12.世界は何でできている?
「世界は何でできている?」
エルムは大樹の幹と根との間に埋もれるように腰掛けて、イオストラに問いかけた。夜の闇がひんやりと二人を包む中、ぼやけた光を放つ焚火が昏々と眠るカレンタルに熱を投げていた。
「何を問われているのか解らないな。」
イオストラは不機嫌に応じた。
「ああ、そうかもしれないな。だが、奇跡の種を知る者は皆、明確な答えを持っている。」
エルムはしなやかな手指をくるくると回した。それに連動するように、どこからか緑の霞が寄り集まって、小さな渦を形成する。
「
エルムの
「俺たちもまた、根源ノ力の流れの一部を為す渦だ。自らの渦によって周囲の流れに僅かばかり干渉し、万象を再現する。これが奇跡の業……俺の育った文化圏では
エルムは手の中で炎を弄びながら、イオストラに微笑みかけた。
「お前は一体、何の話をしている?」
イオストラは眉の間にくっきりとした溝を作ってエルムを
「ん?」
エルムは不思議そうに首を傾げた。
「無駄な話に思えてならない。この話は、私の問いの答えに辿り着くのだろうな? その創世術を突然使えなくなったのは何故かと、私は問うたのだぞ。」
「おや。まだ解らないか、イオストラ。うんうん、その察しの悪さが堪らなく愛らしい。己に話の要不要を見極めるだけの分別があると信じて疑わないその無分別……! ああ、お前はなんて可愛いんだ。」
エルムはくつくつと笑う。
「要は、奇跡を起こせば相応に力を消費する、ということでね。」
エルムの掌の上で輝く炎が徐々に弱まって、やがて静かに掻き消えた。
「先述の通り、創世術は自前の根源ノ力で周囲の根源ノ力に干渉し、一定の方向性に導くことで万象を再現する技術だ。つまり自前の根源ノ力を使わねばならない。そして使ったら減るのが根源ノ力さ。」
「つまり、自前の力を使いつくしたために創世術が使えなくなった?」
「そういうことだ。」
だとすると、エルムはイオストラが思っていたほど特別な存在ではないのだろうか。落胆と共に仄かな安堵がイオストラに舞い降りる。
「お前はただの、創世術に優れたヒルドヴィズルに過ぎないのか?」
「残念、違う。」
エルムは口端を吊り上げた。
「俺がただのヒルドヴィズルであれば良い、と思ったか? 普通の武器を普通に使っているだけならば、お前は不正をしているという罪悪感から逃れられるものな。」
イオストラは唇を結んで目を背けた。エルムは畳み掛けるように続ける。
「残念ながら、俺はこの上なく特別だよ。もう一つ残念なことに、今の俺はただの強力なヒルドヴィズル程度の力しか持たない。何しろ力を使い果たした。回復には数日を要するだろう。」
「カレンタルを救うのに、そこまでの力を消費したのか?」
イオストラは半信半疑で尋ねた。
「実現が難しいことを為そうとするほど力を使う。人を助けるのは殺すのより難しいのさ。知ってるかい? 命って尊いものなんだぜ、イオストラ。」
「そんなことは知っている。」
「本当に?」
笑みの浮かんだ唇が、やけにゆっくりと言葉を吐き出した。イオストラはその問いかけを無視した。
「それだけのことを独断でやったというわけか。」
未だ目を覚まさないカレンタルに視線を向ける。エルムは彼を哀れに思ったというのだろうか……。
こいつに、そんな感情があるのだろうか?
