第6話 君と物語のかけら
僕が知る陽子の物語はこれで全部だ。
隠れ処を出た僕たちは普通にさよならを言って別れた。いつも通り、なんの約束もしなかった。
そして僕は唐突に、次の日に家に帰る事になった。その晩、祖父が腕の骨を折ったからだ。祖父は島の診療所で見てもらうだけで十分だと言いはったけれど、どうせなら大きな病院で、ついでにいろいろ見てもらおうという話になり、僕と祖母も一緒に僕の家に行く事になった。
祖父の骨折は本人が言いはったようにたいしたことはなかったし、祖父母とも年齢の割には健康だという事で、一週間ほどで島へ帰って行ったけれど、夏休みも終盤の僕はそのまま家に残った。
それ以来、陽子とは会っていない。
高校二年生の文化祭で僕はお客様をやめた。
クラスメイトが作っている仕掛けを見るに見かねて口を出したのがきっかけで、なんとなくクラスに受け入れられた僕は、気がつくとお客様ではなくなっていた。だからと言ってすっかり溶け込めるかと言われれば、それはもちろん出来ないのだけど。
僕らのクラスの出し物である「からくりお化け屋敷」は人気投票の第二位に輝いた。一位は「女装メイド喫茶」だったので、同じクラスの男子と負けて悔いなしと健闘を称え合った。
一位のクラスの男子は、女子による徹底メイド教室でしごかれて本当に大変だったらしい。そんな目に合わずに済んで本当によかったと思う。
知り合ってみればたくさんの違いはあっても、全く付き合いが成立しないわけでもないこともわかった。僕はクラスの「お客様」から「食客」とか「客員」に扱いが変わったところで三年生になった。
三年生の夏、予備校の夏期講習の合間を縫って祖父母の住む島へ出かけた。島に滞在した一週間毎日海辺に通ったが、陽子に出会う事はできなかった。
最後の日、僕は意を決して陽子の秘密の場所に踏み入った。息を止めて岩場を潜り、明るい煌めきの中水面に上がる。
そこにも陽子はいなかった。
良く見ると浅い海底のそこここに陽子の宝物が散っている。あの日以後に陽子がここに来たのかどうかすら、窺うことはできなかった。
水着のポケットから取り出した紫色のシーグラスを光にかざす。無数の傷に柔らかく曇ったシーグラスは煌めきはせず、ほんのりと光を孕んだ。
陽子がどうなったのか、どこにいるのか、僕は知らない。陽子の隠れ処に僕が行ったのもこの時が最後になった。
本当には何一つ知らないまま、僕たちの物語は終わってしまった。むしろ物語になる前に、いくつかの断片的なエピソードだけ残して、中途半端に放り出されてしまったようにも思う。
ただ、水中から見上げた太陽の煌めきの中に、シーグラスの孕む光の中に、僕はふと陽子を思い出す。
何一つ始まらなかった、何一つ終わらせなかったあの夏の、物語以前の僕たちを思う。
僕の中で陽子は、あの夏のままで笑っている。僕が渡したクラゲのシーグラスを手に、本当に楽しそうに。
まだ行かないで。
あの日、触れた唇に込めた僕の我儘は、陽子を僕の中に焼き付けた。
僕の知る陽子の小さなかけらは、僕たちの物語にならなかったかけらと一緒に、僕の中に刺さったままだ。
陽子がどこにいても。
陽子がどこにもいないとしても。
あの夏の陽子を僕は見つける。
例えばシーグラスの越しの光の中に。
波が刻む煌めきの向こうに。
海が太陽のきらり 真夜中 緒 @mayonaka-hajime
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