09. 岩巨人

 岩巨人ゴレムアルボル。人間離れした巨体と無双の怪力を誇る傑物けつぶつである。

 先のレムレス平野での激突で、イオストラもその威容を目にしていた。楔型くさびがた陣形の先頭に立って人の海を割り開いて行く彼の姿は、ヒルドヴィズルという化け物への恐怖心を具現化したが如きだった。


 その化け物と、まさかこんなところで遭遇するとは……。


「貴様ら……!」


 アルボルの凶悪な顔に青筋が走った。食いしばった歯が軋む。巨大な体は得体の知れない感情で膨れ上がっているように見えた。


「捕らえるのが目的と言われたが、許せぬ……! ここで誅滅ちゅうめつしてくれるわ!」


 アルボルの拳が歪んだドア枠に叩き付けられた。家全体が震えるように揺れる。エルムがイオストラとカレンタルを抱え上げた直後、家の壁を紙のように破って、四騎のヒルドヴィズルが突っ込んで来た。崩れる家の瓦礫と、その間を縫って走る四本の剣をすり抜け、エルムは外へと飛び出した。


 ほおかすめる熱と瓦礫に顔を歪めつつも、イオストラは状況を分析していた。

 そもそもイオストラがヒルドヴィズルの追撃を逃れているのは、孤立している現状が認知されていないことが大きい。ヒルドヴィズル達はイオストラが麾下きかと共にフロルまで撤退したと考えているのだろう。追手があるには違いないが、片手間の残党狩りでしかない。

 だが、その残党狩りがイオストラの情報を持ち帰ったらどうなるか。敵軍の旗頭が孤立しているとなれば、総力を挙げて捕えようとするはずだ。そうなればとても逃げ切れない。


「エルム、奴らを消せ! 今すぐだ!」


 そう叫んだイオストラの目は、周囲の炎を映して爛々らんらんと燃えていた。もっともらしい理屈をろうしつつも、実際のところ彼女に禁を破らせたのは義憤だった。

 無辜むこの民の命をかくも残虐に奪った怪物に、イオストラは激怒したのである。


 理屈の上でも感情の上でも、岩巨人ゴレムをここで始末せねばならない。どんな手段を使ってでも――。


 ところが。


「悪い。今は無理だ。」


 エルムは間の抜けた明るい声でそう答えた。イオストラは咄嗟にその意味を理解することができなかった。


「それは、どういうことだ?」

「カレンタルを助けるために、奇跡を起こす力をほぼ使い尽くしちゃってさあ。」


 そう言って、エルムは照れたように笑った。


「え、え? そんな……! これまで一度もそんなこと――」

「消えかけた命を救うことが、一体どれほどの奇跡だと思う? 千のヒルドヴィズルを殺すよりも難しい大奇跡だ。エネルギーが切れるのもむべなるかな。」

「な、な……!」


 君の願いを叶えてやろう。どんな願いも、いくつでも――。


 まるで万能にして無限の力を持っているかのようにうそぶいておいて、エネルギー切れ?


「お前、そんな大変な奇跡を私の許可なく使ったというのか……!」

「おや。許可を求めたら否と言ったか?」


 エルムは意地悪く問いかけた。イオストラは唇を引き結ぶ。許可しないのが正しいのだ。待っている部下たちのために、イオストラは帰らなければならないのだから。だが助ける選択肢を与えられた上でカレンタルを見捨てる正しさを、イオストラは発揮できただろうか?


「安心しろ。埋め合わせはするさ。人殺しなんて小枝一本で十分できる。久々に野蛮なチャンバラごっこに興じるとしよう。」


 苦悶するイオストラに微笑みかけて、エルムは足元に落ちていた炭同然の木切れを一本拾い上げた。


「そ、そんなものでヒルドヴィズルと切り結ぼうというのか?」


 イオストラは青ざめて問いかける。


「その通り。」


 エルムが一振りすると小枝は眩い光を放ち、優美な曲線を描く純白の片刃剣へと変じた。


「え、枝が――?」

「貴様ら!」


 小枝が剣に変わった驚きが生ずるよりも早く、アルボルが突進してきた。恐ろしく巨大な斧がその手に握られている。あんなものを振り下ろされれば、エルムは勿論イオストラもカレンタルも粉々に砕けるだろう。


 エルムは笑みの気配を零して、アルボルに向けて駆ける。エルムがアルボルの間合いに入った刹那、空気をひしゃげさせるような圧を伴って振り下ろされた巨大な斧が地面を砕く。

 エルムはすり抜けるように斧をかわしていた。アルボルの巨体の影から飛び出した二騎の挟撃が彼を追う。エルムは何気なく刃を振った。ごく軽い一振りが、一騎の首と一騎の腕を奪った。首が地面に落ちるよりも早く、落命したヒルドヴィズルは緑の霞となって消えた。

