15.今は邪魔なんだ

「フルミナ、ね。どういうただれた付き合いをしていた相手なのだ?」


 エルムの口から出た名前を聞くなり、イオストラは棘を含んだ声を投げつけた。カレンタルがこそこそとイオストラから距離をとる。


「おいおい、お前はどういう目で俺を見ているんだ? フルミナとその手のお付き合いはしていないぞ。」

「どうだか。」


 イオストラはエルムから顔を背ける。何故だか妙に腹が立った。エルムは困ったように両手を広げる。


「ああ、了解したよ、イオストラ。さてはお前、俺を独り占めしたいのだね? お前の気持はもっともさ。安心おし。お前を不安にする過去の女どもは、今から俺が血祭りにしてやるからねえ。」

「そんな言葉で私が喜ぶとでも思っているのか? この屑が!」

「おや、嬉しくないのか? ちなみに俺は今のお前の言葉が嬉しくて仕方がない。」

「変態!」

「ご褒美をありがとう。」


 イオストラは息を吐いて怒りを散らす。この男の言葉にいちいち腹を立てていたら身が持たない。


「それで、フルミナとは何者だ?」

「四幹部の一人さ。テルが支援の専門家ならフルミナは妨害の専門家だ。特に得意とするのが相手に幻を見せる技でね。」


 エルムはちらりと視線を動かした。硝子ガラスに閉ざされた小さな窓の向こう側には、人のいない街が広がっている。


「非常に繊細で難しい技術だ。とてつもない手間とセンスを要する。そして大抵の場合、手間と成果が吊り合わない。格下にしか通じない技さ。俺にはまず効かないし、俺の目が届く範囲にいる限りお前達にも通じない。」

「それなら何の問題もないように思うが。」


 イオストラは小首を傾げた。


「問題あるとも。今のは普通なら、という話でね。フルミナは天才だよ。それでも俺には効かない。だが、お前達を守るのはかなり難しい。俺から三歩以上離れるな。意識をかっさらわれるぞ。」

「すると、どうなる?」

「さて、どうなるかな……。全てはフルミナ次第さ。」

「精神上のことだけだろう? 実際には何の危険も……」

「あいつに囁かれた、ただそれだけで死んだ者が何人いると思う? 人間の意識というのはね、ほんの数秒で世界の外側さえ夢想する力を持っている。それを意のままにいじくられたら心など容易たやすく壊れるだろうさ。」


 イオストラはごくりとのどを鳴らした。


「つまり、私たちはお前のそばから離れてはならない?」

「そう。お前たちは人質になっているのさ。」


 エルムは軽い口調でそう言った。カレンタルの視線がエルムとイオストラの間を幾度いくどとなく往復する。表情には怯えと戸惑いが浮かび上がっていた。彼には状況が解っていない。ただ、何か不気味な影が己の内面で渦巻くのを感じ取っていた。