「いいだろう。数日で戻るというなら問題はない。」
イオストラはぶっきらぼうに言って、膝を抱えた。冷たい地面から這い上がる夜気に乗じるように、後悔と屈辱がイオストラの胸に湧き上がってきた。エルムに頼った後はいつもこんな気分になる。
「……お前、剣も使えるのだな。」
膝小僧に向けて、イオストラは呟いた。アルボルを倒したエルムの剣筋を思い出す。寒気がするほどに美しい剣技だった。
「俺の辞書に不可能という文字はない。過程を飛ばして結果だけを得るのが手っ取り早くて好きだけれど、過程をこなせないわけではない。チクチク裁縫をしてお前の軍服の穴を埋めることもできるし、トンテンカンカン、道具作りから始めるお城建築なんかもお手の物だ。数ヶ月くれたら、ここにお前の城を建ててやるぞ。」
「要らない。」
イオストラは吐き捨てた。奇跡の力が介在するかどうかなど関係ない。己の力と無関係の者に頼って結果を出すことの、なんと不愉快なことだろう。
一方でイオストラは自助努力の限界も感じていた。自分の剣では末端のヒルドヴィズルにさえ及ばない。もはやイオストラの努力の及ぶ範囲は、ヒルドヴィズルから逃げ隠れるところまでだった。遭遇してしまえばエルムに頼らざるを得ない。
特別ではあっても無敵ではないと認識したことが、エルム使用の敷居を下げたのには間違いなかった。
「なあ、そろそろ腹を割って話をしないか。お前の目的はなんだ?」
出会ってからこれまで、幾度となく投げかけた問いを、イオストラは再び口にした。
「勿論、お前を幸せにすることさ。」
エルムは一切の間を挟まずに答えた。
「またそれか。」
イオストラは顔を
「本心なのだがなあ。」
エルムの声はねっとりとイオストラの耳にへばりついた。
「嘘吐き……」
イオストラは呟いた。子供のような声だった。焚火の色に染まった目を、エルムはそっと細めた。それに連動するように、唇の両端がスッと上がった。
*****
熱い。痛い。苦しい。怖い。あらゆる苦痛を凝縮したような時間が、緩慢にカレンタルの上を通り過ぎた。その果てにふと転げ落ちた闇の中は冷たく安らかだった。
闇の中に一筋の光が現れた時、カレンタルはそれを拒みたいと思った。けれど、ちらちら揺れるその光は、カレンタルの好奇心を刺激してやまなかった。
恐る恐る目を開くと、目の前に少女の寝顔があった。ちらめく木漏れ日が白く柔らかな肌を
しばしぼんやりと彼女を見つめていたカレンタルは、ややあって状況の異常さを認識した。
「やあ、おはよう。」
滑り込んだ低い声が、困惑から生まれた悲鳴を喉の奥へと押し戻した。
「丁度朝食ができたところだ。さあ、お食べ。」
エルムが差し出してきたのは、大きな葉の上に載った焼き魚だった。
「あ、ありがとうございます……。」
カレンタルは素直に受け取った。頭の中で渦を巻く疑問符を整頓しつつ、魚を口に入れる。焼き加減、塩加減共に素晴らしい。けれど、不思議と舌が求めていたものとは違う気がした。
シチューを食べようと思っていたのに。
ふと蘇った記憶に、カレンタルは
「僕……は? ここは、どこですか? ええと……?」
カレンタルはひどく混乱した。シチューを作るつもりで家を出てからここへ至るまでの記憶が支離滅裂だ。断片的な記憶は、まるで意味を結ばない。
「僕は、どうしてここにいるんでしょう?」
「さて、どうしてだろう。」
カレンタルの問いかけに、エルムは答えてくれなかった。カレンタルはイオに視線を向ける。
「ああ、起こさないでやってくれないか。疲れているんだ。」
「は、はい、すみません……!」
カレンタルは姿勢を正した。上ずった声が耳に触ったのだろうか。イオがぱちりと目を開いた。眠気を残す漆黒がカレンタルを映して揺れる。イオは飛び起きた。
「やあ、起きてしまったか。おはようお寝坊さん。」
エルムがにやりと笑って声をかけた。
「日があんなに高く……! な、何故起こさなかった!」
「おや、起こせとは言われていないと思うが?」
エルムの意地悪な態度に、カレンタルは目を瞬かせた。イオは髪を撫でつけながら、横目でカレンタルを窺う。視線は落ち着きなく動き回っていた。
「その……おはよう、カレンタル……。気分は、どうだ?」
「あ、はい。少し体が痛いですけれど、大丈夫です。」
地面で寝たせいだろう。体の節々が鈍く痛んだ。だがそれよりも、どうして自分が野外で寝ていたのかが気になるカレンタルである。
「あの、ここはどこなのでしょう? 僕はどうしてこんなところに?」
おずおずと問いかけると、イオは目を見開いた。
「き、君は、覚えていないのか?」
黒い目が戸惑ったように揺れる。その様子はカレンタルの不安を掻き立てた。
「あの、どうなさったんですか?」
「い、いや。何でもない。その……インドゥスまで案内してくれるという話ではなかったかな?」
「そう、でしたっけ?」
カレンタルは首を傾げた。イオは頷きつつ、視線を逸らす。
「急いでいるから……そろそろ出発しよう。」
イオはそう言って立ち上がった。
「朝食の準備ができているぞ。食べないのか?」
「い、いや。食欲がない。」
何かから逃げるようにイオはエルムに背を向ける。エルムは薄い笑みを浮かべて焼き魚を頬張った。
齧り取られた魚の頭が、焦げたカスを砕きながら地面に落ちた。
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