 残りの二騎は後方に構えていた。エルムは淀みなく後衛に刃を向ける。血が尾を引いた。


「させん!」


 無音世界にアルボルの怒声が響いた。エルムが後衛とすれ違う。首が一つ、ぽろりと落ちた。舞の中途に割り込んだ武骨な斧が、一人の首を守った。


「無粋だな。」


 エルムは笑う。その声を耳にして初めて、イオストラは腕を斬られたヒルドヴィズルの苦悶の声を意識した。


「おのれええええ!」


 圧倒的な膂力りょりょくによって遠心力からも重力からも引き剥がされた大斧が、縦横無尽の動線を描く。荒れ狂う刃の渦の中で、エルムは酷虐に舞っていた。


「何故だ! 何故なのだ!」


 怒りと呪詛と混乱が、アルボルの声を震わせた。


「うるさいなあ。ほら、歯を食いしばれ!」


 からかうようなエルムの言葉が零れると同時、攻守が転ずる。

 エルムの動きは、むしろゆったりとして見えた。時間の方が彼に合わせて動きを止めている。そんな錯覚を起こさせるほど、緩やかで、静かで、滑らかな剣。それがアルボルの斧とぶつかった瞬間、時間は急激に足を速めた。流れるようなエルムの剣は正に神速。速度に劣るアルボルは斧を盾として耐えている。破壊的な音と剣圧が、周囲の空気を波立たせる。

 

「ぬぅん!」


 アルボルが斧を体の前に出したまま踏み込んだ。形勢逆転を期した力任せの一打は、あっさりと舞の中に組み込まれた。

 まるで初めから決められた振り付けであったかのように、エルムはアルボルの前進に合わせて斧の側面に回り込み、白刃で鮮やかな一閃を描く。


 刃がアルボルの首を薙ぐ寸前、白刃は動きを変化させた。腕を失くしたヒルドヴィズルが剣を投げつけてエルムの動きを阻害したのである。


「邪魔だ。」


 剣を弾いたついでのように、エルムは腕を失くしたヒルドヴィズルに白刃の剣を投げた。水でも突くかのように、剣はつばまでをヒルドヴィズルの顔面にうずめた。絶命したヒルドヴィズルの身体が溶けるように消える。冷たい音を立てて、白刃の剣が地面に落ちた。


 部下の作った時間を無駄にするアルボルではなかった。突き出した膝がエルムの華奢な体を吹き飛ばす。エルムが叩き付けられた家の壁が粉々に砕けた。


「エルム!」


 イオストラは叫んだ。心臓が痛いほどに脈を打つ。アルボルがぎょろりとした目をイオストラに向けた瞬間、場違いな笑い声が響き渡った。


「アハハハハハ! 支援型の後衛が負傷した前衛を治癒し、回復した前衛が俺の留めの一撃を妨害し、結果としてアルボルが俺に一矢報いるのに貢献した……か。」


 崩れた家が巻き上げる煙の中から、ゆっくりとエルムが姿を現した。


「いいじゃないか。諦めない心と絆が生んだささやかな奇跡! 俺は好きだよ、そういうの。感動的じゃあないか! 俺を感動させた功績を、これからの短い一生の励みにするといい!」


 高らかに言ってエルムが弾いた石礫いしつぶてが、アルボルの最後の部下の頭を吹き飛ばした。一瞬遅れて、アルボルの目が石礫の軌道を追い、驚愕に染まる。


「いや、本当に惜しい。テルとフルミナが後衛についていたら、俺に勝てたかもしれないのに……あいつら元気?」


 アルボルはゆっくりとエルムを振り返った。


「あの二人のことを……。では、あなたはそこにおられるのか……?」

「まさか。」


 かすれた声で呟いたアルボルに、エルムは冷たい答えを突き付けた。


「彼は死んだ。」


 エルムは瓦礫の中から丁度良い長さの木片を拾い上げた。それはまたもや優美な剣となる。


「どこまで我らを愚弄ぐろうするか……!」


 アルボルは地獄の底から響くような低い声で唸った。


「その体、粉砕してくれる!」


 巨大な斧がエルムの薄い笑みを打ち砕くと見えた刹那せつな、斧はアルボルを中心とした円形軌道から解放され、腕と共にあらぬかたへと飛んだ。横合いから飛来した一本目の白刃の剣がアルボルの腕を斬り飛ばし、焼けた家の壁に突き刺さった。


「化け物が……。卑怯とは言うまいな。」


 投擲とうてきの姿勢をゆるりと解いて、イオストラは吐き捨てた。アルボルの血走った目がイオストラに向かう。


「残念でした。」


 エルムの剣が血の弧を描く寸前、アルボルは絞り出すように呟いた。


「化け物は貴様の方だ……」


 零れた首は、深い怒りを宿していた。一瞬の後、彼は緑の霞となり果てる。憤怒も怨嗟も無念も、この世にあった肉すらも、緑の輝きへと弾けた。エルムはその光に触れて、目を閉じた。




 部下を殺した何者かを追っていたアルボルが煙の臭いを嗅ぎつけたのは、全くの偶然だった。山火事を案じて駆け付けてみれば、燃えていたのは小さな村だった。


 失火か放火か。疑問を浮かべつつも生存者を求めて村に踏み込めば、村人たちにはいずれも鋭利な切り傷が走っていた。非道の気配を感じて、アルボルは怒った。


 村の端にある家で彼らの姿を目撃した時、部下の死と村の悲劇がアルボルの中で結びつき、短絡的な一枚絵を描き出した。

 この者たちが部下を殺し、逃走する過程で村を襲ったのだ。そのようなことをする輩が、自分を皇帝と名乗ってはばからず、偉大なる白の魔法使いを使役する。

 許せぬ、許せぬ、許せぬ、許せぬ――!


「化け物はそちらだ!」


 それはアルボルの怒りそのものだった。怒りに狂い、くすぶりながら、彼は永遠の静寂へと落ちた。


 敵味方双方から岩巨人ゴレムと呼ばれ恐れられたアルボルの最期である。

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