08.死にゆく青年の傍らに※

 カレンタルの言葉の通り、村を出てからさほど時間が経たないうちに周囲はすっかり暗くなり、イオストラは足を止めざるを得なくなっていた。


 森に注ぐ月明かりが闇夜の中にさらなる陰翳いんえいを生み出して、木々の影を不気味にうごめかす。


 イオストラは現在、躍起になって火おこしをしていた。正しい手順を踏んでいるはずなのに火種は一向に育とうとせず、難産と早世を繰り返していた。

 悪戦苦闘するイオストラを、エルムが楽しそうに眺めている。


「もう少し村で休めばよかったのに。そうしたらこんな苦労をせずともシチューが食えたのに。」

「うるさい。」


 皮膚に浸透してくる寒さに体を震わせながら、イオストラは吐き捨てた。


「なあ、今からでも戻らないか?」

「……そんなにシチューが食いたかったのか?」


 イオストラは焚火を起こそうとする手を止めて、指同士をこすり合わせた。すっかりかじかんでいる。


「お前に食わせてやりたかった、といったら信じるかい?」

「嘘を言うな。」


 にべもないイオストラに、エルムは苦笑する。


「一応言っておくが、私は何も急いでいるという理由だけで休もうとしないわけではない。私は追われる身だからな。下手に世話になればあの青年の立場がまずいことになりかねない。巻き込みたくないから、急いで発った。」

「ああ、ふーん。なるほど。うんうん、さすがは真の皇帝。民草への思いやりに満ちているな。」


 イオストラは唇を引き結んだ。エルムに褒められると、けなされている気分になる。


「……肉の焼ける臭いがする。村の方だな。」


 不意に、エルムが呟いた。


「なあ、村に戻った方が良いかもしれないぞ。」

「シチューの話はもういい。」


 イオストラは苛々と応じた。


「ああ、俺もシチューの話をしているつもりはない。」

「え?」


 イオストラは手を止めてエルムを振り返った。エルムの表情はいつになく真剣めいていた。


「もしかしたら巻き込んだかもしれないぜ。」


 ざわり。木々が風にこすれる音が、奇妙な緊迫感を伴って響いた。胸の奥で不安が膨れ上がる。イオストラは勢いよく立ち上がった。


「エルム、モント村まで私を運べ!」


 次の瞬間、イオストラの身体は浮き上がっていた。イオストラを抱えて、エルムは跳ぶように山を走る。頼ってしまえばこんなに楽なのだ。イオストラは拳を握る。爪が掌に喰い込んだ。




 村が近づくと、イオストラの鼻も異様な臭いを捉えた。エルムの言った通り、肉が焼ける臭いだ。イオストラは逃避行のうちに食した似非えせ肉の味を思い出して、思わず顔をしかめた。


「な、なんだ?」


 やがて赤々と揺らめく炎を視認して、イオストラは瞠目する。モント村が焼けている。

 

 焼け崩れる村の中に、人の姿はない。村に到着するなりイオストラはエルムの腕を振り払うようにしてカレンタルの家へと走った。

 炎が発する鮮やかな光が、冷え切った肌の上で踊る。煙と火の粉が空を舞い、夜を赤く照らし出していた。


 カレンタルの家もまた炎に包まれていた。炭同然の細い柱が、辛うじてかしいだ屋根を支えている。イオストラは躊躇ちゅうちょなく家に飛び込んだ。


 半ば焼け落ちた家の中に、カレンタルは倒れていた。ひどい有様だった。全身が焼け爛れているばかりではない。切り刻まれている。卓越した技術で刻まれたと解る切り傷は、全てが急所を外していた。


「まだ……生きてる……」


 イオストラは足を止めて、あえぐように呟いた。カレンタルに近付くことができなかった。とても助かる傷ではない。さりとてすぐに死ぬこともない。そのむごたらしさがイオストラの動きを封じた。

 唐突に疲労を思い出した足が、イオストラの自重を支えるのをやめた。イオストラはその場に座り込み、顔を覆う。


 カレンタルの身体に刻まれた無数の傷跡は、この惨劇が武器を扱う者の悪意によって生じたことを告げていた。誰が、何のために? イオストラに思いつく答えは一つだけだった。


 自分がこの村を巻き込んだのだ、と……。


 エルムがイオストラの脇をすり抜けてカレンタルへと歩み寄った。死にゆく青年のかたわらに膝を着くと、虚ろに開いた目を指で覆う。


 突然、緑色の光の粒子があばら家の内側を満たした。イオストラは驚いて顔を上げた。緑の光は渦を巻き、カレンタルの身体へと吸い込まれていく。その光景はイオストラの脳裏に、いつかの惨劇を蘇らせた。


「エルム、やめろ!」


 エルムはイオストラを無視した。切り刻まれた皮膚が巻き戻るように再生し、カレンタルの傷を覆う。焼けただれた皮膚がみるみる色を取り戻す。

 光が収まる頃には、カレンタルは完治していた。苦痛から解放され、穏やかな寝息を立てている。イオストラは怒りを露わにエルムをにらんだ。


「彼を助けたのはお前の意思か? 一体、どういうつもりだ?」

「おいおい、目の前に死にそうな人がいたら助けるのは当然だろう?」


 ふざけた口調でエルムは言った。


「それはそうだが……だが、勝手に――!」


 イオストラは言葉を切った。エルムの目はイオストラの背後に固定されている。怪訝けげんに思って振り返り、イオストラは凍り付いた。


 焼け焦げた小さな家の入口を覆いつくさんばかりの巨漢が、爛々らんらんと燃える目をイオストラとエルムに向けていた。憤怒に塗り固められた恐ろしい形相は、イオストラに恐怖を与えるのに十分だった。


「参ったな。ここで登場とは……。」


 エルムは苦笑した。


「何者だ?」


 イオストラは問うた。


「今お前が相手をしている化け物軍団の四幹部の内の一人。岩巨人ゴレムアルボルだ。」

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