどこかに置いてテルを殺しに来るはずだ。あの二人をフルミナの干渉から守りつつ、テルを探し出して殺す。彼ならそれくらい簡単にできるはず。その時はフルミナが二人を探し出して人質に――


「ん?」


 また疑問が口をついて出た。その作戦だと、フルミナが現在テルと一緒にいるのはおかしい。


「ねえ、フルミナ――」

「まさかまさかと思っていたけれど……創世力を切らしているんじゃないの? あいつ。」


 フルミナが確認するようにそう言った。テルの疑問と注意力は、あっさりと彼女の指摘に吸い込まれた。


「まさか。」


 テルは思わず彼女の言葉を否定する。


「デスガラルの報告によれば、アルボルを倒したのも剣だったらしいわ。それに、私の干渉力を弾く力も、妙に弱々しいのよね。」

「そんな馬鹿な! あれだけの量の創世力、どうやったら切らすのよ?」

「あのお姫様を甘やかして浪費してるのよ。彼ったら、本当にあの子に甘いの。山越えの時だって、周囲一帯の環境を操作してあの子が楽できるようにしていたわ。過保護よねえ。」


 テルの平常心に亀裂が走る。憤怒に歪みかけた表情を、テルは無理矢理笑顔に縫い留めた。フルミナが彼らを捕捉したのは今朝のこと。観察期間はほんの半日程度。その僅かな時間で、そこまで甘やしたと……!


「その程度のことで彼の創世力が使い切れるはずない……。それよりずっと甘やかしているに違いないわ……!」


 テルは震える声で呟いた。火力を増した嫉妬の炎が冷静であろうとする心に熱を加えるのを、苦労して押さえつける。


「さぞや便利に使っているんでしょうね、を……」


 テルは口端を吊り上げた。


「やっぱり嫌いだわ……」

「ええ、そうね……」


 フルミナが赤く塗られた唇をそっと吊り上げた。


「でも、チャンスじゃない? 使。私が圧力をかけている限り、連れの二人から離れられない。……白の魔法使いを鎖に繋いだのよ。」


 ひび割れた平常心に、フルミナの言葉が沁み込んだ。


「そうね。」


 冷たく呟いて、テルは目を細める。空の目が目標物の影を捉えた。口に手を当てて、遠く離れたデスガラルに声をかける。


「デスガラル、三本目の路地を右折して。」

『のをあある!とをあある!』


 奇妙な吠え声を発して、デスガラルは路地を曲がる。


「馬鹿! 突っ込むな!」


 テルの言葉が終わらないうちにデスガラルは白の魔法使いに突進していた。四爪と白刃との衝突が鈍い金属音を響かせる。空の目にまで届いたその音に、テルは思わず顔をしかめた。


「デスガラル、距離を取りなさい。そいつは深追いして来ない! ヒットアンドアウェイに徹して!」


 テルの言葉は甲高い笑い声にかき消される。テルは頭を抱えた。何のためにフルミナの存在を匂わせて白の魔法使いを牽制けんせいしたのか。せっかくかせを着けても、相手の懐に留まっていては意味がないではないか。


「気性も能力も持久戦には向かないのよねえ、彼。」


 フルミナが嘆息した。


「早く言ってよ……」


 テルは恨みがましくフルミナを見上げる。


 支援の精度は支援対象への理解度に準ずるものだ。強化創世術、視界共有、戦況ナビ、援護射撃……。タイミングも方法も、相手によって変えねばならない。

 だがデスガラルという人物は、テルの理解力を超えていた。彼の行動は全く刹那的で、さっぱり筋が通らない。思考は正にブラックボックスで、テルがかけた言葉が彼に及ぼす影響は常にあらぬかたを向いていた。

 テルは一度デスガラルとの視界共有を切った。彼は眼球運動が無駄に活発で、視界を共有すれば意図不明な視線の動きに翻弄されて気分が悪くなる。デスガラルと空の目との視界共有も切断した。自分の視界と他の視界の情報を正しく統合するのは難しい。デスガラルはそれができる人間ではない。


 当分の間は音声によるナビゲーションと戦闘の観察に専念するべきか。


 テルは空の目が伝える情報へと全神経を集中させる。身を隠した空の目が捉える情報を五感全てで受ける。夢に落ちるように、テルの意識は空の目へと吸い込まれていった。



*****



 剣と爪の接触が発生させる金属音と風圧がカレンタルの肌を刺した。カレンタルは状況のみならず人の動きからも置いてけぼりを食らっていた。


 すぐに逃げ出してしまいたかったが、カレンタルのつたない状況理解によれば、エルムから離れるのは危険らしい。鼻先をかすめて振るわれる刃物の群れに怯えつつ身を縮めているしかなかった。


「僕の夢は皆でギスギス世界平和! 心のスプーンを研ぎ澄ませ!」


 さっぱり意味の掴めない言葉を吐き散らす彼の姿は、カレンタルの脳に異様な警戒心を喚起させた。包み込んで封じていた黒くて不気味なものがどろりと漏れ出して這い寄ってくる。


「つまりは、愛なんだよぉおお!」


 四本の刃が空間に弧を描く。純白の刃がその流れを止め、押し戻す。


「何言ってんだ、こいつ。」


 呆れたようにそう言って、エルムは剣を突き出した。デスガラルはぐにゃりと身をよじって刃から逃れた。


「反省しません、勝つまでは! せいせいせいせいせいせいせいせい!」


 言葉と共に振るわれる爪を、エルムは延々と受け流す。瞬きの度に速度を増す八本の斬撃はついにカレンタルの動体視力を超え、連続する音としてしか捉えられなくなった。エルムがどうやって攻撃をいなしているのか、カレンタルには解らない。攻撃を弾き続けるエルムの動きは、さながら演武のようだった。


「イオストラ……」


 演武の最中、エルムは柔らかい声でその名を呼び、剣で空の一点を指し示した。間を置かずにイオストラの銃が轟音を発する。銃口を飛び出した魔弾の軌道上に幾何学模様が浮かび上がり、それを通り抜ける度に魔弾は速度を上げる。


 空の目が高い音を立てて砕け散った。魔弾はさらに速度を上げて、彼方へと飛び去った。

 


*****



 空の目が消滅した瞬間に膝が跳ねた。自分自身の動きに驚いて、テルは跳び起きる。拍動を増した心臓が、苛立ちを脳へと流し込んだ。


「……泥棒猫ちゃん、やってくれるじゃない。」


 テルの呟きに応じたのは、フルミナの忍び笑いだった。


「魔物用の弾丸を加工して作った魔弾か。あんなものに頼るとなると、いよいよエネルギー切れの疑いが濃厚ね。」


 白の魔法使いが歴戦の強者であるのは疑いないが、強力ゆえに数百年にわたってほとんど苦戦を経験していない。つけ入る隙は大きい。


「テル、デスガラルを援護して相手をき回してちょうだい。お姫様を積極的に狙うのがお勧めよ。」


 フルミナはそう言い置いて空の民家を後にする。テルもまた、溜息一つ零して立ち上がった。


 主不在の家に、扉のきしむ音が控えめに響いた。

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