「そいつは本当にこの場にいるのか?」

「テルが言っていただろう。街の人間を広場に呼んで、眠ってもらった、と。そんなことができるのはフルミナだけだ。」


 カレンタルを置き去りにして、イオストラとエルムは状況を確認し合う。


「本当にその方法で眠らせたのか? 別の方法があるのかも……!」

「ああ、明らかにフルミナの存在を匂わせて来たからね。ブラフという可能性もある。だがフルミナ不在を前提に動くわけにはいくまい?」

「それは……ああ、そうだ。」

「強力なヒルドヴィズルはその存在だけで戦況を変えるが……フルミナは存在の可能性だけで相手の動きを封じてしまう。さすがとしか言いようがないな。」


 エルムはふと笑みを消す。


「どこに行ったあ? 浮気者ォ!」


 どこからともなくデスガラルの声がした。イオストラは思わず身を縮める。エルムは心底嫌そうに眉をひそめた。


「あの妙ちくりんなヒルドヴィズルはアルボルよりも格下だが、テルの支援がある限り倒すのは難しい。だがテルを先に倒そうにも、フルミナの存在が俺を重しに繋いでいる。」

「私とカレンタルは重しか!」


 そう噛みつきはしたものの、イオストラは自身が重しであることを認めていた。

 デスガラルをい潜ってテルセラを排除する。エルム単騎でならやってのけるだろうが、イオストラとカレンタルを引きずっていてはさすがに無理だ。

 イオストラは腕を組んで、くるくると視線を彷徨さまよわせた。人のいない家の一角に、奇妙に散らかった場所があった。


「私とカレンタルが潜伏している隙に、というのも無理か?」

「おいおい、フルミナは天才だぞ。お前たちがどこにいるか分からなくとも、大声で叫べばそれで終わりさ。隠れていようが関係ない。」


 エルムは形ばかり物憂げに呟いた。


「困ったなあ。ああ、困った。どうするんだ? イオストラ……」

「……随分と楽しそうではないか。」

「ああ、楽しくて楽しくて仕方がない。失うものがある。こんなに張り合いを感じるのは、久しぶりだ。」


 エルムはいやらしい笑みを浮かべて答えた。イオストラは視線を固定したまま眉を顰めた。


「……テルは補助を得意とするらしいが、お前にもできるのか?」

「できるとも。」

「前衛ではなく後衛であれば、もっと広い範囲でフルミナの干渉を防げるか?」

「まあ……そうだな。この程度の規模の街なら、全域をカバーできるだろうが……何が言いたい?」


 エルムの不定色ふていしょくの目に何かを警戒するような色が閃いた。


「私を補助しろ。私がテルを叩く。」

「やめなさい、危ないから。」


 幼子をいさめるような口調が、イオストラを無性に苛立たせた。


「安全に済ます道などすでにないだろうが!」


 イオストラは噛みつくように叫んだ。カレンタルがびくっと肩を縮めた。イオストラは頭を振って怒りを払うと、大股に部屋を横切る。

 部屋の隅の、散らかった一角。何かの作業の最中に中座したままのような状況。転がっているものから、何をしていたか想像がつく。ならばどこかにあるはずだ。イオストラは床に頬を押し付けてベッドの下を覗き込む。


「探し物はこれかな?」


 ひょいと鼻先に差し出されたのは、黒々と光る銃口だった。火薬と油の臭いが鼻についた。イオストラはむっくりと身を起こす。


「それだ。」


 ひったくるようにしてエルムから受け取った銃の具合を、イオストラは確かめた。


「もう一丁ある。」


 エルムがまたイオストラに銃口を向ける形で銃を差し出した。


「こんな民家に銃が二丁も置いてあるとはな……」

「こ、この周辺の人は、結構持っていますよ。獣害もあるし、魔物もいますから……」 


 カレンタルがエルムの後ろに隠れておずおずと一山の弾丸を差し出した。自分よりもエルムの方が安全だと思われているらしいことに、イオストラは少なからず傷付いた。


「た、対魔用の弾丸もあるな……」


 誤魔化ごまかすようにイオストラは呟いた。


「それで? そんなもので何をしようと?」


 エルムは呆れたようにそう言って、カレンタルの掌の上から一掴みの弾丸を拾い上げた。


「私がテルを撃つ。お前はフルミナとデスガラルから私たちを守れ。それだけでいい。」

「イオストラ、ああ、イオストラ……。その弾丸じゃ、テルの守りを貫通できない。覚えていないか? レムレス平野では銃撃が全く意味をなさなかったろう。戦場全域に守護壁が張り巡らせていた。テルの仕業さ。守る対象が少ない今、さらに壁は強固だぞ。」


 言いながら、エルムは手を開いた。彼の手から零れ落ちた弾丸は緑の輝きを帯びていた。


「テルは必ずどこかから闘いを見ている。大抵の補助創世術は強化対象を見ていなければ発動できないからね。覗き見の創世術を併用するだろう。空に浮かぶ目を撃ち抜け。そうすれば本人が出てくる。頭を撃て。それで殺せる。」


 イオストラは緑の光を発する弾丸を一つ、拾い上げた。


「いいのか? 恋人……だったのだろう?」

「関係ないさ。昔はどうあれ、今は邪魔なんだ。」


 エルムはいつも通りの笑顔を浮かべて、優しげな声で言い放った。


「……お前はそうやって人を捨てるのだな。」


 暗澹あんたんと呟いて、イオストラは丁寧に五発の銃弾を猟銃に装填そうてんし、カレンタルに手渡す。カレンタルは目を丸くした。


「持っていてくれ。」

「は、はい……」


 もう一丁にも五発。計十発。


「テルを仕留め、デスガラルへの支援を断つ。しかる後にデスガラルを撃破し、フルミナの捜索に当たる。それで良いな?」

「お前がそうしたいのなら、いいんじゃないか?」


 エルムは答えた。テルを邪魔と言い捨てた時と、同じ笑顔を浮かべていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る